二十二話 渇いた剣士③
スロットは、今までの人生の中で、戦いで負けたことはなかった。
剣の修行や稽古などで、時たまやられたり、戦いの中でも死ぬような思いをしたことはあった。しかし、最後は必ず勝利をしてきた。
それが、彼の普通。それが彼の運命。
どれだけやられても、どれだけ敗北の色が濃くても、最終的には自分が勝つ。そういう風に生きてきたし、これからもそうだと思っていた。
だというのに。
何だ、これは。
「ごあっ!?」
拳が顔面に直撃し、地面に倒れる。
これで一体、何度目だろうか。
相手に負けそうになる、というのは何度か経験したことがあり、だからこそ、いつもならここで逆転の時間のはずなのだ。そして、自分は強いのだと証明ができる。
だというのに、今回はできない。
それは、自分の剣がない、ということだけではない。無論、それも大きい。剣士として、絶対の自信があるスロットだが、それも刃があってこそのもの。今の彼の手にあるのは、使い物にならない、ただのガラクタ。それを振り回したところで、何もできることなどない。
だが、尤も大きな要因は別にあった。
それは、目の前にいる男との、圧倒的なまでの力の差。
「ふんっ!」
起き上がろうとするスロットの後頭部に、拳が放たれる。
それは、先ほどよりも威力が小さい。けれど、それは弱っている、というわけではなかった。ただ単に、こちらが死なないように、しているだけなのだ。
スロットの剣が折れてからというもの、この調子だ。こちらが死なないように手加減をしているとしか思えない一擊一擊を、確実にゲオルはスロットの身体に叩き込んでいく。
「が……ぁ……!?」
口の中が血だらけになりながら、スロットは未だ意識を保っていた。いいや、気絶しないように、配慮されている、というべきだろう。
ゲオルはスロットを嬲っている。いつでも殺せるというのに、それをしないのがその証拠だ。
それが、スロットには我慢ならなかった。
今まで、自分が嬲ることはあっても、誰かに嬲られることはなかった。それは、剣士として才能があり、勝ち続けてきた彼への最大の侮辱。
しかし、これはものによっては考えものだ。嬲る、ということは、それ即ち、こちらのことを舐めきっているということ。そして、そういう時こそ、人間というのは、油断や隙が生じやすいというものだ。
「ご、おうえええっ」
だから、この痛みは、今だけだ。
だから、この屈辱は、今だけだ。
これが終われば、これが過ぎれば、きっと油断ができて、隙ができて、そこを突けば、必ず勝利できる。そして、この男に勝ち、スロットはもう一段階上の強さを証明できる。
だから。
自分は、まだ、負けていな……
「何をしている。そら、さっさと立て。そして、さっさと倒れろ」
言うと、ゲオルはスロットの髪を掴み、一度引っ張り上げてから、そのまま地面に叩きつける。今ので歯が何本か砕けた。が、スロットは何もできず、身体すら動かさない。否、動かせない。
最早、彼の身体はズタボロだ。身体の節々が砕け、関節もいくつか脱臼している。未だ、どこも千切れておらず、破裂もしていないが、しかし使い物にならないという意味では同じだ。そして何より、既に己の武器である剣は、叩き折られていた。
剣が砕けた時、既にこうなることは決まっていた。しかし、スロットには、それを頭に描くことができていなかったのだ。剣を砕かれても、ボロボロになっても、結局最後は自分が勝つ……彼は、それを本気で信じていたのだ。
だから、これはある意味初体験と言えるだろう。
自分が、負けそうになる、ではなく、徹底的に、完膚無きまでに、敗北するということを。
「……う……い……」
「?」
「もう、いい……僕の、負けで、いい……」
掠れた声で、スロットは生まれて初めて、自分の負けを宣言した。
彼の髪を掴んだ状態で、その言葉を聞いたゲオルは。
「そうか」
言いながら、もう一度、スロットの顔面を地面に叩きつける。
「ごほっ……な、……え……?」
「なぜ、と言いたそうな顔をしているが、不思議なことではないだろうに。貴様は負けを宣言した。それで? だからどうしたというのだ。まさか、それだけで許されると思っているわけではあるまい?」
「ど……て……」
「貴様は自分の長を斬った。そして、ワレに刃を向けた。人を殺そうとしておいて、自分は殺されずに済むとでも? だとするのなら、本当にガキだな。そこらの童の方が、道理を弁えているというものだ。そういうわけで、ワレは拳を収めるつもりはない」
「や……て……」
「知らん。貴様の言葉を聞く義理はない。ああ、それから言っておくが、他の連中に助けを求めても無駄だぞ。全員、既に使い物にならなくなっているからな」
言いながら、ゲオルは周りを見渡す。
先程まで囲んでいた騎士団の者達は、全員、腕か足が折れ曲がった状態で、その場に倒れている。うめき声をあげていることから、どうやら死んではいないらしい。
そして、最後の一人であろう男の腕をへし折りながら、ヘルがこちらに向かって手を振っていた。
「そういうわけで、貴様はもう助からん。ワレの気が済むまで、相手をしてもらう」
「や……だ、やめ……」
「そう言ってきた連中に、貴様は今まで何をしてきた? そもそも、自分の長である人間を、自分の身勝手な欲望のために切り捨てた者の言葉など、誰も聞く耳は持たん」
故に諦めろ。貴様はここまでだ。
そんな思いを込めながら、ゲオルの蹂躙は続いていくのだった。
*
「終わりましたか?」
「……ああ」
ヘルに声をかけられたゲオルは、既に手が止まっていた。その右手では、顔中に痣という痣ができた状態のスロットの首根っこを掴んでいる。
「死んだのですか?」
「いいや。一応は生きている。色々と聞きたいこともあるしな。今後どうするか、それを決めるためにもな。そっちはどうだ」
「こちらも同じですわ。全員気絶させただけです。それにしても……」
「……何だ、その視線は」
「いいえ。やはり、ゲオルさんは甘いのだな、と思いまして。ここまでされて、命を取らないなんて」
その言葉に、ゲオルはいつものように、鼻を鳴らした。
「ふん。このようなこと、いつものことだ。多少、腹が立ったため、灸を据えたにすぎん。それに、こやつをどうするかを決めるのは、ワレよりも適任の者がいるしな」
言うと、ゲオルは倒れているゼオンの方に視線を向ける。
ゼオンの顔色は良くなく、ケリィが何度も名前を呼んで意識が飛ばないようにはしてあった。
ゲオルは、傍により、「傷を見せてみろ」と言いながら、ゼオンの背中を見る。
先程巻いていた包帯はすでに血まみれの状態となっており、その意味を失っていた。
「様子はどんな具合でしょうか」
「……かなり悪いな。このままでは確実に死ぬ」
「そ、そんなぁ!?」
「喚くな、門番」
言いながら、ゲオルは懐から小瓶を取り出す。中には緑色の粘着質がある液体。ゼオンの包帯を取り除き、血を拭き、傷跡にその液体を塗っていく。途中、ゼオンから唸り声が聞こえるも、無視しながら液体を塗っていく。
すると、先程まで流れ出ていた大量の血が止まり、それを確認すると再び包帯を巻いていく。
「……一応、傷薬で応急処置はした。だが、どの道、医者に診てもらう必要がある」
「じゃ、じゃあ帝都に早く戻りましょう!?」
「阿呆。帝都にはあの副団長がいるのだぞ。この男を殺そうとしたあれが、傷だらけのこやつを見過ごすとは到底思えん」
「た、確かに、それはそうですけど……」
ケリィの言いたいことの分かる。このままでは、どうしようもない。それは、ゲオルも理解している。
ゲオルは魔術師であり、無論、薬も作っている。だから、万が一のために、傷薬を用意してきたのだ。
だが、薬はあくまで薬。治療ではない。ゼオンの傷は、どう見ても深手。薬だけではなく、医者にもきちんとした手当をしてもらう必要がある。
だが、その医者がいる帝都は、今や敵地そのもの。
どうするか……そんな疑問が頭の中で廻っているとき、ふと気づく。
「……おい、女」
「ええ、気づいていますわ」
「え、えっと、お二人とも、一体どうしたんですか?」
「門番さん……どうやら、わたくし達、囲まれているようですわ」
えっ!? と間抜けな声を上げるケリィ。そして、彼も目視でようやく確認できた。確かに、自分達の周りに妙な連中がぞろぞろと集まってきている。
最初は、騎士団の残りの奴らか、と思ったが違う。そもそも、服装が騎士団の甲冑などではない。しかし、その腰に携えているのは紛れもなく剣であり、ただの通りすがりの行商人、というわけではないのは明白。
ならば、考えられるのは盗賊か、その類。
まずい、と流石のケリィも剣に手をかける。
団長は重症であるため、こちらの戦力はケリィを含めて三人のみ。
ゲオルとヘルの強さは十分知っているし、さっきも騎士団連中を圧倒していたのは知っているが、だからと言って油断はできない。
そう思って、ケリィは抜剣しようとするも。
(あれ、でもこの人たち、どこかで見たようなことがある気が……)
奇妙な違和感……というか、既視感にケリィの手は止まってしまう。
そして、その男達の中から表れた一人の男の出現によって、彼は剣の柄から手を離した。
「おうおう。何だ何だ。デカブツが落ちたから、ちょっと様子見でもしようと思って来てみたら、最悪じゃねぇか。まさか、クソったれの騎士団と鉢合うとは、オレも運がないっていうか、なんていうか……って、あれ? あんた達、何でこんなところにいんだ?」
「あ、あなたは……!?」
「貴様は……」
「まぁ。これはまた、妙な偶然ですわね」
ケリィの驚きの声とともに、ゲオルとヘルも思わず、唖然としてしまう。
それはそうだろう。
何せ、そこにいたのは、この帝都に来るまでに自分達を襲った盗賊まがいの男。
元剣狼騎士団隊長・ゴリョーが、目を丸くさせながら、そこに立っていたのだった。




