四話 喪服の女④
落ちる。落ちる。落ちる。
馬車が通り過ぎた道に、雷が次々と落ちていく。威力は強力。放たれた雷撃は、地面を抉る程のものだった。明らかに普通ではない。
通常の雷でも、直撃すれば感電死しかねないというのに、これは当たれば粉々に砕けるだろう。
「ひぃいいいいっ!!」
年若い御者は、泣き叫びながらも、しっかりと手綱を握り、馬を走らせる。
普通なら、雨の中を馬車が走ることは異常ではない。天候というのは気まぐれだ。その程度で一々足を止めては商売にならない。だが、落雷が落ちる程の嵐の中を駆けるのは、流石に無謀。だからこそ、嵐が去るまではどこか近くの村で休むか、最悪木陰でやり過ごす方法が最適だろう。中には、嵐の中だろうと構わず突き進む者もいるが、若い御者は半人前なため、そこまでの冒険はできない。
だから、雷が追いかけてくる中、必死に駆け抜ける、なんて状況は初めてだった。
「死ぬ死ぬ死ぬぅぅうううううっ!!」
彼はただの御者だ。しかし、そんな彼にも今の状況が異様であり、人生で一番危険であると否応ないしに理解する他なかった。
ここで止まれば確実に自分達は死ぬ。あの落雷に打たれて、粉々になる。自分だけではない。今、後ろに乗っている三人も確実に死ぬ。乗客を無事に届ける御者として、それは絶対にしてはいけない。自分は駆け出しで、半人前ではあるが、人の安全と命を預かる仕事をしている。ならば、死なせることはその仕事に泥を塗るようなことだ。
それが嫌なら走れ、駆けろ、追いつかれるな……そう本能が訴えかけてきていた。
そしてまた雷が落ちる。
気になって少し後ろに視線をやる……と、そこには窓から顔を出している人影があった。
「……って、ちょ、お客さん!! 窓から顔出しちゃダメですよっ! 危ないです、早く戻って!!」
「分かっているっ。心配は不要だ。貴様は手綱に集中していろっ」
言いながら、ゲオルは上空にいる暗雲を睨みつける。
先程からの雷、偶然ではない。明らかにこちらを狙っているものだ。つまり、あの雲がこちらに狙いを定めている証拠だった。
『六体の怪物』。それを倒しにゲオル達はやってきた。
最初、彼は跳躍して殴るだのと言っていたが、これは無理だ。何せ相手は雲。自然現象に過ぎない。そこに物理的な攻撃など意味を持たないのは誰にでも分かることだ。
魔術を使えばあるいは……と考えるものもいるかもしれない。確かに、その可能性は無きにしも非ず。しかし、今のゲオルには魔術は使用できない。できたとしても、この状況で災害を倒す魔術は時間がかかるし、場所も悪い。加えていうのなら、道具もあまりない。
結論、現状でゲオルにあの暗雲を倒すことは不可能。
ならばやることは逃げの一手のみ。
しかし、だ。
「逃げるにしても、あれが追いついてきては、意味がない……」
雲というのはゆっくり動いているようで、実際は人間が走るよりも速い、と聞いたことがある。それこそ、馬と同じくらい、風が吹いている時ならそれ以上だ。
今、この馬車を引いているのは二頭の馬。しかし、乗っているのは四人の人間。全速力で走らせてもひきはがせるかどうか、微妙なところだ。
加えて、降り注ぐ落雷。先程また落ちたが、前よりも近くに落ちた。少しずつ狙いが正確になってきている。
「……すみません、私が、あれの気配に気づくのが遅れてしまったばっかりに……」
「阿呆か、貴様は」
自分のせいだというエレナに対し、ゲオルはきっぱりと切って捨てた。
「あんなもの、誰が『六体の怪物』だと思うか。普通ならただの雲が来たと思って何もせず、そして落雷にあって死ぬ。それが普通なのだ。今、一発目の落雷の後、急いで逃げることができていることが、異常なのだ。そこを勘違いするな」
「ゲオルさん……」
「それより今は、あれから逃げる方法を考えろ」
後悔など後でいくらでもできる。今はとにかく、頭上のあれを何とかしなくてはならないのが先決だ。
「……少し、よろしいでしょうか。先程の話だと、帝都までは今日中につく、という話でしたね?」
と、そこでヘルが、言葉を投げかけてきた。
「ああ、そうだが? それがどうした」
「いえ。わたくしが聞いた話ですと、黒のシャーフは帝都の周辺を襲っているという話でした。被害の相当なものだとも聞いています。が……帝都が襲われた、という話は耳にしませんでした。これは、おかしくはないでしょうか」
確かに、その通りである。
ゲオルがアンナからもらった情報からも帝都の周辺を襲った、としか聞いていない。もしも、黒のシャーフが人を無差別に襲う怪物だとするのなら、人の多い帝都を、どうして避けるのか。
帝都ではなく、帝都の周辺を自分の縄張りだと思っているから? だとするのなら、住処を絞るはず。草原や山、川や森、奴は様々な場所に現れるという。そこから考えて、 特定の場所に拘る習性はないと見る。
ならば。
「……奴には帝都に近づきたくない理由がある、と」
魔物、怪物が近くづきたくないもの。
考えられるものはいくつか思い当たるが、一番可能性が高いものと言えば。
「結界魔術か」
結界魔術。対象を閉じ込めたり、または自分や対象の周りを取り囲み、外部からの攻撃などを一切遮断する防御系の魔術。その中には魔物だけを対象とし、入ってこられないようにするものもある。
それを帝国が帝都に張っているというのなら、黒のシャーフが帝都を襲わない理由も頷ける。
「以前、わたくしが行った際はそのような話は聞きませんでした。ですので、これはただの予想ですわ。確証も証拠もありません。もしかすれば、そんなものはないかもしれませんわ。ですが……」
「奴が帝都に向かったことがない、というのは事実。故にこのまま全速力で帝都まで逃げれば、自ずと奴は遠ざかっていく……そう言いたいのだな?」
だとするのなら、やはり逃げることが、今の自分達の最適解。
しかし、それでは話がまた戻ってしまう。結局のところ、ゲオル達はこの怪物から、現状のまま完全に逃げ切るという方法がないのだ。
あるとすれば、それは、普通ではない力に頼る、というもの。
「女。貴様、魔術は使えるか?」
「……申し訳ありません。わたくし、諸事情で魔術が使えない体質でして……」
ヘルの言葉に、舌打ちをするゲオル。しかし、それは別に珍しいことではない。今の時代、魔術を使えない者など少なくはないのだから。
だとするのなら、残された道はただ一つ。
「小娘、唐突ではあるが、貴様に魔術を使ってもらうぞっ。少々危険で荒っぽいが、その覚悟はあるかっ」
ゲオルは思う。ジグルとの契約において、自分はエレナの安全を確保しなければならない。本来なら、危険と分かっている行為をさせるわけにはないかない。けれど、今は状況が状況だ。自分とヘルは魔術が使えず、御者は馬に集中している。ならば、あと一人に頼るほかない。
「はい、ありますっ。やらせてくださいっ!」
迷いなく答えるエレナに、ゲオルは鼻を鳴らす。
「ふんっ。そういう勢いで答えるところはどうかと思うが、しかし今は緊急時っ。そのいきや良し、と言っておく」
そう言ってゲオルは懐から取り出したのは、一つの透明な小瓶。中に見えるのは紫色の液体だった。
ゲオルは蓋をあけ、その小瓶をエレナの手に渡す。
「まずはこれを飲め」
言われて、エレナは紫色の液体を喉に通した。
瞬間、苦味を感じたかと思えば、次にやってきたのは全身に伝わる激痛だった。
「ゲオルさんっ、これ、何ですか……!!」
「以前採取した魔毒を素に造った増強剤だ。魔毒は元々強力な魔力を含んでいるからな。毒を取り除きさえすれば、色々と使える。今回は、それを魔力を増強させるよう造ったものだ。反動で体中が痛むが、我慢できるなっ」
「はいっ……これくらい、大丈夫、です……!!」
どう見ても痩せ我慢な言葉だった。
しかし、それでも耐えている彼女にゲオルは「よし」と言いながら、彼女の頭の両側を自分の手で掴むように持った。
「今、貴様は『初期状態』というものになっている。通常、魔術師はこの状態になり、新たな魔術が使えるように自分に暗示をかけるのだ。今から貴様に使ってもらうのは加速魔術の付与。言葉通り、物体の移動を加速させる。今回はこの馬車の速度を加速させてもらう。いいな?」
「はいっ……!」
「よし、なら床に手をつけ」
言われて、エレナは床に両手をつけた。瞬間、雷鳴が轟くものの、彼女は全く気にしない。完全に意識を集中させている状態だ。
「以前も言ったな。魔術とは、人間の奥底に眠っている心の有り様をこの世界に呼び出す技術だと。つまり、想いを現実にする力となるのだ。今回は速度を上げる。それを強く思え。自分が力を与えて馬車の速度を上げていると思い込め。今の貴様なら、呪文などなくとも、それが現実となり、馬車の速度も上がる」
「馬車の速度を上げる……私が、上げていると思い込む……」
ゲオルの言葉を復唱するエレナ。すると、彼女の身体から紫色の靄が出てきた。彼女の中にある魔力の一部が実体となっているのだ。そして、それは彼女の手へと移り、そして馬車に注ぎ込まれていく。
瞬間、馬車の速度が上がっていくのが分かる。窓の外の風景もまるで先ほどとは違い、木々とどんどんすれ違っていく。
恐らく、今までの倍の速度だろう。
しかし、落雷は、それでも馬車のケツを追いかけてくる。
「ちぃっ!!」
再び落ちた雷に、苦虫を噛んだような表情を浮かべるゲオル。倍の速度だというのに、先程とあまり変わらない位置で攻撃された。
「小娘っ、もっと速度を上げろっ」
「はいっ!!」
「御者っ!! 馬車の速度がかなり上がるが、気にせず走り続けろ!!」
「ひゃ、ひゃいぃ!!」
エレナの気合の入った声と、御者の涙ながらの声がしたと同時に、再び、馬車の速度は上がった。
三倍、四倍、五倍……そうやって徐々に上がっていくのと比例して、馬車の揺れも激しさを増していく。尋常じゃないまでに身体が揺れ、時には一瞬宙に浮くことさえあった。
しかし、それだけの速度を出したおかげか、落雷は連続的に落とされるも、落ちていく場所が少しずつ、少しずつ遠くなっていく。
いっときはすでに馬車の後部に被雷しかけていたが、それが一歩後ろ、二歩後ろ、三歩、五歩、十歩、二十歩……。
気づいた時には、かなり距離が離れていた。
「っ!! 皆さん!! 帝都が見えてきました!!」
御者の言葉が聞こえた。
途端である。
先程までゴロゴロと聞こえてきた雷の音は消え、視界も徐々に暗さがなくなり、晴れていく。
それを確認するために、空を眺めてみると、ゲオル達は完全に暗雲を突っ切っていた。一方の怪物はというと、こちらに興味を無くしたかのように、遠ざかっていった。
「危機は去ったみたいですわね……」
「ああ。そのようだ。小娘、もういいぞ」
「は……はい」
掠れた声で答えたエレナが床から手を離すと、馬車はゆっくり速度を落としていき、やがて元の速さに戻っていく。
エレナは疲れ果てたようで、そのまま床に倒れそうになったが、その瞬間、ゲオルが彼女の身体を支えた。
「す、すみません……」
「いや。初めて魔術を使ったせいだ。加えて先程の薬の副作用もあるのだろう。貴様が気にすることではない」
「そう、ですか……あの、ゲオルさん」
「ん? 何だ」
「……私、ちゃんと役に立ちましたか?」
その一言に、ゲオルは虚を突かれたかのような顔になる。
……が、すぐにいつもの表情へと戻り、エレナの問いに答えた。
「遺憾ながら、今回は貴様に助けられた……礼を言っておく。助かった」
「良かった……私、いつもゲオルさんに、助けてもらって、ばっかり、だから……」
そう言って、エレナは眠りに入った。顔色や脈から考えて、初回の魔術使用の反動と増加材の副作用、それ以外の異状は見受けられない。
それを確認した後、ゲオルはエレナの寝顔を見ながら、ひっそりと呟く。
「ふん。何がよかっただ……貴様にとって、ワレは―――」
その後は、誰にも聞こえることがないよう、本当に小さな言葉をゲオルは口にしたのだった。
※誤字訂正と感想の返信ですが、少しお待ちを。感想については、明日、明後日には返したいと思っています。




