十九話 黒のシャーフ⑤
黒のシャーフが墜ちた。
……いいや、この場合は、墜ちてきた、と言い直すべきなのだろう。
ゲオルの作戦は途中まで成功していた。それは、ケリィが見ても明らかだった。事前に言われていたが、蒔いた種が急激に成長し、それが怪物に突き刺さり、鳴き声などから「あっ、あれ本当に羊なんだ」などと思ったり、そして明らかに致命傷を与えた喜びがあったり、かと思えば唐突に墜落してきたり、撤退命令が出て急いで逃げたり等など……色々なことがあったものの、ケリィは何とか生き延びていた。
「ごほっ、ごほっ……だ、大丈夫ですか、ヘルさん!!」
落下の影響で、周りが土煙だらけの中、ケリィは咳き込みながらも、一緒にいたヘルの名前を呼ぶ。周りに向かって叫んでいたせいか、前方を確認していなかったケリィは、前からやってきた人影とぶつかってしまった。
「うおわっ!?」
「あら、すみません。大丈夫でしょうか?」
こけてしまったケリィに、手を差し出したのは、彼が探していたヘルだった。
「へ、ヘルさん、無事だったんですね。良かった」
「ええ、何とか。心配をおかけしたようで、すみません」
ヘルはこの状況においても、いつものような口調を崩さなかった。それだけで、普通の人間ではないのだと理解できる。
あの巨大な怪物、それを倒すための作戦、そして最後の墜落……ケリィは今までの人生の中で、今日ほど驚き、そして死ぬかもしれないと思ったことはなく、今でも生きているのか信じられない。
「他の方々は、どうなったのでしょうか」
「分かりません……ただ、自分達も逃げ切れたんですから、他の仲間も逃げきれているはずですよ」
ヘルとケリィは、撤退命令が出たとき、怪物が落ちてくるであろう場所の中心に近いところにいた。そんな自分達でも逃げているのだ。他の団員やゲオルも逃げれているに違いない。
それはあまりにも根拠のない、状況的な言い分だが、しかし今のケリィには、それを信じるくらいしかなかった。
「……砂塵がなくなってきましたわね」
ヘルの言葉通り、先程まで視界を邪魔していた土煙が、次第に晴れていく。徐々に戻っていく景色。そして、ケリィは、自分達の場所から少し離れた場所に落ちている怪物の姿を捉えた。
未だに羊とは思えない、雲のような塊。それは動く気配は無く、鳴き声一つあげてはいない。
だが、そんな状態であっても、一つの疑問が出てくる。
「……あれが、浮いていたんですね……」
「ええ。信じられないことですけれど」
「死んだ……んでしょうか」
「分かりません。ただ、あれだけの攻撃を喰らって、ただで済むとは思いませんわ。死んでいなくとも、致命傷に近い傷を受けたはず。早々に動くことはないでしょう」
ならば、これからどうするか。
今回は、怪物の討伐が仕事だ。その怪物が、今、地面に墜ちていることから、死んでいるか確認するか、または生きていた場合、止めをさすべきなのだろう。
だが、この場において、それはあまりにも無謀な行動。
ここにいるのは、ケリィとヘルの二人だけ。たった二人で、生死の確認、及び怪物に止めをさす、というのは無茶がありすぎる。
故に、自分達がやるべきことは、一つ。
「ここにいても、仕方ありません。本隊と合流しましょう。あの怪物をこれからどうするのかは、それから決めるべきだと思います」
「ええ。そうですわね。わたくしも、その意見に賛成です」
今現在、自分達はバラバラの状態ではあるが、しかしそれも予想の範疇。もしも、隊が分かれてしまった場合の集合地点はあらかじめ決めてあるのだ。
「取り敢えず、緊急用の集合地点に行きましょう。全員いるかは分かりませんが、きっと誰か一人くらいは―――」
と、ケリィが言おうとした瞬間。
唐突に、彼らの下から地響きが起こった。
「なっ、何だぁ!?」
あまりの出来事に、素っ頓狂な声を上げてしまう。
最初は気のせいかと思っていたのだが、しかし地響きは一定間隔に起こり、段々と強くなっていく。その揺れは凄まじく、ケリィは立つことすらできない状態になっていた。加えて、強さだけではなく、間隔も短くなっていった。
怪物の仕業か……そう思ったものの、その怪物に動きは一切見られない。
ならば、これは一体何なのか。
そんな事を考えていると。
次の瞬間、地鳴りと共に、地面が割れ、そこから人の手が出てきた。
目の前で起こった意味不明な出来事に、言葉を失っていると、今度はもう片方の腕が出てきて、割れ目から、人影が出てきたのだった。
その正体は。
「―――かはぁっ」
全身、土だらけ状態のゲオルだった。
「げ、ゲオルさんっ!?」
「はぁ、はぁ……むっ? 貴様は……いつぞやの門番か。それに、そこにいるのは、喪服女か。どうやら、貴様らも無事だったようだな」
ゲオルは両手を使い、土から這い上がると、大きな息を吐き、全身の土を払っていく。
「あ、あのゲオルさん……その、大丈夫なんですか? っていうか、何で土竜みたいに、土の中から出てきたんです?」
「決まっているだろう。あの怪物に押しつぶされないよう、地面に逃げ込んだからだ。足止めをしたのはよかったが、普通に走っては逃げきれなかったからな。だから、奴の足止めと同時に、地面に巨大な穴を作ったのだ」
その道具というのが、両方の先端に刃がついた小さな槍。あれは、地中に大きな穴を開けていたのだ。そして、ゲオルは槍を元に戻したと同時、槍が掘った穴に逃げ込んで、難を逃れた、というわけだ。
「とはいえ、穴に入っても、奴が墜ちてきた時の衝撃は地面にも伝わってな。そのせいで生き埋めになって、呼吸ができないかもしれないと思い、無呼吸でも数分間は動ける薬を飲んだ状態にしていた」
「はぁ……そ、それで、その後は?」
「後も何も、それからは、今貴様が見た通りだ。衝撃が終わり次第、ワレはそのまま地面を殴り続け、穴を開け続けた。そして、適当なところで上へと登り続けて、ここに来た。それだけだ」
「殴り、続けたって……」
何というか、常識外れにも程がある。
先程、ケリィは土竜みたいに、と言ったが、彼は土竜そのものの方法を用いて土の中を移動してきた、というわけだ。
確かに、彼は、剣狼騎士団に殴り込みをかけるほどの男。そして、それだけの実力と魔術師としての知識があることはケリィも知っていたつもりだったが、まさかここまでとは、誰が思えようか。
一方で、ヘルはそんなゲオルを見ながら、不敵な声を出していた。
「ふふ。ゲオルさんは、斜め上な行動をするのがお好きなんですわね」
「貴様にだけは、言われたくはない」
「そうですか……それより、一つ聞いてもよろしくて? あの怪物は、死んだのでしょうか」
「ああ。確実に死んだ」
ヘルの言葉に、ゲオルは即答だった。
「その根拠は?」
「最初の攻撃で、既に奴に致命傷は与えていた。それでも奴は死に物狂いでこちらに落下してきた。そこに、ワレが特殊な槍で一擊を加えた。先端に猛毒の成分を含んだ刃だ。他の魔物の毒ならともかく、使用したのは、あれの同類のものだからな」
そう。あの紫色の先端に含まれていたのは、紫のシュランゲの毒の成分を凝縮したもの。採取し、解毒剤を作った際の余り物を全て注ぎ込んだものであり、今回の最終兵器として用意していた代物だ。一度突き刺してしまえば、毒の効果は切れてしまうが、それ故に毒の効果は絶大になるようにしてある。
「つまり、あれの死は絶対だと?」
「絶対、という言葉は好かんが、心配する必要はないはずだ……と願いたいものだ」
結局のところ、こればっかりは、確かめてみなければ何とも言えない。何せ、相手は『六体の怪物』の一体。以前は、その身体ごと吹き飛ばしたが、今回はそれが残った状態なのだ。ならば、生死の確認は必ず必要だろう。
「とにかく、だ。他の連中と合流する必要があるだろう……門番、例の緊急避難場所は覚えているな」
「はい。自分達も今、そこに向かおうとしていたところなんです」
「ならば、同行しよう。ワレにはここがどこか分からんからな。助かる」
「いいえ、そんな。それを言うのは、自分の方です。ゲオルさんがいなければ、今回の作戦は、成功しな……かった……」
歯切れの悪い言葉にゲオルは、まゆを潜ませる。
その視線の先にあるのは、一つの人影だった。
しかし、よく見ると、ゲオルはその人物を知っていた。ゲオルだけではない。ケリィもヘルも、その男を知っていた。
何故なら、その男というのは。
「あれは……団長、ですよね……でも、あれ……なんか、様子がおかしいような……」
そう。あれは、ゼオン。そのはずだ。
しかし、ケリィが言うように、どこか様子がおかしい。足がおぼついていない、というのもあるが、そもそも団長であるゼオンに誰一人として団員が傍にいない、というのはどういうことか。
などと思っていると、ゼオンがその場に崩れ落ちた。
「っ!? 団長!!」
叫び、すぐさま走り出すケリィに、ゲオルとヘルも続いていていく。
傍まで駆け寄ると、彼が倒れた原因が分かった。
その場に溜まった血、そして、背中の大きな斬撃の痕。これは、魔物などにやられたのではない。誰かに剣で斬られた傷だ、というのはこの場にいる全員が理解していた。
「団長!! しっかりしてください、団長!!」
「……け、りぃ、か……それに、ゲオル殿に、ヘル殿……良かった。お二人も、無事、だったのですね……」
弱々しく、口を開くゼオン。
そんな彼を見て、ヘルはその隣に膝をつき、懐から包帯を取り出していた。
「すぐに手当しますわ」
「……いや、ダメだ。そんな時間はない……ケリィ、お二人を連れて、逃げろ……」
「で、でも団長は……」
「早く、しろっ!! でなければ、あいつらが……」
怒鳴るように命令するゼオン。
そんな彼の言葉にここにいる全員が疑念を抱いていた刹那。
「おや? まだ息があったんですか。流石、ゼオンさんですね」
聞こえてきたのは、第三者の声。けれども、知らない声ではなかった。
振り向くと、そこにはゲオルが想像した通りの男……いや、少年がいた。
その右手に持つ剣の先端から、血を流しながら。
「貴様は……」
「スロット、隊長……?」
剣狼騎士団一番隊隊長、スロットがいつものように、笑みを浮かべて、その手に持つ刃を血に染めながら、その場に立っていたのだった。




