三十一話 復讐の果てに②
『どうやら、ここまでのようですわね』
目の前に倒れ伏すクラウディアに、死神はそう告げる。
あれから長い長い時間が経った。
既に彼女は瀕死の状態。
何とか死神の試練を、今の今まで耐え抜いてきたのだが、しかしそれもここまでだ。
「ま、だ……です……」
『指先一つ動かすのが精一杯な状態で、未だそんなことが言えるのは、大したものですわ。けれど、いくらあなた本人がやる気があっても、身体はすでに使い物にならないものになってしまっていますわ』
今のクラウディアは指先一つ、動かすのがやっとの状態。当然だ。死神の試練とは、それだけ過酷で強烈だった。
例えば、一度でも当たれば死んでしまう死神の攻撃を避け続けたり。
例えば、逆に死神が放つ攻撃を敢えて受けて、耐え続けたり。
例えば、自分が一番見たくない幻覚を百年程の感覚で見させられたり。
ここは死神が作り出した洞窟。そして、その身体を求める挑戦者は、飲まず食わずでも死ぬことがないようになっている。が、それは死ぬことがないだけであり、飢餓状態であることには変わらない。
肉体的、精神的な疲労が蓄積され、そして彼女は倒れしまった。
その姿はまさしく、ボロ雑巾の如くであり、公爵令嬢としての気品も美貌も、何もかもがなくなっていた。
それでも、彼女はまだ食らいつく。
「少し……休めば、また、立てます。いいえ、貴方が今すぐに立てというのなら、立ってみせましょう。だから……」
『だから、まだ挑戦させて欲しい、と……。なる程。その執念、確かに人間のソレを超えていますわね』
それは半ば、呆れたような、そしてどこか悲しげな声音だった。
『それほどまでに、カイニス皇子や剣狼騎士団、自分を貶めた者達が憎いのですか?』
その言葉に、クラウディアは言葉を失う。
「どうして……」
『知っているのか……その疑問は当然ですわね』
言いながら、死神はヴェールを脱ぐ。
そこにあったのは、クラウディアがよく知る少女の顔だった。
「マリア……?」
『この洞窟には、時折死者の魂がやってくることがありまして。あなたが来る少し前に、彼女の魂がここにやってきたのです。そして、あなたと同じ様に試練を受け、そして彼女は敗れ去った』
「ちょっと、待ってください……どうして、どうしてマリアが……それに、今、死者の魂って……」
『そのままの意味ですわ。残念ながら、あなたの妹であるマリアさんも、同じく利用され、最期には殺されました……その記憶と知識を、わたくしは彼女の魂から得ました。恐らく、今のわたくしは、あなたよりも事の真相を知っているはずですわ』
驚愕の事実。
マリア自身も誰かに操られていたこともそうだが、彼女が殺され、そしてここへやってきていたことが、クラウディアには信じられなかった。
「そんな……マリア……」
『そして、あなたもまた、同じ様に試練に失敗した。なので、その魂をいただく……つもりでしたが、少々気が変わりましたわ』
「気が、変わった?」
『ええ。確かに試練には合格しませんでしたが、あなたの意思と覚悟は見させてもらいました。そして、マリアさんも同様に。そのあり方は復讐という名の憎悪に満ちていますが、しかし強い輝きを放っていたことは確か。そして、わたくしはそれに価値を見出しました。故に、あなたにはわたくしの身体と知識を与えましょう』
「身体と、知識……」
『あなたの魂をこの身体に入れ、提供する、ということです。ただし、あくまであなたに与えるのは、身体と知識のみ。わたくしの魔力は一切使用できません。加えて、顔についても半分はあなたのもの、半分はマリアさんのものとします。わたくしはあくまで、あなた方二人の意思を汲んだ。その証です。まぁ、これに関してはヴェールを常に被っていれば問題ないでしょう。身体については何日か違和感を覚えると思いますが、そこは慣れてください。わたくしが会得した体術に関しても身体が覚えているので、訓練さえすれば、己のものとなるはずです』
死神の申し出はクラウディアにとって、ありがたいものだった。
しかし、彼女はそこで待ったとかけたのだった。
「ま、待ってください……身体をくださるのは分かりました。ありがたい話です。でも……その場合、貴方はどうなるのですか?」
『自分の力と一緒に消滅するつもりです。元々、もう生きることに価値を見いだしていなかったので……いいえ、正直なところ生き続けることに疲れていたのです。長く生きるということは、それだけ生きることに価値を見いだせていなければ、辛いだけ。そして、わたくしには、その価値が見いだせない。だから、消えるのですわ』
そんな、とクラウディアは思わず口にしてしまう。
そして、同時に疑問も出てくる
「どうして……」
『?』
「どうして、わたくしに、そこまでしてくれるのですか……」
その言葉に、死神は少し、顔を俯かせながら、答える。
『……昔の話です。かつて、一人の女が男のために全てを捧げました。地位も金も権力も、全てです。けれど、男は利用するだけ利用して、その女を捨て、他の女と添い遂げました。裏切られた女は、復讐のために、魔女になろうとした。けれど、失敗し、成りそこない、ここから動けなくなった。そして、その男が作った帝国を壊そうとする人物が目の前に現れた。ならば、少しくらい手を貸してもいいと思うのは、当然でしょう?』
刹那、クラウディアは理解する。彼女もまた、自分やマリアと同じく、利用された人間なのだと。そして、同じ立場であるということを。
『とはいえ、わたくしの魔力に関しては、別です。申し訳ありませんが、あなたには使いきれるものではない。最悪の場合、力に飲み込まれ、暴走する可能性の方が高い。故にわたくしが与えられるのは、知識と身体のみ。そして、もう一つだけ条件をつけます。それは、「わたくし」として復讐を遂げること』
「貴女として、復讐を遂げる……」
『そう。この復讐はあなただけのものではない。わたくしものでもある。だから、この身体を使うのならば、わたくしとして行動すること。そうすれば、周りに勘付かれることもないでしょう』
つまり、自分は復讐者であり、代行者でもあると。
最早これは、単なる一人の復讐ではない。裏切られた女達が行う国への復讐劇。
その事実を深く理解したクラウディアは、瞼を閉じ、大きく頷きながら口を開く。
「……分かりました。あなたと私、そしてマリアの復讐は、必ず果たします」
言うと、死神はどこか安堵したような表情を浮かべた。
『ああ、その言葉を聞けただけでも……いいえ、その言葉を聞くために、わたくしは今まで生きながらえてきたのかもしれませんわ』
まるで、長年溜め込んできた毒を、ようやく吐き出せたかのような口調で、彼女は最期の言葉を告げた。
『では、後のことは頼みましたよ』
そうして、彼女は新たな身体、そして人生を得る。
古き死神は己の力と共に昇天し、ここに新たな死神『ヘル』が誕生したのだった。
*
「……なる程。そして、貴様は復讐を成し遂げたと。そういうわけか」
ヘルの説明を全て聴き終えたゲオルは、そんな言葉を口にした。
そして納得する。
彼女が何故、自分の正体を最後まで隠そうとしたか。最初は自分が動きやすいように、ということもあっただろうが、死神との約束があったからこそ、彼女はゲオル達にも正体を明かさずにいたわけだ。
そして、その約束は今、果たされた、ということだ。
「それで、それが果たされた今の心境は、どんな感じだ」
「……どう、なんでしょう。清々しい、と言えばいいのか。それとも、虚しい、と言えばいいのか……よく分かりませんわ」
後ろに視線をやり、苦笑しながらヘルは言う。
最早死神との約束は果たされたというのに、彼女はまだその口調を変えない。いいや、それが決意の顕れというやつか。彼女は最後まで、クラウディアとしてではなく、ヘルとして生きようとしているわけか。
「言えることがあるとすれば、やっぱり復讐はおすすめできない、ということでしょうか。ただ……」
「ただ?」
「後悔は、してないですわ」
きっぱりと。
ヘルはそう、呟いた。
自分がここまでしたことに、一切悔いはなく、そして死ぬことにも覚悟していると。
目の前の女は、そう断言したのだ。
「……ふん。あまりにも在り来りな、そしてどこにでもありそうな言葉だな」
「あら? そうでしょうか? 気に入らなかったのなら、すみません」
「謝罪はいらん……別に気に入らんとも言っていないしな」
いやむしろ……とそこでゲオルは口を噤む。
彼は、彼女の言葉を聞き、覚悟を聞き、そしてその決意を聞きに来た。それだけだ。そこに自分がどう思っているとか、そんなことは口にできないし、許されない。
これは彼女の物語であり、復讐。ゲオルは今回、たまたまそれに関わったに過ぎない。云わば、脇役。それ以外の何者でもない。
故に、彼が言葉を告げるのなら、別のことだ。
「しかし、何とも暗い顔をしよって。まるでこれから死ぬような面ではないか。辛気臭いのは正直好かんのだが?」
「………………え?」
その言葉に、思わず素っ頓狂な声を出してしまったのは、仕方のないことだと思う。
何故なら、それだけゲオルの言葉は、ヘルにとって信じられないものだった。
何せ、彼の言葉は、まるで自分が死ぬわけがないと、そう言っているように聞こえたから。
「ゲオルさん、何を言って……」
「何をなにも、そのままの意味だ。これから死ぬわけでもないというのに、死人のような面をするな」
「いえ、だって、ここはもうすぐ崩れて……」
「阿呆が。周りの音をよく聞け。貴様の耳には、未だに爆発音が聞こえるのか?」
言われて気づく。
あれほど続けて聞こえていたはずの爆裂音が、どこからも聞こえなくなっていることに。
「だから言っただろう。貴様と心中するつもりはない、と。安心しろ。ここだけ崩れないようにしてあるだけだ。他の場所は木っ端微塵にしてある。外から見れば、城は跡形もなくなっているだろうよ。無論、それでも抜け出せる道も用意してあるが」
「……………………」
呆然、そして唖然だった。
確かにゲオルの魔術の知識は認めていたし、凄いとは思っていた。しかし、それでもこれはあまりにも馬鹿げていた。
これだけの広さの建築物のどこをどう破壊すれば、どこが残るのか……その計算をするだけでも信じれないというのに、彼はそれを実行したという。
だが、実際にこうして爆発は止んでいる。つまりは、成功しているということだろう。
けれど。
ヘルは、ゲオルの言葉を、素直に受け止められなかった。
「待って……待ってください! それじゃ、それじゃいけないんです!! わたくしは―――」
「責任を持って死ななければならない……ああ、確かに。その言い分は一応筋が通るかもしれんな。そして、別にワレはそれを止めることはない。ただ、その場合はワレの知らんところでやれ。少しの間とはいえ、知り合いだった者が目の前で死ぬのは……好かん」
そっぽを向きながら、ゲオルは言う。
その、あまりにも子供な言い分に、ヘルは呆れた表情を浮かべる。
「……何ですか、それ。自分勝手にも程がありますよ」
「ああ。その点については、よく言われる。そして、とっくの昔に承知のことだ。それから、そこの連中についてだが、殺すというのなら、止めはせん。ただ、生き残ったとしても、地獄が待っているだけだ。その手はずは、貴様が整えているのだろう?」
確かに、とヘルは心の中で呟く。
万が一、自分が失敗し、彼らが生き残ってしまった場合の保険はかけてある。どの道、彼らに待っているのは地獄のみ。故に、直接手を下す必要性は、本当ならない。
とはいえ、それでも自分を、自分達を陥れた者達を自分の手で、罰を与えたい、と思っていた。それだけの憎しみがあった。復讐という気持ちは未だ消えていないのは確か。
そして。
「さぁ、どうする?」
出入り口を境目にしながら、ゲオルはヘルに最後の問いを投げかけたのだった。




