十三話 最後の魔術人形②
先代勇者。
その存在がいることは、ゲオルも知ってはいた。何せ、彼は六百年前、つまりは先代が魔王討伐をしていた時も、生きていたのだから。
しかし、だ。その詳細な情報は全くと言っていいほど、聞いたことがなかかった。
曰く、最強。曰く、天才。曰く、『六体の怪物』を倒し、魔王を滅ぼした存在。それくらいのことしか、耳に入ってこなかった。元々、『六体の怪物』は別として、勇者や魔王に関しては全く興味がなかったため、当時はそこまで調べることはしなかったのだ。故に、名前どころか、性別が女であることすら、今初めて知ったくらいだ。
それが、ここに来て関わってくると、誰が予想できただろうか。
「……貴様の話が本当だとして、それが何の関係があるというのだ?」
「その疑問は尤もです。が、それがですねぇ、大いに関係してくることなのですよ」
不敵な笑みを浮かべるエドに、苛立ちを覚えるゲオル。しかし、今はそんな彼の話を聞くこと以外に選択肢はなかったため、黙って続きを聞くことにした。
「知っての通り、先代勇者は魔王討伐を成功させました。とはいっても、魂までを完全に滅ぼすことはできませんでしたが、それでも魔王を倒したというのは事実。そんな彼女は晴れて、世界を救った英雄として称えられる……はずでした」
そう、はずだった。
しかし、結果はそうはならなかったのだ。
ゲオルは先代勇者について、調べることはしなかった。しかし、それでも魔王を倒した存在ともなれば、嫌でも耳に入ってくるというもの。それが、何の情報もなく、ただ魔王を倒したという事実のみが一人歩きしているだけ、というのは明らかに不自然と言わざるを得ない。
「先代勇者に、一体何があったのですか?」
「ふふっ。お嬢さん、気になりますかぁ? しかし、すみません。その点については、お教えすることができないのです。先に申し上げておきますが、これはワタシがふざけているとか、そういうことではありません。ちょっとした誓約がありましてね。彼女に何があったのか、その詳細を他人に告げることはできないのです。ただ、言えるのは彼女の名前、そして彼女が何もかも失い、ここで命尽きたという事実だけなのです」
何だそれは、とゲオルは思わず口にしそうになった。
先代勇者は女で、魔王を倒したが、何かがあって、この塔にて死んでしまった。
こんな事実を信じろと言われて、はいそうですかと納得できるわけがない。
「そんな戯言を信じろと?」
「えぇ、そうです。戯言だと想われるのは仕方のないことですが、それが事実なので」
怪訝な表情を浮かべながら、ゲオルは考える。
先代勇者になにがあったのか、そこが重要なことであるのは間違いない。だが、これ以上その点について、追求したところで意味はないとも理解できた。
誓約。それは魔術による絶対命令。かけられたものは、誓約を絶対に破ることはできず、また時と場合によっては、かけた本人ですら、誓約を解除できないことがある代物。
確かに、エドには誓約がかけられている気配があった。その内容がどんなものなのかは分からないが、何にしろ、これ以上の先代勇者への問いは無駄なのは確か。
ならば、別のことを聞くべきだろう。
「よかろう。先代勇者に何があったのか、それはもう聞くまい。だが、貴様の目的については教えてもらうぞ。まさか、それも誓約によって話せないとは言うまいな」
「えぇえぇ、その点は大丈夫です。むしろ、そこは話したくて仕方がない。ワタシが何をしたいのか。ワタシが何をしようとしているのか。是非、貴方がたにも理解していただきたいので」
嬉しそうに笑みを浮かべるエドは、紅茶を一口飲んだ後、続けて言う。
「しかし、ワタシの目的に関しては、そう難しい話でないのです。というより、とてもとても簡単な話。恐らく、大事な者がいる人間にとっては、誰しもが一度は願うことではないでしょうか」
エドの言葉に、ヘルはゲオルの方を見ながら首を傾げる。全く理解できない、と言わんばかりな仕草は当然の反応だと言えるだろう。
そして、それはゲオルも同じだった。
しかし、そんな二人をおいていくかのように、エドは語りだす。
「実のところ、ワタシは先代勇者である、ヨナに想いを寄せていましてね」
「……何?」
唐突な告白に、思わず反応してしまうゲオル。
何をいきなり、と彼が口にしてしまう前に、話は続く。
「彼女の戦う姿は正に天使のそれでした。戦場に咲く一輪の花。決して誰も近づけず、触れようとすれば、逆にこちらが傷つけられる、正に穢されていない真っ白い薔薇。世界のため、人々のためと、心の底から願い、戦うことを嫌いつつも、それでも前に進む覚悟を持った女性。女の癖にと何度も罵られながら折れることはなく、女なのだから不可能だと言われながらも歩みを止めず、結果、世界最強と言われた魔王討伐を成し遂げた英雄。それが、彼女、ヨナ・エルガルド」
エドは未だに笑みを浮かべている。そして、その口調は本当に嬉しそうだった。
だがしかし。
ゲオルとヘルは見逃さない。
その笑みに含まれる、『何か』を。
「彼女の魂は、まさに聖なる輝きを放っていました。どれだけ返り血を浴びようとも、どれだけ罵倒を受けようとも、それでもその輝きが失われることはなかった。しかし、残念なことにそれを理解できる者はあまりにも少なかった。その理由は至って単純。怖かったのですよ。皆、彼女が強すぎることに。そして、その力が理解できなかった。当然です。何せ、彼女には特殊な才能など一切なかった。特異な血が流れているとか、神々から恩恵を授かったわけでもない。ただ、努力に努力を重ねた自らの剣と魔術だけで、彼女は多くの敵を倒していったのです」
特殊な才能は一切なく、努力だけで突き進む。その在り方は人として正しいものだろう。だが、人間とはおかしな生き物であり、時に正しすぎれば、理解されないときもあるのだ。
「あまりにも正しく、あまりにも清廉な彼女の在り方は、人間達には理解されませんでした。そして、人間は理解できない程恐ろしいと感じてしまう。結果、彼女を理解してくれる人間は少なかったのです」
もしも、彼女の力に何かしらの理由があれば、人々は彼女を受け入れたかもしれない。神々からの恩恵を受けているとか、特殊な武器を持っているからとか、そういう分かりやすい具体的な要因があれば、変わったかもしれない。
だが、彼女は違った。
特別ではないまま、彼女は人間として魔王を倒したのだ。
「彼女は、人々が自分を理解してくれないことに悲しみを覚えながら、それでも戦うことをやめませんでした。自分が戦うことで、誰かを守ることができるのなら。本当に、そんな理由で戦っていたのです」
それは人間として、どこかおかしかったのかもしれない。
普通なら逃げ出しているし、放り投げている。誰にも認められないまま戦うなど、常人ならば有り得ないことなのだから。
しかし、もしかすればそれが勇者をやれるある種の条件なのかもしれない。
何せ、文字通り、誰も成し遂げたことをやらなければならないのだ。常人の気概や想いでは、そんなことなど不可能なのだから。
「どこまでも輝いていて、どこまでも清く正しい。そんな彼女を見ていて、ワタシは思ったのです。ああ、本当に本当に本当に美しい、と」
そして。
「だからこそ強く願ったんですよ―――この魂を真っ黒に染めさせて欲しい、と」
瞬間、部屋の空気が一変する。
特別何かが変わったわけではない。だが、エドから発せられる雰囲気が、明らかに違った。
「この魂が堕ちたらどんな姿になるのだろうか。この人間の心が折れたらどんな表情を浮かべるのか。泣いた顔が見たい、激怒した顔が見たい、そして何より何もかもに絶望し、壊れた姿を見てみたい……生きる気力を失い、地べたに倒れ伏せ、人形のような虚ろな顔をしている彼女をこの目に焼き付けてみたい。そんな彼女に首輪をつけ、永遠に傍に置いていたい……ああ、本当に考えるだけで、興奮してしまう」
昂った口調で気色の悪い言葉を並べるエド。そして、理解する。これが、この男の本性なのだ、と。想いを寄せていると口にしたくせに、やろうとしていることは、鬼畜以外の何者でもない。性癖が狂っているとしか思えないその在り方には、恐らくヘルも怪訝な顔を浮かべているだろう。
「だというのに……ああ、だというのに、だというのに、だというのにっ!! 彼女は死んでしまった。死んでしまったんですよ。その輝かしい魂を持つ故に、彼女は死んでしまった。ワタシの前から消えてしまった。彼女の死体は見つけたものの、そこにはかつての魂は存在していなかった。ワタシが深い深い黒に染めたいと思った輝きはなかった。あれこそ、ワタシが感じた一番の絶望でした……」
今までにない程、感情を顕にするエドに対し、ゲオルは無言でにらみ続けるのみ。
エドの言い分は、一切理解したくないものだった。外道、否、これは最早下衆の思考としか思えない。
だが、ある意味納得した部分もあった。
それは、エドが先代勇者であるヨナ・エルガルドを想っている、という言葉。亡くなっている女性に対し、過去形ではなく、現在進行形での言葉を使っていた。
何より、エドは言った。自分の目的は、大事な者がいる人間にとっては、誰しもが一度は願うこと、と。
その意味するところは、一つ。この塔を進んできたゲオルには、ある推測があった。
「そうか。つまり、貴様がやろうとしていることは……」
「おや、どうやら察しがついたようで。やはり思った通り、理解が早い方だ」
エドは、笑みを浮かべる。
どこまでも狂ったような笑みを。
「そう。ワタシがやろうとしていること。それは、先代勇者、ヨナ・エルガルドの復活。そして、彼女を永遠にワタシのモノとすることですよ」
そして、その口から出された目的も、やはりどこまでも狂っていたものだった。