二十八話 報復の時③
昔、あるところに一人の娘がいた。
彼女は、生まれた時から全てを持っていた。金、地位、権力、そして才能。 公爵家の家に生まれた彼女は、将来皇帝と結婚することが決まっていた。そんな彼女は何一つ、不自由のない暮らしをしてきた。さらに、国一番の美貌を持っていた。小さい頃から、誰もが彼女を大切に扱い、傷つけず、守ろうとしてきた。
だが、彼女の最も特徴的な才能は、それらではない。
魔術の才能。
とは言っても、全ての魔術に長けているわけではない。ただ、ある一つの魔術にとてつもなく秀でていたのだ。それが、魅了系の魔術。
誰もが彼女を大切にするのも、それが原因だった。魔術を使わなくても、人を惹きつける美貌があったのだが、彼女はそれだけでは飽き足らず、魅了系統の魔術を使用し、自分を完璧にした。
そして、皇后になった時に、城に異界魔術をかけ、自分という存在を最高のものとしたのだ。
けれども、そんな彼女にも、どうしても避けられないものがあった。
それは老い、そして死だ。
才能があると言っても、それは魅了系統の魔術に関してのもの。延命や蘇生の魔術に関しては全く手が出せなかった。いいや、そもそもただ延命しても美貌は失われるだけであり、蘇生したところでシワだらけの
老婆になっては意味がない。ならば、若返りなどはどうか? いいや、それだと美貌を持ったまま、長く生きられるが、しかしそれでは周りが怪しむ。彼女の魅了はあくまで魅了。完全な洗脳や催眠などはできない。一度、違和感などを覚えてしまえば、そこで魔術の効果が切れてしまう。
歳をとって行くごとに失っていく美貌。そして、その先にあるであろう死。
彼女はそれが怖かった。
だから、彼女は必死で探した。延命でも蘇生でも若返りでもない魔術。皇后としての力を全て総動員し、多くの犠牲を払いながら、探し続けた。
そうして見つけ出したのが、入れ替わりの魔術。
それは、自分と他人の身体を入れ替えるという魔術である。
材料と費用と手間がかなりかかるが、しかし皇后である彼女には何ら問題はなかった。
皇后である彼女に費用の問題など必要なく、魔術の知識があれば手間も省くことができ、そして何より重要な材料は既に彼女自身によって生み出していた。
入れ替わり魔術に関しての最大の難関。それは、相手との相性だ。
いくらその人物と身体を入れ替わりたいと思っていても、相性が悪ければ、成功率はかなり低くなる。けれど、逆に言えば相性がよければなんら問題はない。
そう。例えば、自分が生んだ娘など。
そこから後は簡単だった。
彼女は自分の娘を作るため、何人も出産し続けた。その中から、最も美しくなるであろう子を選び、その子を力のある家の許嫁にする。魅了の魔術と皇后という立場を使えば、何も問題はなかった。
そうして、ある程度の年齢になった時、その子供と身体を入れ替える。こうすれば、自分は力のある家の者になれる、というわけだ。そして、また娘を産み、その娘を皇子の許嫁とすると、時が来くれば、再び皇后になれる、というわけだ。
無論、証拠を残さないためにも、身体を入れ替える時に、自分を敢えて瀕死の状態にしておけば、止めを刺すのは容易い。
彼女は、それを何度も何度も何度も繰り返し、永遠の命と美貌と権力を手に入れたというわけだ。
皇后と公爵夫人をいったりきたりするようにはなるが、しかし彼女の美貌と権力と魔術師としての力が衰えることはなかった。
そして、これを覆すことができる者は誰もいない。それを防ぐために、魔術師を帝都に多く入れないようにしてきたのだ。父親を利用し、剣狼騎士団を作ったのも、そういった輩に濡れ衣を着せ、消すためだ。
故に自分の未来は安全で安泰。
誰にも邪魔されることはなく、誰にも阻まれることはない。
負け犬共を食い殺し、勝ち組となった彼女はこれからも永遠に美しい身体と顔のままであり、、そして地位と権力を思うがままだった。
その、はずだった。
そうなる、はずだった。
だというのに、だというのに、だというのに。
何故、予想外のことが起きるのか。
何故、自分は追いつめられているのか。
何故、自分の思い通りにならないのか!!
そんな彼女の心の叫びを見透かしたかのように、喪服の死神は、不敵な笑い声をあげているのだった。
*
ヘルの言葉に、ここにいる全員、何度驚いたか分からない。
だが、先程の言葉は、その中でも一等のものだろう。
エレノア・フロウレンス公爵婦人。
その名前を知らない者はいないだろう。
かつて、この国一の美貌を持った女性と言われ、公爵夫人となったが、クラウディアの事件で心労を患い、そして、最期にはもう一人の娘であるマリアに看取られながら、この世を去った……その話は、誰もが知っていることだった。
そして、今ここにいるマリアが、そのエレノアだとヘルは言ったのだ。
「あらあら、どうしました? 表情が優れないようですが?」
ヘルは微笑むような口調で言う。だが、皆分かっている。
見えてはいないが、その瞳は、決して笑っていないということが。
「ふ……ふざけないでください!! あなたは、わたくしや陛下どころか、亡くなったお母様まで侮辱するおつもりですか!?」
「はてさて、ふざけているのは、どちらの方でしょうか。罪もないクラウディア令嬢を、自分の好みの顔ではなかったからという理由だけ罪を着せた。マリア様に至っては、何も知らせず、幸福に満ち溢れていると思わせ、最後の最期に絶望の淵へと落とした。これが、生みの親のすることでしょうか」
「いい加減にしなさいっ!! さっきからの貴女の言葉には、何一つ、そう何一つ証拠がありません!! 私がやったというのなら、その証拠をここに出しなさい!!」
マリアの言葉に、けれどもヘルははぁ、と息を吐いた。
「だから何度も言わせないでくださいな。証拠など、わたくしには不必要。そも、その態度が既に証拠そのものだと、何度言えば分かるのでしょうか。というか、気づいていますか? 周りの方々は貴女に疑念の視線しか向けていないということを」
言われて、彼女は周りを見渡す。
彼女の瞳に映る貴族達、そしてカイニスの表情。それは、今まで向けられていたものではなくなっている。美しいと称える者も、守らなくてはと謳う者も、愛していると語る者も、最早そこには誰一人としていなかった。
あるのはただ、疑念、疑惑、疑問。
疑いそのものだった。
「ちが、私は……」
「ああ、何でしたら、あなたがマリア様と入れ替わった時のことをお話しましょうか? 入れ替わる時が来たから自分に毒を含んでいたことや、それを病気だと偽り危篤状態であると言って娘を呼びつけたことや、娘と二人きりで最期の話をしたいと言ってわざわざ二人きりにさせたことや、彼女を騙して入れ替わりの魔術を発動させたことや、その後混乱状態の彼女に貴女が得意げに自分の正体を語ったことや、全てを知りながら抵抗できない彼女に毒を無理やり飲ませたことや……」
「黙れ!! 黙りなさい!! 黙れっていってるの!!」
憤慨し、喚き散らすその姿は、もはや子供の癇癪そのものだった。
これには、流石に誰しもがひいてしまう。
そして、ある程度怒声を放った後、困り顔で呟く。
「貴女……一体、何なの?」
「だから、言ったではありませんか。ただの通りすがりと。ああ、それともどうしてそのことを知っているのか、ということでしょうか。いいでしょう。ならば、その答えをお見せしましょう」
刹那。
彼女は、自分のヴェールを上げた。
そして、その顔をみた瞬間、ここにいる誰もが口を押さえ、そして吐き気を催した。
「………………っ!?」
腰が砕けたように、その場に倒れるマリア。
それはそうだろう。
ヘルの顔は彼女も知っているものだった。いいや、彼女だけではない。カイニスは無論、貴族達も見知った顔だった。
ただ、その顔は二つに分かれていたのだ。
右半分が、クラウディアの右顔。そして左半分がマリアの左顔。
それは、まるで顔を途中から別人の顔として描いた絵画。二つの顔をそれぞれ切り取り、別々のものをつなぎ合わせたかのような代物。
それぞれの容姿はいいのに、こうなると最早悍ましとさえ思う。
「そんなひどい顔をしないでくださいまし。自分の『娘達』の顔なんですから」
「なに、どうして、何、それ……」
「ああ、言っておりませんでしたか。わたくしは、人の魂を喰らって生きながらえる存在でして。無論それは、死人の魂も例外ではございませんわ。数年前、クラウディア様とマリア様の魂を食べさしてもらいまして。そこから彼女達に何があったのか、記憶を覗いたのです。まぁ、魂を食べさせてもらったこともありまして、二人の望みを叶えるために、ここにやってきた次第です」
二人の望み。
つまり、それが。
「この、国が、壊れることが、望みだというのですか……」
「はい。しかし、当然だと思いますが。何せ、この国はあなたの国。そして、彼女達はあなたの道具として、使い捨てられた。故に報復を願うのは、当然のことでしょう」
一人は、生きたまま、全てに裏切られて、失い、追放された。
一人は、目の前で自分の母親に身体を取られ、そして殺された。
これを恨むなという方が無理な話だろう。
目の前のいる悪女に、情け容赦など一切不要。
故に、ヘルがすることは最初から変わらない。
そして、死神が一歩前へと突き進むと、悪女は首を左右に振り、そして
「やめて……やめて、やめなさい!! 私を誰だと、誰だと思っているのです!! この国の皇后、この国の一番偉い者ですよ!! そうです。私に危害を加えることは、この国の法が許しません!! そうでしょう? 陛下、そうでしょう!!」
視線をカイニスへと向ける。が、全ての真実を知った彼は、驚くような表情を浮かべ続け、そして首を必死に横に振り、拒否を示す。
「……何、をやっているのですか。早く私を助けてください。助けなさい。助けなさいっていってるの!! ほら、誰でもいいから、早く助けてっていってるのに!!」
悪女の言葉に、けれども誰も答えない。
皆、彼女を見るだけで、助けるどころか、彼女の傍から少しでも離れるようにしていた。
「どうして、どうして、どうして誰も助けないのよ!! こんなの今まで一度もなかったのに、こんなはずじゃないのに!! こんな、こんな、こんな、こんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなこんなぁああああああああああっ!?」
次の瞬間。
ヘルの蹴りが、悪女の顔面にぶち込まれた。
蹴りを叩き込まれた女は、後ろに二、三回、転がっていく。そして、顔を上げると鼻は折れ、歯は砕け、口や鼻から血が流れ出ていた。
だが、それでも彼女は死んではいない。
「が……ぁ……!?」
「あらあら、自慢のお顔が台無しですわね。けれど、ご安心を。その程度では死にません。そして、大丈夫です。まだ、貴女を殺すつもりはありません。何度も言っているでしょう―――わたくしは、この国を壊しにやってきたのだと」
その言葉と同時。
まるで、悪女の国が崩壊するかのように、王宮そのものが揺れたのだった。




