幕間 壊れた女の演奏
地下迷宮と聞けば、どんなものを想像するだろうか?
洞窟のような場所……と思うのが普通かもしれない。しかし、ルカード達が拠点としている地下迷宮は、洞窟どころか、どこぞの城のような作りになっていた。石造りのしっかりとした迷路。窓は一切ないために、松明がどこもかしこもあるようになっている。
そして、それは最深部も同様であった
その最深部のとある部屋の前に、ルカードは立っていた。彼は、廊下にあった窓をのぞき、服に乱れがないかを今一度確認した上で、ドアをノックする。
「失礼します」
言いながら、扉が開かれた。
そこは、礼拝堂だった。
地下だというのに、天窓から光が見える。この部屋、ひいてはこの地下迷宮の主の趣向だ。せっかくの礼拝堂だというのに、陽射しの一つもないのは殺風景だ、と。そのために、擬似的な光を作り、陽射し替わりにしているのだ。ルカードは、正直陽射しはあまり当たりたくはなく、また礼拝堂にも入りたくはないのだが、しかし主がそれを望みならば、それに従うまでである。
そして、その主はというと、礼拝堂の奥にある荘厳なパイプオルガンの音色を奏でていた。
「……、」
ルカードは、音楽には疎い。元々、興味はなく、またこれからも持つつもりは毛頭ない。いいや、そもそも、礼拝堂でパイプオルガンの音色を聞くというのは、彼にとって毒を喰らうようなものだ。
けれど、それを弾いているのが、自分の主……エリザベート・ベアトリーならば、話は別である。
例え吐き気を覚えようとも、例え目眩が起ころうとも構わない。もしも、今、ここで死んでしまっても、この音色を聞きながらならば、構わないとさえ思ってしまう。
それだけの魅力が、エリザベートにはあったのだった。
(ああ……何と美しいことか……)
それは音色であり、彼女自身のことでもあった。
青みがかった黒い修道服に身を包み、目を瞑りながら弾く姿は、世間一般で言うところの聖母に近い。一定の感覚で小さく揺れ動く頭、それによって靡く長い緑色の髪。そして、細い指先と綺麗に仕上げられた爪。それら全てが、ルカードは感銘を受けていた。
響き渡る音全てが、エリザベートを称えているのだとさえ思う。いいや、そうに違いない、とある種の狂喜じみた感想を抱いていた。
すると。
「ルカード。立ち聞きするのはいいけれど、仕事を疎かにするのはいけないわよ?」
「っ!?」
言われ、ルカードは即座にその場に膝を付き、頭を下げながら、弁明の言葉を述べる。
「申し訳ありませんっ。私としたことが、エリザベート様の奏でる音色に……いいえ、エリザベート様ご自身に魅入ってしまいました。自分の主を前に呆然としていたこと、何とお詫び申し上げればよいか……」
「ふふ。いいわ。正直者の貴方に免じて、お咎めはなしにしてあげる」
未だ演奏を続けるエリザベートは微笑みながら、言葉を続けた。
「それで? 何か報告するようなことがあったの?」
「はい。三つ程ございます。お手数をおかけして申し訳ないのですが、どうか少し、耳を傾けてもらえれば」
「いいわよ。演奏しながらなら、だけど」
「感謝致します」
言いながら、ルカードはパイプオルガンを弾くエリザベートに向かって、報告を始める。
「まずは一点。先日、愚かにもエリザベート様の『地下迷宮』に攻め込んできた残党を見つけました」
そう。そもそも、ルカードがこの地下迷宮から出て、ロイドの顔をしていたのは、それが目的である。同じ顔をしていれば、きっと向こうから仕掛けてくるかもしれないと思っての行動であった。
「そう。それで? 捕らえたの?」
「いいえ。逃げられてしまいました。どうやら、逃げ足が早い者のようで……いっそ、殺すのなら楽なのですが、それではあの男がどうして一人生き残ったのか、究明できませんので」
そう。ルカードは確かに、他の者と一緒で、ロイドに致命的な一擊を与えた。そのはずだった。けれど、何故か彼は生き延び、そして逃げ延びたのだ。
彼一人が広言したところで、この地下迷宮には何ら問題はない。彼が知っていることなど、ほんの僅かなことだけなのだから。
それよりも、ルカードが許せないのは、この地下迷宮から生き延びた者がいる、という事実。それはつまり、自分の主であるエリザベートの汚点を残すようなものであり、絶対に許せるものではなかった。
「まぁ、貴方にしては、珍しい不手際ね。でも、それでも私の元に来たということは、それ以上の成果があた、ということ?」
「はい。実は、とある少女を捕まえまして。どうやら目が不自由なようですが、歳は若く、容姿は良く、そして何より強力な魔力を持っています」
「あら。それはまた、珍しいわね。その娘は、魔術師か何かで?」
「そういうわけではないようです。けれど、素質はかなりのものかと。次の『血』は彼女のものがいいと愚進させてもらいます」
「へぇ……ルカードがそこまで言うなんてね。ならいいわ。貴方の目利きがいいのは、良く知ってるから。ならそうねぇ……血を抜くまでは、フランに世話をさせるわ。ああ、勿論後で見に行っても大丈夫よね?」
「無論です。私の見解などより、エリザベート様のお気に召されるかどうかが第一なのですから」
「ふふ。楽しみね」
まるで新しい玩具を貰ったかのような笑みは、どこまでも無垢であった。
「それで、最期の報告は何?」
「ええ。それが、先程話した逃げた男を追っている途中、妙な男に出会いまして」
「妙な男?」
「はい。連れてきた娘と一緒にいたのですが、とても強い実力者でした。腕力はもちろんのこと、どうやら魔術師のようで、強大な魔力を感じました……ただ、魔術を一切使うことはしませんでした。自分が窮地に立たされているというのに、全て素手で事を成そうとしていたのです。感じる魔力も透明的なもので、魔力そのものも抑えているようでした……あれはまるで、魔力を隠しているかのような気がしまして……その男が、エリザベート様の名前を知っていたのです」
瞬間。
先程まで奏でられいた演奏が、ぐちゃぐちゃな音となって止まる。見ると、エリザベートが両手を鍵盤に叩きつけていた。
「エリザベート様……?」
「……ルカード。その男は、他に何か、言っていませんでしたか?」
「いいえ特には。エリザベート様の名前を出した後も、ずっと前に死んでいるはず、と言っていたくらいで……」
「……それで? その男はどうしたの?」
「はっ。攫った少女を取り返しにくるように煽ってきました。実は、逃げ延びた男もまた一緒にいまして。恐らくは一緒にこの地下迷宮に来るものかと思われます」
「そう……なら、準備をしておかないとね。折角のお客様なんだし、たっぷりおもてなししてあげて」
「御意」
言いながら、ルカードはその場を後にする。
この時、彼は、自分の主の変化に気づいていなかった。先程まで微動だにしなくなっていたはずなのに、今は小刻みに肩が震えていたことを。
そして、ルカードが去ったのを確認した後、声を漏らす。
「……はは」
それは、自分の嫌いな者が現れた恐怖からのもの……などではなく、全くの反対のものだった。
そう。それを一言で言うのなら……歓喜。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!」
狂ったかのような……いいや、完全に壊れた人間の喜ぶ声を口にしながら、エリザベートは天井を見上げた。
「そう、そう、そうそうそうなの!? そうなのね!? ああ、ようやくなのね!? もしかしたら、もうとっくに死んでいるのではと思ってたわ。もしかしたら、永遠に見つからないと思ったわ。けど、けど、けど!! こうして貴方を見つけたわ!! 運命は、私の味方としたというわけね!!」
鍵盤を叩く、叩く、叩く。
響き渡るは、無垢な子供がただがむしゃらにピアノを弾く、汚い音。
けれど、それこそが、この女の正体でもあった。
「今度は殺されない。私が貴方を殺してあげる……そして、私の大事な大事な大事なあの人を、取り返すんだから!!」
壊れた女は、そんな言葉を吐き続けるのだった。




