幕間 クラウディア・フロウレンス②
※リストンがさらに糞化します。ご注意ください。
それは、クラウディアが捕らえられ、ひと月程経った頃。
牢屋の中で、クラウディアは剣狼騎士団の副団長であるリストンに、あるものを投げつけられた。
それは、小瓶。中には赤い液体が入っており、どう見てもただの薬ではない。
「……これは、何ですか……」
「察しの悪い令嬢様だな。いや、元令嬢か。何でもいいか。毒だよ。さっさとそれを飲んで自害しな」
あまりにも横暴な態度、そして毒を渡して死ねと言い放つ。
以前から、色々と問題がある男だとは思っていたが、しかしここまでとは。
「……わたくしは、国外追放になったはずですが?」
そう。彼女は謂れもない罪を着せられ、そして裁判にすらかけられなかった。だが、「殺さないでほしい」というマリアの一言で、死罪ではなく、国外への追放処分となった。
無論、そのことに対して、言いたいことは山のようにある。そもそも、自分は何もやっていない。だというのに、犯人にしたてあげられ、そして今、罰を受けさせられようとしている。
けれども、この副団長は、その罰すら受けられないようにしようとしていた。
「馬鹿かあんたは。皇子の婚約者である公爵令嬢を殺そうとしたんだ。その程度で許されるわけないだろうが。そのマリア様が許しても、皇子はあんたを許しちゃいない」
「つまり……これは、皇子の命令だと?」
「ああ。しかし、皇子は慈悲深い人だ。斬り殺すんじゃなくて、最後は毒で自害させてやれとさ。その毒も、苦しむことがないまま死ねる薬だ。ありがたいと思えよ」
慈悲。この男は、今、確かにそういった。
濡れ衣によって投獄され、国外追放処分をくらい、そして毒での自殺を迫られたことが、慈悲だと?
「……貴方も、同じ意見ですか? 団長」
リストンの後ろに立っていたゼオンは、クラウディアの顔をまっすぐ見ながら、答える。
「……クラウディア様。貴方は公爵令嬢だ。それは罪人となった今も変わりありません。ならば、それに相応しい最期は、自分の手で責任を果たすべきかと」
相応しい最期。責任。
何と、何と馬鹿らしい話か。愚かしい事か。やってもないことで死ね、と。何もしていないのに、誰かの代わりに命を絶てと。この男は、そう言い張るのだ。
本当に……馬鹿らしい。
こんな男を自分は信じていたのか。
自分をここまで追い詰めた者達と一緒にいたのか。
誰にも信じられず、誰にも助けられず、切り捨てられ、死んでも誰も悲しまない。
それが、クラウディアの人生だとでもいうのか。
「―――はっ」
乾いた笑みが、涙とともに顔に浮かぶ。
惨めすぎる人生。何と意味のない結末。
誰かを愛したことはあっても、誰にも愛されなかった者の成れの果て。
それがこれだと、世界が嗤う。
(もう、いいです……)
ならば、もういい。こんな世界で生きていく理由など、クラウディアの中にはなかった。
クラウディアは、怒ることも、憎むことも、悲しむこともなく。
ただ、全てを諦めたかのように、小瓶を開け、そのまま喉に流し込む。
そうして。
クラウディア・フロウレンス公爵令嬢の人生は、ここで幕が下ろされたのだった。
*
身体が揺れている、と気づくのに、そんなに時間はかからなかった。
それは、誰かに揺さぶれれている、のではなく、世界そのものが揺れている感じ。馬車だろうか。一定の間隔で来る小さな衝撃は、逆に心地よいと思えるほどだった。
だが、そこで気づく。
自分には意識があること。
そして、それはつまり、自分が生きているということを。
「あ、れ…………?」
それがおかしい、と思いながら、クラウディアは身体を起こす。そこは、やはり馬車の荷台の上だった。時刻は夜。それも、月の場所から考えて深夜だろう。寒いはずだ、と思いながらも、クラウディアは状況を整理する。
自分は確か、副団長が用意した毒で死んだはず。飲んでいないとか、そういうことは一切ない。何せ、あの瞬間、彼女は確かに死を感じたのだから。
では、何故自分はこうして呼吸ができ、意識をはっきりと持っているのか。
その問いに、答えられるであろう人物は、御者の席に座っていた。
「―――起きられましたか、クラウディア様」
こちらをちらりと見る、強面の男。その顔を、彼女は見間違えることはない。
何せ、自分に死ねと言った男、その人なのだから。
「……ゼオン団長」
警戒心を鋭くさせながら、クラウディアは身を小さくさせ、睨みつける。
殺そうとした相手に、気を許せるほど、クラウディアも馬鹿ではない。
しかし、一方のゼオンは、そんな彼女を見て一言。
「お身体の具合はいかがですか? どこか異常がある場所はございますか?」
「……異常、というのなら、そうですね。私が生きていることでしょうか」
何とも阿呆な言葉に、皮肉で返す。
「これはどういうことでしょうか? 何故、私は生きているのです?」
「それは、あの毒は、私がすり替えたモノだからです。飲んだ者を仮死状態にさせる薬です。ああでもしなければ、リストンの目は誤魔化せませんから」
リストンを誤魔化す……それはつまり、自分を助けようとしていた、ということだろうか?
けれど、クラウディアはその可能性を切り捨ている。もう多くの人に裏切られてきた彼女だ。安易に他人を信じることができなくなっている。
目の前の男は、特にだ。
「私を、どうするおつもりです?」
このままどこかに連れ去り、拉致でもするつもりか。
それとも、娼館か奴隷商人にでも売るつもりか。
疑念がいくらでも出てくる中、ゼオンはこれまた妙な質問を投げかけてきた。
「その前に、一つ質問を。以前、私が馬の扱い方を教えましたね。あれは覚えておいででしょうか?」
「……一応は」
「ならば良かった。この馬車も無駄ではなくなったようだ」
言うと、ゼオンは馬車を停め、御者の席から降りた。
そして、荷台に座っているクラウディアに向けて、地面に頭を擦りつけるかのように、手を付き、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。クラウディア様」
「ゼオン、団長……?」
「今までの数々の無礼、謝罪しても許されることではないのは百も承知。我々……いや、私の力不足で、貴女は罪人とされた。本来なら、我らの力でその無実を証明しなければならないというのに、それができず、逆に追い詰めてしまった。謝罪に謝罪を重ねても足りません」
頭を下げたまま、剣狼騎士団の団長は、謝罪の言葉を述べていく。
その姿に、クラウディアは一瞬思う。彼は一体、何を言っているのだろうか、と。
自分をここまで追い詰め、そして心をへし折った騎士団の長が、今更何を口にているのか。
謝罪? そんなもの、遅すぎる。そして、意味が無さすぎる。
無意味な行為……そう思うはず。いいや、思うべきもの。
だというのに……何故か、クラウディアは、その姿に嘘偽りが見えなかった。
「そして、その上で言わせて貰います―――クラウディア様。どうか、このままお逃げください」
「逃げる……?」
「この先の森を抜ければ、帝国領の外に出られます。貴女様は既に死んだことになっております。故に国外に逃げれば、誰も追ってくることはありません。当分の食料、そして私がかき集めれるだけ集めた金が、荷台に乗せています。それを持って、どうかこのまま行ってください」
その言葉を確かめるため、ではなかったが、しかし視界の端には、確かに大量の荷物が見えた。恐らく食料や衣類といったものだろう。
ここまで用意してくれたことが、また怪しいと普通は思うのだろうが、しかし、考えてみれば、今の自分にここまでして騙す利益などない。
だから信じる……というわけではない。
けれど、もしも彼がクラウディアの事を思って行動しているのなら、と彼女は一つの提案をする。
「……ゼオン団長。あなたが、私のためにここまでしてくれたことは感謝します。しかし、その上で一つ、お願いがあります」
「何でしょう」
「私を―――殺してください」
それは、挑発だとか、試しているとかではない。
クラウディアは全てを失った。家族も、婚約者も、家も、地位も、名誉も、今まで培ってきたもの全てを壊されたのだ。何もない、本当に何もないのだ。こんな状態で生きていても、仕方がない。いや、生きる気力がないのだ。
人に裏切られ、心が打ち壊され、それでも生きていく理由などない。
ならばいっそ、ここで死んだ方が楽になれる。
そう思ったからこそ、あの時、彼女は毒を飲んだのだ。
もう人に裏切られることも、心が打ち壊されることもなく、ただ死という安息を欲した。
だというのに。
「それはできません」
目の前の男は、それをやらせないとはっきり答えた。
「クラウディア様……私は、今、クラウディア様がどんな気持ちなのか、どんなに傷つかれているのか、わかりません。理解できる、とは口が裂けても言えません。それだけのことを私は貴女にしてしまった。そして、今、こうして貴女を逃がそうとしている一方で、共に行くことはできない。私には、騎士団長としての立場がある。それを未だ捨てきれない自分は、どこまで言っても無責任な男なのでしょう」
逃がす、とは言っているものの、つまるところ、これは国外追放していることに変わりはない。
自分の力不足だというのなら、責任を持って、彼女と共に行くか、または彼女の無実を一緒に証明するかのどちらかだろう。
けれど、ゼオンにそれはできない。
もしも、ここでゼオンが一緒に行けば、クラウディアが生きていることがバレてしまう。そうなれば、追っ手がくる可能性は高い。だから行けない。
では、他に信頼できる者を友にすればいいのではないか……そう思った。しかし、この国に、クラウディアを預けても大丈夫な地位や力のある者は誰もいなかった。
だから一人で逃げてもらうしかない。
結局、ゼオンは最後まで面倒を見きれない自分に、嫌気がさしていた。
「……今回のことで、自分にどれだけ長として力がないのか、無能なのかを実感させられました。それでも、私は貴女に言います。どうか生きてください。貴女が死ぬことが、誰かの目的だとするのなら、生きることこそが、意趣返しとなる……いいえ。そんなことはどうでもいい。本当のところは、ただ生きて欲しい。そう思っているだけです。生きていれば、いつか必ず良いことがある。死ななくてよかったと思える日がくるかもしれない。だから……」
どうか死なないでください。
強面の騎士団長は、頭を未だ頭を下げてまま、そう言い放つ。
その言葉に、クラウディアは思う。
厚顔であり、一方的であり、何より無責任。最終的には、自分を助けてはくれない、守ってはくれないのだと、改めて理解する。
いつか必ず良いことがある? 死ななくて良かったと思える日がくる?
そんな保証はどこにもなく、ただの憶測に過ぎない。
生きていれば、もっと苦しむかもしれない。
死んでおけば、こんなに辛い目にあわずに済んだと思うかもしれない。
きっと、そう思う日が来るはずだ。
けれど……。
「……分かりました」
クラウディアはそう呟いた。
その言葉に、ゼオンは思わず、顔を上げ、クラウディアの方へと向ける。
「クラウディア様……」
「団長。貴方のためではありません。私は、私が生きていて良かったと思えるように生きてみたい……そう思ったまでです。ただ……貴方の言葉が、そう思わせてくれたのは、確かです。そのことには、感謝します……ありがとう」
そうだ。自分は、あの毒を口にした時に、既に死んだ。
クラウディア・フロウレンス公爵令嬢は、もうこの世のどこにもいない。
だとするのなら、ここにいるのは、ただの少女。
何のしがらみもない、ある意味においては自由な存在。
ならば、それを謳歌してやろうではないか。
傷ついた? 壊された? だからどうした。そんなものは、過去のものだと考えればいい。
今まで縛られ続けた人生を脱ぎ去り、新たな人生を歩んでいける機会だ。
恐らく、大変なこともあるだろう。死ぬような目にも遭うだろう。
しかし、逆に考えれば、こんな絶望の淵に落とされる程の事など、早々はない。だから、今の自分には大抵のことは耐えられるはずだ。
ならば、覚悟を決めて、生きていく方がよっぽどいいかもしれない。
クラウディアは御者の席へと行き、馬の手綱を握ると、下にいる団長に声をかけた。
「……団長。正直、私は貴方を許せずにいる。ここまでしてもらっていても、私は貴方が憎いと思ってしまう……ごめんなさい」
「貴女が謝ることはありません。それは仕方がないことです。しかし安心してください。きっと、私はロクな死に方をしない。そして、必ず地獄に落ちるでしょう」
「地獄に落ちる、ですか……」
「当然ですよ。私はそれだけの事をしたのです。今、こうしているのも、ただの独善に過ぎません。そんな男が、天国などに行けませんよ」
そんなことを、苦笑しながら、ゼオンは言う。
全くもって、馬鹿で阿呆で無能な男である。
きっと、彼はこれからも騎士団長として生きていくのだろう。そして、あの血まみれの騎士団の長として、苦しんでいく姿が見える。
それが、自分の役割だと、彼は言い張るのだろう。
そんな彼に、クラウディアは。
「さようなら、ゼオン団長。貴方の独善に、最大の感謝を」
笑みを浮かべ、そう言い残して、馬を走らせた。
こうして、公爵令嬢だった少女は、自分を捨てた国を去っていく。
彼女が進む道に何があるのか。それはこの時の彼女自身にも分かっていなかったのだった。




