幕間 クラウディア・フロウレンス③
復讐は、忌諱されるものである。
復讐をしたところで、何も生まれないし、何も意味はない。
過去は変わらないし、未来を得ることだってない。
ただあるのは、憎い相手にやり返したという事実だけ。
分かっている。分かっている。わかっているとも。
復讐に意味などない。それよりも、もっと有意義に人生を謳歌すればいい。新しい場所で、新しい体験をし、新しい仲間と出会い、そして時に恋をし、結婚し、子供を作り、家庭を持つ……そっちの方が断然幸せだし、人として当然の選択だ。
けれど、彼女は……クラウディアはできなかった。
彼女は新しく生きることができずにいた。どこに行っても、誰と出会っても、必ず過去に苛まれる。自分を蹴落とした連中、裏切った連中、信じてくれなかった連中……それら全てにケリをつけなければ、生きていくなどできない。
だから、クラウディアはここにきたのだ。
暗い暗い洞窟の最奥。入口の光はすでに見えず、持っている松明のみが、唯一の灯り。人はおろか、魔物すらも遠ざけるという異端な洞窟。生物は何一つ存在せず、聞こえてくるのは、どこからか滴り落ちる水の音くらいだった。
だから。
『あらあら。これはまた、珍しいお客様が来たものですわね』
唐突に聞こえてきたその声に、クラウディアは思わず身体を震わせ、驚いた。
どこからか、女の声がした。
上品で、魅惑的なその声は、どこか不思議なものを感じる。まるで、この世のものではないかのような、そんな感じだ。
けれど、姿は一切見えない。暗い洞窟の中だからというのもあるが、気配が全く感じられず、声も洞窟内で響くだけなので、どこから声がしているのか分からない。というか、洞窟そものが喋っているように聞こえていた。
そんな摩訶不思議な現象に、クラウディアは理解する。
「あなたが……喪服の死神、ですか?」
『さぁ? そのように呼ばれていたこともあったかもしれませんわね。何しろわたくし、色々と名前がございますので』
喪服の死神。
敵対した者、無礼を働いた者、逆鱗に触れた者、一切合切を死に追いやるという。故に、誰も彼女とは関わろうとは思わず、一人この洞窟に閉じこもっているという。けれど、これは噂、というか伝承だ。何百年も前からある言い伝え。
ただの伝説ではないか、と口にする者も多くいたが、しかし彼女には、別の言い伝えも存在していた。そして、その言い伝えの内容を信じ、彼女を求めて、帰らぬ人となった者は百や二百ではないという。
そしてクラウディアもまた、その言い伝えを信じ、ここまでやってきた。
『それで? あなたのような方が、こんな場所に何の御用でしょうか?』
「……あなたは、どんな願いも叶えてくれると聞きました」
『まぁ、そのようなこと、誰から聞きましたの? すみません。わたくしは、そのような存在ではありませんわ。わたくしは、人の魂を喰らって生きながらえる、魔女のなりそこない。確かに、魂をいただく代わりに、その方の願いをできるだけ叶えるようはしておりますが、流石にどんな願いでも叶えることはできませんわ』
人の魂を喰らい生きながらえる……なる程。だから、彼女の下に来た者達は、全員帰らぬ人となったわけか。
けれど、どうしてだろうか。クラウディアは、彼女が危険な存在だとは思えなかった。今、この現状は、不気味で不思議ではあるものの、一方の彼女からは敵意を感じない。むしろ、久々の客人と話しているような、そんな空気が伝わってくる。
『ちなみにですが、あなたの願いとは、何でしょうか?』
「……私を陥れた者達への報復。それが願いです」
『それは、あまりに抽象的ですわね。具体的には、どうしたいのです? 殺したいのですか? それとも失脚させたい? はたまた、社会的に殺すために奴隷にしたいとか』
物騒な言葉に、けれどクラウディアはふと思う。
復讐をする……それはいい。だが、一体どういうやり方で行うのか。
その問いに、クラウディアは幾ばくかの間をあけながら、答える。
「……壊したい」
『壊したい? それは、どのように?』
「私を陥れた者も、信じなかった者も、あの国全てを、全部、全部、無くしたい……木っ端微塵に、壊したいのです! でなければ、そうでなければ……私はこのまま、死ぬことすらできない!!」
そう。結局のところ、クラウディア公爵令嬢は死んでいなかったのだ。
口ではどれだけ誤魔化せてても、気持ちをどんなに騙しても、怒りの炎が消えることはなかった。
故に、ここにいるのは、生者でもない。過去を忘れられず、許すこともできない、ただの死者であり、亡霊だ。
そして、この亡霊は、死を望んでいた。
『国を壊す……これはまた、大きく出ましたね。余程のことと理解しました……けれど、分かっていますか? あなたの願いは、大変なことです。というより、人間一人ができることではありません』
ただし。
『とはいえ、わたくしはその人間の枠組みから離れた存在。手の打ち用によっては、可能かもしれませんね』
「じゃあ……!?」
『けれど、あなたはそれで良いのですか?』
その問いに、クラウディアは「え?」と声を漏らす。
『自分の復讐を、憎むべき相手を壊すのを他人に任せる……それで良いのですか? そんなもので、あなたは満足するのですか? もしかしたら、わたくしが失敗するかもしれないというのに。裏切るかもしれないというのに。いいえ、そもそも復讐相手に復讐した時、そこにあなたは存在しない……故に、何も感じることもできない。やった、良かった、ざまぁみろ……そんな達成感すらあなたは捨てようとしている』
クラウディアは言われて、考える。
確かに、彼女に全てを任す、というのはどうなのだろうか。自分の復讐だというのに、それを他人に任せるというのは、あまりにも自分勝手で、傲慢で、無責任すぎるのではないか? それは、自分を裏切った連中と何も変わらないのではないか?
いいや、そもそも、だ。
その程度で、自分は、満足するのだろうか。
『もう一度問いますわ。あなたは、自分の全てを他人に放り投げる……それでいいと、仰るので?』
死神の言葉に、クラウディアは、逡巡する。
『……なる程。どうやら、あなたは自分の手で、復讐を完遂したいと見えますわ。ならば……そうですねぇ。では、試練を受けてみますか?』
「試練、ですか……?」
『はい。その試練に合格すれば、あなたはわたくしの力を手に入れることができる。そうすれば、今のままよりは、ずっと復讐できる力が手に入りますわ。こう見えて、わたくし何百年も生きてきましたから。力を得れば、国の一つや二つ、壊すことは可能でしょう。けれど、わたくしにも、好みがありまして。誰にでも力を渡すことはできません。故に』
「それを、判断するための、試練、というわけですか」
『ええそうです。ああ、ただし―――』
刹那、指なりが聞こえた。
そうして次の瞬間、周りに火の玉が複数出現する。
が、クラウディアが驚いたのは、そこではない。
火の玉が出てきたことにより、洞窟内に光ができた。それによって、見えてくる光景。
見ると、彼女の周りには、無数の白骨体が転がっていた。
「ひっ……!?」
それが全て、人のものだというのは、一目瞭然。
怯える彼女に、死神は続けて言う。
『今までわたくしの力を求めて、試練を挑んだ方々は、このような姿になってしまわれました。無論、自分の願いを叶えることもできずに』
つまり、試練を受ければ、魂を売り払い、願いを叶えることすらできない。いいや、魂を売り払ってでも叶えられない願いを持った者が、試練を受ける、ということか。
そして、それらは全て、試練に合格することなく、骨と化した。
そして、クラウディアもそうなる可能性が高い。何せ彼女は、ただの公爵令嬢だった女。それが試練に合格する可能性は低いに決まっている。
けれど。
それを理解した上で、彼女は言う。
「……やります。その試練、受けさせてください」
『ほう……この惨状を見ても、その言葉を口にできるとは。怖くはないのですか?』
「ええ、怖いです。とても、とても怖いです……でも」
ああそうだ。自分はもう、一度死んでいるようなものなのだ。
だから、もう一度死ぬような目にあうとしても、何の問題はない。
むしろ、自分はこれから国を一つ壊すという復讐を果たさなければならない。ならば、生死がかかった試練くらい、乗り越えて見せなければ、話にならないだろう。
ならば。
「それでも、私は、やりたいんです」
復讐を果たすために。
あの国を壊すために。
少女は、自らの命を賭け金として差し出した。
『……ええ。分かりました。ならばその覚悟を、試させてもらいましょう』
そして、出現したのは、一人の女。
露出が多い喪服に、顔を隠したヴェール。長い黒髪は、後ろで一つにまとめられていた。
魅惑的且つ不思議な雰囲気を持つ女。
クラウディアは理解する。彼女こそが、死神であると。
『では、これより試練を始めさせてもらいます。見知らぬお方。どうか、わたくしが満足いくような結果をお出しくださいね』
さもなければ死ぬ。
それを理解しながらも、クラウディアの決意は変わらなかったのだ。
そうして、それから数年後。
洞窟から出てきた女が纏っていたのは、黒い喪服であった。




