二話 喪服の女②
男と女が素手で戦ったらどうなるか。
恐らく、ほとんどの人間が男が勝つというだろう。
別段、それは男女差別とか、そういう意味合いではなく、単純に人間の機能としての話だ。身体の大きさ、筋肉の質や付き方、能力、その他諸々……男と女では同じ人間ではあるが、構造が違うのだ。無論、だからと言って全ての女性が弱くて戦えない、というわけではない。訓練や修行をしさえすれば、それこそ並大抵の男はもちろん、実力のある剣士にだって負けないだけの強さを持つことだったありうる。
しかし、それはあくまで特殊な場合。一般論でいえば、やはり男と女では、男の方が有利であり、ましてや複数の男に対して、女が一人で戦うというのは無謀な話である。
故に。
喪服の女が盗賊達を次々となぎら払う光景も、また特殊な事例に入る。
「ぬぅあっ!?」
振り下ろしたはずの拳が空をきってしまうと同時、男はそのまま体勢を崩す。見ると喪服の女が自らの左足で男の右足を蹴飛ばしていた。そして、地面から完全に身体が離れた瞬間、その脇腹に掌底を入れると男はそのまま吹っ飛んでいく。
けれども、それはその男だけが弱かったから、というわけではない。喪服の女は自分を取り押さえようとする盗賊達を同じように返り討ちにしていった。
ある者は首の後ろを取られ、そのまま顔面を地面に叩きつけられた。
ある者は突き出した拳をよけられ、腕を掴まれた後、投げ飛ばされた。
ある者は飛びかかって抑えようとしたところを、胸のど真ん中に掌底を叩き入れると、そのまま気絶した。
多くの男たちを相手に、喪服の女は服を乱すことなく、対処していく。ヴェールによって顔は見えないが、動きや仕草から全く息が上がっていないのは確かだ。
自然体。その言葉がぴったりな戦い方だ。相手の攻撃を回避し、体重や体勢を考えながら、倒し、転がし、叩き、落とす。力を入れすぎず、弱すぎない適度な一擊。それによって、相手は自分が与えるはずだった力をそのまま喰らってしまう、という構図が出来上がる。
その結果がこれだ。
とは言うものの、おかしな光景なのは、その点だけではない。
例えば、盗賊達が全員持っているはずの剣を使わないようにしている点。
「く、くそぉ。こうなったら、剣を使って……」
「馬鹿やろう!! 女子供に向かって剣は向けないって決めたの忘れたのかっ」
「で、でもよぉ……」
「例え相手が強かろうが、それを曲げねぇ!! そうカシラが決めただろう!! あの人一番最初にやられたけどっ」
「くっ、そうだった……死んだカシラのためにも、そこは曲げちゃいけねぇよなっ。よし、テメェらやるぞっ!!」
「たりめぇだ!!」
「カシラの仇をとってやる!!」
「絶対その胸揉んでやるからなっ!!」
おおっ!! と言いながら残った盗賊達は再び喪服の女に向かっていく。
……最早、彼らの言葉だけでもつっこむべき点が多すぎた。
女子供に剣を向ないのは盗賊としてどうなのかとか、それを決めたであろうカシラとやらが一番始めにやられたとか、仇をとると言ってもそもそもカシラとやらは死んでいないとか、最後の胸云々のこと等……。
色々とおかしい盗賊達は声を上げながら突撃していく。
そして、しばらくして全員あっけなく地面に突っ伏す形となった。
「つ、強すぎ……」
「カシラ、仇、取れませんでした……」
「何故、あれだけ動いて、スカートすら、めくれないんだ……」
各々、何やらぶつぶつと呟くも、既に立ち上がる体力はないようだ。
あれだけの数を短時間で倒しきった。しかし、本当に驚くべき点はそこではなく、誰一人として死んでいない、ということか。
喪服の女は全員が倒れたのを確認すると、御者の方へと向いた。
「すみません、御者の方。縄か何か、ありますでしょうか?」
「え、あっ、はい! ここに!」
「そうですか……では、先程から立ち見をしているそちらの方」
と、今度はゲオルに話を振ってくる。
「……ワレのことか?」
「ええそうです。あなたです。少々手伝ってもらえますでしょうか?」
少しだけ小首を傾げながらの言葉。
誰がそんな面倒なことを……と思ったが、この場にいる全員を倒したのは紛れもなく彼女。そしてゲオルの意図するところではなかったにしろ、結果的に彼女に助けられたわけだ。
ゲオルは我が儘ではあるが、流石に女に助けられて知らんぷりはできない。
「……了解した」
大きなため息を吐きながら、ゲオルは従者から縄を渡された。
*
「……へっ。やるじゃねぇか、お嬢さん。女だと思って甘くみてたぜ。このゴリョー率いるゴリョー団を一人で倒すとは、相当の手練だな。どうだい? 俺達と手を組まないか? テメェとならきっと盗賊のてっぺんすら夢じゃないだろうさ」
何を思ってそんな事を思ったか知らないが、木に縄で縛られている奴が何を言っても説得力はない。
しかしそんな盗賊のリーダーことゴリョーに喪服の女は言葉を返す。
「申し訳ありません。わたくし、盗賊には興味がないので……」
「そうか。そりゃ、残念だな」
へっ、と不敵に嗤うゴリョー。それじゃ仕方ない、と言いたげな顔だったのだが、どうやら周りは違うようだった。
「か、カシラァ、あきらめないでくださいよぉ」
「そうですよ、あんなに強いんだからもっと積極的にいってでも仲間に入ってもらわないとっ」
「そうっす! あの胸を毎日見れるかもしれない機会なんすよ!! 男なら攻めるべきっす!!」
縄に縛られながらも、部下たちはカシラに訴え掛ける。大半の訴えは確かに理解できるが、何故かひとつだけどうでもいい内容で仲間に引き入れようとしている者がいるように思えるのは、気のせいだろうか。
しかし、それは置いておくとして、ゲオルは別の事を口にする。
「貴様ら、捕まっているというのに随分と余裕だな」
ようやく言葉を発したゲオルに対し、盗賊たちは一瞬目を向ける。
が、何を思ったのか、すぐに視線を逸らし、ひそひそと話し始めた。
「……なぁ。あれどう思う? 滅茶苦茶イラつかない?」
「ああ、態度がでかい。まるで自分の手柄だっていいたげな感じだよな」
「確かに俺ら捕まってるけど、別にあいつにやられたわけじゃないのにな」
「っていうか、男とかどうでもいいし。むさ苦しいだけだ」
「なる程、よし分かった。全員じっとしていろ。まとめて頭を吹き飛ばしてやる」
「待ちな、兄ちゃん」
拳を鳴らすゲオルにゴリョーが待ったをかけた。
その表情は先程までのものとは違い、真剣な眼差しになっており、こちらをじっと睨んでいた。
「そいつらに仕置をするのは別に構わねぇ。半殺しにするなりなんなり好きにすりゃいい……だが、殺すのだけはやめてくれ。そいつは、俺一人で十分だ」
「はぁ!? カシラ何言ってんだよ!!」
「そうだよ!! カシラ一人死なせるとかそんなの……」
「やかましいっ!! 人様のもん無理やり奪おうとしたんだ。自分が捕まった時にはなにもお咎めなしとか、そんな都合が通ってたまるかっ。そんでもって、俺はテメェらのカシラだ。頭が責任取らなくて、誰が取るってんだ、えぇ!!」
一喝するゴリョーに、部下たちは「カシラ……」と言葉を零す。
「つまり、自分一人で責任を負うと?」
「おうよ。盗賊団のカシラやってんだ。それくらいの覚悟はできてるってんだ。憲兵につき出すなり、この場で殺すなり、好きにしな」
その言葉に、ゲオルはすぐ様返答しない。
そうか、なら望み通りにしてやろう……と言いたいところではある。こちらを襲撃してきたことは事実であり、相手は自分達を盗賊団と名乗っている。ここで捕まえて憲兵に差し出しても、この場で頭を吹き飛ばしても問題はない。何より、本人が覚悟していると言っている。
だから、問題はそこではない。
もしもこれがいつも通り、ゲオルが対処し、戦ったのなら別に何でもない。が、盗賊の一人が言っていたように、今回ゲオルはなにもしていない。ただ突っ立っていた。そう言われても仕方ない。事実なのだから。これでもし、ゲオルが勝手に判断を下したのなら、それこそ本当に彼らの言うとおり、なにもしていない男が横からしゃしゃり出たということになる。
どうしたものか。
「あのすみません。彼らの処遇については、わたくしが決めてもよろしいでしょうか?」
唐突な提案を出したのは、喪服の女だった。
「彼らをこのままここに放置、というわけにはいかないものでしょうか? 連れて行くにしても人数が多すぎますし、ゴリョーさん一人を連れて行っても解決するとは思えませんし。かと言って殺してしまう、というのは少々やりすぎだと思いますわ」
「……盗賊相手にやりすぎ、か。貴様、よほどの善人と見える」
「そういうわけではありませんのよ? ただ、敵意はあっても殺意がなかった相手を殺すのはどうかと思いまして。こちらを傷つけないようにしているようにも見えましたし、事実あなたもわたくしも損害を受けておりません。なので、今回は見逃す、というので手を打ちませんか?」
いいわけがあるか……といつもなら怒鳴り散らしているゲオルだが、今回は状況が状況だ。自分はなにもしていないし、倒したのは彼女だ。頼んだわけではないが、助けられた身としては、彼女の申し出を断るわけにはいかなかった。
「……こやつらは貴様が倒した。云わば、貴様の手柄だ。好きにすればいい」
「ありがとうございます。あなた様は、いい人なのですわね」
どこをどう見たらそうなる……と問いただそうとするも、喪服の女は盗賊たちに視線を向けており、すでにこちらは眼中になかった。
「というわけで、ゴリョーさんも、それでよろしいですか?」
「……へっ。とんだお人好しだな、あんたたちは」
「それはこちらの台詞かと。こう言うのは失礼かもしれませんが、あなた方には盗賊なんて向いてないと思いますわよ?」
「はっ。俺達も別に好きで盗賊やってるわけじゃねぇさ。ただ、こういうやり方でしか、生きていけないようになっちまったってだけだ」
その言葉にゴリョーだけでなく、他の面々も何故か顔をうつむかせた。そこには、どこか悲しさ、というより、悔しさが感じられた。
「……お嬢さんは、帝都に向かうって言ってたな?」
「ええ。そうですわ」
「そっちの兄ちゃんも」
「そうだが? それがどうした」
今更な質問。そもそもゲオルは帝都に向かうために駅馬車を利用しているのだし、喪服の女についても先程帝都に行きたいと言っていたのをゴリョーは聞いているはずだが。
「いや……盗賊の俺が言うのもなんだが、帝都に行くんなら気をつけていきな。あそこは一見、華やかに見えるが、内実は血まみれの都だからな。特に、剣狼騎士団には関わるな」
「剣狼騎士団? 何だそれは」
「帝都を守っている治安部隊の一つさ。騎士団と銘は打ってるが、実際のところは人斬り集団の集まりだよ。騎士つったら、普通貴族様がなるもんだろ? だが、あいつらは違う。剣の実力があれば誰でも入団できる。だから腕に自信のある奴が集まってきているわけだが……実際のところ、ゴロツキの集まりとかわらねぇのよ。そんな連中が治安を守るだなんてお笑い草もいいところだ。実際、連中が斬った人数は数え切れねぇよ。しかも中にはただの一般人も間違えて斬られたってのもある。ホント、洒落にならねぇよな」
「……、」
剣狼騎士団……その単語が出た瞬間、喪服の女の身体が強ばったのをゲオルは見逃さなかった。
しかし、それを追求せず、ゴリョーに問いを投げかける。
「何故、そのような集団が存在しているのだ?」
「簡単さ。人手不足だよ。二十年以上前の内戦の影響で兵が大分減ったからな。無論、騎士様もだ。で、最近になって魔物が活発化してるだろ? それに人員さいてるせいで、帝都を守る騎士様が少ないんだ。それで、五年くらい前にフロウレンス公爵……ああ、今の皇帝の義理の父親な……それが帝都の治安を守るためっつって発足したのが剣狼騎士団だ」
内戦による人員不足……帝国で内戦があったことはゲオルも知っていた。何せ広い国だ。領土が広ければ、それだけ統治というのは難しくなるものだ。
「まぁ剣狼が力を持ち始めたのは、五年前の事件がきっかけなんだがな」
「五年前の事件?」
「ああ。その年に誘拐事件があったんだよ。しかも誘拐されたのが今の皇后であるマリア様だったんだよ。で、それを救出したのが……」
「剣狼騎士団だった、というわけか」
「そのおかげで連中は当時の皇子、そして今の皇帝であるカイニス様に信頼されるようになって、力を得たってわけだ。おかげで街中じゃ連中に逆らえる奴はいないときたもんだ」
確かに、皇帝の信頼がある騎士団に逆らう者はまずいないだろう。不貞な輩はもちろん、普通の一般人でさえ、あまり関わりを持ちたくないと思うのは当然だ。
「……だが、その誘拐事件には裏があるっていう噂もある」
「裏?」
「そもそも、誘拐事件の真犯人はマリア様の姉であるクラウディア様って話だったんだけどよ、それがどうにもきな臭いんだよ。証言した奴のほとんどが変な死に方してるし、そもそも裁判すら行われなかったって話だ……もしかしたら、皇子の信頼を手に入れるために剣狼が証拠を捏造したんじゃないかって皆言ってんだよ」
それはまた、貴重な事を聞いた。
帝都の内情、剣狼騎士団の存在、そして五年前の事件……。
一見関係ないことであっても知識として知っておくのは悪いことではない。
が、しかし今までの話で気になる点が一つある。
「貴様、何故そんなに詳しいのだ?」
「当たり前だ。俺、こう見えて元々剣狼騎士団の隊長務めてたんだぜ?」
衝撃の事実。
しかし、それならここまで内情に詳しいのも納得がいくというもの。
「とは言っても実際剣狼に入ったのは三年前で、連中のやり方が気に入らなくて、この間、出てきたけどな。剣でのし上がろうって思ってはいたが、あそこまでやり口が汚いのはどうにも好かん。こいつらもそうだ。連中のやり方についていけなくて、俺についてきたんだ。俺一人なら傭兵でも何でもやれるが、この人数を養うとなると、そうはいかなくてなぁ」
「それで、今日初めて追い剥ぎをしてみた、と」
「な、なんで分かった!?」
「そんなもの、貴様らの言動から分かる。女子供に剣は向けない、などとほざく連中が今日まで盗賊としてやっていけるわけがなかろう」
言われて、ゴリョーは目を点にしたかと思うと、「そりゃそうだ」と納得したように笑った。
「けっ。やっぱ、人様のモンをとるなんざ、性に合わないことするもんじゃないな……けどよ、逆に言えば今、剣狼騎士団にいるほとんどの連中は俺達とは相容れなかった奴ってこった。だから、あー……つまり、なんだ、その……」
「つまり、今の剣狼騎士団はそれだけ血の気が多くて、帝都は危険な場所である、と。だから気をつけろと、ゴリョーさんはおっしゃるのですね?」
言いかけたことを言われたせいか、ゴリョーは少し戸惑いながらも話を続ける。
「あ、ああ。そうだ。見逃してくれた礼ってわけじゃねぇけどな」
「ふふ。ありがとうございます。けれど、それでもわたくしには、帝都でやらなければならないことがありますので」
だから帝都に向かうのだと、喪服の女は告げる。
その言葉に、ゲオルは、どこか冷たく、静かな決意を感じたのだった。
ところで、だ。
ゲオル達と喪服の女はそのまま駅馬車に乗って帝都に向かったわけなのだが、一つ忘れていたことがあった。
「……カシラ、格好よく説明するのはいいんすけど、最後に縄くらいほどいてもらった方がよかったんじゃないっすかね」
「あっ」
そこから数時間、ゴリョーたちが身体をねじったりひねったりしながら縄から抜け出せたかどうかは、また別の話である。




