十二話 魔毒の森④
奇妙な男が去った後、ゲオルはシュランゲの身体から部位を剥ぎ取っていった。特にその血を集めて大きめのビンに詰めていく。
それに対して思わずエレナは質問した。
「剥ぎ取ったものや血は何に使うんですか?」
「決まっているだろう。研究のためだ。魔術が使えなくとも薬を作ることはできるからな。持っていて無駄になることはない」
ゲオルは魔術師だ。魔術師とは、魔術を極めることを生きがいとすることが多い。しかし、それは強い呪文を自分のものにする、というものではない。未知の呪文、誰も造ったことがない薬を作るのも彼らの目的の一つでもあるわけだ。
だからこそ、ゲオルからしてみれば『六体の怪物』の一体の死骸をはぎ取れるというのはこの上なく幸運なことなのである。
目的は別にあるとしても、もらっておけるものはもらっておく。
とはいえ、流石に無限にはぎ取れるわけでもなく、ある程度採取できたら、二人はそのまま館へと向かった。
「それにしても、さっきの人は何だったのでしょうか」
「ただの通りすがり……ならば問題はないが、そうではないようだ」
「? どういう意味ですか?」
「先程も言ったが、奴は分身魔術を使っていた。確かにあれは相当緻密に作られた分身だった。だが、分身は分身、あくまで仮の姿だ。故にその状態で発揮できる力など本来の半分にも満たないはず。加えて奴はどう見ても一人だった。そんな状態で『六体の怪物』から部位を取り出そうと思うか?」
「言われてみれば……」
「さらに、だ。奴は目的と言っていた『六体の怪物』の死骸がそこにあるにも拘らず、牙しか持っていかなかった。これは魔術師としては有り得ないことだ」
『六体の怪物』は魔術師からしてみれば宝に相当するものだ。それが、死体となって前にあるというのなら、それに手を出さないわけがない。例え他人の手柄によるもので遠慮があったとしても、牙一つで満足するわけがないのだ。
「では、ゲオルさんはあの人の目的は別にあったと?」
「あの反応はどう考えてもそうだろう。牙一つを持っていったのも、そういった体を装うためとしか思えん」
「なら、あの人の目的は一体……」
「知らん。興味もない。例え分かったとしてもワレらとは関係ないことだ。これ以上考えても無駄というもの。それよりもさっさと向かうぞ。紫のシュランゲはいなくなったが、他の魔物がいないとは限らないからな」
言うとゲオルは歩く速度を早め、それにエレナは付いていった。
*
変わっていない。
それがゲオルがみた屋敷の感想だった。
白を基調とした屋敷は二階建てであり、装飾はあまり凝っていなかった。もしも貴族がこれを見れば、これを屋敷というにはあまりにも雑な作りだと言うだろう。庭も小さく、放置されていたせいか、草が多く生えており、庭と呼べる代物ではなかった。
廃館……そう呼ぶにふさわしくなっている自らの屋敷を見て、ゲオルは言う。
「さて、ついたぞ小娘。貴様のご所望の我が屋敷だ……とは言っても、見えない貴様に言っても無駄か。まぁ取り敢えず中に入るとしよう」
言うとゲオル達は中庭を通り、屋敷の扉へとたどり着く。入口の扉は大きく、ゲオルの二倍は高さがあった。そんな扉を開き、ゲオル達は中へと入る。
途端、見えたのは中央にある階段。そして、一階部分に当たる場所に陳列する奇妙な石像。それらは一つ一つが生き物……魔物を模したものだった。特徴的な部分はそれくらいであり、あとは特筆するべき部分はなかった。
無論、この光景はエレナには見えてないはずなのだが。
「ゲオルさん。どうしてでしょうね。見えてなくても殺風景、というか奇妙な光景だと感じ取れてしまうのは」
いつも思うが、この少女の第六感はなぜにこんなにまで鋭いのか。
もしかして目が見えているのか? と思うのだが、包帯を眼で巻いているのでそれはない。ないはずなのだが。
「それに……こほっ、こほっ……埃だらけですね」
「五十年放置していたからな。埃も溜まって当然だろう。まっ、この程度なら問題はない。ゴミや研究材料の山があるわけでもないしな」
「……今の発言でゲオルさんの清潔感を信用してはいけないというのはよく分かりました」
はぁ、と大きなため息を吐くエレナは呆れた様子だった。対してゲオルも反論しようとしたが、何を言ったところで墓穴を掘るのは目に見えていたため、敢えて会話を逸らす。
「そんなことよりも、だ。さぁどうする? ワレはここまで連れてきた。あとは貴様が指示しろ」
元々ここにきたのは、エレナが何か手がかりがあるかもしれないと言ったからだ。無論、手伝いはするが、それはあくまでエレナの指示の下でだ。そもそも、ゲオルはこの屋敷の中で手がかりがないかは事前に調べているわけであり、そんな自分がもう一度探したところで何か見つかるとは思えない。
故に別視点からの意見ならば、あるいは、ということもある。
「取り敢えず、屋敷を一通り案内してもらってもいいですか?」
その言葉はゲオルの予想通りであり、了承しながら屋敷の中を案内していく。
屋敷……とは言っても、そこまで部屋は無く、大きくもない。何せ、当初ここには一つの小屋しか建っていなかった。魔術の研究の場が必要だっただけで、小屋一つで十分だと思っていたのだが、必要になる素材や魔術を行う実験場などが必要となっていき、次第に小屋で広さが足りないということでこの屋敷が作られた。それでも普通の貴族が住んでいる屋敷のおよそ半分程度しかないだろう。
部屋はそのほとんどが本の置き場となっているか、魔術の実験場になっているかのどちらかだ。一室だけ寝室のような場所もあるが、しかしその部屋にも本が大量に置かれてあり、他の部屋と大差は無かった。無論、本には埃がたまってあり、一冊取り出し開いただけでも埃が舞う。そんな部屋を一つずつ案内し、エレナの気になる場所をゲオルは何かないか探していった。流石に第六感がいいとはいっても、目が見えない事実はどうしようもない。故にゲオルがその代わりとなるのは面倒ではあるが、当然のことだった。だからといって手を抜くことはない。
むしろ、色々と懐かしいものをゲオルは見つけていった。
例えば、実験場として使っていた場所の机の上。そこにあった瓶、その中にあった紅い石を見て「ほう」と呟いた。
「何だ、こんなところにまだあったのか」
「? 何かあったんですか?」
「ああ。昔作った魔道具だ。名前を『爆石』といってな。衝撃を与えると爆発する仕組みになっているのだ。これの特徴的なところは魔術師でなくとも使える点だ。とはいえ、大きな欠点があって使い物にならないと分かった」
「欠点、ですか?」
「衝撃を与えると爆発する、という点が難問でな。ちょっとした振動でもすぐに起動してしまう。故に特殊な瓶に入れておかなければすぐに爆発してしまう。その割りには威力が大きすぎてな。これのおかげで何度部屋が吹っ飛んだか」
「吹っ飛んだんですね……」
「実験には失敗はつきものだ。ま、流石に今のこの屋敷で爆発は避けたいがな。何せ、これ以外にも一度起動すれば周囲のものを巻き込む威力のものが山のようにある。その中の一つでも起動すれば部屋どころか、この屋敷が吹き飛ぶ。貴様も気をつけろ」
この言葉にエレナが絶句したのは言うまでもないだろう。
魔術というものについて、エレナは詳しくはない。だが、こんな危険なものを部屋の机の上に放置しておくなど正気の沙汰ではない。しかもそれは一つではないという。屋敷中にあり、起動しなければ問題はないというが、しかしそんな危険なものならばもっと別の場所に置いておくとか、何か処置はあるだろう、と思ってしまうのは恐らく当然だと思える。
何よりも驚きなのは、そんなことになってもこの男は未だ死んではいないという事実。いや、死んでないからこそ危ない目にあっても懲りないのだろう。
だからこそ、今更それを指摘したところで直るとも思えない。
エレナは取り敢えず今は手がかりを探すことに専念した。
それでもやはり、というべきか。手がかりになりそうなものは何も出てこなかった。
「さて、次はどこに行く?」
「あの……ゲオルさんの身体があった場所へお願いします」
分かった、と言ってゲオルは一階の一室に案内した。
そこもまた実験場だった。だが、その部屋は他の部屋と違って何十もの鍵がかかってあり、ドアも分厚い。また窓は無く、出入り口は廊下につながるドア一つだけだった。
部屋の中央には棺桶が用意されており、その下には魔法陣のようなものが描かれている。しかし、魔法陣はところどころが消されており、完全ではなかった。
「ここにゲオルさんの身体が?」
「ああ。中央に棺桶が置いてあってな。その中に安置してあった。無論、棺桶にはワレ以外には開けられないよう魔術をかけてあった。そして棺桶そのものに近づけないよう結界も重ねがけした上でな。加えてドアにも鍵を四つ程かけた上で同じ様に魔術で開かないようにしてあった」
鍵を四つしてあるだけでも本来なら侵入不可能。その上で施錠魔術をかけていたため、部屋に入ることすら無理なはずだった。
にもかかわらず、犯人はドアを破り、結界を崩し、棺桶を開けてゲオルの身体を盗んでいったのだ。
「ドアの鍵は開けられていたんですか?」
「開けられた、というよりもあれは壊されたと言うべきだろうな。何せドアごと吹き飛んでいたからな。無理やりこじ開けたんだろう。結界や棺桶に関してもそうだ。まるで絡まった紐を力ずくでひっぱったかのようなやり口だった。それだけ魔術師としての力が強く、魔力もあったということだが……全く、あんなやり方では身体が傷つくかもしれないというのに」
「身体が傷つくかもしれない、ですか……」
ゲオルの言葉が何かひっかかったのか、エレナは言葉を繰り返した。
「? 何かひっかかることでもあるのか」
「いえ……その前にゲオルさん。聞きたいことがあるんですが、もしもゲオルさんが同じように結界や魔術を解くとしたらどうします?」
「どうするかだと? 決まっている。ワレにとって結界や魔術を解くなどと赤子の手をひねるようなものだ。無論、中身を壊さず丁寧に解除する。尤も今は魔術を使わないためやらないが……」
「では、ここにあった魔術や結界は簡単に解けるものでしたか?」
「貴様、ワレに喧嘩を売っているのか? ワレの魔術や結界を解けるものが早々いてたまるか」
別段、ゲオルよりも上の魔術師がいないわけではない。いかな彼でもそこまで自惚れてはいない。
だが、自分の魔術においては絶対の自信があり、それこそどこの馬の骨ともしれない輩に解除されるということはないと断じている。
だからこそ、ゲオルは当時有名であった魔術師の下へと向かった。自分の魔術を解けるであろう連中を探し回り、会いにいった。当然、身体を盗んだかもしれないという疑いがあったため、邂逅の時はあまり良い出会いがなかったのは今でも覚えている。中には別の誤解から殺し合いにまでなったこともあった。
それでも生き残ってはいるものの、身体は見つからず、今に至るわけだ。
などと昔のことを思い出していると、エレナがポツリと言葉を零した。
「あの……もしかしてなんですけど、ゲオルさんの身体を盗んだ人物は焦っていたんじゃないでしょうか」
「焦っていた? 何故分かる」
「だって目的の身体が傷つくかもしれないというのに力技でことに及んだってことは、それだけ時間がなかったということです。そしてその理由として考えられるのは、自分が死にそうになっているか、あるいは知り合いが瀕死になっているか……どちらにしろ、犯人にはもう猶予がなかった。だから例え身体が傷つく可能性があってとしても力ずくでやる他なかった」
言われてみれば確かにその通りである。
ゲオルの身体を研究対象が何かで持ち帰るのが目的ならば、わざわざ身体を傷つけるかもしれないやり方はしない。だとするのなら、今すぐにでもゲオルの身体が欲しかったと考えるのは自然なことだ。そして、その理由としてもエレナがあげたものはしっくりくる。
「つまり、犯人は当時自分、または知り合いが瀕死の状態であり、身体が必要だった者、ということか」
「そしてゲオルさんの魔術を突破できる実力のある魔術師、ということです」
だとするのなら、それこそ数が絞り込められるだろう。
けれど、だからこそ分からない。
当時、ゲオルを超える魔術師は何人かいた。だが、その全員には全て会いに行っており、色々あったが全員犯人ではないことは分かっている。これは絶対だ。ならば、ゲオルの知らない力のある魔術師、ということになるが、そもそもそれだけの実力者ならば世間に知れ渡っていてもおかしくはないはず。特にゲオルは当時、そういった噂を調べて回っていて、全てハズレだった。
だとしたら。
「一体、誰が……」
限られているはずなのに、一向に分からない。何百年も前の話ではあるが、当時の名のある魔術師は全て覚えている。けれど、その誰にも当てはまらない。絞れば絞るほど、犯人がその中にはいないと告げているのだ。
かつての疑念が再び思い出された、その時である。
「っ!! ゲオルさん!!」
「何だ、今昔のことをだな……」
「何か来ますっ!!」
何だそれは、とゲオルが口にする前に。
古びた屋敷に奇妙な衝撃が走ったのだった。