十九話 憤怒の魔術師⑤
白い光が視界から無くなると、そこは元の場所、ニコの家の前だった。
大勢の街の人間が自分を見ており、その瞳には驚愕しかなかった。それはエレナやニコも同じであった。そこでゲオルは他の者達の安全を確認した。
どうやら戻ってきたらしい……そう思うと同時に、けれども安堵はしていない。
何せ自分が戻ってきたということは、つまりは。
「ユウヤッ!!」
「ユウヤ様っ!!」
ふと、悲鳴にも近い声のする方を見る。そこにはグチャグチャになりながら、原型を保ち、未だ息があるユウヤとそれに駆け寄るメリサとルインの姿があった。その事実に、ゲオルもまた少々驚いていた。
はっきり言おう。ゲオルはユウヤを殺したはずだった。手加減などしていない。最後の一擊。あれはまごうことなき必殺の一擊だ。上級の魔物ですら喰らえば死は免れず、さらに身体は内部から破裂してバラバラになるはず。それだけの一擊だった。
だというのに、ユウヤは虫の息ではあるが、未だ生きているのだ。
しぶとさも虫並みというわけなのだろうか。
「ゲオルさん」
ふと自分を呼ぶ声がした。
そこにいるのが誰なのか言うまでもないが、ゲオルは振り向き確認した。
そこにはこちらを心配しているような表情を浮かべるエレナが立っていた。
「大丈夫……ですか?」
「どこ見て言っている。あのような輩にワレが後れを取るとでも思ったのか。見ての通りワレは無傷……いや、今のは失言だった。許せ」
視界が見えない彼女からすれば、ゲオルが突然消えて突然帰ってきた、というのは第六感で分かるのだろう。だが、彼が傷ついているかどうかは分からないのだ。
彼女にとって、この身体は想い人のものだ。故にその身体が傷ついたかどうかを確認するのは当然のことだろう。
ゲオルが口にしてもあまり意味はないが、それでも敢えて口にして言うのが未だ身体を借りている身としては当たり前の義務だ。
「安心しろ。貴様の想い人の身体に傷一つつけてはおらん」
言うとエレナは頬を赤く染めた。
「そ、そういうことを平然と言わないでください!! というか、言ってて恥ずかしくないんですか!?」
「全く。本人ではないからな。貴様からすれば見た目も声も本人そっくりな人間が言っているようなものだから混乱するのは分からんでもないが……」
「わかってるんだったら、やめてください。いいですね?」
「いや待て。借りているとはいえ一応はワレの身体でもあるからして……」
「いいですね?」
「いや、だからだな……」
「いいですね?」
「……善処してやろう」
全くもって理不尽な要求を一応飲み込むゲオル。この身体はゲオルのものでもあるからして、発言に対する制限をされる云われはないのだが……いやよそう。女心というものなのだろう。何百年も生きてきたゲオルにも全く分からないが、それを敢えて踏みにじることはすまい。
それに、だ。
ゲオルにはまだやるべきことが残っている。それを片付けなければこの場は収まらないのだから。
「小娘。もう少しだけ下がっていろ」
「ゲオルさん、何を……」
「決まっている。後片付けだ」
言いながら、ゲオルは足を進める。
視線の先にいるのは既に倒れているユウヤとその周りにいる二人の少女。ルインの方は手をユウヤの胸元に当てている。恐らく『祈願』という聖職者にのみ与えられた特殊な術だろう。それでユウヤの傷を癒しているようだった。
一方のメリサは、ゲオルが近づいてきたのを察知すると背中にしょっていた槍を構える。
「近づかないで!!」
その言葉に、ゲオルは言われた通りに足を止めた。
それを見てメリサはひと呼吸したあとに、言葉を続けた。
「……何を、したの?」
「何を、とは?」
「ユウヤに一体何をしたのって聞いてるの!! 答えて!!」
怒号を浴びせるメリサ。しかし一方のゲオルは全く動じることなく、彼女の問いに答える。
「何をもなにも、見ての通りだが? ワレはその者と戦い勝利した。その男は負けた。見れば分かることを一々口に出させるな」
「ふざけないでくださいっ!!」
次に怒鳴りつけてきたのはユウヤの治療をしているルインからだった。彼女はこちらをまるで憎き仇でも見るかのような瞳で睨みつけてきた。
「あなた如きがユウヤ様に勝てるわけがないでしょう!! 勇者として選ばれなかったあなたがっ。ただの雑兵として用意され、いざという時はユウヤ様の身代わりにという理由だけで一緒にいたあなたがっ。『聖剣』に選ばれた真の勇者であるユウヤ様に傷など負わせられるわけがないっ!!」
その事実にメリサは目を伏せる。どうやら彼女も知っていたらしい。
「ジグル・フリドーが身代わり、か……それは初耳だな」
「当然です。事実を聞けば、あなたはきっと逃げ出す。だから皆黙っていたのです。そして実際、あなたは逃げ出したっ。『聖剣』があなたを選ばなかったのも当然というものです。だというのに……それが再びわたし達の前に現れて、ユウヤ様をこんな目に……」
赦せないと言わんばかりに聖女は続けて叫ぶ。
「一体どんな汚い手を使ったというのです!! 答えなさい、下郎!!」
「喚くな、鬱陶しい。そのクズと同じで程度が知れるというものだぞ」
その叫びをゲオルは一蹴する。
ルインの怒り、悲しみ、嘆き……それら全てがゲオルにはなにも響いてこない。ただの負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。
ゲオルの言葉にルインは再び怒りを口にしようとするが、メリサがそれを制止し、代わりに言う。
「……ジグル。アンタ一体どうしたっていうのよ。確かにユウヤは癇癪持ちで色々と問題は多い。今回のことだって聞いたわ。やりすぎだと思う。けど、アンタにとってはかつての仲間でしょう? それをアンタはどんな方法を使ってかはしらないけど、こんな目に遭わせた。多分魔法か別の何かを使ったんでしょう。でなきゃアンタがユウヤに勝てるわけないもの」
メリサの予想を斜めにいく言葉にゲオルは口を挟まない。ここで彼女に何を言っても無駄だというのはもうとっくに理解している。
なにも言わないゲオルに対し、メリサは続けて言う。
「確かにユウヤはアンタに色々とキツくあたってたわ。でも、その仕返しがこれなんて、酷過ぎじゃない。アンタだけが辛かったわけじゃないのよ? それだってユウヤだって勇者としての苦しみがあったはずよ。ユウヤだけじゃない。私もルインもアンナも、みんな苦しくて辛かった。けど頑張ってたの。なのにアンタは逃げ出した。アンタだけ逃げたのよ。そんな奴に今更どうこう言う資格はないし、ましてや仕返しなんてもっての―――」
「もういい。口を開くな。聞くに耐えん」
しかし流石に、それ以上は我慢ならなかった。
メリサの言葉はまるで虫の羽音だ。耳に入るだけで神経が逆なでされる気分になる。いいや、彼女だけではない。ユウヤや彼を治療しているルインの言葉も今のゲオルには雑音でしかなかった。
そう。音。音なのだ。声ではなく、故に会話にすらなっていない。自分達の都合のいいことしか言っておらず、またこちらが話しても聞く耳を持たない。だからこそ、こちらが何を言っても無駄であり、無意味。会話を試みようとするだけ無謀というものだ。
しかし、それでもだ。
ゲオルは最早、黙っていられなかった。
「色々と言うべきことがあるが、まず一つ。ワレは魔術など使っておらん。そんな者につかっては魔術が汚れてしまうからな。故に素手で殴り、脚で蹴った。それだけだ」
「そんな見え透いた嘘を―――」
「次に。貴様、その男があの老体を斬ったことに対してやりすぎと言ったな……恐らく、ここにいる他の者が思っていることを代弁してやる―――舐めるのも大概にしろ」
その言葉にメリサは背筋に冷たい何かを感じた。
それは、ゲオルからの視線……だけではない。いいや、そもそも一つではなかった。無数の鋭利な冷たい何か。それがここにいる街の人々のものだと気づくのに、そこまで時間はかからなかった。
「あの老体はワレとは関係ない。ただ、解毒薬を渡しただけの仲だ。別段、家族でも仲間でも何でもない。だが……無抵抗の人間を斬り、あまつさえそれを「やりすぎ」などという言葉で片付けようなどとは、思い上がりもいいところだな」
「別に……そんなつもりは……」
「さらに、だ。貴様はジグル・フリドーが逃げたと言ったな? それこそ矛盾だ。『貴様ら』が追い出したというのに、ふざけたことを抜かすな」
瞬間。
ゲオルの言葉にメリサは目を大きく見開いた。
「何、を、言って……」
未だ惚けようとするメリサに対し、ゲオルは追い討ちをかける。
「気づいていないとでも思ったのか? ジグル・フリドーはとっくの昔に理解していたぞ。貴様ら三人がその男に自分が追い出されるのを知っていたことを。そして、貴様に至っては知らぬふりを通していたこともな」
絶句するメリサ。そして、それが真実であることが証明された。
他の三人が真実を知っていた……かどうかは、正直ジグルは分かっていなかった。だが、少なくともメリサは知っていたはずだ。でなければ、ジグルが出ていこうとしたその時に偶然現れるなんてことはできない。では、何故彼女は現れたのか……それは今は関係なく、もうどうでもいいことだ。
重要なのは、ジグルがそれを理解したこと。してしまったこと。その瞬間、彼の中で何かが壊れてしまったのだろう。
ジグル・フリドー。我が身体に未だ宿る魂。彼は、こんな連中と旅をしていたのか。
これなら、魂がボロボロになるのも仕方がない。
これなら、心がズタズタになるのも仕方がない。
同情などしない。するはずがない。裏切られたのは、ジグルであって自分ではない。自分は記憶を見ただけ。だから同じ感情など持てるわけがないのだ。
けれど……それでも、仕方がないと思えるのは、何故だろうか。
「そして貴様らは最大の罪を犯している。それは―――」
「それは、自分をジグル・フリドーと間違えている、ということかしら?」
そこでさらに、第三者が入ってくる。
三角帽子を被ったアンナが割って入ってきた。
彼女の言葉に、メリサは震えた声で訊ねる。
「アンナ、貴女一体、何を言って……」
「言葉通りよ。そろそろ諦めなさい。あそこにいるのはジグル・フリドーではないわ。その身体をしているだけの、別人よ」
その事実にメリサは黙り込んでしまった。
そんなメリサの代わり、と言わんばかりにアンナが前へと出る。
「貴様、魔術師か」
「ええ。初めまして。アンナよ。あなたの名前を聞いていいかしら?」
「ふん。偽名を使う者に名乗る名などない」
偽名っ!? とメリサとルインは共に声を出す。どうやら彼女たちも知らなかったらしい。
逆にアンナは自分の偽名がバレたことに苦笑した。
「なる程……そこら辺は抜け目がない、と。ごめんなさい、でも魔術師なら分かるでしょう? 自分の本当の名前を他人に知られるわけにはいかない」
「知られてしまえば、その者に命を取られるようなものだからな。否定はせん。とはいえ、偽名も名乗るつもりはないが」
ゲオルは自分の名前を毎回適当につけている。だが、時にはその偽名から真名を知る者もいるのだ。魔術の中には相手の名前さえあれば殺すことができるものすら存在する。故に魔術師にとって名前を知られるというのは、危険なことなのだ。
だからこそ、ゲオルは魔術師の前では偽名ですら口にしたくないのだ。
「まぁいいわ。ちょっと聞くけど、この薬、貴方が作ったのかしら?」
「そうだ、と言ったら?」
「見事……と言うしかないわね。材料の配分が寸分違わずできている。解毒薬は少しでも配分を間違えれば毒になってしまう。それをこうも完璧に仕上げるなんて、もしかして名の知れた魔術師だったりする?」
アンナの言葉に、けれどもゲオルは首を横に振った。
「会話に紛れて誘惑の魔術を使っても無駄だ。この身体はそういったものを受け付けないようにしてるからな」
瞬間、アンナの顔が強ばる。
「そこをどけ。邪魔をするな」
「……流石にそれはできないでしょ。だってアタシがどいたら貴方、ユウヤを殺すでしょ?」
「ああ、殺す」
即答だった。
一切の迷いなく、ゲオルは答える。そこに動揺はなく、端的に言った。
その言葉にルインが反応する。
「あなたは……その意味を分かっているのですか!! ユウヤ様は、勇者なのですよ!! 『六体の怪物』を倒し、魔王を倒すこの世界の救世主なのです。それを殺すなどと……!!」
「それがどうした?」
「っ!! あなたは……この世界がどうなってもいいというのですか!!」
「ああ、そうだが?」
これもまた、即答だった。
世界? 魔王? この男を殺せば世界が滅亡するかもしれない。勇者という存在を殺すとは、そういうことだ。ここでゲオルがユウヤに止めをさす行為はそれに直結するかもしれない。
だが、それでもゲオルは止まるつもりはさらさらなかった。
だからこそ。
「……何の真似だ、小娘」
彼が足を止めたのは、やはり第三者によるものだった。
エレナは後ろからゲオルに抱きつき、彼の動きを止めながら、言葉を口にする。
「……正直、最後の最後まで止めるかどうか、悩みました。今も悩んでいます。ジグルさんのこともあって、私も勇者には色々と思うところがありますから」
「なら……」
「けど、このままだとゲオルさんはあの男と同じになってしまう」
「それは違うぞ。ワレとあの男は元々同じだ」
エレナの言葉にゲオルはかぶせるように言う。
「そうだ。結局のところ、ワレもあの男も同じなのだ。本当に誰かを思って行動するのなら、こんな手段など初めから取らない。暴力などには頼らない。殺す以外の方法を探す。だが、ワレはそれをしない。できない。この煮えたぎった怒りを振り下ろさずにはいられない。ワレはそういう男だ。ジグル・フリドーではない。自分の思い通りにならないものを力でねじ伏せる……そういうクズなのだ」
自分勝手な誇り、考え、自己中心的な行動。今までだってそうだ。ゲオルは結局、自分のためにしかやってこなかった。つまり、ユウヤと同じだ。彼がクズであるように、ゲオルもまた人間のクズ。似た者同士。だからゲオルは許せないのだ。まるで鏡を見ているようだったから。そんな男が、『彼』を陥れたことが何より許せない。
それを壊す。これはそれだけの話だ。
結論。ここにいるのは、自分を許せない男。それだけだ。
だから諦めろ。
そう告げているのだが。
「それでも、私は嫌です」
少女はそれでもゲオルを止める。
「……、」
「確かにあの男がやったことは許せません。だからこれは、勇者を助けるためじゃありません。あんな男、ボコボコのボロ雑巾になればいいって思ってます。顔面ぶっ飛ばして原型とどめないくらいぐちゃぐちゃになればいいと思います……私はただ、そんな男のせいでゲオルさんの手が汚れてしまうことが、嫌なんです。それに」
「それに?」
「多分……ジグルさんがここにいたら、同じことをすると思うので」
エレナの言葉に、ゲオルはなにも返さない。しばらくの間、そのままの状態が続いた。
そうして、幾許かの時が過ぎた頃。
「……はぁ」
大きなため息を吐きながら、握りこぶしを解いたのだった。
「ゲオルさん……」
「勘違いするな。貴様の言葉に少しだけ、ほんっっの少しだけ、納得しただけだ。確かにこんな男に殴る拳がもったいない」
その言葉に、エレナは微笑する。
一方のアンナはふぅ、と安堵の息を吐き、メリサとルインに至っては苦虫を噛むような表情をしながらも、反論の言葉を口にしなかった。
そうして、今回の事件は一応の結末を―――
「…………な」
刹那、空気が凍った。
僅かに聞こえた声。いや、音。それが何なのか、その場にいる誰にも分からなかった。が、最初に気づいたのはルインだった。自分が治癒している勇者が突如として、立ち上がり、剣を振るい上げた。
重傷のはずであり、動けるわけもない。
だというのに、ユウヤは『聖剣』を振りかざした。
「ふざけるなぁっ!! 俺が、勇者が、俺が、救世主が、負けるわけがねぇだろうがぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
その声に呼応するかのように、『聖剣』が輝き出す。恐らく彼はゲオルに使ったあの破滅の光をここで放つつもりなのだろう。そんなことになれば、ここにいる全員が巻き込まれるだけではなく、北部そのものがふきとんでしまう。
咄嗟のことだったせいか、近くにいたルインは呆然とし、メリサもまた一歩遅れる。ゲオルやアンナに至っては気づいたものの、距離が遠すぎた。
結論。彼らにはユウヤを止めることができなかった。
そうして、ユウヤは『聖剣』をそのまま振り下ろ――‐。
「いや、それはねぇだろ。オレ様でも流石にひくわ」
瞬間、パチンッ、という音が鳴った。
同時、聖剣の輝きが瞬時に消え去り、霧散した。
一瞬。誰にもどうにもできないと言われた光が一瞬にして消滅したのだ。
何が起こったのか。誰がやったのか。
その答えはそこにいた。
「貴様は……」
「よう。久しぶりだな。元気してたか?」
そこにいたのは、あの森で出会った包帯の男だった。




