三話 白砂漠の塔③
悲鳴が聞こえるということから、二つのことが分かる。
一つ、人がいるということ。
二つ、その人物が悲鳴を上げる程の状況に陥っているということ。
ゲオルとヘルは、今現在、不可思議な塔の中におり、軽率な行動は死に直結する。だとするのなら、誰ともしれない人間の悲鳴を聞いた瞬間、警戒することはあっても、その場に行く、というのは悪手といえるだろう。何せ、自分からわざわざ危険に飛び込むようなものなのだから。
だが、現状において、彼らに手がかりは一切ない。
そう考えるのならば、人がいたという事実は貴重だ。自分達よりも前にここにいる人物に話を聞ければ、何か分かることもあるかもしれない。それこそ、『六体の怪物』について。
危険か、それとも情報か。
ゲオルとヘルは互いに顔を合わせ、頷くと悲鳴が聞こえた扉を開いた。
「これは……」
そこは、街だった。
無数に並び立つ建物。それは喫茶店やら酒場、雑貨屋など、どこの街にもありそうな普通の店。石造りの大通りに、その先には噴水も見える。
一見してみれば、本当にただの街だが、明らかにおかしな点がある。
人が、誰一人としていないのだ。
これが廃墟というのなら、まだ分かる。だが、建物はどれも小奇麗であり、窓から覗ける家の中はまるで先程までそこに人がいたかのような状態だ。
机の上に開かれた本があったり、壁に並べられている商品は手入れされており、あるところでは時計が小刻みに動いている。
人がいた気配があるというのに、人が全くいないという異様な光景は、ある意味廃墟よりも不気味であった。
「どこかの街にでた、というわけではありませんのね」
「ああ。魔術によって作られた、擬似的な街だ。建物から地面、細部に至るまでよくできてはいるがな」
建物から小物まで、本当によく作られている。街一つの擬似空間を造った上でこの再現度はゲオルから見ても目を見張るものだった。
「これが塔の中とはとても思えませんわ……」
「言っただろう。ここは空間が捻れている。先程の扉は、それぞれこういった擬似的な空間に通じているのだろう。逆に言ってしまえば、あの扉の数だけ擬似的空間を作っているということになる」
以前倒したエリザベート・ベアトリーの根城とはわけが違う。あれも巨大な造りになっていたが、しかしそれは物理的なものだ。空間を歪め、擬似的な場所を作り出していたわけではない。その点から考えても、ここは魔術的な要素が強い迷宮といえるだろう。
「ここを作った魔術師は相当な実力の持ち主、ということですわね」
「少なくとも、空間を扱う魔術に関しては相当だな。加えて、とてつもない捻くれ者だ」
「? といいますと?」
「魔術というのは、その性質で術者の癖というものが分かる。こんな人を迷わせることに特化した場所を作り出そうとするなど、ロクでもない性格をしているに違いない……まぁ、そもそも魔術師など、大方の者はどうしようもない連中ではあるが」
無論、それはゲオルとて例外ではない。
そもそも、魔術という異常に頼ろうとする時点で、普通の人間としては失格なのだ。本来、人間とは魔術が無くても生きているのだから。魔術を使う者達は、結局のところ、普通の生活では満足できないのだ。通常の人間としての幸せを感受できない、者達。故に、ろくでなしが多くいるのは必然と言えるだろう。
「しかし、今はここの術者については置いておく、それよりも、先程の悲鳴について調べるべきだろう」
「そうですわね。とは言いましても、それらしい気配はどこにもありませんわ」
言いながらヘルは周りを見渡す。ゲオルも同じく周囲を警戒するものの、人間はおろか、猫や犬、生き物すらどこにもいる気配がない。
今、ゲオルは結界によって勘が鈍くなっているものの、それでも気配はある程度感じることはできるはずなのだ。そして、悲鳴がしたということは、人は確実にいるはずだ。
だというのに、やはり周りには人っ子一人いない状態だった。
「こういう時、エレナさんがいれば少し離れていても気配を察知してくれるのですが」
「確かにな。あの小娘の第六感は妙に鋭い。だが、それをこの場で言ったところでどうにもならん。そもそも、あの小娘をこんな場所に連れてくるわけにはいかんだろう」
エレナの直感は、ゲオルよりも上の代物。気配の察知、危険の察知に関しては、恐らくゲオル達の中で一番だろう。今まで、彼女の第六感に助けられたことは多々有り、恐らくはこの場所でも、いいやこういう場所だからこそ、彼女の力はより発揮されるはずだ。
だが、それはできない。
できるはずがなかった。
何故なら、彼女を守ることこそが、再契約したジグルとの約束なのだから。
「あら珍しい。ゲオルさんが素直にそんなことを口にするだなんて」
「……変な深読みはするな。言葉以上の意味はない」
ヴェールで顔は見えないものの、絶対にニヤけた顔をしているであろうヘルに、ゲオルは釘を刺す。おかしな話だ。表情が一切見えないというのに、どうにも彼女が笑みを浮かべているであろうというのが理解できてしまうのは何故だろうか。
「少しよろしいでしょうか? どうして今回、わたくしを同行させたのです?」
唐突な問いに、ゲオルは少々首をかしげた。
「何故、そんなことを聞く」
「いえ、単純に疑問に思いまして。以前のゲオルさんなら、一人で行く、と仰るかと思っていましたので」
その指摘に、ゲオルは反論できなかった。
事実、エリザベート・ベアトリーの根城に行く時は、ヘルとエレナを置いていこうとしていた。ロイドとは一緒に行く予定ではあったが、それはあの時、彼しか道案内をできる者がいなかったため。もしも、最初から場所さえ分かっていれば、きっとゲオルは単騎で乗り込んでいっただろう。
そういう傾向が、ゲオルにはあるのは否定できない。
ならば、何故今回はヘルを同行させたのか?
「……ジグル・フリドーの残り時間については話したな」
「ええ。あと半年、あるかないかだったかと」
「そうだ。あの魔剣とは一応の決着が付き、我が本来の身体に戻るまで戦わないことにはなった。だが、それでも魔術を使えば我とジグル・フリドーの融合は加速する。それ故、魔術が使えない状況なのは変わらずだ」
ダインテイルとは今のところ、ある種の停戦状態だ。もし、ここでゲオルが魔術を使っても、恐らく彼はやってこない。今まで一番厄介だと思っていた事柄が無くなった、とは言わないが取り敢えず心配する必要性がなくなったのは僥倖と言えるだろう。
だが、それは魔術を使わない理由の一つでしかなく、他の問題が無くなったわけではない。
「無論、魔術を使用しなければならない事態もあるだろう。その場合は、以前と同じ様に魔力消費が少ない魔術で片付けるか、魂と身体を分離させなければならん。無論、どちらも魔術を使うことには変わらんし、後者に至っては、一度魂を分離させれば、本体が無防備になってしまう。故に、他の者に手を借りなければならんというわけだ」
魔力を抑えた魔術の使用、または魂と身体の分離。どちらの方法を使ったところで、ジグルの残り時間が削られるというのは変わりようがない事実。加えて、魂と身体の分離に関しては、一度離れれば、後は魔術が使い放題と思われるかもしれないが、一方で身体のことも気にしなければならない。もしも、魂が外に出ている状態で人工体がなくなれば、ゲオルは還る場所を失ってしまうのだから。
故に、魔術を使用しないというのが一番の最善策。そして、そのためには他人の力を借りる他なかった。
「つまり、ゲオルさんはわたくしを信用してくださっていると」
「…………まぁ、端的に言えば、そういうことだ」
少しの間を空けながら、ゲオルはそんなことを呟く。
「貴様の腕は買っている。魔物相手でも引けを取らないどころか、圧倒するのは先程の戦いの通りだしな。貴様になら背中を預けてもいいと考えた。それだけだ」
嘘は言っていないし、それは本心からの言葉だった。
ヘルの体術はゲオルには真似できないものであり、人間相手は無論、魔物にすら通用させているのは、素直に目を見張るものだ。彼女の経緯を知っているゲオルではあるが、それでも体術をここまで己のものにできるのは並大抵の人間では不可能。
だから、ゲオルは彼女の実力を信じているし、背中を預けられると言った。
それ以上の意味はない。本当だ。
だというのに……。
「? 何だ」
「いえ……何と言うか、ゲオルさんにそのような言葉をかけられるとは思ってもみませんでしたので。不思議な感じがしまして」
ヘルの言葉に、ゲオルは思わず顔をしかめる。
「貴様……もしや我を馬鹿にしているのか?」
「そんな滅相もない……むしろ、逆。本当に光栄に思いますわ」
ヘルの口調は、どこかこちらをからかっているように思えた。その事実を理解しながらも、ゲオルはふんと鼻を鳴らしつつ、言葉を続ける。
「まぁいい。無駄話もそろそろ終わりだ。人の気配はないが、とにかく周りを探索しないことには……」
と、話を切り出した刹那。
「―――のわぁぁぁぁああああああっ!!」
唐突に、目の前のパン屋の扉が開かれたと同時、奇妙な声を発する男が転がりながら出て来た。
一瞬にして、緊張が走る。当然だ。ゲオルとヘルは、周りに人の気配がないと判断していた。だというのに、目の前の建物から人が転がって出て来たとなれば、警戒するのは当然のこと。
だが、ゲオル達のことに未だきづいていない男は、頭を抑えながら、起き上がる。
「いたたた……マジでここどうなってんだよ……あんなのがいるとか、ありえないって……いや、今までも有り得ないことの連続だったのは確かだけど、これはそれ以上だって……って、やめやめ。こんな弱音を吐いてると、またルインに怒られ……」
と、そこで男の視線はようやく二人を捉えた。
数拍の沈黙。
そして。
「人だぁぁぁああああっ!!」
これでもかと言わんばかりな大声が街中に響き渡る。
それは紛れもない歓喜だった。
「やったやったようやく会えた!! え? これって夢じゃない、夢じゃないですよね? 一応確認のために頬を抓って……よし、ちゃんと痛い!! 現実確定!! 良かったぁ。めっちゃ嬉しい。ここで人に会えるとか、マジで奇跡としか言い様がないでしょ!! で、唐突ですけど、助けてくれませんか!! 実は迷っているというか、襲われている最中といいますか、とにかくやばいんで、なんとかしてもらえないでしょうか!! いや、いきなり現れて何言い出すんだお前的な視線を向けるのは分かります。めっちゃ分かります。でも、その点はひとまず置いといて、取り敢えず、手を貸してもらえませんか!! いやマジで!!」
男の口から出る言葉の数々。何を言っているのか、一瞬理解できなかったが、とてつもなく必死であることは嫌でも分かってしまった。
「これはまた、何とも元気の良い人というか、ハツラツな人が出てきましたわね…………と、ゲオルさん? どうされました?」
様子がおかしいゲオルに対し、ヘルは思わず声をかける。
だが、そんなヘルの言葉も聞こえていないのか、ゲオルの視線は男に集中していた。
「貴様は……」
その言葉に込められていたのは、驚きと―――怒り。
ゲオルは、目の前の男を知っていた。
出会ったのは数ヵ月前。だが、ジグルの記憶の中で、嫌というほどその顔を見てきた。そして、二度と忘れない存在となってしまった。
忘れるはずがない。
忘れられるわけがない。
何故なら、ジグル・フリドーから夢を、希望を、全てを奪い、踏みにじった者。
ゲオルが認めた最高で最強の剣士を、クズだと言った愚か者。
そこにいたのは、かつて自らを勇者と名乗った男―――――タツミ・ユウヤだった。