三話 魔術師
厄介な事になった。
いや、元々面倒なことに巻き込まれていたが、まさかここにきて再び自分の身体探しの旅をするハメになるとは思っていなかった。
もうとっくの昔に自分の中で無くなったと決着をつけたものを他人に掘り返されるのはあまり気分がいいものではない。
ならば断ればいい、という話なのだが、そうも言えないのが現状だ。ゲオルはジグルにエレナを守ると言った。期限やらどこまで等、そういった諸々の細かい部分をきちんと確認することもせず、身体欲しさに適当に契約を交わしてしまった。一度交わした契約はそう簡単には破れないというのが魔術師というものなのだ。
故、本来なら、今回の件はあまりにも無策というもの。
しかし、ゲオルからしてみれば、そこまで重要なことではなかった。決め事をしていないということは、逆に言えばどんな解釈でもできる、ということ。故に、どこぞの村や街で彼女の面倒を見てくれる人物を探す……そういう予定だった。無論、彼女にもそれは言うつもりだった。だが、その前に新たな契約が生まれてしまった。
だが、よくよく考えてみればこれはゲオルにとって、悪い話ではない。
確かに昔のことを蒸し返したのはあまり気分はよくないが、もしも本当に見つければ元の身体に戻れるのだ。よしんば身体がこの世から無くなっていたとしても、その理由を知ることができるかもしれない。
無論、それを延々と続ける気はない。だからこその一年だ。
正直、見つかる確率は無に近い。何百年も探して見つからなったのに、たった一年で探し出すことなどできるわけがない。だが、チャンスがある、というのが大事なのだ。機会があり、それでも失敗すれば、あの少女も納得するはずだ。
とはいうものの、捜索をするからにはゲオルとて中途半端にすることはしない。そんなことをすればエレナも納得しないだろうし、なにより結局のところは自分のことだ。ならば、これが最後だと思い、尽力するのみ。
これはある種の戯れだ。
一人の少女が見事己の大切な人を取り戻せるか、あるいは全てに打ちのめされ諦めるか。どちらにしても、ゲオルはその行く末を見るだけ。手を貸すことはあるだろう。何かを教えもするだろう。
だが、彼女が諦めたらそこで終了だ。そこから手を差し出すことも、導くこともゲオルはしない。
何故なら、これはあくまでジグルという青年とそれを取り戻そうという少女の物語であり、魔術師はただの観客にすぎないのだから。
*
翌朝。
「これからどうするつもりなのだ?」
朝食を食べ終えたゲオルはすぐ様エレナに質問した。
ちなみに言うと、今日の朝食を作ったのはエレナだった。目が見えないというのに食材を触っただけで認識していたり、材料を切る時も全く迷いがなかったり、その他調理する時もまるで目が見えているかのような手さばきだった。おかげで朝食だった兎の肉の串焼きは美味だった。正直、ゲオルよりも料理は上手いのだろう。
そんなエレナだったが、逆に質問を返してきた。
「ゲオルさんは、自分の身体を盗んだ者に心当たりはありますか? 例えば怪しげな連中が自分の身体を狙っていたとか、誰かに恨みを買ってその腹いせにとか」
「ない。そもそも、ワレは昔から一人だった。故に怪しげな連中に目をつけられることなど無かったし、そもそも誰かに恨まれる程、人付き合いもしていなかったかな」
「いや、堂々と言われても……まぁいいです。ということは、つまり手がかりは全くないと?」
「あればとっくの昔に見つけている」
手がかりがないからこそ、彼は各地を回るはめになったのだ。
おかげでいらぬ騒動にも何度も巻き込まれ、命のやりとりも何度もあった。それを掻い潜って今の彼がいるのだが、その話は今は置いておく。
「その身体が盗まれたという屋敷は今もありますか?」
「ん? ああー……恐らくだが、現存しているだろうな。最後に立ち寄ったのはざっと五十年程前だったからな」
「……今更ですけど、貴方本当に時間の感覚とかがズレてますよね」
自覚はある、と言うと呆れたようにエレナは溜息を吐いた。
「とにかく、その屋敷に向かいましょう。ここから遠いのですか?」
「いや。ここから北に歩いてざっと半月の場所にある。ゲーゲラという街があってな。その近くの森の中だ」
「また森ですか……」
「研究をするために作った場所だからな。人があまりこない場所に建てるのは当然だろう。それより、今更屋敷に戻ってどうする? 何度も言うが、身体が盗まれたのは何百年も前の話。証拠や手がかりが残っているとは到底思えないが」
「しかし、何も手がかりがない以上、盗まれた場所から何かを掴むしか方法はありません。もしかしたら、ゲオルさんが気づいてないだけで、何かあるかもしれませんし」
「……貴様、ワレが見落としているとでも言いたいのか」
「かもしれない、という話です。とにかく、屋敷に向かうということでいいですね?」
不服な顔をするゲオルだったが、そんなもの知るかと言わんばかりに強気なエレナの言葉に同意せざるを得なかった。いや、考えてみれば彼女にはこちらの顔は見えていないのだから、不服もなにもないのだが。
そういうわけで、ゲオル達は屋敷へと向かうことになった。
*
魔術師。
それは詠唱や杖、魔道具などを用いて魔術を行使する人間。
では魔術とは何か。その答えはいろいろとあるが、簡単に言うのなら人間の心、願望である。
例えば今、火が欲しいとしよう。それには火打石と燃やす木々が必要となる。それを魔術でやる場合ならば、魔力と詠唱を用いる。火打石が詠唱で魔力が燃やす木々、といったところか。しかし、なによりも必要なのは、今その何かが欲しいと想う心だ。それさえ強くあれば、詠唱すら必要としない場合もある。
魔術とは結局のところ、人間の奥底に眠っている心の有り様をこの世界に呼び出す技術なのだ。
ならば、強く望めば誰にでもできるのか、と言われればそれは否である。そもそも魔力を持っていることが前提であり、今の世界では魔力を持つ人間の数は少ない。そしてもしも魔力を持っていたとしても、限度というものがある。それを超える魔術は使用することができないのだ。
だが、魔術師とは常に学習し、進歩し、研究し、前へと進む生き物だ。
魔力が少なくても効果が強い詠唱呪文を作り、魔力が足りないのなら魔力を増幅させる魔道具を開発し、基本の魔術を改良する等など……。
魔術師の数は減少傾向にあるものの、その技術は昔よりもさらに進化した代物になっている。
「と、いうのが魔術師と魔術の話だ。理解したか?」
森の中を歩きながらの説明にエレナは「えっと、あ、はい」とどこか間の抜けた答えを返した。
「……おい何だその反応は。貴様が魔術師について教えてほしいというから説明してやったというのに」
「いや、私が聞いたのはゲオルさんはどんな魔術師なのか、どういう魔術を使うのか、ということであって魔術師の歴史やら在り方は別に……」
エレナは魔術師に会うのは初めてのことだ。それ故に魔術や魔術師の説明についてはありがたいと思っていた。
けれど、ゲオル本人の魔術については何も分かっていないため、どこか釈然としていないのだ。
「ワレがどんな魔術を使うのか、だと? フン、そんなものおおよそ全ての魔術に決まっているだろう。ワレを誰だと思っておるのか」
自信たっぷりに告げるゲオル。その声に嘘は全く感じられなかった。恐らく真実なのだろう。
確かに、エレナもゲオルから感じる空気、というか気配については異様なものを感じていた。普通の人間のものより、二倍、いや三倍程濃く感じるのだ。膨大な魔力を持っているのか、それとも魂そのものが密なものなのか。いずれにしろ、目の前にいる男がただ者でないことは確かだった。
「まぁ今のワレは魔術を使わないのだがな」
「…………………………………………………………………はい?」
だから、その言葉には目を、否耳を疑った。
まるでさも当然かの如く告げられた言葉に、エレナは戸惑いを隠しきれなかった。
「え? え? ど、どういうことですか? 魔術が使えないって」
「阿呆。言葉を間違えるな。使えない、のではなく、使わないのだ……と、ああそうだな。その点についても説明しておく必要があるか」
やれやれ、と言った具合な口調でゲオルは続ける。
「いいか。ワレが身体を新しくした理由として、以前の身体が寿命を迎えようとしていたことは言ったな? だが、理由はもう一つあってな。とある男にワレの正体を見破られたのだ。そやつは以前からワレを付け狙っておってな。身体を変えても何度も何度も追ってきて、ワレを殺そうとするのだ」
「それは、どうして……」
「昔、身体を入れ替えた相手と因縁があったみたいでな。ワレが身体を乗っ取ったことを知った途端、殺しにかかってきたのだ。身体を乗っ取って生きながらえてきたツケ、みたいなものだな」
身体を乗っ取ったツケ……その言葉に今更ながらエレナは気づく。そう。本来なら、他人の身体を乗っ取る、なんて行為は許されないものだ。故に怒りを覚える者がいてもおかしくはない。そして一方で自分達は特殊な場合であることを改めて理解する。
「しかし命を狙われること自体は別段珍しくもなんともない。問題なのは、その男が魔術師を専門とする殺し屋だってことだ」
「殺し屋、ですか」
「ああ。狙った獲物の魔術師は必ず殺すことを信条としているらしくてな。その追跡能力は伊達ではない。目標が魔術を使用すれば即座にそれを察知し、そしてその場にやってくる……ワレが今ここで魔術を使えば、奴は半刻もしないうちにやってくるだろう」
「半刻って……そんなまさか」
「そう想うのが普通だろう。だが、それを可能にする男なのだ。おかげでワレは何度も痛手を負った。つい先日もうっかり魔術を使用してしまい、奴が来てしまったせいで街が全壊するハメになった」
ゲオルの言葉にエレナは言葉を失っているようだった。
そして少し間を空けたあとに再び彼女の口が開く。
「じゃあ、ゲオルさんは魔術師だけれど、魔術が使えないってことなんですね」
「おいこら、何度も言わせるな。使えないのではなく、使わないのだ」
「この場合、どちらも同じです。っというか、ゲオルさん一つ言わせてもらいますけど、ゲオルさんって結構抜けてますよね」
「なっ―――」
エレナの言葉に、今度はゲオルが言葉を詰まらせた。
「何を言い出すかと思えば……貴様、ワレのどこか抜けているというのだ!!」
「全体的にです。こう言ってはなんですけど、私みたいな弱者に自分の生い立ちとか魔術が使えないとか喋ってる時点でどうかと思います。それって弱点を喋ってるようなものだと思います」
「ぐっ」
「あと、私に正体をちょっと疑われたくらいであっさり正体を明かすところとか。今考えればもっと慎重になるべきじゃないですか。もしかして正体を見破られたの、一度や二度じゃないんじゃないですか?」
「ぐぬっ」
「加えて言うのなら、ゲオルさんは自信過剰な点がよくよく見られます。自信があるのはいいことですけど、それにつけこまれて足を掬われた経験、あるんじゃないですか?」
「ぐぬぬぬっ!!」
まるで己の過去を見てきたかのような言い分。その言葉に腸が煮えくり返るが、しかしてそれが全て事実であるが故に言い返せない。
この娘、昨日は弱々しく見えたが、心根はとんでもない程図太いらしい。人は見た目では判断がつかないというが、これはまたその中でも例外だろう。
「とにかく、だ。ワレは魔術を使用するつもりはない。故にワレにその類の期待はするな」
「それはいいんですけど……しかし、どうしましょうか」
「? 何がだ」
「いえ。ゲオルさんが魔術を使えない、ということは我々には魔物に対して攻撃手段がない、ということじゃないですか。魔物に襲われた場合、どうしたらいいのかと思って……」
魔術師は基本、魔術で戦う者。
火を放ち、水を操り、風を唸らせ、雷を轟かせる……そんな超常的な能力をもってして相手を打ち負かすものだ。
そしてそれ故に魔術が無くなれば、攻撃手段がないと思うのは必定。
「? 貴様、何を言って―――」
「っ!! ゲオルさんっ!!
とゲオルが言葉を口にしようとした時、エレナが叫ぶ。
瞬間、殺気が森の奥からやってきた。
数は一つ。恐らく獣のものだ。しかも、相当な大物。それをゲオルより先にエレナは気づいた。本当に彼女の第六感は見事なものだ。
木々を倒しながら、それはやってきた。
「ほう、これは……」
現れたのは熊の形をした魔物『アラシベア』。
体長はおよそ、ゲオルの倍、といったところか。青色の毛並みに鋭く尖った爪、そしてこちらを見る瞳は赤く染まっていた。
「ここら辺のヌシ、といったところか。こちらの存在に気がつきどうやら排除しにきたらしいな」
「悠長に言ってる場合ですかっ。早く逃げないと!!」
「落ち着け。そんなに慌てるな。こちらが慌てれば相手も気が立つだろう。とはいえ、暴れられたら困るからな。仕方ない」
「仕方ないって……ゲオルさん、何をっ!!」
エレナの言葉を無視しながら、ゲオルはアラシベアの方へと歩いていく。
「そう言えば先程、妙なことを言っていたな。もしも魔物に襲われたらどうするのか、と」
アラシベアは近づくゲオルをその瞳に映した。同時、後ろ足で立ち上がり、両手を広げて大きく咆哮する。
あまりの叫びにエレナは一瞬、耳を塞いでしまう。
だが、それでもゲオルは立ち止まらない。
何を考えているのか……傍目からみれば、彼の行動は自殺行為そのもの。そのまま進めばアラシベアに襲いかかられてしまう。
そしてそれは現実のものとなった。
広げた両手をゲオルに向けながら、獣は跳んだ。
瞬間。
「―――そんなもの、素手で殴り飛ばすに決まっているだろうが」
殺意の両手がゲオルに届く寸前、彼の拳が獣の顎を突き上げた。
アラシベアはまるで鳥の如く、そのまま宙へと飛んでいく。その身体は回転しながら上がって行き、十メートル程いったところで一瞬止まる。そして、その後はそのまま頭を下にしながら落下し、地面へと激突した。
言うまでもなく、アラシベアは絶命している。
エレナは何も見ていないが、しかし何が起こったのかは、大体理解していた。理解していたのだが、それでも言葉が出てこない。
そんな彼女にゲオルは言い放つ。
「魔術師になる者、己の拳を鍛えるべし―――魔術師の基礎中の基礎だ。覚えておくが良い」
エレナは魔術師のことは未だによくわかっていない。
だが、これだけは言える。
それは絶対、貴方だけだ。