序 ジグル・フリドー①
いつか勇者に僕はなる。
それが彼――ジグル・フリドーの昔からの口癖だった。
貴族の三男坊として育った彼はそんな馬鹿げたことを夢見て生きてきた。馬鹿だ阿呆だと言われ続けたが、それでも勇者の修行として、毎日のように剣を振るっていた。
分かっていた。自分みたいな貴族の三男坊が勇者になれないなんてことは。
理解していた。どれだけ努力したところで、そもそも勇者など必要ではないことは。
だからこそ、だ。
あの『魔王出現』の知らせが来たときが、自分の運命の日だったのだろう。
魔王。古くから伝わる巨悪の根源。
最近魔物の活動活発化の原因が、魔王が人間を滅ぼそうとしているため、という調べがついたらしい。
故に魔王討伐のメンバーを王国は募った。そして、その中から選ばれし四人を決める、と。
無論、ジグルもその討伐メンバーに入るべく志願した。家の者はそれをあっけからんと承諾した。元々ジグルを面倒な存在としか見ていなかったためか、いなくなってせいせいする、と思っているのだろう。
だが、それでも構わなかった。
ジグルは集まった志願者の中でも優秀な部類だった。魔術は少し乏しいが、それを補う剣技が彼にはあったからだ。
志願者の中で様々な試験が行われ、次々と脱落していく中でも彼は残っていった。やがて、一番勇者になれるであろう男として見られるようになった。
嬉しかった。今まで彼は期待されるということがなかったから。自分が今までしてきたことは無駄ではない。そう思えるようになったから。
自分も役立てる。誰かのために何かをできる。いいや、やってみせる。
今までにない自信を持ち始めていたのだ。
だからこそ。
「異世界より召喚されし『タツミ ユウヤ』を聖剣が認めし勇者とする!」
その言葉は、彼を今までにない絶望の底へと陥れたのだった。
*
「ジグル。今日からお前をこのパーティーから外す」
唐突な解雇通告。
魔王を倒す旅を初めて約半年。かの王を守護する六人の怪物の一体・『緑のシュバイン』を相手にボロボロになりながらも、辛くも勝利を収めた。その日の夜、近くの街で祝勝会と称した祭りが行われた。人々は怪物がいなくなったことで喜びを分かち合っていた。歌って踊って飲んで騒いで……和気あいあいとする空気の片隅、宿屋の裏路地で、ジグルはそう言われた。
その人物の名はタツミユウヤ。
このパーティーのリーダーにして、異世界から召喚された今代の勇者である。
「……理由を聞いても?」
「おいおい。わざわざ俺にそれを言わせるのか。とぼけるのも大概にしろよ」
イラついた声音でユウヤは続ける。
「ならはっきり言わせてもらうぜ。お前は使えない、足手まといだ。今まで何度も思ってきたが、今回の戦いでもう言わざるを得なくなった」
「……僕が何かミスをしたか」
「ミス? そんなものはない。お前の剣は凄いさ。魔法はあんまりだが、そんじょそこらの雑魚より毛が一本生えた程度は実力がある」
上から目線な言葉に、しかしてジグルは何も言わない。
ただ黙って続きを聞くだけだった。
「だが、それが通じるのも今日までだ。どれだけ努力してもお前は『神器』を使えない。俺達と違って資格がないんだよ。そして『神器』がなけりゃ意味がないってのは今日の戦いでよくわかっただろうが」
『神器』。それは魔王が復活すると言い残したため、次の勇者とその仲間に与えられた神の武器。その力は絶大であり、武器に選ばれた者はそれを手にするだけで常人を遥かに超える力を行使することができる。そして、その数は全部で四つ。
一つは魔王を倒す素質があると選ばれた勇者の「聖剣」
一つはそんな勇者を支える右腕である猛者の「聖槍」
一つは神に仕える修道女から選ばれる聖者の「聖書」
一つは魔術を極め叡智を求める賢者の「聖杖」
そんな四人の選ばれし者達から構成されるのが勇者のパーティー。
そして、ジグルはそのどれにも当てはまらない、単なるオマケであった。
「前は勇者に一番近かった男だとか何だと言われてたらしいけどよ、それももう昔の話だ。何せ、勇者はこの俺だからな。もしかしたら何かの役に立つかもって王様とかが言ってたから連れてきてたけどよ、今日の戦いはないわ。お前の攻撃、全然効いてなかったじゃん」
それは否定できない。
ジグルの攻撃は全く効いてない……わけではなかったが、しかしそれも僅かなものであることは変わりない。いうなれば、人間で言うところのアリに一噛みされた程度のダメージしか与えていなかった。
逆にユウヤ達、勇者の『神器』による攻撃は怪物に絶大な一擊を与え、それが勝因となったのは事実だった。
「今までは雑魚敵相手とか牽制とかに使えてたけどよ、もうそれも俺らには必要ねぇわけ。お前に頼らなくてもその程度の仕事はこなせる。それより、一番重要な場面で使い物にならねぇって、流石にないだろ」
「それは……」
「他の連中も皆ウザがってんだぜ? ルインはお前が怪我するとすぐに治さなくちゃいけないから面倒だって愚痴ってたし、アンナは魔術の才能があれば支援とかで使えたかもしれないけど、才能ないから使い道がないって言ってたな。メリサに関しちゃかつてのライバルがあの程度だったなんてって呆れてたよ。でもあいつら、優しいから。可哀想なお前に役立たずだって言えないんだよ。だから俺が代表として言ってんだよ」
聖者のルイン、賢者のアンナ、そしてかつて一緒に勇者を目指した猛者のメリサ。
全員がそんなことを言っていたなど思いたくはない。だが、陰でそう言われてもおかしくない状況であることは確かだった。
自分には剣しかない。それだけだった。それさえあれば、努力次第で勇者になれると思った。それを評価された時期も確かにあった。
だが、ダメだ。努力や才能とかではなく、ジグルには資格がなかったのだ。そして、異世界から召喚されたユウヤにはそれがあった。ただそれだけの話なのだ。
反論も反発もできない。
それ故に頭によぎる言葉はただ一つ。
ここが、潮時か。
「……僕はパーティーにとってお荷物で邪魔者だと。だからさっさと出ていけと」
「おいおい。それじゃあまるで俺達が悪者みたいじゃねぇか。違うだろ? お前が役立たずでどうしようもない奴だからここで降りる。そうだろう?」
なるほど。ユウヤはあくまでジグルが自分の意思で出ていくことを望んでいるのか。
オマケであり予備だったとしても一応ここまで一緒に旅をしてきたのだ。それを追い出したとなれば、仲間内で空気が悪くなるとでも思っているのだろう。いや、もしかすれば魔王を倒した後で妙な汚点を残さないようにするためか。
どちらにしても、ジグルにはもう関係ないことだが。
「分かった。明日の朝一にでもこの街を……」
「いいや、今晩、今すぐに出ていけ。祭りの最中にお前をみかけちゃ料理も酒もまずくなるからな」
「……ああ。ならそうしよう」
ユウヤの言葉に頷きながら了承する。
そして、支度をするために宿の中へと戻ろうとするが。
「ああ、そうだ」
そこでユウヤが呼び止めた。
「他の連中に、挨拶とかいいから。っていうか、そんな余計なことすんなよ? 今日は祭りなんだ。お前のせいであいつらの顔が暗くなるのは嫌なんでね」
「…………ああ、分かってる」
そう言い残し、ジグルは勇者を背にして去っていく。一瞬だけ、ユウヤの背中を見たが、すぐに踵を返して部屋へと向かった。
そこにはかつて目指した光などなく、ただあるのは傲慢な欲望の塊だけだった。
*
ユウヤに言われた通り、ジグルは他の仲間に挨拶をするつもりはなかった。というより、彼に指摘されるまでもなく、そんなつもりはさらさらなかった。
彼女たちにとってみれば、自分が邪魔者でしかないのは薄々気がついていたのだ。特にルインとアンナ。彼女たちはユウヤに好意を寄せている。彼とふたりっきりになるため、ジグルに雑用を押し付けてるのはしょっちゅうだったし、会話するときもどことなく相手にされていないのは気づいていた。
メリサに関しては会う度にどこか不機嫌であり、情けないと言わんばかりな視線を向けてきていた。以前は一緒に剣と槍を交えて高めあっていたというのに、最早その陰もない。
だから。
「……何してんのよ、アンタ」
だから、荷物をまとめている時にメリサに会った時は正直戸惑ってしまった。
桃色の長い髪を後ろで二つにまとめている少女はこちらを見ながら怪訝な表情を浮かべている。
「まさか、パーティーから出ていくの?」
「……そういうことになるかな」
言葉を濁しながら答える。
正直、ルインやアンナよりも一番付き合いが長いため、一番会わずにいたい人物だった。
「ふーん……そうなんだ。逃げるんだ」
冷たい言葉がジグルの心を抉る。
ぎゅっと握りこぶしを作るも、それをどうこうすることなく、すぐさま力を緩ませた。
返事をしないジグルに対し、メリサは大きく溜息を吐いた。
「本当、アンタには失望したわ。以前のアンタなら仲間を見捨てて逃げるなんてしなかった。そんな卑怯者じゃなかったわ」
仲間を見捨てて逃げる……彼女からしてみればそうなのだろう。
ユウヤに色々と言われたとか、『神器』を扱えないとか、そんなものただの言い訳だ。自分は弱いからここから去る……その事実だけで相手から逃げていると言われてもしょうがないだろう。実際、彼女たちはこれからも魔王を倒す旅を続けるのだ。自分がいなくなっても大した戦力低下にはならないだろうが、道は困難を極めるだろうし、数が減るというのはそれだけで精神的ダメージがある。
それが例え使えない男だったとしても、だ。
「……すまない」
だからジグルはそれを否定しない。ただ事実として受け入れ、謝罪するしかなかった。
言い訳などこの期に及んで不要。共に戦ってきた彼女に、そんなみっともない姿は見せたくはなかった。ジグルの言葉に少女の顔はますますイラだちが増したかのような様子をみせた。
「ま、今のアンタが邪魔なのは確かだし、別にいいけど。それにアンタがいなくなっても、私たちにはユウヤがいるし。彼、気分屋でお調子者だし、気は強いけど、アンタと違っていざという時は守ってくれるしね。ホント、アンタじゃなくて彼が勇者に選ばれて良かったわ」
「……、」
「何してるのよ。ほら、さっさと出て行ったら? ルインやアンナが来ると小言を言われるわよ」
「そうだな。そうするよ」
言うと既にまとめてあった荷物を背負い、部屋を出て行こうとする。
別に気休めの言葉が欲しかったわけではなかった。
別に別れを惜しんで悲しんで欲しいわけではなかった。
ただそれでも。それでも、だ。
彼女の中で自分という人間がその程度の存在だったことが、少し、ほんの少しだけ哀しかった。
部屋の入口で彼女とすれ違い、そのまま階段を降りようとした。
と、そこで一瞬、ジグルの足が止まる。
「メリサ」
「もう何? 未練がましいわよ。さっさと―――」
「今までありがとう。身体には気をつけて」
それだけ言うと今度こそジグルはその場を去った。
外に出ると街は祭りの灯りで照らされていた。大通りは人混みであふれ、その隅をまるで隠れるかのように歩いていく。
その光は、勇者達を称えるものであり、自分へ送られたものではないと再確認しながら、日陰者のお荷物は街を去っていったのだった。