二十九話 報復の時④
どんな建物にも、必ず支えとなっている部分がある。
木造しかり、石造しかり、どこかしらに芯となっている部分があるのだ。その部分がしっかりしていれば、他の場所が多少壊れたり、腐ったりしても倒れることはない。
だが、逆に言えば重要な支えを失えば、その建築物は建っていることができず、崩れてしまう。
とはいえ、そんなことにならないよう、作られるのが普通である。
特に、王宮など、正しくそうだろう。
国の象徴たる城が崩れることなどあってはならない。それは帝国の城も同じであり、構造は複雑且つ頑丈なものだった。
魔術的な加工は一切されてはいないが、建築物としてはなかなかの出来だった。そも、城は広大であり、高さもかなりある。故に、いくつもの支えとなる部分が存在し、その内の一つを壊した程度ではびくともしないだろう。ならば、一つずつ壊していけば、どうなるか。いいや、それもない。そんなことをしていけば、そもそも途中で崩れて、自分も巻き込まれてしまう。
では、城を一気に崩れ落とすとなるとどうすればいいのか。
答えは簡単。支えとなる部分を一度に全て破壊すること……ではあるが、それは物理的に不可能。例えば、凄腕の腕力を持つ兵士をそれぞれに配置させ、そして一気に支えとなる柱や壁を破壊すれば可能かもしれないが、その場合兵士全てが生き埋めになる。それは、あまりに非生産的な結末だろう。
故に、解決策は物理的な方法ではなく、魔術的な方法だった。
「さて……ここまでくれば、大丈夫だろう」
周りを確認しながら、ゲオルは呟く。
彼は今、城の外にいた。もっと詳しく言うのなら、城門の手前。そこには、兵士の山があり、全員が気を失っている。全員、ゲオルが倒した……と言いたいところだが、実際のところ、ほとんどはヘルの手柄である。彼は、前と同じ様に、彼女が倒した連中を運んだにすぎない。
そんな彼らをよそに、ゲオルは城を見上げた。
「しかし、まさかまた『これ』に頼ることになるとはな」
言いながら、取り出したのは、小瓶。中に入っていたのは、赤く輝く石、『爆石』だ。
今回、彼がヘルに頼まれた仕事は三つ。
一つ。彼女が倒した兵士、ないし城内にいた者を城外へと運ぶこと。
二つ。ウムルの店から大量に発注した材料で作った『爆石』を城内に仕掛けること。
そして三つ目は……ここまで言えば、言うまでもないだろう。
「城内で抵抗した兵士は、これで全部。関係のない給仕や宮仕えの連中も『さっきの男』が全員避難させたはず……残っているのは、謁見の間とやらにいる連中のみ。つまり、あの女が提示した条件はこれで全て整ったというわけか」
そう。今回の騒動は、結局のところヘルの問題だ。正直なところ、ゲオルは全く関係はなく、彼が手助けをする必要性は全くないのかもしれない。
けれど、この国に来てからというもの、ゲオルは剣狼騎士団には色々と迷惑をかけられ、挙句は命を取られそうになった。故に、剣狼騎士団は無論、その陰にいた者にも、落とし前をつけなければならない。
結局、これはいつもの自分勝手な行動だ。自己中な我が儘だ。やられたらやり返す。そんな単純な思考なのだ。そして、それ以外の理由など、絶対に、ない。
だから。
「ワレの役目は、これで終わりだ……あとは、貴様の好きなように終わらせるがいい、女」
言いながら、ゲオルは手に持っていた杖の先を、地面へ大きく叩きつける。
瞬間。
目の前の城から数多の爆発音が鳴り響いた。
*
揺れる、響く、崩れていく。
巨大な爆裂音が連続的に鳴り響く。
それはまるで、世界が終わるかのような音色だった。
「な、何だ、何が起こって……!?」
「これは、何だ、ゆ、揺れているのか!?」
「それよりも、さっきからの爆発音は何だ……まさか、城内で爆発しているのか!?」
揺れ続ける城内に対し、喚き散らす貴族達。おどおどと不安な声を出す彼らは、しかしそれ以上のことはしない。逃げることも、対処することも、何もしない。できない。
そんな彼らを他所に、ヘルは「あら」と涼しげな声で呟いた。
「どうやら始まったみたいですわね」
「貴様……何をした!?」
「何を、と仰られましても、見ての通りですわ。城内の至るところに爆発物をしかけさせてもらいまして。それを爆発させただけですわ」
「な……なんということを!? そんなことをすれば……!!」
「この城が崩れる……と? ええ、理解していますわ。というか、それが目的ですので、問題はありません。そのために、爆発物を仕掛けた場所はこの城の支え……核となる部分、その全てですわ。一つ一つを壊しても意味はありませんが、全てを同時に破壊すれば、崩れきれなかった……などとはならないでしょう」
だから安心してくださいまし……そう告げる。
その言葉を聞いた悪女は、信じられないものを見るような眼差しを向けながら、叫ぶ。
「貴女、正気!? 城を……帝国の王宮を壊すだなんて!?」
「だからこそ、です。この城は帝国……いいえ、あなたの御旗。云わば、象徴です。そして、わたくしはこの国を壊しにきたと言いました。それを徹底的にするためには、あなたの異界魔術が施されているこの城を破壊しなければ、意味がありませんから」
城とは即ち、その国そのもの。城がない国王、そして皇帝など、笑い者もいいところだ。
つまり、彼女が言ったこの国を壊す、というのはこういうことだったのだ。
城を壊し、帝国の威信やら名誉やらを全てぶち壊す。今まで培ってきたものを台無しにさせる。
それが、ヘルの、死神の復讐だった。
だが、それが分かった今でも、悪女は首を横に振り、否定の言葉を口にする。
「いえ……いいえ!! それでも、そうだとしても、理解できない!! こんなこと、正気の沙汰じゃないわ。だって、だって……!?」
「このままだとわたくしも一緒に生き埋めになってしまう……はい。確かにその通りですわね。このままですと、わたくしはあなた方と一緒に共倒れになってしまう……ええ。理解していますとも。そして、わたくしは先程、こうも申し上げたはずです。疾うの昔に、覚悟はしてきてある、と」
つまり、彼女は最初からこれが目的だったというわけだ。
自分の命と引き換えに、ここにいる全員……そして、この城諸共に全てを壊すと。
皇帝や、悪女、そしてこの場にいる貴族達に、完膚無きまでの絶望を与え、死を与え、さらには名誉も汚す。
そのために、彼女は、死神は全てを尽くしたという。
「……とはいえ、このままただあなた方と一緒に死を待つというのも味気がありません。なので、一つだけここから生きて出られる方法を用意しておきました」
唐突な言葉に、一同は目を大きく見開いた。
「そ、それは、それはなんだ!?」
「実は、この爆発は、ある一定の間隔で爆発していくようにしてあります。そして、謁見の間から出て、一直線に城門へと続く道は、最後の爆発まで無事なようにしておきました。ああ、言っておきますが、隠し通路などは使えません。全て最初の爆発で使えないようにしてありますわ。無論、皇室しか知らない通路も」
笑みを浮かべながら、ヘルはカイニス、そして悪女に言う。
「つ、つまり……貴様の後ろにある、扉から逃げれば、た、助かる、と……?」
「そういうことになりますわ……ただし」
瞬間、ヘルの目が細くなった。
そこにあるのは、鋭利で冷たい、命を狩る者の瞳。
「わたくしが、それを許すはずはございませんが」
死神の視線が、一同を捉えていた。
そこにいるのは、剣狼騎士団を一方的に嬲り、壊し、倒した女。ここに来るまでにも多くの衛兵を倒したと言っていた。そして、それは恐らく事実だ。リストンの有様を見れば、誰だって嫌でも納得せざるを得ない。
一方、カイニス、悪女、そして貴族達は、一切の攻撃手段を持っていない。彼らは常に守られる側。誰かを守るどころか、攻めることさえしたことがない。そんな連中に、目前の死神を倒せる可能性は万に一つもない。
けれども、それを理解した上で、ヘルは言葉を続ける。
「さぁ、さぁ、どうします? どうしますか? 崩れゆく城の中、皇帝として、皇后として、忠臣として潔い死を選ぶか。それとも、わたくしを倒し、ここから逃げて生きるか。言っておきますが、それほど時間はございませんよ? 全ての爆発が終わるまで半々刻……長くて半刻、でしょうか。ああ、もしかすれば、爆発の計算が違って、もっと早くに通路が崩れるかもしれませんわね。だとするのなら、余計に早くしなければなりませんわ。加えて言っておきますが、命乞いの類は一切受け付けませんので、あしからず」
笑みを浮かべ、煽る彼女の言葉に、一同は黙り込む。
確かに勝つ可能性は万が一、億が一もないだろう。それだけの実力者であり、それだけの実力差がある。
けれども、だ。もしも、逃げるとなれば、どうだろうか。
誰かがやられている間に、自分はこっそり逃げる。相手はたった一人。そしてこちらは少なく見積もっても三十人はいる。それを一斉に対処できるだろうか。
そう思ったのは、一人二人だけではない。いいや、ここにいる全員が思ったことだった。そして、それしか可能性が残っていないのなら、あとは簡単だ。
「さぁ……どうしますか?」
そして。
次の巨大な爆発音が鳴り響いたと同時、彼らは己の命欲しさに走った。
逃げる。逃げる。逃げる。自分が生き残るために逃げる。
他人を押しのけ、踏みつけ、そして逃げる……他人を蹴落としてきた彼らの真の姿がそこにはあった。
そのみっともないまでのあがく姿を前に、ヘルは一言。
「ええ。よろしいですわ。ならば……一人残らず、地獄へ送って差し上げますわ」
言いながら、彼女は一歩前へと出る。
一人、腕が折れて、泣き叫んだ。
一人、脚の健を壊され、這い蹲る姿になった。
一人、肋骨を折られ、口から血を吐き出した。
一人、一人、また一人と、次々とヘルの手によって壊されていく。そして、そんな彼女に一切の隙は無く、ただただその場に転がっていくだけ。その中には、カイニスや悪女の姿も無論あった。
やめてくれ、助けてくれ、命だけは……そんな彼らの言葉を、ヘルは容赦なく切り捨てていく。
何故なら、ここにいるのは、復讐を果たすためにやってきた死神。故に温情はなく、許しはなく、ただ壊していくのみ。
結果。
最後の最期まで、ヘルから逃げおおせた者は誰一人おらず、彼らは爆発音が鳴り終わるまで、この部屋から出ることは叶わなかった。




