二話 身体
正直なところ、この展開は予想外だった。
魔術師にとって、身体を乗っ取った相手のフリをする、というのは何も初めてではない。むしろ、乗っ取った最初の方はよくやることだ。性格がどうしても違うが、声や身体は一緒であり、さらには記憶を頼りに演者になりきるため、そう問題にはならない。得意、というわけではないが、しかし今まで一度も見破られたことはないし、疑われたことすらなかった。
だというのに、目の前の少女はたった少しの間で自分がジグル・フリドーではないと看破した。
こちらの姿は見えていないはず。つまり、彼女は顔や仕草ではなく、情報の食い違いや料理の味付け、さらには第六感を駆使して見抜いたのだ。
ジグル・フリドーの記憶を垣間見たとき、彼はエレナの事を頭がいいというような評価をしていた。だが、それは魔術師が思っていた以上のものだったらしい。
「魔術、師……?」
「何だその反応は。確かに数は減ってはいるが、今時魔術師が珍しいわけでもあるまいに。もしや、名を名乗れとでも言うのか? 悪いが、ワレには数多の名前が存在する。それら全てがワレであり、ワレではない。故にその中から一つを選び名乗るというのは少々憚られることであり、ワレ個人を示す言葉としてはやはり魔術師というのが……」
「そんなことはどうでもいいです。ジグルさんはどうしたんですかっ」
少女の強気な一言が魔術師の言葉を遮る。
「むぅ。そちらが怪訝そうな言葉を零したから説明してやろうとしたというのに。まぁいい。ジグル、とかいったか。先程も言ったであろう。この身体はワレが貰いうけた、と。その言葉で察せよ」
「だから、それは、どういう……」
「往生際の悪い娘だ。つまり、貴様の大切なジグル・フリドーは永遠の眠りについた。そういうわけだ」
淡々と事実を告げる。
ここで嘘をついても仕方がない。そもそも、彼女がこちらに疑いを持ってしまった時点で虚言を吐き続ける意味はなくなったのだ。
エレナは信じられないと言わんばかりに口を半開きにさせながら、言葉を詰まらせていた。
そんなの嘘だ、でたらめだ……大事な人間が死ねば、そう思うのが人間というもの。ましてや彼女はこれで二度目。現実逃避をしてもおかしくはないだろう。
泣くだろうか。怒るだろうか。それとも狂うだろうか。
何にしろ、面倒なことには変わりないのだが。
「……それは、貴方がジグルさんの身体を無理やり奪った、と解釈していいんですか」
しかし、少女の声は未だ死んでいなかった。
彼女は両目を包帯で覆っている。が、視線はこちらの方へと向いており、敵意が丸出しだった。どうやら魔術師がジグルを殺し、身体を奪った、と思っているらしい。
「いいや。ここに来たとき、この男は既に息絶える寸前だった。そこで此奴はワレに死の間際の頼みとして貴様のことを守ってほしいと言ってきた。ワレはそれを身体を貰い受けるという条件で呑んだだけのこと」
「身体を貰い受ける……?」
「ワレは他人の身体を喰らい、乗っ取ることで生きている状態でな。前の身体が既にガタがきていたので、新たな身体を探していたのだ。そこでこの男を見つけた。少々若すぎるが、器としては十分だ。実に良い拾い物だった」
魔術師は事実を口にする。彼にとってみれば、別に疑われたままでもよかったのだが、それでも本当のことを伝えておくのは一応の礼儀というものだ。
尤も、それを彼女が信じるかどうかは、別の話だが。
「……つまり、ジグルさんは死んだ、と」
「そういうことになる」
「けど、それなら一つ気になることがあります。その身体からは貴方以外の、ジグルさんの気配を感じられる。これはどういうことですか」
魔術師は少し、目を丸くさせた。驚きである。まさか、そこまで見抜いているとは。
彼女の第六感は本当に馬鹿にできない。
「確かに。正確に言うのなら、ジグル・フリドーという男はまだ死んではいない。その魂は未だ、俺の魂に混ざり合ってはいないからな」
「どういうことですか」
「ふむ。簡単に説明してやろう」
そう言って、魔術師は椀を片手に持った。
「いいか? 身体というのは……まぁ見えていないから想像してみよ。取り敢えず、椀のようなものだと思え。そしてその中には水と氷が入っていると仮定する。水がワレの魂で、氷がジグル・フリドーの魂。今は水と氷で分かれてはいるが、氷はだんだんと溶けていき、最終的には元あった水と一つになる。これと同じだ。ジグル・フリドーという男の魂は未だ形を保っているが、時間が経てばワレの魂にとけ、一部となる。そこにはもうジグル・フリドーという個人の存在は完全に消失する」
他人の身体を喰らい、その体を乗っ取る、というのはそういうことだ。元あった魂を魔術師は未だ消化しきれていない。だから彼女はジグル・フリドーの気配を感じるのだ。それが完全に消化され、昇華されたとき、魔術師のものとなる。云わば、食事の原理と一緒だ。
「っ、けど、それならまだジグルさんは生きているということになります!」
「それは捉え方次第だろうよ。確かにここに此奴の魂はある。だが、その意識は完全に眠っている。仮死状態のようなものだ。それに魂自体がボロボロだ。本人の意思で目覚めることはまずないだろう。主導権はワレが握っている。ワレがこの体から出て行かない限り、此奴が体の主導権を取り戻すことはない。故にジグルという男は、既に死んでいるのと同じだ」
「……ちょっと待ってください。じゃあもし仮に、貴方がジグルさんの身体から出て行った場合、ジグルさんは元に戻るんじゃないですか?」
やはり、というべきか。その点をついてきたか。
確かに魔術師がこの身体から出ていけば、残った魂であるジグルが身体の主導権を握ることとなるのは必至。
だが、それは無理、というか不可能な話だ。
「説明不足だったが、ワレは身体を取り替えるとき、相手を捕食する必要があるのだ。ああ、比喩ではないぞ。本当に食べるのだ」
「人間を……食べる……」
「おいそこ、あからさまに引くな。確かに食べることは事実だが、それは必要な行為だからだ。嗜好や食事という類ではない。やたらめったら喰いはしないぞ。身体を替えるときのみだ。これは、そういう身体なのだ」
その言葉は、まるで自分の身体は普通の仕組みではない、と言わんばかりな言葉だった。
それはどういう意味か……顔をこちらに向けてくるエレナが説明を求めていた。
「この身体はワレの本来の身体ではない。魔術によって作り出した人工体だ。他者の身体を喰らい、魂を吸収し、その分力を蓄え、生き延びる……その実験としてこの身体に己の魂を移したのだ。そしてその効力を図るため、百年ほどこの身体で旅に出た」
「百……!?」
「何を驚いている。これは長く生きるために作った身体だ。検証期間は最低でもそれくらいは無ければ話にならないだろう。ともかく、結果は良好。実験は成功したため、本来の身体に戻ろうとしたのだが……」
「だが、なんです?」
「……盗まれていたのだ」
「盗まれたって……自分の身体をですか?」
「ああそうだ。誰かがワレの屋敷に入り込み、ワレの身体を持っていったのだ。その後、ワレは自らの身体を探し、あちこち探し回ったが、無駄足に終わった。しかし、この身体にも慣れていた。故、己の身体は諦めこの身体で生き続けている、というわけだ」
自分の身体を盗んだ者を許したわけではない。むしろ、見つければ即座に血祭りにあげたいくらいだ。
だが、そう思っていても相手は見つからず、結局この身体で何百年と生きてきたわけだ。既に元の身体よりもこの身体で過ごしてきた年月が長いほどに。
だからもういいと諦めたわけだ。
「そういうわけだ。先程も言ったように、ワレが他人の身体を乗っ取るということは、つまり捕食するということ。だからワレが魂のみ、他人の身体に乗り移る、ということはできん。この身体に移せたのは、本来の身体で魔術を行使できたからだ。この身体で魂の移し替えができるのは、ワレ本来の身体のみ。それがない以上、どんなことをしてもジグルとやらを生き返らせることはできん」
故に貴様も諦めろ、と魔術師は暗に伝えた。
魔術だ、捕食だ、人工体だと色々と専門的な言葉を使ってはいるものの、この少女は理解力はいい。それはジグルの記憶から知っている。故にこちらの言葉がきちんと理解できずとも、ジグルをこの身体に戻す、ということは不可能であるということは分かっているはずだ。
しかし、それをすぐに納得しろ、ということが酷な話であることくらいは魔術師も知っている。
自分は人間としていうのなら、ダメな部類に入る。それでも、人間がどういう時に泣き、苦しみ、悲しむかくらいは熟知している。伊達に長生きはしていないのだから。
けれど。
「……じゃあ、貴方の本来の身体を見つけ出せば、ジグルさんは助かるというわけですねっ」
エレナという少女の答えは斜め上を行くものだった。
「……おい。人の話を聞いていたのか。ワレの身体はとうの昔に盗まれているのだと……」
「はい。ですから、それを見つけ出せば貴方は元の身体に魂を戻せる。そして、残ったジグルさんの魂はその身体で生きる。そういう話でしたよね」
「まぁ理屈ではそうだが……っと、いやいやっ。だからその身体がないのだと言っているだろう」
「だからその身体を探そうと言ってるんですよ」
少女の言い分は確かに理屈がある。
しかし、あまりにも無謀すぎるというものだった。
「やはり話を聞いていなかったな? ワレとて探したのだ。十年、二十年ではない。何百年とだっ。それだけやっても探し出せなかったということは、もはやこの世にないということだ。誰かが燃やしたか、それとも土に埋めたのか。はたまたバラバラにしたのか……いずれにしても、もうないのだ」
「けど、それは確認できてないんですよね? 恐らくそうであろうという予想ですよね?」
今度は理屈を超えた屁理屈が飛んできた。
「身体を盗むということは、何かしらの目的があってのことだと思います。だとしたら、ぞんざいに使い捨てる、なんてことはしないと思います。もしかしたら、研究のために保存されている可能性だってある。だとしたら、見つけ出せば貴方は元の体に戻れる。万が一、もうこの世にはないとしても、どうしてそうなったのか、何に自分の身体が使われたのか、知りたいとは思わないんですか?」
それは、とつい言葉が出そうになる。
エレナの言うとおり、自分の身体が何故盗まれたのか、誰が盗んだのか、目的は何なのか……それを確かめたいという気持ちは未だにある。そして、もしも身体を無事に探すことができれば、元に戻れるかもしれない。この身体には慣れたといっても、やはり自分本来の姿に戻りたいという欲はある。
ふと、目の前のエレナを見る。
彼女は頭がいい。それはこれまでのことからもよく分かる。
恐らくだが、彼女は自分が言っていることが詭弁だというのは重々承知しているだろう。何百年も前に盗まれた身体を見つけ、取り戻す……無謀であり、無茶であり、そしてなにより無意味かもしれない。勝率などほぼないと言っていいほどの博打だ。
それを理解した上で、彼女は必死になって訴えかけてきている。
「……一つ訊く。貴様はジグル・フリドーを愛しているのか?」
同時、エレナの顔が真っ赤に染まった。
「―――っ!! い、いきなり何なんですか!!」
「いいから答えよ。ああ、ちなみに言っておくが、ワレが言っているのは人間としてではないぞ。男として、という意味だ」
ここではぐらかされれば、それこそ興ざめ。故に退路は絶っておく。
エレナはおろおろとしながら、どう答えようか迷っていた。
だが、こちらが真剣であることを察したのか、大きく深呼吸してから口が開かれる。
「……私にとって、ジグルさんは、命の恩人で、旅の仲間で、大切な人で……この人と一緒にずっと一緒にいたいって思ってました。目的なんかなくていい。この人と一緒にいることが、私の目的なんだって……。私、恋愛とかそういうの、よく分からないので何ともいえないんですけど……もしも、この気持ちがそうなんだとしたら、私はジグルさんのことを、愛してるんだと思います」
「……………………ふん。在り来たりだな。普通すぎてあくびがでそうになった」
なっ!? と再び顔を真っ赤にさせるエレナ。
人に言わせておいて、この体たらく。何という人でなしか。
ここは文句の一つや二つ、言っておかなければ気がすまないと思っていた矢先。
「一年だ」
唐突に魔術師はそんなことを告げる。
「ジグル・フリドーの魂がその形を保っていられるのはせいぜいが一年。完全にワレのものになるにはもっと時間がかかるが、しかし一年がすぎればもう手遅れだ。それ以上はどうすることもできん」
だが。
「しかし、もしも一年以内にワレの身体が見つかり、元に戻れば、此奴は助かるだろう」
「それじゃあ……っ!!」
「勘違いするな。身体探しはしてやるが、それは貴様らのためではない。ワレの身体に起こったことを知りたいだけだ。それにもし、身体が無事ならば、ワレも元の身体に戻れる。それだけだ。それ以外の他意は、何も、全く、これっぽっちもない。いいか、そのことをよく理解……」
と、そこで言葉が途切れる。
見ると魔術師の手をエレナがぎゅっと握りしめていた。
小さな手は、しかしてその見かけによらず、力強かった。それはまるで彼女の想いそのもののように。
「ありがとうございます……!!」
彼女はこれまでにない笑みを浮かべてそんな言葉を向けてきた。
ふと思う。
自分に向けてありがとうなどと言われたのは、一体いつぶりだろうか。
「……ふ、ふん。礼など不要だ。こちらはお前の安全を代償としているのだからな。それを違えることはできん。どうせワレが断ったところで貴様は一人で行くのだろう? 故にワレが折れてやっただけのこと」
「心配してくれたんですか?」
「違うわっ!! 貴様、もしやワレを馬鹿にしてるのか!?」
「そんなことはないですよ……えーっと」
「む? どうかしたか?」
「いえ。貴方のことをこれからどう呼べばいいのか、と思って……」
確かに。先程、自分は数多の名前があると言った。そしてその中から一つを選ぶことはないとも。
ならば導き出される答えは一つ。
「ならば、新たな名を名乗るとしよう。そうさな……ゲオル、とでも呼べ。うむ、意味は聞くな。今何となく思い浮かんだ単語だからな」
「そんなものでいいんですか?」
「いいのだ。真の名前ならともかく、仮の名など真剣に考える必要はないのだからな」
そうですか……と呟いたあとエレナは改めて、魔術師・ゲオルに言う。
「では―――これからどうぞよろしくお願いします、ゲオルさん」
「ああ。よろしくされてやるぞ、小娘」
こうして。
目の見えない少女と横柄な魔術師による身体探しという奇妙な旅が始まったのだった。