二十話 憤怒の魔術師⑥
予想だにしなかった部外者の登場により、ゲオルは言葉を失った。
いいや、ゲオルだけではない。勇者一行やエレナ、ニコや街の人間たちまでも目の前の男の登場に困惑していた。
登場。それだけなら、また話は別だったかもしれないが、この男は今、明らかに勇者の攻撃を消し去ったのだ。それも指なり一つで。
恐らくは無効魔術の一種だろうが、だとしてもそれを聖剣に対して使えるということは、やはりただ者ではなかった、ということなのだろう。
そして、それを理解しているのはゲオルだけではなかった。
「アンタ……一体何者よ」
メリサの言葉に男は視線を彼女へと移す。
そして。
「ハッハァ! そのリアクションよ!! いいねぇいいねぇ。最高だね。そういう顔が欲しかったんだよ。やっぱいいもんだねぇ。人が驚く顔っていうのはよ」
まるで悪戯好きの子どものような言い分。そして前にも聞いたことのある軟派な声。そして体中に包帯を巻いている姿。
それだけ特徴的な姿を見れば、間違えようもない。
「……何しに来た」
「っと、打って変わってこっちは相変わらず冷たいなぁオイ。いや今更オタクに期待してないんだが、それにしてももっと言い方ってもんがあるだろ?」
「知らん。それとも何か? 『聖剣』の攻撃を止めたことに感謝しろとでも? ……まぁそのことには礼を言うが」
「え、嘘。オタク、ちゃんとお礼言える奴だったの? ……意外だわー」
「よし。取り敢えず、そこでじっとしていろ。その顔面を吹き飛ばしてやろう」
拳を構えるゲオルに包帯男は「おおコワッ」と言いながら両手を上げて降参の構えをする。その姿は、けれどもゲオルをより一層苛立たせた。
「いやいや、遠慮しとくわ。前と同じで、オレ様別にオタクとやりあいにきたわけじゃないんで。ただ、ちょっと敵とやらの顔を見に来ただけなわけよ」
敵……? とまゆをひそめるゲオルに男は答える。
「そ。いずれオレ様と戦うであろう奴の顔を拝みに来たわけで、ついでにどんな奴なのか、ちょっかいも出そうかと思ってたんだが……期待はずれ、なんてもんじゃねぇな、こりゃ」
包帯男は視線をゲオルからユウヤの方へと向けて言う。その口調には落胆が見え、加えてどこか呆れすら感じた。
そして、それはユウヤ達にも感じ取れたらしい。
メリサは自らの得物を取り出し、男に切っ先を向けながら言う。
「それは、どういうこと?」
「言葉通りの意味だが? オレ様を倒すだ何だの言われてるくせに、何だよその体たらくは。っつーか、オタクら、何なの? 人が折角ひと月以上前からスタンバってんのに一向に来やしねぇし。ようやく来たと思えば違う奴だし。しかもそいつが紫の奴倒しちゃうし。いや、あれはあれで見てて超面白かったら別にいいんだけど。でもさ、違うじゃん。そうじゃないじゃん。こっちはこう、格好よく登場したかったんだよ。「ふっ、よくきたな勇者」とかしたかったの。分かるだろ?」
相変わらず意味不明な言葉を並べる。この男もある種、一方通行な言葉を投げかけてくる。しかし、なぜだか男の話を無視することはできず、故にどうしても聞きいってしまうのだ。
「まぁ終わったことをいつまでも引きずるのもみっともねぇからな。気分を切り替えて取り敢えず、顔だけでも拝もうとしたら、この有様だよ。いやホント何なの? 言動から行動まで見てて恥ずかしかったんだけど。っていうか、これが自分の敵とかマジでオレ様の立場ないじゃん。風評被害すら出てきそうなんだけど。いや、もう風評なんてないに等しいんだけど」
飄々とした言葉が羅列していく。つらつらと出てくる言葉の郡をしかして誰も止められる者はなく、ゲオルでさえ黙るしかなかった。
「っていうかさー。流石に相手が剣使ってるくせに、剣のど素人とか、ありえなくね?」
が、流石にその言葉は聞き捨てならなかったのだろう。
「デタラメもそこまでにしなさいっ。ユウヤ様が剣の素人だなんて、どこをどう見ればそんな風に思えるのですかっ」
勇者を慕っている、いいやある意味崇拝しているルインからしてみれば、それは侮辱以外の何物でもなかった。
けれども男はまるで驚いたかのように続けて言う。
「……え? マジで気づいてなかったの? というか、オタクそいつらに話してないの? 自分が『聖剣』の力でしか戦ってなかったって」
「聖剣の力でしか……」
「戦ってなかった?」
初耳と言わんばかりに声に出して言うメリサとルイン。一方でユウヤは目を見開き、血管がちぎれるかと思えるくらいな目付きで男を睨む。
「だ、ま……」
「そいつは『聖剣』の加護で筋力やら体力やらその他諸々を向上してるに過ぎない。そら、今もそんだけボロボロのくせに未だ息をしているのもその加護のおかげだ。加えて、『聖剣』の加護で適当に振ってもちゃんと戦えるようになってやがる。いうなれば、選ばれた者が握れば、例えそいつが素人でも玄人並になれる、みたいな感じだな。だが、逆に『聖剣』の加護がなけりゃそいつはただの素人ってわけだ」
「嘘だ……そんなもの、嘘……」
「嘘じゃねぇさ。他の奴は誤魔化せてもオレ様の目は誤魔化せねぇよ。っつか、オタクもっと素振りとかした方がいいぞ? 武器に頼りっきりていうのは……うん。正直ないわ」
「黙れぇぇぇえええええっ!!」
聖剣を握り、そのまま突っ込んでいこうとする。
が、再び指が鳴らされたかと思うと、ユウヤの体が重くなり、そのまま地面へと倒れる。動かそうにも体が、いいや体の周囲にある空気が重すぎて身動きがとれない状態になっていた。
「ユウヤ様っ!!」
「オタク、学習しようぜ? いくら女に恥ずかしいこと知られたからって、暴れるのはみっともなさすぎだろ」
「殺すころすコロス、ころす……!!」
「あと、できもしないことを口にするもんじゃねぇよ。格好悪いだけだから。っていうか、ホントやめて。見てるだけでマジ恥ずいから」
鬼気迫るユウヤに対し、包帯男は全く態度を変えない。
それだけ実力差があるということだろう。
「つーかよー。さっきから話聞いてたからちょっと聞くんだけどよ。……何でそいつの事勇者勇者って言ってるわけ? まさか、その『聖剣』の持ち主だからってわけじゃないよな?」
その言葉に対し、ここにいる誰もが違和感を覚えた。
何を言っているんだこの男は……それが全員が心の中で呟いた言葉だろう。『聖剣』に選ばれた者が勇者になれる。それが世界の常識であり、当たり前のこと。
だというのに、その常識に対して包帯男は呆れていた。
「……うわーマジかー。今の勇者の基準ってそんなんなのかー。程度が低すぎだろ、それ。そんなんで勇者になれるんだったら誰も苦労しないだろ。こりゃアイツも浮かばれねぇな、ホント」
「意味の分からないことを……『聖剣』が選んだ者が勇者なのは、当然のことでしょ!!」
「いや、どう考えても当然じゃねぇだろ。そもそも、何で『聖剣』に選ばれた奴が勇者になるわけ? その前提がおかしいだろ?」
この男は、本当に何を言っているのだ?
返してくる言葉の一つひとつが異様であり、異常。まるで別の常識で生きているような男は、続けて話をする。
「だってそうだろ? オレ様を倒したアイツらはそんなもん持ってなかったし。オレ様倒した後で一応作っとこう的なノリでできたガラクタを持ったくらいで勇者名乗るとか、ちょっと舐めすぎだろ、オタクら」
理解不能。会話が成立しない。
一人だけ分かったように語る男。誰もが不快感を覚える中、しかしゲオルだけはふと思う。
確かにこの男が言っていることは意味が分からない。だが、あることを前提として話を聞くとその意味も次第にわかってくる。
だがしかし、そうなるとこの男の正体は―――。
「貴方……何なの?」
「その質問に意味あるか? 魔術師。分かってんのに一々聞くっていうのは野暮ってもんだぜ?」
不敵な笑み……を包帯の下で浮かべているであろう。その言葉でアンナは勿論、ゲオルもまた大きな疑念を持った。いや……持ってしまったというべきか。疑念、というよりはもうほぼ確信に近いものだ。しかし、それでも言葉にして確認しなければ真実を知ることはできない。
だからこそ、ゲオルは言う。
「それで、結局貴様は何をしに来たのだ―――魔王」
ゲオルの言葉に周りにどよめきが走る。当然だ。目の前にいる謎の男こそ、魔物を操り、『六体の怪物』を作り、世界を壊そうとしている存在である『魔王』と聞いてしまえば、動揺しないわけがない。
だが、当の本人は首をやれやれと言った具合に振っていた。
「おいおい。人がなんとなーく口にしないようにしてたのに、ネタばらしするとか、何? オタク空気読めないの? KYなの?」
「意味が分からんことを口にするな。そもそも貴様自身、隠すつもりなど毛頭なかっただろうが」
「いやまぁ隠すつもりは無かったよ? でも、あれじゃん。言葉にしたら安っぽく感じるじゃん」
「何を今更。貴様の存在自体が、既に安物だ」
「ひどっ。まだ二回しか会ってない奴にドストレートに言うなよ。オレ様、これでもガラスハートなんだぜ?」
「何度も言わせるな。意味の分からない言葉を口にするな。そしてさっさと答えろ」
このまま話を続ければ相手の調子に合わされ、進まなくなると思ったゲオルは話を切り上げ、問いを投げかける。
その言葉にやれやれといった具合で包帯男こと魔王は答えた。
「何をしにきたか……って言われてもな。さっきも答えたろ? 勇者を名乗ってる奴がどういう奴なのか、見に来ただけだって。何せアイツと同じ勇者だからな。面白そうなら手合わせくらいしようと思ったが……それがこんなハズレとは、予想外すぎるだろ。悪い意味で」
親指を向けながら大きなため息を吐くその姿は落胆そのものだった。
その姿にユウヤは怒りを抑えられないようだったが、未だ重力の魔術が続いているせいで、なにもできずに地面に這いつくばっていた。
そんな彼に対し、魔王は冷たい視線を向けた。
「オタクに何を言っても無駄だとは思うが、一応言っとくわ。―――出来損ないが勇者名乗んな。テメェ如きがあの人間と同じになれるなんぞ思い上がりもいい加減にしろ。それとな、『聖剣』に選ばれた奴が勇者になれるんじゃねぇ。オレ様が認めた奴が勇者なんだよ。分かったら二度とオレ様の前に現れんな、ゴミが」
瞬間、指なりが二回聞こえたと同時、ユウヤの身体がまるで雷をまとも食らったかのように震え、そして意識が無くなった。
心配そうな声を出すメリサとルイン、そしてアンナ。そんな三人をまるで知らんふりをするかのように、魔王はゲオルとの会話を再会した。
「そんなわけで腹いせついでに潰そうかと思ってたんだが、それもお前さんに取られちまうし。『神器』を壊すってのもあるかもだが、こんなガラクタ壊しても意味ないしな。もう踏んだり蹴ったりだ」
「知るか」
「一蹴だな、オイ……まぁでもおかげでお前さんとも再会できて、その上実力も見れたんだから、まぁ収穫はありだとは思ってるが」
「また意味の分からないことを……」
「そうか? オレ様としちゃ大事なことだと思うが。何せ、いずれ殺し合うわけだからな」
「それこそ理解できん。何故ワレと貴様が殺し合うというのだ」
「それはまぁ―――こういうこった」
言いながら、魔王が取った行動は至って簡単なもの。
顔に巻きついてあった包帯を取り除いていった。
一枚一枚のいていく包帯は大量であったが、しかしのいていくごとに確実にその中身が見えてくる。
そう。中身。魔王の顔である。
そして、その顔が完全に見えた時、ゲオルは今まで一番と言っていいほどその瞳を開く他なかった。
夕焼け空のような橙色の少し長い髪。それと同じ色の瞳はつり上がっており、相手をどこか挑発していた。顔からして年齢は二十代後半、といったところか。若々しさあるものの、どこか老けているように見える。
その顔を、ゲオルは知っていた。知らないはずはなかった。
何故ならそれは―――。
「どうだい? 久しぶりに自分の顔を見た感想は」
「き、さま――――――――――っ」
「おうおうようやく驚いてくれた……そういう顔が見たかったんだよ」
その余裕ある顔にゲオルは確かな殺意を覚えた。同時、納得もしていた。
自分の魔術と結界を敗れる程の実力者……なるほど、魔王ならば納得せざるを得ないだろう。さらに言うのなら、彼が身体を欲していた理由も理解はできる。
「しかし、オタクが森の屋敷を自分のものだと言ったとき、もしやとは思ったが、まさか本当にあの屋敷の主だったとはな」
「……ワレも失念していた。自分の身体を盗んだ者を前にしてみすみす見逃していたとはな」
「そのことについては悪いとは思ってるぜ? とはいえ、オレ様も死にかけだったんでな。アイツに殺されて魂だけになっちまって選択の余地なんてなかったんだよ。やむを得ずってやつだ。とはいえ今更返すつもりもないが」
魔王はかつての勇者に殺されたと聞く。しかし、魂までは消滅していないと聞く。その魂がこの森までやってきて偶然ゲオルの身体を見つけてしまった……そういうことだろう。魂だけとはいえ、魔王の力ならば屋敷にあったゲオルの結界や魔術を壊すことは不可能ではない。
長年の疑念に答えは得た。
しかしそれは目の前の男に対して怒りが無くなったわけではなかった。
「よせよせ。ここで戦ってもお互い意味がないってのは分かってんだろ?」
そう。今の魔王は影法師。ここに実体はない。今の彼と戦って勝利したところでゲオルの身体は戻ってこないのだ。
それを理解しているからこそ、ゲオルは拳を握り締めるだけで踏みとどまっていた。
「そういうわけで、この身体を返して欲しけりゃ残りの『六体の怪物』を倒すこった」
「ふん。そんな回りくどいことなどするつもりはない。直接貴様を探し出してやる」
「ああ、それ無理だから。ネタバレになるから詳しく言えないが、どれだけ探してもオレ様は絶対に見つけられないぜ? っというか、中ボス無視していきなりラスボスとか、ルール無視にも程があるだろ」
相変わらず意味不明な言葉を口にする魔王。その言葉一つひとつは理解できない。しかし大事なことは一つだけだ。
「『六体の怪物』を倒せば、貴様の下にたどり着ける、と?」
「そういうわけ。簡単だろう?」
「どこがだ……加えてもう一つ答えろ。貴様、目的は何だ? 何故ワレに自分の姿を晒した?」
悔しいが、ゲオルは魔王が包帯を取り除くまで自分の身体だと気づけなかった。それは魔王とて分かっていたはず。だというのに、わざわざ自分の敵を増やすような真似をしてまで一体彼は何がしたいのか?
「目的? 決まってんだろ―――オレ様は魔王だぜ? 面白いことも好きだが、戦いはもっと好みでね。だから実力ある奴とやりあいたい。それだけだ」
その言葉に対し、ゲオルは思う。本当にそうだろうか。
戦いが好みだ……ならば彼は何故自分自身で戦わないのか。何故『六体の怪物』などを作ったのか。
分からないことが多い。不確定要素がありすぎる。
だが、ゲオルは敢えて今、それらを脇に置いて言う。
「……いいだろう。その口車に乗ってやる。『六体の怪物』を倒し、貴様の下まで行ってやろう……首を洗って待っていろ」
そう。結局のところ、今、ゲオルは魔王と戦うことが決まったのだ。彼が自分の身体を盗み、己のモノとしているのなら、それを取り返さなければならない。では、話し合いでそれは解決するのかと言えば、きっと否だろう。この男は、そういう男だとゲオルの直感が告げている。
故に戦う。それだけの話だ。
「ハハァ!! そうでなくっちゃ面白くねぇ!! 久々に楽しみが増えた。それだけでもここに来たかいがあるってもんだ」
楽しそうに、愉しそうに、たのしそうに魔王は嗤う。
刹那、彼から発せられる空気が変わる。もう隠す必要など不要だと言わんばかりに、空気中に魔力が溢れ出し、暴れていた。まるで彼の興奮に呼応するかの如く、この場にあるもの全てが震えていた。それだけではない。なぜだか突然と辺りが暗くなっていた。ふと見ると先程まで晴天だった空が暗い雲に覆われており、それが魔王の仕業であると、この場にいる誰もが理解できた。
そうして、魔王は高らかに叫んだ。
「じゃあな、魔術師・ゲオル!! お前さんがオレ様にたどり着くことを祈っててやるよ!」
刹那、雷が魔王に直撃する。
轟く雷音、迸る雷光。それらによってゲオルを含めた全員が目と耳を閉じる。
そして、気がついた時には既に魔王の姿は無く、あるのは焦げた地面だけだった。




