十一話 責任と覚悟②
ヘルとロイドが二人で話をしている時、ゲオルは別の場所で、一人座りながら地面に並べられている魔道具とにらみ合いをしていた。
「持ち合わせは、これだけか……」
呟くゲオルの表情は、正直あまり良くはなかった。
以前、ウムルの『どこにもない店』において、大量の魔道具を購入したが、しかしそのほとんどを帝都で使い果たしてい待っていた。
残っているのは、瓶一つ分の『爆石』と、シュランゲの牙から作った『短剣』、そしてシャーフの毛から作った『手袋』のみである。
この三つがあれば、正直通常の人間ならば相手にならない。雑兵ならば、確実に百は殺せる。けれども、今回の相手は、『怪人』と呼ばれる連中だ。しかも、もしかすればエリザベートが敵の首領の可能性もある。だとするのなら、この程度の準備では、あまりにも心許ない。
「とはいえ、前のように『店』で調達できる状況ではないしな」
前回の帝都の時、ウムルの店を使えたのは、ある意味奇跡と言ってもいい。
そもそも、彼はあの店をあまり使わないようにしている。というのも、あの店は『あの男』も利用しているのだ。身体を変えているとは言え、もしもばったり会った時、バレてしまえば身も蓋もない。それに、あの場所に行くには、ドアが必要となる。加えて、新月の時でしか、使うことができない。
そして、ここにはドアはどこにもなく、天を見上げれば、こちらをあざ笑うかのように、三日月が昇っていたのだった。
「魔術は使えず、魔道具もこれだけ……これはいよいよ、拳で何とかしなければならなくなった、というわけか」
言いながら、ゲオルは難しい顔を変えなかった。
いつもなら、それでも全く問題はない。そもそも、この身体になってからというもの、彼は拳で何とかしてきた回数の方が圧倒的に多かった。魔道具を作るのには、材料と費用がかかるが、しかし拳でならそんなものは必要はなく、またそれで今まで大抵のことは何とかなってきた。
だが、その例外中の例外が、今回が相手である可能性が高い。いいや、ゲオルは既に、彼女であると断定していた。
(エリザベート・ベアトリー……あの女が相手である証拠はない。だが、その名前、そしてやり口から考えて、奴であると考えるべきだろう。そして、だとするのなら、現状はまずい……何せ、あの女は、魔術を使って、ようやく殺せた相手だからな)
ゲオルはその拳で敵対したほとんどの者を倒してきた。
しかし、それはあくまで、ほとんど、である。拳でどうにもならなかった相手も無論いる。ゲオルをずっと追っている『あの男』もそうであり、そしてエリザベートもまたそうだった。
しかし、その二人は種類が違う。『あの男』は単純に強かったが、エリザベートの方はタチが悪い。相性、と言い換えてもいいかもしれない。もしも剣の達人が相手だったとしても、恐らくはあの女を殺すことはできないだろう。
だから、ゲオルは魔術を使い、そして殺し尽くし、跡形もなく消し炭にし、それを自分の目で確認した。
そのはずであり、だからこそ、いつも以上に神経質になっているとも言える。
「……、」
自分に歯向かう者を見逃しては、いつかきっと面倒なことになる。それは、ゲオルが『あの男』に追われるようになって気づかされたことでもあった。
だから、どんな敵でもなぎ倒してきた。
だから、どんな奴でもぶち殺してきた。
そして、結果、『あの男』以外にゲオルに報復しようとした者は、現れなかった。
故に、これは異常事態であり、だから手をこまねているのだと、彼は結論づける。
しかし、だ。
ふと、心のどこかで何かが言う。確かに異常事態ではあるが、しかし、それこそいつものことではないか。そして、それをいつも跳ね返してきたではないか。面倒事も、厄介事も、何もかも、自分の力でねじ伏せてきた。間抜けだなんだと言われるが、しかし自分はこうして生きている。こうして存在し続けている。
ならば、いつものように対処すればいいだけの話ではないか。
では、何故こんなにも 自分は動揺しているのか。
その要因はやはり―――
「…………ちっ。そんなわけ、なかろうが」
刹那、思い浮かべたことに対し、ゲオルは舌打ちをしながら、否定の言葉を述べる。馬鹿なことを考える自分に腹を立てながら、ゲオルは地面に揃えてあった魔道具を全て懐にしまう。
こんなところで、一人でふけっていても意味はない……そう心の中で呟き、立ち上がった。
直後。
「おいおい、どうしたよ。まるで通夜に来たみたいな面しやがって。折角のいい顔が台無しだぜ? なぁ、色男」
どこかで聞いた覚えのある軽薄な声が聞こえた。
呼び止められたゲオルは、即座に後ろを振り返った。
「……貴様」
やはりというべきか、そこにはゲオルが思い描いた通りの男が立っていた。
「よう。久しぶりに会いに来てやったぜ」
ふざけた言葉を口にするのは、ゲオルの身体を奪った男……魔王が、飄々とした笑みを浮かべていた。前回とは違い、顔には包帯を巻いておらず、本来のゲオルの顔を見せつけている。そんなふざけた態度の魔王に対し、ゲオルは口を開く。
「失せろ。貴様の相手をしている気分ではない」
「……え? ちょ、え? 何その反応。いやそこは、『何でここにいる!?』とか『何が目的だ!?』とか、そういうことを言うべきところでしょ。今のは空気読めないとかそういう次元じゃねぇんだけど……相変わらず、愛想のねぇやつだなオイ」
「知るか。貴様に愛想など、死んでもするか。それに、貴様程の男ならば、ワレらの動向を監視していてもおかしくはない。どうせ、黒のシャーフを倒したことも知っているのだろう?」
言われて、魔王は肯定の言葉を述べる。
「まぁな。一応、アレ作ったのはオレ様だからな。ついでに言うと、黒いの倒したところも見させてもらったぜ? 魔術師らしい倒した方だったな。ただ、一つ言わせてもらうなら……もっとストレートに倒せなかったのか? いや、別に倒した方に文句言いたくはねぇんだけどよ……回りくどくね?」
知るか、とゲオルは吐き捨てる。倒しかたに一々文句など言われる筋合いはない。それで問題があったのならまだ分かるが、結果的には倒せているのだ。口を挟まれるいわれはなかった。
「もう一度言う。消えろ。貴様に構っている程、ワレは暇ではない」
「それは、あのお嬢ちゃんを攫われたから、か?」
唐突に、空気が変わる。
ゲオルから発せられる殺気に、けれど魔王は余裕の笑みを浮かべながら、言葉を続けた。
「そんなに驚くなよ。お前さん達の行動を把握しておくのは、オレ様としちゃ当然のことだろ……って言いたいところだが、今回は別件でな。近くにお前さん達がいたから様子を見てたのさ」
その事実に、ゲオルは目を丸くさせる。
ゲオルは魔術は使えないが、魔術の痕跡などは把握できる。それこそ、周りに使い魔がいれば、気付けるはずだ。
なのに、あの時、ゲオルには使い魔を探知することができなかった。
「っつーか、あの妙なイケメン男も言ってたけどな。オタク、あの時相当動揺してただろ? オレ様の使い魔が滅茶苦茶近くにいたのに気づかないなんてよ。っつか、あのイケメン男、タイミング悪すぎだろ。オレ様がわざと使い魔を近くに寄らせて、使い魔越しに『久しぶりだな』的なことする予定だったのによぉ。あいつが現れたせいで、色々台無しになっちまった」
あーあ、とやる気が無くなったかのような声を出しながら、けれどもすぐに笑みを浮かべる。
「けどまぁ、面白いものが見れたから、良しとするべきか」
刹那。
ゲオルの拳が、魔王目掛けて放たれた。
通常の人間が喰らえば即死の一擊を、けれども魔王はひらりと躱して距離を取った。
「黙れ」
「その様子だと、かなりキテるな。まぁその気持ちも分からなくはないけどよ。ただ、一つ言わせてくれ……オタク、何そんなに余裕ぶっこいてんだ?」
言葉と同時に、今度は魔王から圧のある空気が発せられた。
「さっき黒の話でも出てたがよ。オタク、本当の実力出せば、あんな小細工しなくても普通に倒せただろ? あのイケメン男に関しても、魔術使えば逃がすことなんてなかったはずだ。なのに、お前さんはそうしなかった。能ある鷹は爪を隠すってか? ……やめてくれよ。自分はまだ本気を出してないだけだって言い張る能無し共と同じ言い訳するなよ」
「喧しい。貴様に言われる筋合いはない」
意味の分からない言葉に、ゲオルは吐き捨てる。
魔王は、ゲオルが魔術を使用しない理由を知らない。だから、勝手な事を言いたい放題できる。だからこそのゲオルの返答に、けれど魔王はさらに続ける。
「ああ確かに。そっちの事情を何も知らねぇオレ様が言えた義理じゃねぇのかもしれねぇな。けどな、傍からみりゃ、お前さんはそういう風に見えるんだよ」
言われてみれば、確かにそうなのかもしれない。
簡単に解決できる力を持っているにも関わらず、それを使おうとしない。それはある種の宝の持ち腐れだ。使い時ではない? 使うべき相手ではない? そんな事情を知っているのは当の本人だけであり、知らない人間からすれば、何をやっているんだと言いたくもなるだろう。
けれど、それがどうしたというのか。
「何とでも言え。他人にどう見られているかなど、ワレが気にするとでも?」
「とか何とか言って、誤魔化そうとしてんじゃねぇよ。実際、あんたはあのイケメン男にお嬢ちゃんをかっさらわれた。縛りプレイをするのは結構だが、それで負けてちゃ、話になんないだろ」
自分に条件やら縛りをつけるのは人の勝手だ。強くなろうとする者が、敢えて自分に枷をつけることなど、それこそ基本中の基本。
だが、それで敵に不意を突かれ、挙句負けてしまえば、何の意味もない。実は枷をつけていた、実力を隠していた、本当の自分はもっと強い……だから何だ? 結局負けていることには変わらないではないか。その後で何を言われようが、言い訳以外の何者でもない。
「どんな理由で、オタクが本気を出さないのか、オレ様は知らない。どんな理屈で、お前さんが実力を隠しているのか、オレ様は聞かない。けどな……一つ言えることがあるとすれば、今のオタクは、ただの負け犬ってことだ」
その事実に、けれどゲオルは激怒しない。それを否定するほど、周りが見えていないわけではない。ゲオルは契約で、エレナを守ることになっている。期限付きではあるが、契約がなされている以上、ゲオルの中で、それは絶対だ。そして今回、ゲオルは目の前でエレナを連れ去られた。いくらゲオル自身が傷ついていなくても、それは負けと同じなのだ。
だから淡々を言葉を返す。
「……だとしたら、何だ」
「いや、別に。ただ、つまんねぇ男だな、とは思ってな。つまるところ、オタクが抱える事情の方が、あのお嬢ちゃんより大事だったってわけだ」
刹那、ゲオルは言葉を失う。それは、魔王に言われたからではない。その言葉に、自分がすぐに答えなかったことに対して、だ。
その通りだ、当たり前だ、何を今更……なんでもいい。どれでもいい。肯定の言葉の言葉を口にすればよかった。いいや、しなければならかった。
そうでなければ、下らんことを考え出す輩がいるのだから。
「……ほう? こりゃ意外だ。そんな反応をするとはな。もしかして、とは思ってたが……何だなんだ。そっち方面でも面白いことになってたってわけか」
「貴様、何を言っている? 頭が湧いているのか?」
「照れんなてれんな……あー、だとしても、あれだな。大事な女を目の前で攫われるとか、お前さん、それは男としてどうなのよ?」
言われ、ゲオルは魔王がどういう意味で言葉を口にしているのか、理解する。理解した上で、彼は大きな、呆れたようなため息を吐いた。
「下らん……ワレとあの小娘は、貴様が思うような仲ではないわ」
「そうかぁ? だとしても、お前さんにとって、あのお嬢ちゃんは大事な存在だろう? でなきゃ、そんなに動揺するかって。ああ、それとも―――」
数拍の間の後、まるでゲオルの心を呼んだかのような、言葉を呟く。
「昔、誰かに大切なモンを奪われたトラウマが蘇ったとか?」
瞬間、ゲオルの中で一つの答えが出された。
瞼が半分になり、拳が握られ、腰が少しだけ下がる。それは獲物を狙う、獣の動作。この場で言うのなら、ゲオルは魔王を完全に殺すつもりでいた。
「―――良かろう。貴様、そんなに消されたいのなら、今すぐに消してやる」
「おいおい。今のオレ様の身体が分身だってこと、忘れてねぇか?」
「無論、覚えているとも。だが、それだけ精密に作られた分身なら、新たに作るのには時間がかかるはずだ……少なくとも、一度ここで消し炭にすれば、貴様の鬱陶しい声を聞かずに済む」
ゲオルとて、今、この場で魔王を殺したところで、何の意味もないことは承知の上だ。自分が欲するのは、ここにある偽物ではなく、本物の身体。分身をいくら倒しても、ゲオルには何の利益にもならない。むしろ、無駄な労力とも言えるだろう。
けれど、この場に限って、ゲオルはその労力を惜しむよりも、魔王の言葉を遮断することを選んだ。
一方の魔王はというと、まるでそれを待っていたかのように、人差し指を上へと向け、その先には、小さな光弾が出現した。
「いいぜ―――なら、それ相応の舞台にしないとな」
刹那、魔王は小さな光弾を天へと放つ。同時、光弾は弾けると、ゲオルは自分の周りの変化に気付く。先程までなびいていた風が止み、揺れ動く枝は止まり、そして何より木の葉が空中で停止していた。
「結界魔術か」
「ああ。以前、自称勇者の周りにいた赤毛の魔術師が使ってた奴とは毛色は違うが、まぁ用途は同じモンだ。ここでいくら暴れても外には被害は出ねぇし、何より邪魔が一切入らねぇ」
つまり、魔王もやる気であると、言っているのだ。
ゲオルは、目の前の男の心が分からない。何を考えて、こんなことをしているのか、この戦いに何の利益があるのか、一切理解不能だった。
けれど、そんなことを悩んでいたところで仕方がない。ならば、今は憂さ晴らしをすることに専念するべきだろう。
「さぁ、お膳立ては整えてやったぜ? 来いよ、色男。ステゴロとしゃれこもうじゃねぇか」
「意味が分からん言葉を吐くな……だが、いいだろう。貴様で憂さ晴らしをするとしよう」
「ははっ。抜かせっ。やれるもんならやってみなっ!!」
この戦いに、意味などない。
この戦いに、意義などない。
あるのは、一人の男の、苛立ちの発散。
あるのは、一人の男の、他愛もない遊戯。
下らない理由、下らない意地、下らない我儘。
それら全てが詰まった、下らない戦いが、今始まったのだった。
※『能ある鷹は爪を隠す』
すぐれた人間が、実力を見せびらかしたり自慢したりしない様、という意味。
作中で魔王が言っていたのは、彼が勝手に思っていることであり、決してああいった使い方をされるものではありません。




