五話 喪服の女⑤
「本っっっっ当に助かりました!!」
帝都ジーズの街道でゲオルとヘルは御者に何度も頭を下げられながら、感謝の言葉を述べられていた。ちなみに、エレナは初の魔術使用と薬の副作用により、まだ眠りから覚めていないため、ゲオルの背中で寝ている状態だった。
彼らは既に帝都に入っていた。人の数も建物の数も普通の都市の二倍、いや三倍はあるであろう場所は都と呼ばれるにふさわしい空気を漂わせていた。
本当ならば、馬車を降りた時点で御者とはお別れ。他人という関係になるはずだったが、命の恩人になにもしないわけにはいかない、ということで、彼の知り合いの宿に泊まらせてくれることになったのだ。
「皆さんのおかげで、無事に帝都につくことができましたっ! 盗賊に遭ったり、あんな怪物と遭遇してまだ生きてるなんて、本当に頭があがりません。皆さんがいなかったら、今頃どうなっていたか……」
「ふん……別にワレは貴様を助けるためにしたわけではない」
というか、今回ゲオルは盗賊の時は立ち見をしていただけで、黒のシャーフの時もエレナに少し魔術の指導をしただけだ。実際に助けたのはヘルとエレナだ。
そのヘルも、ゲオルと同じような言葉を告げる。
「そうです。わたくしも同じですわ。ただ単に馬車を利用したかっただけ。今回はたまたまです」
「でも、自分を助けてもらったことに変わりないので」
頑なに主張を変えない御者にゲオルはおろか、ヘルも観念したかのように、折れた。
そういうことで、ゲオルとヘルは御者についていこうとした。
しかし、ふとそこであることに気づく。
「おい、御者。貴様、肩に何かついているぞ?」
ゲオルの言葉に「はい?」と言いながら、自分の肩を見る。そこにあったのは、黒い髪……というより、毛のようなものだった。
「あー、まだあったのか……すみません。どうにも、あの怪物に襲われた時についたみたいで。さっき払ったはずなんですけど、まだ残ってたみたいですね」
「あの怪物に襲われた時、だと?」
「はい。馬車の上部や御者の席にもたくさんあったんで、後で掃除しなきゃいけないですよ……。まぁでも、命があるんだから、掃除くらいなんでもないんですけどね」
「……それをもらってもいいか?」
「あっ、はい。どうぞ」
言うと、御者はゲオルに方についていた毛を渡す。
やはり、見た目通り、黒い毛だった。恐らく動物のもの。それ以上のことはもっと細かく調べてみないと分からない。
ゲオルは懐から空のビンを取り出し、黒い毛を入れた。
「それ、何かにつかうんですか?」
「まぁそんなところだ。止めて済まなかった。案内を頼むぞ」
「はい。ささ、こっちです」
二人の先を歩き、御者は案内を再開する。
その後ろで、ヘルはゲオルに近づき、ひそひそと言葉を投げかける。
「先程の黒い毛、『六体の怪物』と何か関係があるとお思いですか?」
「さてな。しかし、だとするのなら、調べてみる価値はある」
相手は暗雲、そう雲なのだ。実体を持たない奴を倒すためには、恐らく大掛かりな魔術が必要となる。つまり、今のゲオルではなにもできないということだ。災害的な魔物ならば殴る蹴るとすればいいかもしれないが、災害そのものだと話は別だ。
ならば、少しでも手がかりを必要とするのは当然の話である。
「ふふ。ゲオルさんは、面白いことを仰言いますね。まるでアレを倒すような口ぶりです」
「……そんなつもりはない。魔術師として、『六体の怪物』に興味があるだけだ」
本来の目的を告げず、適当に流そうとするゲオル。本当のことを言っても意味がない、と思っているのは彼も同じだった。
「そうですか……ええ。分かりましたわ。そういうことにしておきましょう」
しかし、ヘルはまるで全てを見透かすような、不敵な言葉を告げるのだった。
……何故かその対応に既視感を覚えたのは、恐らく気のせいではないだろう。
*
御者が案内してくれたのは、帝都でも三本の指に入る『オーミー』と呼ばれる宿だった。
大きさは他の建物のおよそ三倍……下手をすれば五倍はあるであろう大きさであり、客もかなりおり、入口はごった返していた。そのほとんどが国外から来た者らしく、ここの評判を聞きつけやってきたらしい。
しかし、そんな長蛇の列ができる宿に、ゲオル達はすんなりと中へと入ることができた。
「ここの主人とは昔馴染みで、小さい頃、何度も仕事の手伝いをさせてもらってたんですよ。おかげで顔も覚えてもらって、今では個人の付き合いもさせてもらっているんです。なので、料金は大丈夫です。ずっとここにいる、というのでしたら話は別ですが……」
「大丈夫ですわ。しばらくは滞在するつもりですが、用件が終わりましたら、発つつもりですから」
「ワレも同じだ。心配するな」
「分かりました。それでは、主人には自分から伝えておきまので。あっ、でも自分はこれから別件で書状を届けにいかなくてはいけないので、お二人とはここでお別れになります。本当なら食事もご一緒にと思ったのですが、申し訳ありません」
「そこまでたかるつもりはない。恩人とはいえ、いつまでも客ではない者の相手をする暇はないのだろう? 貴様は仕事に戻るがいい」
ゲオルの言葉に御者は笑みを浮かべ、「それじゃ失礼します」と言いながら、宿を去っていった。
その後ろ姿が見えなくなると、ふとヘルが口を開いた。
「ゲオルさんは、やはり優しい方なのですね」
「その表現は些か的を外している。優しい者ならば、最初からこんな厚意に甘えなどせず、きっぱり断る。ここまで相手に面倒をかけさせない。それが優しい人間というもの。盗賊を見逃した貴様とは違うのだ」
「そうでしょうか? しかし、あの方のご厚意を受けているのはわたくしも同じ。ということは、わたくしも優しい人間ではないということですわね」
「それは……」
言葉を詰まらせるゲオルにヘルはヴェールの奥で不敵な声を出した。
「ふふ、冗談ですわ。とは申しましても、そうですわね。わたくしが優しい人間かどうかと聞かれましたら、それは見当違いというものでしょう。ゴリョーさん達は良い人柄の人達でした。しかし、彼らが盗賊を辞める、という保証はどこにもありません。そんな人達を見逃した……つまり、これから彼らが襲うかもしれない人々のことなど考えなかった……本当に優しい人間ならば、そこまで考えるべきなのしょう」
ゴリョー達が盗賊行為をする可能性は低い。それは、彼らと話してみれば分かることだ。
しかし、皆無ではないのだ。何せ実際、彼らは盗賊として自分達を襲った。それが何よりの証拠である。本当の優しい人間ならば、そこまで考え、彼らが盗賊行為を行わないよう助力するか、最悪の場合は断罪するのだろう。
それをしなかったのは、つまり彼らを処断するというのが嫌だった。それだけなのだ。
「もしかしたら、案外、わたくし達は似た者同士なのかもしれませんね」
「どこかだ。見た目も性別も違うだろうが」
「ええ。その通りです。ですが、考えてみてください。ゲオルさんは、御者様の厚意に甘えた。そしてわたくしは自分の考えに甘えた……つまり、自分に甘いのですよ、わたくし達は。そして、そんな人間は痛い目を見る……経験、ありませんか?」
「……さてな。そういう貴様はどうなのだ」
「さぁ……ご想像にお任せします、とだけ言っておきましょう」
つかみどころのない女は答えをはっきりと告げず、ゲオルの前へと出る。
「わたくしの部屋は、あなた方の隣のようですので。これも何かの縁。また何かありましたら、いつでもお声がけください」
言うと、ヘルはそのまま階段を上がっていく。
その後ろ姿に、ゲオルはどこか不気味な、けれども人を惹きつける女の空気というものを感じたのだった。




