二十一話 渇いた剣士②
ゲオルは今まで、何人もの剣士と戦ってきた。
中でも強く、厄介だったのは『あの男』である。
……いいや、あれを果たして剣士と呼んでいいものなのか、疑問視するところではあるが、今は置いておく。
何が言いたいかというと、ゲオルはその拳で何人もの強者と戦い、そして勝ってきた。だが、少数ではあるが、魔術を使わなければ勝てない者もいた。彼の拳は所詮、喧嘩殺法。何百、下手をすれば何千もの修羅場をくぐり抜けてきたとはいえ、拳法を極めたわけではない。故に、武術を極限まで高めた、ある種人間をやめた超人達には、流石に拳一つで勝てない時もあった。
特に、その中でも割合が多いのは、剣士。前提として、長モノに対し、無手で勝負することが、そもそも無謀。ましてや、実力が拮抗しているのなら、武器の長所短所が勝敗を分けるのが常だ。そのせいで、痛い目を見たのも、一度や二度ではない。今でこそ、ゲオルは五体満足でいるものの、何代か前の身体の際は、片腕を斬った者、左目を貫いた者がいた。それだけの強者が、この世界には存在する。
そんなゲオルだからこそ分かる。
目の前にいる少年は、そんな彼らの足元にも及ばない、と。
「あはははっ!!」
笑いながら、スロットは剣を振るう。
斜め上から、右から、真下から……ありとあらゆる方向から迫り来る刃を、ゲオルは一つずつ、回避していく。
連続の剣戟……確かに、普通なら反撃する余裕などない程の速さだ。いいや、そもそも避けること自体が不可能だろう。
だが、ゲオルには通用しない。何故なら、彼はこんなものとは比べ物にならない剣戟を、剣術を知っているのだから。
いくら連続と言っても、一擊を放った後の次の行動にかかるまでに、若干の隙ができるもの。
故に、ゲオルは顔面めがけて突きが放たれた瞬間、首を少し曲げながら、前へと間合いを詰め、逆にスロットの顔面に拳を叩き込む。
「ふがっ――――!?」
そうして、スロットは顔面から吹っ飛んでいく。もうこれで十回は越しているはず。
普通の人間なら、死んでいる。ゲオルも聖人ではない。相手が殺す気でかかっているのなら、殺すつもりでやっている。
故に、普通ならとっくの昔に息絶えているか、それとも気絶しているかというのに、スロットは未だ剣を支えにしながら、その場に立ち上がった。
その表情を、歪んだ笑みで満たしながら。
「はは、はははははっ!! 凄い、凄い!! 僕がここまでやって、手も足もでないなんて……本当に、凄いや……!!」
「気色の悪い声を出すな。鬱陶しい」
口から血を流しながら嗤うスロット。その様子から、ゲオルの攻撃が全く通用していない、というわけでは無さそうだ。
それでも彼は立っている。
剣狼騎士団一の剣士。その名は一応、伊達ではない、ということか。
「そんなこと言わないでよ……そもそも、僕が団長を裏切ったのは、このためでもあるんだし」
「……何?」
スロットの言葉に、ゲオルは顔を訝しめる。意味が分からなかった。何故、ゼオンを裏切ることが、自分と戦うことにつながるのだ?
いいや、そもそもだ。
なぜ、スロットは自分と戦う必要があるというのだ?
「僕はね、強い人間と戦って勝ちたいんだ。そうすれば、もっと強くなれるからね。相手が強ければ強いほど、そいつに勝てば、僕はもっと強いという証明になる。だから、初めてあんたとあの女の人を見た時は、ぞくぞくして冷や汗なんかもかいちゃって。久しぶりに、勝てないかもしれない相手を見つけたからね。でも、ゼオンさんの馬鹿な命令のせいで、手出しできなくなった」
「……、」
「けど、この作戦……つまりは、ゼオンさんとその周辺の連中も殺すことになってた。その中にはあんたも含まれていたのさ。だから、僕は了承した。あんたと戦うためにね」
「そのために、自分の長を殺そうとした、と」
「そうだよ。そもそも、僕が剣狼に入ったのは、それが理由だしね。力でねじ伏せれば、必ず誰かが止めにくる。そして、そいつが強い奴で、僕がそれを倒せば、僕の強さの証明になる。だから……」
「もういい黙れ」
聞くに堪えないスロットの言葉に、ゲオルは拳を放つ。
が、スロットはそれを即座に避けた。
見ると、彼は既に剣を振りかざした状態で、ゲオルの懐に入っていた。
「ははっ!! そう何度も同じ攻撃が……ごはっ!?」
などと言っている間に、ゲオルの蹴りが炸裂する。
少しだけ、身体が宙に浮いたかと思うと、ゲオルはその顔面に何度目かの拳をぶち込み、地面に叩きつける。
「蹴りを使わないと、誰が言った?」
「ごほっ、ごほっ、ひどいね、全く……本当に、ひどい。けど、それでいい。それだけ強ければ、倒した時に、僕の強さの証明にそれだけ泊がつくってことなんだから……」
血を吐きながら、しかしてスロットは未だ笑みを崩さない。
気味が悪い……というより、いっそ哀れにも感じる。
正直な話、この少年には、剣の才能があるのかもしれない。
以前戦った勇者よりは強い。それは確かだ。そして、剣に粗さがあるものの、磨けば光るものもあるのだろう。先程から、反応速度や迷いない剣筋は、確かに認めざるを得ない。
だが、だからこそ、理解した。
この少年が、今までの剣士達と何が違うのか。
「……なるほど。貴様は、自分が強くなるためではなく、強さを証明したいがために、戦っていると」
「そうだよ……それが、どうしたのさ」
「いいや。ならば納得したと思ってな。それだけの才能がありながら、どうしてそこまで弱いのか、とな」
その言葉に、スロットの顔が固まる。
それは、笑顔を絶やさない異様な少年が見せた、初めての動揺であった。
「……何それ。僕が、弱い……? 意味が分からないんだけど」
「分からんのも無理はない。貴様は自分の強さを証明するために戦っているといった。馬鹿らしい。人が戦う理由は多くあるが、貴様のような理由は、その中でも底辺だ。いや、最底辺といった方がいいか? まぁなんにしろ、それを自覚できていない時点で、貴様は一生負け犬のままだがな」
「……は? だから、意味分かんないって。僕が弱い? 最底辺? 何それ。ほんと、ふざけないでよね。何をどう見たら、そういう風になるんだよ」
「では聞くが、貴様は何をどう思って、自分が強者だと言い張るのだ? 今、まさにワレにボロボロにされているというのに」
ゲオルのその言葉に、スロットはまた、気色の悪い笑みを浮かべた。
「はははっ。何言ってるんだ。確かに今、僕はボロボロだ。でもね、勝負っていうのは、最後に勝った人間が勝者なんだ。そして、僕は最後には必ず勝つ。そういう風にできてるんだ。例え、相手が自分より強かろうが、無敵だろうが関係ない。最後に勝つのは僕。それが絶対の決まりなんだ……」
その言葉に、ゲオルは呆れ果ててしまう。
なる程。彼は自分が勝つ事に絶対の自信を持っているのだろう。自分を信じない者に勝利はない。そんな言葉があったような気がする。そして、確かに普通なら、そのとおりなのだろう。自分を信じて勝利を掴む。人生とは、そういうものだ。
だが、彼は違う。
自分を信じているのではない。
自分が勝つのだと、ただ妄想しているに過ぎないのだ。
今までは、それで何とか勝ってきたのだろう。そのせいで、彼は自分が最後の最後まで何もできずに倒されて、負ける、という経験がない。つまり、成長をしてこなかったのだ。言ってしまえば、子どものまま、止まっている。どうりで、剣術も才能どまりなわけだ。もっと磨けば、光るというのに。もっと鍛錬すれば、上に行けるのに。
最後に自分は勝つ……まるで物語の主役だと言い張るばかりの態度に、ゲオルは哀れとしか思えなかった。
しかし、ここは教えてやらねばならないだろう。
「そうか……どうやら、思った以上に貴様はガキらしいな」
「だからさぁ……人をガキガキってうるさいよ。今、ちょっと有利だからって、調子に乗らないでよ。どうせ、最後には僕が勝つんだから」
「そして、この状況下で、その言葉。本当に救いようがない」
言うと、ゲオルは拳を握るのをやめ、両手を広げた。
「……何の真似?」
「何。ガキ相手に拳を振るうのも飽きた。故に、貴様に機会をやろう。そら、かかってこい」
「……だからさぁ。舐めるなっていってるじゃん。いい? あんたは、僕の当て馬なんだ。だから、僕と本気でやらなきゃ意味ないんだよ。無防備なあんた倒しても、それは僕の強さの証明にはならなくて―――」
「愚痴をだらだらと並べて、怖いと感じているのを誤魔化す。本当に、ガキだな、貴様」
刹那。
スロットの突きがゲオルの胸中めがけて放たれる。
刃はまっすぐ、曲がらず、ただ一直線にゲオルの心臓に狙いを定めていてた。
そして、あと数センチというところで―――剣先は止まった。
「なっ!?」
驚きの声を上げるスロット。
己の剣が止まった……否、ゲオルの右の指で止められたことに、唖然とする他なかった。
先程の一擊は、最速のもの。今までの中でも比べることのできない代物。誰にも止められたことのない突き。
だというのに。
ゲオルは、それをいとも簡単に止めたのだ。
そう……それこそ、子供を相手にするような態度で。
「……一つ、貴様に教えておいてやる」
言いながら、左拳を握った。
そして。
「この世に絶対など、存在しないんだよ」
言い終わると同時、左拳が、スロットの剣の腹に直撃し、そのまま木っ端微塵に粉砕した。それは、先端が折られたとか、そういう次元の話ではない。刃全てが、粉々になり、跡形もなくなってしまった。残っているのは、鍔から数センチのわずかなもの。それも、刃というより、鉄の塊に過ぎない。
この瞬間、ゲオルは確かに、殺したのだ。
剣士スロットという存在そのものを、跡形もなく破壊したのだった。
「え……は……?」
「そら、自慢の剣はこの有様だぞ。まだ続けるか? 剣狼……いいや、今の貴様は剣士ですらない。狼、などという呼称も相応しくない。名実ともに、ただのガキになった感想はどうだ?」
剣とは、剣士の命。誇りであり、自分そのもの。それを壊されるというのは、この上ない屈辱であることを、ゲオルは知っている。それこそ、子供のような性格の持ち主なら、尚更だ。
勝ち負けなど、最早意味がない。
何故なら、これで、スロットは剣士として、否定しようがない死を迎えたのだから。
「く、そ、くそくそくそくそくそくそくそがああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
雄叫びを上げながら、迫り来るスロット。
そこには、もはや剣狼最強の剣士の姿も、天才剣士の姿もない。
あるのは、ただの喚き声を上げながら、玩具を取り上げられた、子供の有様のみ。
そんな彼に、ゲオルは。
「阿呆が」
拳を叩き込む。
重く入った一擊は、スロットをもう一度地面へと倒れ伏せさせる。
既に勝負はついた。
けれども、だ。勘違いしてはいけない。
そもそも、ゲオルは勝負などしているつもりは最初からなかった。
「さぁ、立つがいい。さっきの自分の言葉、まさか忘れてはいまい」
これは、云わば腹いせ。この街に来てから剣狼達にされた数々の所業、それに溜まっていた鬱憤を発散させるためにしているにすぎない。
そして。
「ならば、さっさと立て。―――最後に勝つのは、己なのだろう?」
ゲオルの怒りは、未だ収まっていなかった。
故に、彼は拳を下ろさない。
例え、相手が負けを認めても。
例え、相手が武器を持っていなくても。
魔術師は、己の拳を下ろすつもりは毛頭無かったのだった。




