十六話 憤怒の魔術師②
この街に居続ければ、こうなることは分かっていた。
勇者が滞在していることも知っていたし、北部で解毒薬を配っていれば、何かしらの行動を起こしてくることも予測はしていた。
故に、ゲオルが勇者を前にして苛立ちを覚えているのは、予想外なできごと、だからではない。これはいうなれば虫との遭遇。そこにいると分かっていても、目の前に虫が飛んでいれば、誰だっていい顔をするはずがないのと同じだ。
しかも、それが今回は一つではないのだから、尚更だ。
「ユウヤ様から話は聞いていましたが、本当にいるとは思いませんでした」
勇者の隣にいたのは、銀髪碧眼の修道女。彼女をゲオルは識っている。ジグルの記憶の中で、何度もその姿を見たのだから間違えようがない。
聖書の持ち主であり、勇者の仲間の聖人として見られている少女・ルインだ。
こちらを睨みながら、彼女は続けて言う。
「とはいえ、一応挨拶をしておきましょうか。お久しぶりです。ジグルさん。唐突ですが、一つ質問を。……あなたは一体、何をしているのですか?」
その瞳に浮かぶのは憎しみでも怒りでもない。
ただの嫌悪感。まるで気色の悪いものでも見るかのような、そんな目付きだった。
「ここで何を、という意味もありますが、どうして我々の前にいるのか、ということも含めて教えてもらえますか? 戦いから逃げて、わたし達から逃げて、何もできずに去ったあなたが、どうしてここにいるのです? メリサは別の目的があるだろうと行っていましたけど、わたしが思うに、わたし達のもとへ帰ってきたようにしか思えません。どうせ、行くところがなかったから、わたし達のもとに戻りたい、という腹積もりなのでしょう?」
何故そうなる……と言いかけたが、ここは敢えて黙っておく。何やら別な方向へと話が進みそうになっているが、今ここで口を挟めばそれこそ厄介なことになりかねない。
「しかし、はっきり言っておきます。ここにはもう、あなたの帰る場所などありませんよ」
ひどく冷たい言葉。相手を氷柱で殺すような鋭く、冷めた口調。これが普通の人間なら、動揺するか、それとも固まってしまうのだろうが、ゲオルの場合は滑稽としか言い様がなかった。
まず一つ。彼女は人違いをしていることに気がついていない。ジグルに対して言っているのだろうが、これが全くの別人なのだから、ゲオルからしてみれば失笑ものだ。
そして二つ目。そもそもジグルは帰る場所など求めてなどいない。彼が守り、そして帰りたいと思っている場所はもうすでにここにあるのだから。
しかし、そんなことを知らない聖女は言葉を止めない。
「まさかと思いますが、わたし達があなたを再び受け入れるとでも思いましたか? だとするのなら、話になりませんね。あなたは逃げた。使い物にならないとはいえ、使命や誇りを捨てて死ぬのが怖くて一人で逃げたんです。わたし達は別にそれで良かった。あなたのような覚悟も資格もない人間にいつまでいられては困りますからね。だというのに、のうのうと再び現れた。しかも、人々に詐欺まがいなことをして。どんな神経をしてるんですか、貴方は」
侮蔑の篭った言葉に、しかしてゲオルは何も言い返さない。
そんな彼を他所にルインは様子がおかしいと集まってきた人々に対し、言う。
「いいですか、皆さん。彼が売っている解毒薬というのは真っ赤な偽物です。騙されないでください。そこにいる男は皆さんを騙そうとしているペテン師です」
その言葉に一同はざわつく。それはそうだろう。自分達が治ると思って飲んできた薬が実は偽物であると言われれば、それが真実か嘘か分からなければ不安になるというもの。騒々しくなるのも無理はない。とは言うものの、否定すればそれは返って怪しさを増加させてしまうかもしれない。
「でたらめ言うなっ!!」
だが、そんな状況下において、声を荒げて叫んだのはゲオルでも、エレナでもなく、ニコだった。
小さな身体をもって、小さな子供は勇者と聖女に向かっていう。
「ゲオルのどこがペテン師だっていうんだっ。こいつは……この人は、この街の皆を魔毒から助けてくれてるんだぞっ。身体が動かなくなったり、毎日血を吐いたり、熱が下がらなくてずっと寝込んだり……皆、魔毒に苦しんで、苦しんで、中には死んだ人だって大勢いる。そんな皆を助けてくれた人に対して、そんなふざけたことを言うなっ!!」
ニコの叫びに周りの者達は小さく頷いたり、目を閉じ頭を伏していた。言葉には出さないが、皆同じ気持ちだった。
けれど、それを哀れに思うかのようにルインは息を吐く。
「可哀想に……無知というのは時にこれほどまでに残酷なのですね。しかし、神に仕えるものとして、そして勇者様と共にある者として、それを無視することはできません。ですので、お教えしましょう。解毒薬というのは、その元になっている存在の血液などが必要になります。今回の場合では森に住む『六体の怪物』がそれにあたります。この事実が、その男が解毒薬を作れないという証拠になるのです。何故なら、『六体の怪物』はわたし達、勇者一行が持つ『神器』がなければ倒せないのですから」
言いながら、彼女は本らしきものを取り出した。周りが金で縁どられている、白い本。恐らくあれが聖書とよばれるものなのだろう。
「『六体の怪物』から血を採取するということは、それを倒す程の力がなければまず不可能。そして、断言しましょう。そこにいる男……ジグル・フリドーにはそれは絶対にできない。何故なら、彼は『六体の怪物』を倒せなかったことで、わたし達の前から逃げたのですから」
ざわめきが一気にどよめきへと変わる。
「先程、ゲオル、と呼ばれていましたが、その男の本名はジグル・フリドー。口にするのも憚られますが、かつてわたし達と共に戦っていた者です。しかし、あまりにも弱かったせいで『六体の怪物』に歯が立たず、そして逃げ出した、臆病者です。まぁそもそもこの者がわたし達と共に旅をするということ自体がおかしな話でした。恐らくは、国王や大臣に裏から手を回したのでしょう。愚かなことです」
ありもしないことをつらつらと並べるルイン。ジグルの記憶からしても、そんなことは全く無かった。むしろ、『神器』に選ばれなかった自分がどうして一緒に旅をすることになったのか、彼自身驚いていたのだ。
だが、真実がどうであれ、事実というのは勝手に変わるものだ。今、彼女が口にしたことを周りの連中が信じれば、それが事実となるのだ。
「けれども、愚かな考えはやはり愚かな結果しか生まなかった。彼は我々の旅についてこれず、最終的には勝手に抜け出した。彼は使命を放棄したのです。『六体の怪物』、そして魔王。それらを倒し、世界に平和をもたらすということを、この男は投げ出し、わたし達を裏切った。彼は、そんな最低の人間なのです。信じてはいけません」
まるで神の教えを説くような口調でルインは言う。
この場合、ルインの聖人という立場が強かった。聖人。それは勇者と共に歩む聖なる人。神に祈り、神の加護を受ける聖職者の中でも最上位にくらいつくほどの人間だ。そんな彼女が、この男は間違っていると公然の前で断言した。そして、一方のゲオルはこの街の者からすれば、ただの流れ人。名も知らない魔術師にすぎない。例えどれほどの実力があっても、例えどれほどの偉業を成していたとしても、それを知らなければただの一人の人間にすぎないのだ。
聖人と人間。どちらの言葉を人々が聞くかなど、言うまでもないだろう。
「まぁそういうこった。そういうわけで、皆、自分の持ってる薬は全部捨ててくれ。そいつは紛れもない偽物だからな。安心しろ、俺がちゃんとこいつを成敗してやるか―――」
「ちょっと待ってくれんかのうぉ」
と、ユウヤの言葉を遮ったのは掠れた声の老人。
自分の言葉を遮られたのが気に障ったのか、ユウヤは「あぁ?」と言いながら、老人の方へと向く。
「何だよ、爺さん。俺、今喋ってんだけど。大事な話だから邪魔を―――」
「いやいや。まぁ聞け、若いの。一つお主らに聞きたいことがあるのじゃ」
「聞きたいこと、ですか? 何でしょうか」
苛立つユウヤに代わってルインが老人に訊ねる。
「いやのぉ。儂はつい先日、そこの者から薬を貰って飲んだんじゃが、これがよく効いてのう。この前までは全く動かんかった身体が今では歩けるようにまでなったんじゃ。他にも儂の知り合いも薬を飲んでいい方向にいっている者が多い。だというのに、お主らはそれが偽物だというのかのう?」
「それは、恐らく一時的なものです。誤魔化しの薬や麻酔などによって黙れているだけです。残念なことですが、完全には治っていません」
「では聞くがのう。その証拠は、どこにある?」
老人の言葉にルインは「え?」とまるで予想だにしなかったかのような声を出していた。
「さっきから『六体の怪物』だの、この者が弱いだのといっているが、正直それが証拠になるとは儂には思えなくてのう。全てお主らの想像じゃろう? 恐らくだの、でしょうだの、としか言っておらんではないか。それに比べて、あの者の薬はこうして儂らの身体を治してくれておる。どちらを信じるかなど、これ以上分かるものはないのう」
「ですから、それは騙されているのです。あの男は皆さんから薬代をだまし取ろうと考えて……」
「薬代? そんなもん儂らは払っとらんよ。あの者はそんな見返りなど、儂らに求めてきてはおらん。考え違いはそこまでにしておいたほうがよいぞ」
ルインの言葉を老人は鋭い剣でつくかのように否定していく。
そして彼女が何も言い返さなくなった後、はぁ、とため息をつき。
「大体のう……てめぇら、よくもまぁ平然と儂らの前に来れたもんだな?」
口調が変わる。
同時、空気が、雰囲気が変わった。
先程までの温厚そうなものとは打って変わって、憤怒に燃え盛るかのような熾烈な言葉にルインは言葉を詰まらせていた。
「お、じいさん……?」
「てめぇら、自分達が何をやったか……いいや、何をやらなかったのか、まさか覚えてねぇとは言わせねぇぞ? 儂らが助けを求めた時、てめぇらは儂らを見捨てた。助けるどころか、手を貸してさえくれなかった。それで大勢の奴が死んで、それでも踏ん張って森から戻ってきた奴らにてめぇらは何と言った? 無駄死にといいやがった。そう―――重傷を負いながらも、森の様子を伝えようとした儂の息子になっ」
その事実に、ルインは身体を強ばらせた。
いや、その事実にもそうだが、目の前にいる老人に対し、彼女は明らかに恐怖を覚えていたのだ。
「苦しんでいる連中を放っておいて何が勇者だっ。死にかけの人間に無駄死にだなんて言う奴なんか、勇者じゃねぇ!! てめぇら、さっきからあの人のことを詐欺師だペテン師だ臆病者だって言ってるがな、そりゃてめぇらのことだよっ。鏡見てこいっ。そこにはバカ面晒したロクデナシが映ってるはずだからなっ」
ドンッ、と老人は自ら持っていた杖で地面を鳴らす。
「あの人が昔どんな人間だったのか、儂らは興味はないし、関係がない。儂らにとって、あの人は気難しそうに怒鳴るただの恩人、それだけだっ。面倒臭そうにしながら、迷惑そうにしながら、それでも儂らを見てくれた、救ってくれた恩人を貶すこと言ってんじゃねぇ!! 頭カチ割るぞ!!」
老人の言葉に一瞬、周りは沈黙する。が、すぐに周りの連中もその言葉に乗じるかのように口を開き始めた。そうだそうだ、と皆が揃って言葉を告げる。自分達を助けてくれたのはその人で、お前らじゃない、と。今更でしゃばってくるな、と。さっさと帰れ、と。
その熱が頂点に達そうとしたその時。
「うるせぇよ、ジジイ」
凶刃が老人の腹部を貫いた。
「っ!? お爺さんっ!!」
とっさに駆け寄ったのはニコだった。それに続くかのように、他の者も集まっていく。どうやら傷は浅いようで、男手によって医者のところに運ばれていった。
そのあまりにも唐突且つ愚行に対し、ルインも目を丸くさせていた。
「ユウヤ様、何を……!!」
「? 何をって、何だかよく分からないことを喚いていたから成敗したんだよ。こいつ、マジうざかったよね、ほんと。まるで俺達が悪者みたいな言い方して。逆だっての。俺達は正義。あのゴミクズを成敗しに来たんだっての。それをかばうようなことを言うんだから、こいつも同罪だよな」
「え……ええ。そうですね。悲しいことですが」
「別に悲しむことはねぇだろ。さて、さっさと本題に入ろう。あいつを倒してあの可愛い女の子も助けなきゃいけ―――」
そこから先の言葉はない。
何故なら、ゲオルの一擊が、その頬を殴りつけたのだから。
「がっ―――」
ユウヤは吹き飛んではいかない。ゲオルは殴った直後、方向転換し、地面に叩きつけるように殴ったのだ。
それでも威力が強かったのか、その場から何度か転がっていった。
しかし、気絶はしていない。いいや、させなかった。
「……証明してやる」
「……?」
いきなりのことで、ルインは未だ目を丸くさせていた。
そんな彼女に苛立ちを隠さないまま、ゲオルは続けて言う。
「証明してやるといっている。貴様らはワレが弱いから『六体の怪物』の血など手に入れることができないというのだろう? ならば、強さを証明すれば問題はないということだ」
ゲオルは苛立っていた。この上なく、憤りを感じていた。
それは自分の前に蠅がたかっていることだ。鬱陶しい虫が再びやってきた。二度目だ。ならば、もう三度目がないように叩き潰さなければならない。加えていうのなら、自分の強さを証明し、『六体の怪物』を倒せるという証明もしなければならない。
それだけだ。
たったそれだけだ。
だから……目の前で自分を恩人だと言ってくれた老人を斬ったことへの怒りでは断じてない。
「テメェ、テメェ、テメェ!! また俺を殴りやがったな、ふざけ―――」
「ムシが喚くな鬱陶しい」
拳を鳴らしながら、ゲオルは告げる。
もしもこんな時、ジグル・フリドーならどうしただろうか? 彼ならもしかすれば、もっと穏便に解決するかもしれない。別の方法を考えるかもしれない。
だが、生憎とここにいるのはジグルではない。
「御託はいいから、さっさとかかってこい。ゴミ」
それ故に―――もう我慢をするつもりは毛頭なかった。




