十七話 憤怒の魔術師③
ゲオルの一擊、そして挑発はユウヤに完全に火をつけてしまった。次にどちらかが動けば、戦闘が始まってしまう。
まさに一触即発。そんな中、エレナは何も言葉を出せずにいた。
(ゲオルさん……)
エレナも状況は大体理解していた。そして、ゲオルがかつてない程に怒り心頭であることも。勇者とゲオル、この二人が戦えばただでは済まないことも。
以前、彼女はゲオルがニコに対し、過剰なまでの制裁を加えようとした際、止めに入った。ジグルの身体でそんなことをして欲しくなかったからである。
そして今、ゲオルはジグルが絶対にしないであろうことをしようとしている。正直、勇者の実力が分からないためどうなるかは分からないが、もしもゲオルが勝てば、彼は確実に勇者を殺すだろう。やめさせなければ……その気持ちは確かにあった。それは、一般的な常識からのもの。人が殺されそうになっていれば例えどんな人間であれ止めなければならない……それが良識というものだ。例え自分が非力でも無力でも、エレナはゲオルを止めるべきなのだろう。
しかし、彼女は何も言わなかった。そして、止めに入らかなった。
何故なら。
彼女には止めたくないという理由が別にあった。
「―――何をやっているのっ!!」
だからこそ、ゲオルと勇者の間に割って入ったのはまた別の人物。
突如として現れたのは、ゲオルやエレナも以前に一度会ったことのある少女。
聖槍の使い手である『猛者』のメリサだった。
「貴方たち、一体何をしているのっ!! こんな街中で、大勢の前で!!」
彼女は凄まじい剣幕でルインに対して言う。
「ルインッ。貴方がついていながら、どうしてこんなことになってるのよ」
「す、すみません……」
「あーあー、ルイン、お前は謝らなくていい。お前は悪くないし、無論俺だって悪くない。元凶は目の前にいるクズであって、俺達じゃないんだからな」
ルインをかばうように言うユウヤに、メリサは事情を聞く。
「ユウヤ、説明して頂戴っ」
「説明も何もない。このクズがまた俺にたてついてきやがったんだよっ。この俺を、二度も殴りやがった。赦せるわけがねぇ。勇者に対して、んなことするのは犯罪なんだよ。それにこいつは、魔毒の解毒薬と偽ってここの連中に配ってやがった。『六体の怪物』を倒してる実力もないくせにいきがったこといいやがってよぉ。そのことも含めて今度こそ俺が成敗してやるんだよっ。そうすりゃ、ここの連中もこいつが本当はクズで弱虫で使えないゴミだってことを理解するはずだ。だから邪魔すんじゃねぇ!!」
「……っ」
言われてメリサは理解する。これは、ユウヤが始めたことなのだと。
彼の言っていることは、もうほとんど自分に都合のいいことばかりだ。というか、それしか言っていない。
周りをぐるりと見渡す。その視線は明らかにユウヤに対して敵対心を持つか、または恐怖を覚えているもの。もはやこの場でユウヤに味方する者は自分達以外誰もいないだろう。
(最悪ね……)
半年以上も討伐に赴かない自分達にこの街の人、特に北部の人たちが悪感情を持っていることは知っていた。しかも、この視線。恐らくユウヤがまた余計なことをしたのだろう。いつもなら、彼が怒り散らしてメリサが宥め、後で自分が謝罪することで事なきを得ていたが、今回は反撃されてしまった。それはつまり、自分は勝っていない、とユウヤは思っているのだろう。それに腹を立てているのだ。
加えて、だ。それが目の前の青年ならば、余計なのだろう。
そして、驚くことにジグル……とメリサが思っている青年もまたやる気なのだ。その事がメリサには信じられなかった。前回もそうだが、彼はそんな性格ではない。ましな言い方をすれば温厚、悪く言えば度胸がなかったはず。そんな彼が、ユウヤに対してここまで敵意を向けるなど、考えられなかった。
一体どこからそんな自信が出るのか、彼女には理解不能だった。
しかし、それでも今やるべきことはこの二人を止めることだ。
「だとしても、こんな街中で暴れたら街の人に迷惑が―――」
「なら、街に迷惑がかからない方法をとればいいってことよね?」
そうして現れたのは、三角帽子を被った赤髪の少女。
聖杖を持つ賢人であるアンナが、そこに立っていた。
「アンナ、何を……!?」
「無駄よ、メリサ。そこの二人、どう考えても止めても無駄って雰囲気でしょう? ならやらせるしかないじゃない。安心しなさい。アタシが暴れても大丈夫な場所を作ってあげるわよ。それでいい? ユウヤ」
「俺はここで今すぐに始めたいんだが……まぁいい。聖剣の力を発揮するには、確かにここじゃ不足だな」
「そう。ならいいってことね。じゃあ、そっちの人もそれで構わない?」
「ああ、構わん」
そ、と言うとアンナは懐から一つの水晶を取り出した。
「【取り込め】」
同時、水晶から光が放たれ、二人を襲う。そして、その光が無くなると、先程までいたはずのゲオルと勇者はその場にはもういなかった。
呆然とする一同を他所に、メリサはアンナに詰め寄る。
「アンナ、一体何をしたのっ?」
「難しいことはしてないわよ。二人をこの水晶の中に閉じ込めただけ。これは人を封じ込める魔術道具でね。中は擬似結界が貼っているの。この中は一つの世界。そこでならどんな力を使っても周りに被害が出るおそれはないわ。心おきなく二人で戦えるというわけよ」
「そんな、そんなことをしたら……!!」
ユウヤが聖剣の力を使ってしまう。つまり、それは相手の死を意味する。
聖剣の力が人のものではない。もはや神の領域の代物だ。普通の魔物など相手にならず、百の魔物がいても一刀両断するだろう。『六体の怪物』さえ倒してしまうのだから。
故に人間一人が相手になるわけがないのだ。
それが例え剣術を磨いたものであったとしても。
それが例えかつて勇者に一番近かった男だとしても。
今の勇者はユウヤであり、『聖剣』は彼を資格者として選んだ。
それが全てなのだ。
「落ち着きなさい。何もどちらかが死ぬまで待とう、だなんて言わないわよ。そうなる前に止めに入るわ。大丈夫よ。それより―――」
と言いながら、アンナは歩き出す。その前方にはエレナがいた。咄嗟にニコが前に出ようとするも、エレナはそれを感じ取ったのか、右手で制止しながら、目の前にきているであろうアンナに向かって言う。
「……何ですか」
「警戒されてるわね。安心しなさい。貴方に手を出そうだなんて、思ってないから。ただ―――」
そう言って、彼女は露店の机の上に置いてあった解毒薬の小瓶を手に取る。
「この解毒薬、ちょっと調べてもいいかしら?」
*
そこは一面が砂に覆われた場所だった。
照りつける太陽に、徐々に水分を吸い取っていく空気。そして他には何もなかった。
そこはどこからどう見ても、砂漠のど真ん中だった。
「……結界魔術に擬似魔術か」
相手を取り込み、そして逃さないようにする結界魔術。ここはその空間に擬似的な景色を入れたことにより作られた世界だ。
恐らくはアンナが持っていた水晶の中なのだろう。
ふとゲオルは周りを見る。他には何もないが、しかし納得がいった。彼が見たのは貼られてある術式。それらから考えるに、ここはそこそこ頑丈に作られているらしい。少し暴れた程度では壊れる心配はないだろう。
「んだよ、アンナの奴、こんな砂漠みたいなところに送りやがって。もうちょっと涼しい場所にしろっての」
だが、そんなことは知らないユウヤは仲間の愚痴を零す。
けれども、その顔には笑みが見られた。
「けどまぁ、いいか。ここなら邪魔者はいないし、障害物になるやつもない。テメェが隠れられるところも、逃げれる場所もねぇってわけだ。そして―――こいつを思う存分使える!!」
言うとユウヤは聖剣を両手で掲げた。
「【拘束解除・出力全開】―――!!」
その言葉に呼応するかのように、聖剣が輝きだし、その光はどんどんと大きくなっていく。周りの空気も彼に力を貸すように、集まりだし、緩やかな竜巻がそこにはあった。
これが聖剣の力。
恐らく、あの光は滅びの光。日光などとは違い、触れれば火傷程度では済まない。それどころか、通常の人間ならば、障った瞬間、溶けてしまうだろう。それだけの膨大な魔力。それを彼は今まさに放とうとしているのだ。
確かに、これは尋常ではない。
下級の魔物など、これの前では無意味。中級、上級に至っても、ひとたまりもないだろう。『六体の怪物』もこの光を浴びてしまえば、ただでは済まない。緑のシュバインが致命傷を負った、というのも頷ける。
しかし、今の勇者には大きな弱点があった。
それは、今この瞬間。彼は聖剣に力を溜めている。しかし逆に言えば、それに集中している状態だ。だからそれ以外のことはできないはず。恐らくは、本来彼の周りにはあの少女たちが彼を守る役目にあたっていたのだろう。身動きがとれない彼の代わりに戦い、そしていざとなったらその輝きで倒す。何とも分かり易い戦法だろうか。
けれども、今、彼女たちはいない。
加えていうのなら、ユウヤの周りにはある種の竜巻が起こっているが、ゲオルならばそれを突破することは容易だ。
無防備。正しくその状態だ。
そして、今程彼に一擊を入れる機会はないだろう。
だが。
「……、」
ゲオルは動かない。ただ、その場で拳を握り締めるだけだった。
その姿を見て、勇者は嘲笑を浮かべた。
「あはははははっ!! おいおい、どうした? どーしたぁ? びびって動けなくなっちまったのか? そうだろ? そうなんだろ? つーか、今更遅いんだよ!! 俺をお前が、お前ごときが反抗してくること自体、ありえねぇんだよ!! てめぇみたいなクズが、ゴミが、役立たずが、未だ生きていること自体がおかしいんだよっ!! だっていうのに、お前は俺を二度も殴りやがった。ああ、むかつくむかつくむかつく!! 土下座して謝っても絶対に許さねぇ!!」
もはや本当に自分のことしか言わなくなったユウヤ。
前回、そして先程まではこっちが悪事を働いたから、という理由をつけていたが、それももうない。
彼の中では、自分を殴り、逆らったこと。それが罪であり、殺すべき理由となっている。
……いいや、彼の中ではそもそも『殺す』という解釈ではないのかもしれない。うざったい虫を処理する。その程度にしか思っていないのかもしれない。
「けどまぁ最後の懺悔くらいは聞いてやるよ、ほら言えよ。すみませんでした勇者様、自分は浅はかで愚かでクズでどうしようもない役立たずでしたっ。死んでお詫びしますってなぁ!!」
叫ぶユウヤ。彼の中では敗北するという予感すら最早ないのだろう。自分は絶対勝つ。それが常識。当たり前。自然の摂理。だからどう考えても油断も隙もありすぎる状況なのに、彼は未だ慢心しきっている。
けれど、それでもゲオルは仕掛けない。
ただ、彼に向けて視線を飛ばすだけだった。
何も答えず、何も言い返さない。
ただ向けてくるその視線の瞳はまるでユウヤを恐れていなかった。
そのことが、ユウヤには許せなかった。
「――――――死ね、死ね死ね死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇぇぇぇええええええええええええええええええ!!!」
そうして、放たれる。
黄金の輝きは天から地と下ろされ、そのままゲオルに向かって一直線に進んでいく。砂漠の砂は吹き荒れ、砂塵へと姿を変える。その光景は正しく神話の神々の一擊が放たれた瞬間そのものだった。
もしもこの場に第三者がいれば、ゲオルが負けると思っただろう。いや、負けるどころではない。確実に死ぬと感じたはずだ。
ユウヤは無論、メリサもルインもアンナも、そしてエレナや北部にいる者達でさえ、ゲオルが消滅すると断ずるはずだ。そして、それは間違っていない。
考えてもみろ。触れたら消滅する光の輝き。そんなものを前に魔術も使えない普通の人間が対処できるはずはない。何もできずに、抵抗の意味もなく、ただひたすらに消え去る定め。
けれども、だ。
それは、『普通の人間』の話。
そして問う。ゲオルという人間は普通だろうか?
巨大な魔物を一発で殴り飛ばし、十数メートルの木の上に一飛びで上がることができ、『六体の怪物』の頭を軽々とつぶし、その毒をもらいながらも死傷なく動け、さらにはその技術によって吹き飛ばした男が、果たして普通の人間と言えるだろうか。
答えは言うまでもなく―――否である。
「ふんっ」
一言。そんな言葉を添えながら、ゲオルはその場で拳を前へと突き出した。
瞬間、目前にまで迫っていた光の輝きが、その風圧によって吹き飛んだ。
「……………………………………………………………………………………はぇ?」
顔が笑顔のまま、ユウヤは固まっていた。
聖剣の一擊。それは何者をも消し去る正義の刃。絶対の攻撃。防ぐことも回避することも不可能の一太刀。どんな人間も、どんな魔物も、その前には無力。『六体の怪物』でさえ、致命傷になりうるもの。この世のどんなものよりも凄まじい輝き。
だというのに、だというのに、だというのに!
その一擊が、ただの拳の風圧によってかき消された。
そして、殺したはずの、死んだはずの、目の前の男は未だ悠々とした態度を保っていた。
「何だ、今のが全力か?」
全くもって期待はずれだ、と言わんばかりの口調でゲオルは言う。
そう。ゲオルが無防備なユウヤに攻撃をしかけなかった理由はこれだ。彼はしかけなかったのではなく、しかける必要がなかったのだ。
聖剣の一擊。確かに当たればダメージを負うだろう。触れればゲオルもただでは済まないかもしれない。それだけの威力だった。それは認める。
が、しかしだ。
それも、当たらなければ何の意味もない。
未だ信じられないというバカ面を晒しているユウヤに、ゲオルは続けて言う。
「そらどうした。さっさとやれ。今の程度なら、ワレはあと何発でも撃てるぞ?」
当たり前だろう? と顔に出すゲオル。
その言葉に、ユウヤは顔を真っ赤にしながら憤怒の叫びを上げる。
「テメェ!! 調子にのってんじゃ―――」
刹那、ユウヤの眼前に拳があった。
それを理解したが、けれどもユウヤには避ける手段は無く、そのまま吹き飛ばされていく。だが、それは今までのものとは全く違った一擊であり、くらったユウヤは何十メートルも吹き飛ばされ、十数回、転がり、そして地面に倒れる。
死んでないのが奇跡のような状況。
しかし、それでは終わらない。
続いて彼を襲ったのは脇腹への強打。ゲオルの蹴りが炸裂していた。
そうして、再び、彼は長い距離を吹っ飛んでいく。
口の中は、砂だらけ。身体には激痛が襲いかかっていた。
たった二発。顔面への一擊と脇腹への一擊。それだけで、ユウヤは既にボロボロの状態になっていた。
それでも、剣を地面へと突き刺し、彼は何とか立ち上がる。
……が、その目前には既にゲオルが立っていた。
「何、で……」
「何を驚いている。百メートル程の距離など、簡単につめれるものだろう」
不思議なことなど言っていない……彼の顔にはそう書いてあった。
ここで、この時に、ようやくユウヤは理解する。
目の前にいる男が、自分が知る者ではないということに。ジグル・フリドーではないということに。
だとするのなら、次に出てくるのは当然この言葉。
「お、まえ……誰、だ……?」
ジグル・フリドーではないのなら、あの邪魔者ではないのなら、お前は一体何者なんだ。
ユウヤの当然の、そして自然な問いに対し、ゲオルは一言。
「ただの魔術師だ」
言いながら、彼は拳を握る。
まだ終わらない。終わらせない。この程度では終わらさない。
さぁ、勇者よ、覚悟するがいい。
これより先は、戦いではない。
始まるのは―――ただの一方的な蹂躙なのだから。




