八話 愚かな選択②
そして。
しばらく森を歩き回り、ゲオルは池のほとりへとやってきていた。
「……、」
太陽に照らされた池は、ゆっくり波をうっている。それは、美しい自然の光景の一つと言えるが、しかし今のゲオルにそれを楽しむ余裕はない。むしろ、池そのものが、自分の心を写しており、それが揺れ動いているのもまた、今の自分のようで気に食わなかった。
「ち……」
思わず舌打ちが出てしまう。それはエレナやヘル、ロイドに向けたものではなく、正しく自分自身への怒りだった。
先程の言葉、そして態度。明らかに様子がおかしいと指摘されても仕方がなく、エレナに放った言葉は、それを隠すかのようなものだった。まるで子供が言い訳をしようとして、相手を侮辱するような形に近い。
不安、焦り、動揺……そういったものの結果であるのは、言うまでもない。そして、あの場にいた全員が、それを理解していた。
ああ、本当に情けない。今、こうして一人になって、冷静になってみれば、自分の言動の浅はかさに苛立ちが増す。けれど一方で思う。ならば、どういった言葉を返せばよかったのか。
ゲオルは事実を淡々と口にした。それだけだ。それが他人を傷つけるものであったとしても、別にどうということはない。それは事実で、真実なのだ。周りくどい言い方など、ゲオルは知らないし、する必要性を感じない。故に、いつもの彼ならば、気にしないし、問題はないはずだ。
なのに、だ。
どうして、自分は今、ここまで心を乱しているのだろうか。
と、自分の不調を自覚しながらも、ゲオルはため息を吐きながら、言葉を零す。
「……で、貴様はいつまでそこに隠れているつもりだ?」
言いながら、振り返る。と、無数にある木々の陰から、エレナはひょっこり姿を現したのだった。
「ええと、いつからバレてました?」
「最初からだ阿呆。どうせ、ワレの気配を辿ってやってきたのだろうが、後をつけるのなら、足音やら物音を立てないようにしろ。それでは尾行の意味がない」
「うっ……返す言葉もないです……」
エレナの言葉に、ゲオルは大きなため息を吐いた。
「それで? 何の用だ。支度をしろと言ったはずだが?」
「はい。そう言われました……けど、その前にゲオルさんと話をしようと思いまして……もう少し、近くに寄っても大丈夫ですか?」
「……好きにしろ」
言うと、エレナは足元に気をつけながら、ゲオルの方へと来る。杖の能力を使っているため、そこに何かがあるのは分かるが、それでもやはりどこかおぼつかない歩きだった。
「よっと……ゲオルさん。もしかして、目の前に池や湖とかがありますか?」
「ああ」
「やっぱり。水の音と臭いがしたから、そうだと思いました」
エレナは池の方を見ながら呟く。彼女の世界は、未だ白黒。故に目の前に池があることは分かるが、池そのものを見れえてはいないのだ。
その事実に、ゲオルはどこかバツが悪そうな顔をする。
そして、口を開いた。
「……小娘」
「? 何ですか?」
「……その、だな。ワレは嘘を言ったつもりはない。先程の言葉は事実だ。もう少し別の言葉があったかもしれんが、しかしワレにはそういった言葉が思いつかなかった。ワレは、そういう人間なのだ……それでも、先程の言葉が言い過ぎだということくらいは、理解しているつもりだ。故に、だな……その……」
口ごもり、間を空けながらも、ゲオルは続けて言う。
「……悪かった」
それは。
それはまるで、自分がいけないことをしたと反省する子供のような、一言だった。
端的且つ小さな言葉。
けれども、エレナにはそれで十分であり、それがゲオルの精一杯であることは、理解していた。
だから、彼女は微笑みながら、言葉を返す。
「いいんですよ。さっき、私も言いましたけど、ゲオルさんが言ったことは間違ってませんから。この杖を貰って、前より世界が見えるようになっていても、私がゲオルさんの足かせになっていることには、違いありませんから」
エレナは見えない池に顔を向けながら、言う。
「……多分なんでんすけど、昨日の人達と戦うのは、さっき言っていた理由以外にもあるんですよね? だって、いつものゲオルさんなら面倒だの、厄介事は嫌だと言って、関わろうとしないと思うので……それがどんなものなのかは、聞きません。そんな権利、私にはないと思うので……ただ、無茶だけはしてほしくないんです」
その言葉に、ゲオルはいつものように鼻を鳴らした。
「……ふん。安心しろ。貴様の大事なジグル・フリドーが死ぬようなことはせん。身体は多少傷つくかもしれんが、ワレが作った塗り薬やらで治して……」
「そういうことじゃありません。私は、ゲオルさんにも、傷ついて欲しくないんです」
唐突に、こちらの言葉を遮った言葉に、ゲオルは一瞬、目を丸くさせた。
そして、数拍の後、口を再び開いた。
「……何をいうかと思えば。ワレ自身が傷ついたところで、貴様が何故心配するのだ?」
「ゲオルさんこそ、何言ってるんですか。私にとって、ゲオルさんは、大事な人を助けてくれた恩人で、私なんかと一緒に旅をしてくれる大事な仲間なんですから」
恩人であり、大切な仲間、と彼女は言った。しかし、ゲオルはそれを素直に受け入れられなかった。
そんな彼に言い聞かせるように、エレナは告げる。
「だって、そうじゃないですか。ゲオルさんにとって、私は足手まといでしかない。普通なら、色々と言いくるめてさっさとどこぞに捨てればいいのに、そうしない。身体のことだってそうです。本当なら、私なんか放っておいて、一人でいった方が効率的なのは明白。なのに、ゲオルさんは私を切り捨てないどころか、手助けしてくれて、守ってくれます」
「……阿呆が。それは『契約』があるからだ。貴様を守るのも、ジグル・フリドーと魂を未だ一つにしないのも、結果論にすぎない。それ以上の意味は……」
「ないのかもしれません。でも、結果的に私やジグルさんは助けられているんです。それに感謝しないわけ、ないじゃないですか」
助けてくれているから、守ってくれているから、感謝しているのだと、彼女は言う。
その顔に、その言葉に、虚偽は感じられず、それ故にゲオルは何も言い返せない。
「ゲオルさんが実際、私のことをどう思っているのか、それは分かりません。でも、少なくとも、私はゲオルさんのこと、傷ついて欲しくない、大切な仲間だと思っています。なので、我が儘で申し訳ないんですけど、自分の身のことも、大切にしてくださいね」
口元を緩ませ、こちらに向かいながら、盲目の少女は笑う。
彼女は聡明だ。きっと今回のゲオルが、いつもと調子が違うことを理解している。いいや、そもそも彼女はゲオルが、隠し事をしていることにも、とっくの昔に気づいているのかもしれない。
けれど、彼女は何も聞いてこない。隠し事のことも、今回のことも、不思議に思っているはずなのに、彼女は何も質問してこない。
そんな資格がないのだと、エレナは言ったが、それは間違いだ。特に隠し事については、彼女にこそ、聞く権利があるのだ。何故なら、それは、彼女やジグル・フリドーに関係することなのだから。
それは何故か……その理由はきっと、ゲオルを信じているからだ、とエレナなら答えるのだろう。信じているから、隠し事をしていても敢えて聞かない。ゲオルが言い出せないというのを分かっているから、何も問わないのだ。聞くとしても、それはゲオルから話してくれるのを待っているに違いない。
その優しさに、ゲオルは甘えていた。
本当なら、彼女に初めて会った時、そして身体を探すと決めたあの時。彼女に言うべきことだったのだ。それをしなかったのは、単純に面倒だったから。
それだけ。本当に、たったそれだけだった。
そして、それが尾を引いてしまって、今の状態になっているのだ。
「それじゃあ、私は支度をしてきますね。でないと、そろそろヘルさんが来ちゃいそうですし」
「小娘」
ならば、もうそろそろ、ここら辺でケリをつける必要があるのではないか。
そんな気持ちに駆られたゲオルは、エレナを呼び止め、間をあけながら、彼女に言い放つ。
「貴様に、大事な話がある」
「大事な話、ですか?」
「……ああ。本来なら、もっと早く言うべきことだったのだろう。その点について、貴様は文句を言う権利があるし、受付けもする。罵倒も……甘んじて受けてやろう」
いきなりの言葉に、少々困惑しながら、エレナは聞き返した。
「えっと……はい。分かりました。それで、その言うべきことって何ですか?」
「……実はだな」
と。
不器用な男が、ある種の決意をもって、言おうとした刹那。
「―――おやおや? お話中でしたか? それは申し訳ないことをしましたね」
池の中から現れた見覚えのある『怪人』よって、ゲオルの言葉はかき消されたのだった。




