十五話 黒のシャーフ①
ゼオンの依頼を聞き入れて、五日が経った頃。
剣狼騎士団の屯所は慌ただしく人が出入りし、荷物をまとめ、武器を準備していた。
彼らの主な武器は剣ではあるが、今回討伐するのは空に浮かんでいる怪物。故に、剣だけではなく、大量の弓矢や魔道具を仕入れた。
無論、編成や人員の問題、作戦の確認など、やることは山のようにある。
そんな中、指示を出していたゼオンは、大きなため息を吐いていた。
「何か、気になることでもあるのか?」
近くで魔道具の材料を確認していたゲオルが、そんなことを口にする。
「いえ……まさか、あの怪物の正体が、大きな羊だったとは、未だに信じられないもので」
「ふん。ワレの言葉が信じられない、というわけか」
「そういうわけでは……」
「……冗談だ。貴様がそう思うのも無理はない」
何せ、ゲオル自身、ウムルに指摘されるまで、気づかなかったのだから、人のことは言えない。初見でそれを見抜ける者がいれば、それこそゲオル以上の逸材か、特殊な感知能力を持っている者くらいだろう。そして、それも分かってしまえば、問題はない。
「しかし、相手が天候そのものではないのなら、こちらとしてもやりようが色々とある。そのための準備なのだからな」
「そのことですが…ゲオル殿、この大量の水は、一体何なのですか?」
そう言って、荷車に乗せてあった無数の樽を指出す。その中身は、ゲオルが用意しろと言って集められた大量の水。荷車に乗っているのは他にもあるが、しかし半分以上は、この水が入った樽で占領されている。
疑問に思ったゼオンに対し、ゲオルはふん、といつものように鼻を鳴らしながら答える。
「今回、相手は空中に浮かんでいるからな。さらに、雷も落としてくる。ワレの知り合いが調べたところ、奴の毛には浮遊と雷の属性がある。それを考慮して、色々と対策を練る必要があったからな」
「それが、この樽と水だと?」
「無論それだけではない。後々説明する……が、他の連中には、貴様から作戦を教えよ。理由は、言わずともわかるな?」
言いながら、ゲオルは周りを見渡す。荷物を運ぶ剣狼の連中は、こちらに僅かな視線を送っていた。どれもこれも、敵対心の塊のようなものであり、今にも斬りかかってきそうなものも、ちらほらとある。
ゲオルがこの屯所にいるのは、材料の確認と作戦を伝えること。ここにある材料の中には、ゲオルがウムルに調達を頼んだものもある。その使用説明をするためでもあった。が、ここに来てからというもの、何度も若い剣狼に絡まれた。それも当然かもしれないが、しかしそんな状態でゲオルが何を言っても、聞く耳を持たないだろう。
「……本当に申し訳ない」
「構わん。それよりも、あの怪物の居場所を把握はできているのか?」
「はい。今朝の報告では、帝都から二つ程越えた山の上にいるとのことです。移動方向と距離から考えて、明日には、森の上空にやってくるかと」
「そうか。ならいい。それと、他の材料の確認も絶対に怠るな。特に―――」
「あの、お話中のところ、すみません、団長」
ゲオルとゼオンの会話に割り込んできたのは、門番のケリィだった。
「ケリィ。どうした」
「団長に、お客様が来ているのですが、その、えっと……」
「―――お久しぶりですね、ゼオン団長」
ふと、耳に入ってきたのは、ゲオルが聞き知らない女の声だった。
振り向くと、そこにいたのは、二人の侍女。そして、それを侍らせているのは、着飾った女。白いドレスに、首にはいくつもの宝石が飾られたネックレス。薬指には黄金の指輪がはめられている。
顔からして、二十代前半、といったところか。長い銀髪が特徴的な女を、どうやらゼオンは知っているようだった。
「……マリア皇后様」
その一言で、ゲオルはすべてを理解する。
この女が、マリア皇后。現皇帝の正室であり、かつての事件の被害者であり、加害者と言われているクラウディア公爵令嬢の妹。
そんな彼女に、ケリィは困ったような表情を浮かべた。
「こ、困ります、皇后様っ! 部屋でお待ちくださいと、先程……」
「無礼者っ!! 皇后様に対し、なんという口の利き方を!!」
ケリィの言葉に、侍女が憤怒の罵声を浴びせた。
「す、すみません!!」
「まぁまぁ、そう怒らないで、ナージャ。ごめんなさい、門番さん。団長様に、今回の件について、早くご挨拶をしておきたいと思いまして」
「挨拶、ですか」
ええ、とマリアは笑みを浮かべながら、続ける。
「今回の討伐の件、陛下は貴方がたの活躍をご期待されています。本来なら、ここに一緒に来たかったのですが、陛下は今、多忙の身。ですから、私が代わりにやってきた次第です。陛下ご自身が来れなかったことは、私が代わりに謝罪します。申し訳ありません」
「……いえ、滅相もない。皇后様が来てくださっただけで、皆の励みになります」
皇后の言葉に、ゼオンは短く返した。その表情は、笑みを浮かべているが、どことなく、ゲオルには違和感を感じさせた。まるで、気持ちと言葉が噛み合っていないような、そんな感じだ。
そして、それはきっと気のせいではない。
「ゼオン団長、そちらの方は?」
「こちらは、今回の討伐に協力してもらうことになりました。魔術師のゲオル殿です」
「そうですか……ゲオルさん。今回は、討伐に協力していただき、誠にありがとうございます。陛下に変わって、どうかこの討伐が成功するよう、ご尽力の程をお願いしたします」
「……、」
皇后の言葉に、ゲオルは何も答えない。
その態度に腹を立てたのか、先程とは別の侍女が、前へと出てきた。
「貴様……何だ、その態度はっ!! 皇后様のありがたい言葉を耳にしたというのに……!!」
「ファーナ。そんなに怒らないで」
「申し訳ありません。彼は、口下手なものでして……」
言いながらゼオンはゲオルに視線を送る。ここは任せて欲しい、とでも言いたのだろう。
それに対し、ゲオルは無言で小さく頷いた。
「それで、皇后様。今日は、挨拶に来られただけでしょうか?」
「いいえ。今日は皆様に、贈り物がございまして。皇室が作られた武器をお持ちしました。とはいえ、皆様、自分の武器をお持ちだと思いますので、こちらが渡した武器を持って行って欲しい、とは申しません。ただの気持ちのようなものです」
「いえ。それでも皆、喜ぶでしょう。ありがとうございます」
「武器の方は、副団長様にお願いしてあります。しかし、話に聞いたところ、副団長様は討伐に向かわれない、ということですが……」
「ええ。団長、副団長のどちらも帝都からいなくなるのは、帝都を守る騎士団としては、問題になりますから」
とは言うものの、実際のところは、副団長のリストンを討伐メンバーに入れると、ゲオルと必ず揉めるとゼオンが判断した、というのが本当のところだ。それについては、ゲオルも同意見である。あの男が、ゲオルが立てた作戦に従うとは思えないし、逆に邪魔しに入る可能性もある。
無論、懸念もある。リストンを残していくということは、帝都に残る騎士団は、リストンが指揮するということ。それについては、何かしら問題があった場合は、近衛兵で出るように手はずはしている、とのことだった。
「そうですか。では、私はこのまま副団長様にお会いしてきます。ナージャ、ファーナ、参りましょう」
その言葉に、二人の侍女は「はっ」と言って従う。
「それでは団長様、ゲオル様。ご武運を」
そう言い残し、マリアと侍女たちはそのまま去っていく。その後ろをケリィが「お、お待ちください!!」と言いながら、追っていく。
その姿が完全に無くなったのを確認したと同時、ゲオルは口を開いた。
「あれが、この国の皇后か……」
皇后。確かに、そう言われる程の貫禄はあったように思える。
容姿端麗、仕草、雰囲気……確かに、それだけの風格はあるのかもしれない。
だが、何故だろうか……ゲオルは、彼女から何か違和感を感じたのだった。
「……ゲオル殿? 何か、気になることでも?」
「いや別に。それより、貴様。あの皇后のことが、嫌いなのか?」
「……何故、そう思いに?」
「顔に出ていた……わけではないが、何となく、そう感じた。それだけだ」
ゲオルの言葉に、ゼオンは困ったような顔になり、首を横に振った。
「いえ、嫌い云々ではなく……ただ、あの方は最近、政治に口を出すようになった、という話があります。それも、何かと理由をつけてはいるものの、結局最後は自分の思い通りになるような、そんな政策です」
「それに文句がある、と?」
「……結果的に、それが国民のため、帝国のためになるのなら、私は何も申しません……いえ、これはただの言い訳ですね。本当は、ただあの方の顔を見たくない、というのが本音でしょう。それは別に、皇后様が悪い、というわけではなく……あの方を見ていると、クラウディア様を思いだしますので」
「……、」
クラウディア・フロウレンス。皇后の姉であり、国外追放処分となった公爵令嬢。
しかし、ヘルの言い分では、国外追放ではなく、毒殺されたという話だ。
何かあった……それはゲオルも気づいていた。
その真実を、ゼオンは知っている。
だが、それを聞き出そうとは、ゲオルは思っていない。
真実を聞いたところで、ゼオンが話すとは思えない、というのもあるが、そもそもゲオルにはそれを問いただす権利などない。興味本位で他人の過去をほじくり返す真似は、趣味ではない。
人には秘密にしていることが山のようにある。それを知られたくない、というのが人の本性だ。
そして、それはゲオルも同じ。自分が知られたくないというのに、他人のことは知りたい、というのはお門違いというもの。
だから、ゲオルは敢えて聞かず、ただ黙ってゼオンの悲しそうな顔を見るだけだった。




