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十八話 憤怒の魔術師④

「つまり、これは本物の解毒剤だっていうのね」


 メリサの言葉に、「ええ、間違いないわ」とアンナは断言した。

 その言葉を信じられないと言わんばかりに、ルインは首を横に振った。


「そんな……そんなことが、本当に、あるんですか……?」

「くどいわよ、ルイン。これは正真正銘、間違いなく本物の解毒薬よ。空気中にある魔毒の成分を使って調べてみたから、間違いようがないわ」

「でも、それでは……」

「まぁ恐らくこれだけ大量の解毒薬を作ってるってことは、それだけ大量の血や部位が必要になる。で、この量から察するに、『六体の怪物』を殺すくらいしないと、集めるのは無理ね」

「ちょっと待って。それってつまり……」

「そう。『六体の怪物』は既に倒されている。そうよね?」


 エレナの方を見て確認を促すアンナ。エレナは答えず黙ったままだが、しかし否定しないということは、つまりはそういうことだ。

 けれど、その事実をルインは未だ受け入れていなかった。


「いいえ……いいえ、そんなはずはありません! あってはなりません! 『六体の怪物』は我々にしか、勇者様にしか倒せないはず。それなのに、なのに……よりにもよって、あんな男が……」

「落ち着きなさい、ルイン」


 言われてルインは正気を取り戻し、「す、すみません……」と口にする。が、その表情には未だ信じられない、というものがあった。……いや、違う。信じられないというより信じたくない、というべきだろう。彼女の中では勇者しか『六体の怪物』を倒してはいけないというものがあったのかもしれない。


「……アンナ。貴女、言ったわよね。ジグルには『六体の怪物』は倒せないし、解毒薬は作れないって」

「ええ、言ったわ」


 メリサの言葉にアンナはさっと答える。悪びれもしないその顔は、ルインとは打って変わって納得しているかのようだった。

 その姿はメリサにとってはあまり好ましくないものだった。


「そんなに睨まないでよ。嘘を言ったつもりはないわ。それを確かめるためにもアタシはここに来たわけだし……まぁ来て分かったってのはあるけどね」

「納得? どういうこと?」

「どうもこうもアタシの言ったことは間違ってなかったってことよ。この薬、かなり的確に調合されてるのよ。こんなの、解毒薬の材料があってもアタシじゃ作れないわ。勿論、あの男にもね」

「何言ってるのよ。その薬を作ったのは、ジグルじゃない。意味が分からないこと言わないで」


 その言葉にアンナは大きなため息を吐く。

 ここまで言っても分からないか、と心の中でため息をつきながら、彼女は言う。


「そろそろ気づきなさいよ。それとも、わざと目をそらしてるわけ? 理解しているけど、気づきたくないからそんな真似してると?」

「……何を、言って……」

「だから、この薬を作ったであろうさっきの男は……」


 瞬間、アンナの手にあった水晶に亀裂が生じる。

 その事実に、アンナは、「えっ」と思わず声を漏らした。この水晶は人間を閉じ込めるものだ。それ故に頑丈に作られており、ちょっとやそっとでは壊れないようになっている。それこそ、聖剣の一擊を中で放ってもびくともしない。

 そんな頑丈なものに、ひびが入ったのだ。

 どういうことだ……その疑問を持ちながらアンナは水晶を覗いた。


「……なによ、これ」


 思わず口を塞ぐ。次いで中を覗いた二人も動揺に目を丸くさせていた。

 水晶の中に映っていたのは―――暴虐そのものだった。


 *


 普通、人間が空を殴ればどうなるのか。

 答えは簡単、何も起こらない。

 鍛錬や修行なので殴り方を身体に叩き込むことがあるが、しかしそれだって形だけのもの。そこには何もないのだから、殴るもなにもない。

 普通、人間が大地を蹴ればどうなるのか。

 答えは簡単、何も起こらない。

 人は時に怒りに任せて、イラついた際、地面を蹴ってしまうことがある。しかし、それだけだ。返ってくるのは痛みとちょっとした後悔のみ。

 けれども、これが今のゲオルの場合だと話が全く変わってくる。

 空を殴るだけで衝撃波が走り、大地を蹴るだけで地面が割れる。それだけで、最早人間の領域を超えている証拠だった。

 無論、彼自身に何も影響がないわけではない。むしろ、その一擊一擊を放つだけで身体に負担がかかるのは事実。現に彼は魔物との戦闘の際もその相手に合った攻撃をしている。だが、勘違いしてはいけない。彼が今、空を裂き、大地を割る程の攻撃をしているのは、相手がそれだけの強者だからではない。

 これはただ単に、思い知らせるため。

 目の前にいる男に、自分が何に手を出したのかということを。


「ふっぐああああああああああっ!!」


 まともな雄叫びを上げることもできないまま、勇者は剣を振り上げ、突っ込んでくる。その速度はそれなりのものであり、確かに普通の人間よりは優れているのだろう。

 しかし、ゲオルにとってみれば、止まっているのと同然だった。


「ふんっ」


 言いながらひらりと勇者の一擊をギリギリのところで避け、その腹部に膝を入れ、一瞬怯ませる。そして、一秒程力を貯めて回し蹴りを炸裂させた。そうして、勇者はまた吹っ飛んでいく。これでもう何度目か分からない。

 勇者は面白いほどに吹き飛んでいき、そのさまは最早喜劇に近い何かがあった。

 だが一方で、ゲオルも少し驚くことがあった。


「これだけやられて、まだ動けるか」


 正直意外だった。

 叩き込んだ攻撃は恐らく百は超えているだろう。無論、死なないように手加減はしてある。それは慈悲の心や命を奪うという行為に嫌悪しているから、ではない。むしろ逆、このような男に死という安息を与えてはならない、という考えからだった。

 人はすぐに死んでしまう。が、それも当たり所を考えれば、死なずに済むというものだ。骨を一つずつ折っていきながらも死なせない拷問があるように、要は場所とタイミングの問題。

 とはいえ、だ。初めて会った時に入れた一擊。あの程度で蹲るような相手なら、今まで叩き込んだ攻撃の痛みによって誤って気絶か、最悪死んでしまってもおかしくはない。

 だが、もっと驚くことは、未だ彼が剣を離さず動けるということ。聖剣は何があっても離さないというある種の意思を感じる。

 それは勇者としての誇りか、はたまた負けたくないという思いからか。

 どちらにしろ、ゲオルにとっては興味はないが。


「そら、どうした。立つだけか。それではワレを殺すことはできんぞ」


 立ち上がろうとする勇者の腹部に、ゲオルは強烈な蹴りを放つ。

 もはや声すら出せないまま、勇者はそのまま飛んでいく。

 そして、また立ち上がろうとすると、その前にはいつの間にかゲオルがいた。


「ワレがむかつくのだろう?」


 拳を放つ。


「ワレを殺すのだろう?」


 蹴りを放つ。


「自分に逆らったワレが赦せないのだろう?」


 頭を鷲掴みにし、そのまま放り投げる。


「ならば来てみよ。攻撃してみろ。動くだけなら、死にかけの蠅にでもできるぞ?」

「―――ぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 ゲオルの言葉に反応し、勇者は声を荒らげながら剣を握り、斬りかかる。

 本当に単純な生き物だ。自分の事を馬鹿にされればとっさに反応するようにでも育てられたのか。そして、馬鹿にされ、コケにされ、反抗されれば、力をもってねじ伏せる。今まではそうやって生きてきたのだろう。そして、それで負けてこなかった。うまくいっていたのだろう。いいや、この場合はうまくいってしまったのだろう、というべきか。

 彼が元の世界でどんな立場にして、どんな環境にいたのかは知らない。だが、自分が負ける、ということがなかったのだというのは分かる。それは彼より強い者がいなかったのか、それとも周りがそういう環境を作ったのか、はたまた別の何かか。何にしても、彼はこう思っているのだ。

 最後には自分が勝つ。自分は負けない。絶対に相手を負かすことができる。それがユウヤという勇者の常識だったのだろう。

 だが、ゲオルの前ではそんな常識通用はしないし、付き合うつもりは毛頭ない。


「……んだよ」


 そこで、勇者が口を開いた。

 何度も殴られ、蹴られ、放り投げられてその身体は既にボロボロというより、グチャグチャだった。骨は十本以上は確実に折れており、三十本はひび割れているか、砕かれている。口の中にある歯は半数以上が吹き飛んでおり、顔面は元の顔の原型を一歩手前でとどめている程度だった。

 そんな状態で、勇者は言う。


「何でだ……何で、何で、何でだよ、あぁ!? どうして、俺がこんな目に……こんな奴に、一方的にやられてんだよっ!! おかしいだろ!! ありえないだろ!! こんな……こんなのは夢だ!! 現実じゃない!!そうだ、夢だ、夢なん……」


 そこで言葉が途切れる。

 ゲオルが放った拳で打ち切られたというのは、言うまでもない。


「今のを受けても、まだ夢だと? だとしたら、貴様の頭にはとうに蛆が湧いているらしい」


 モロに入った一擊。それを受けてもまだ勇者は生きていた。


「いてぇ、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!! 何で痛いんだよ!! 痛くなんてないはずだろ!! 痛みなんて、負けた奴が感じることだろう!! だったらおかしいだろ!! だって俺は勇者なんだ。勝ち組なんだ! 勝者なんだ!! 俺が負けるわけはなくて、死ぬわけもなくて、絶対にかつ存在だろ!! なのになんでこんなことになんだよ!!」


 その言葉に、ゲオルはため息を吐く他なかった。


「愚かしさもここまでくると哀れだな。痛みは負けた奴が感じることだと? その前提がおかしいと気づかないことには、貴様は一生勝つことはできんよ。そもそも、貴様は今まで勝ってきたと思っているが、それこそ大きな間違いだ。貴様はただ、自分が負けていることに気づいていなかった。それだけだ」


 痛みを知らない者は勝者にはなれない。

 負けを知らない者は勝者にはなれない。

 ましてやそれらを知らない者が勇者などと、笑い話にもならない。

 けれど、勇者だと言い張る男は、未だ叫ぶ。


「意味分からねぇこと言ってんじゃねぇ!! そもそもテメェはなんなんだよっ!! あの負け犬のゴミクズ野郎と同じ顔しやがって!! その面で、その声で!! どうして俺の前に現れんだよ!! 俺より弱くて使えなくてどうしようもないゴミの姿で俺にたてつくんじゃねぇ!!」


 痛みからの涙を流し、血を吐きながら、それでも自分は未だあの男よりも強いんだと叫ぶ。


「そして貴様は未だに勘違いをしている」


 その言い分も、もはや腹が立っていた。

 いいや、そもそもだ。

 ゲオルは邂逅一番からこの男に対して怒りを覚えていた。

 その理由は―――。


「ワレは何百年も生きていた。その中で人という存在の在り方を見てきた。裏切り、謀略、憎悪、殺意……そんなものを幾度となく見てきた。そして、何の因果か、ワレが身体を乗っ取った連中はその悪感情によって犠牲になった者ばかりだった。連中の怒り、悲しみ、憎しみ……乗っ取る度にその記憶を見せられた。中にはもっと生きたかったと嘆く者もいた。やり残したことがある者もいた。その嘆きを、苦しみをワレは何度も味わった」


 人を乗っ取るということは、つまりその人間の人生をある意味引き継ぐようなもの。故に記憶というのは嫌でも見てしまうのだ。

 そして、ゲオルが今まで乗っ取ってきた人間達は人に裏切られ、死んだ者が多かった。

 自分が死に直面しているのだ。恐怖を感じることも、憎悪を抱くことも不思議なことではない。むしろ、それが普通なのだ。

 けれども、『彼』は違った。


「だが、この男は―――ジグル・フリドーは違った。奴は己の最期の最後まで、他人を守ることだけを考えていた。自分が死ぬということを前にして、それでもあの小娘を救って欲しいと言った」


 きっと、彼だってもっと生きたかったはずだ。

 きっと、彼だって死にたくなかったはずだ。

 もっと生きてやりたいことがあったはずだ。自分を追い出した連中に文句を言いたかったはずだ。憎悪を抱いていたはずだ。いいや、それ以前にあの時、彼はエレナを置いていけば死ななかったはずなのだ。自分だけ逃げることだってできたはずなのだ。

 けれど、それでも、彼は、ジグル・フリドーはエレナを守り通した。

 そして、死の直前まで彼女を案じていたのだ。

 最後の瞬間まで大切な者のために戦うことができた……勇気を持って立ち向かうことができた。

 その姿に、その有り様に――――――ゲオルは、少しだけ、素晴らしいと感じたのだ。


「『聖剣』に選ばれようと、他の連中に勇者と言われようと、貴様は勇者などではない。本当の勇気を持った者……それは奴だ。断じて貴様などではない。貴様など、ジグル・フリドーの足元にも及ばんわ!!」

「う、うわ、わぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 ゲオルの言葉に、ユウヤは喚き散らしながら特攻する。そこにはもう勇者などという者はいなかった。いるのは、自分の存在を全否定された、哀れな男の姿のみ。

 ユウヤはゲオルの目前に来ると、剣を振り上げ、そのままふり下ろそうとする。『聖剣』の力など何もないそのひとふり。

 そんな一擊にゲオルが後れを取られるわけもなく。


「―――しまいだ、下郎」


 その土手っ腹に最後の拳を放った。 

 それは今までの手加減の一擊ではなく、渾身の力を込めた一擊。衝撃はユウヤの周囲に及び、砂塵が飛び交う中、彼は、そのまま矢のように飛んでいった。

 そうして、その姿が見えなくなる程のところまで吹き飛び、地面へと落ちた。


「千年後に出直してこい」


 その言葉を告げた瞬間。

 世界が光に包まれたのだった。

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