一話 白砂漠の塔①
お待たせしたので、連続投降です!
砂埃と共に、巨大な蠍が宙を舞う。
蠍の名前は『ヘルピオン』。砂漠に生息するとされる凶悪な魔物だ。
三メートルを優に超える巨躯であり、尻尾の針には一刺しで人間を溶かす程の猛毒を持っている。加えて、両前足のハサミは岩をも砕くとされており、人間など簡単に潰れてしまうだろう。
そして、もう一度言うが……その巨大にして、凶悪な魔物が、今現在、宙を舞っていた。
無論、ヘルピオンが好き好んで宙を飛び跳ねているわけではなく、第三者の手によるもの。もっと詳しく言うのなら、拳を下から叩き込まれたことにより、吹っ飛んでいたのだ。
地面に逆さまの状態で落下し、砂漠の砂に堕ちる。砂が緩衝材の役割を一応は果たしているものの、既にその頭は砕け、痙攣を数秒起こしていたが、その後は全く動かなくなった。
そして、そんな状態になった亡骸の数は一つではなかった。
無数に転がる魔物の死体を見渡しながら、男……ゲオルはその数を確認していた。
「これで七十六か。おい、喪服女。貴様の方はどうだ?」
ゲオルは、すぐそばで別のヘルピオンと戦っているヘルに向かって言う。
その姿は、さながら踊っているかのような様子だった。ヘルピオンのハサミをあとわずかというところで避け、時にはハサミの側面を叩き軌道を変える。そして、隙ができたところを一気に間合いを詰め、ヘルピオンの脳天に掌底打ちを叩き込むと、全身がビクッと痙攣した後、そのままぐってりと倒れた。
「今ので四十八ですわ。やはり、魔物では人間を相手にするようには参りませんわね」
などと口にしているものの、ヘルには未だ余裕が見られた。そもそも、素手でヘルピオンを殺せる女などそうそういない。そして、それを五十近くまで殺せる者などどれだけいるだろうか。
ここに来て、ヘルの驚異性を再確認しながらも、ゲオルは前方を見据える。
「それにしても、何とも面倒な数だな」
「ええ、全くですわ」
ゲオルとヘル。二人の視線の先にあるのは、未だこちらに向かってくる無数のヘルピオン。その数は恐らく百は超えているのだろう。
普通の人間ならば、絶望的な状況。しかし、この二人に不安や恐怖といったものは一切ない。あるのはただ、厄介だなという感想のみ。
そして、ゲオルは拳を鳴らしながら、愚痴を零した。
「あの優男め……これで違っていたら、ただでは済まさんぞ」
そんな言葉を口にしつつ、ゲオルは目の前にやってきた敵をなぎ払っていく。
*
時間は少し遡る。
それは、とある宿での会話。
「白砂漠……ですか?」
聞きなれない単語に、エレナは小首を傾げながら呟く。
一方で、どうやらヘルには覚えのある言葉だったらしく、頷きながら口を開いた。
「聞いたことがありますわ。一面が真っ白い砂で覆われている奇妙な砂漠だとか。まるで雪原のような不思議な場所でありながら、そこには強力な魔物も出没するらしいですわね」
この世界には砂漠がいくつか存在する。だが、その色が真っ白な雪原のような砂漠となれば、その白砂漠のみだ。
無論、この話題が出たのは全員で観光に行こう、などというものではない。
「そこに、『六体の怪物』がいると言うのか?」
『六体の怪物』。ゲオル達が倒さなければならない魔王が作り出したと言われる怪物達。既に、その内の四体は倒されている状況であり、残りはあと二体。だが、この二体が厄介この上なかった。何が厄介なのか。それは言うまでもなく、居場所が分からないことだ。
そもそも、残りの二体。蒼のレーヴェと白のフクスに関しては情報が一切ない。全身が蒼、または白であること以外何も分かっていない状態だ。無論、たったそれだけの手がかりで見つかれば苦労はしない。
結論を言えば、ゲオル達は一切の手がかりがない状態だった。だからこそ、やれることがあるとすれば、残りの二体がいるかもしれない場所を探すくらいしかなかった。
「可能性があるってだけですけどね。ギルドにいた頃、一番危険で近づいてはいけない場所と言われてたのが、白砂漠なんすわ。理由としては、姉さんが言ったように、生息している魔物がかなり強力で、何百というギルドの人間が死んだって話です」
ロイドは以前ギルドに所属していた人間だ。
ギルドとは、多岐に渡る依頼を受け、それを解決する組織。その内容はそれこそ様々であり、ドブ掃除から魔物退治まで何でもある。そして、そんな何でも受ける組織だからこそ、多くの情報が舞い込んできた。特に、魔物関連のものは嫌でも耳に入ってくる。
「白砂漠なら、我も行ったことがある。百年以上前の話だが、確かにあそこの魔物は強力な連中が多い。だが、それ以外に特別変わったことはなかったはずだが」
「百年って……いや、まぁ旦那が言うんだから本当なんでしょうけど、何か時間の感覚がズレるな……」
などと話が脱線しそうになりつつも、ロイドは軌道修正をかけていく。
「とまぁ、問題なのは、そこだけじゃあないんすよ。実は数年前に、白砂漠に妙な塔が出現したって話があってですね。塔自体の存在は確認されたんですけど、その塔を調査しに行った連中は一人残らず帰ってくることは無かった。それこそ、超が付く程の腕のある人間が、何人も行ったが、結末は全員同じ。んで、これはまずいと思った上の連中が、ギルドでの特級禁止区域に指定したってわけだ。ギルドに所属している奴に、一番危ない場所がどこかって聞いたら、恐らく白砂漠って答えるだろうな。けど、一方でこんな噂もあった。あの場所には、『六体の怪物』がでるんじゃないかって」
それは、どこにでもある噂話だ。
正体不明の塔。何人もの人間が行ったが、戻ってこない危険な場所。ならば、そこに『六体の怪物』がいるのではないか……そんな馬鹿馬鹿しい予想。憶測に過ぎない話。
くだらん、と一蹴するのは簡単であったが、今回、ゲオルはそうしなかった。
「……塔、か」
先も言ったが、ゲオルは白砂漠に行ったことがある。無論、魔道具の素材集めのため。その時は確かに塔などというものは存在しなかった。ロイドも数年前に突如として現れたと言っていたのだから、ゲオルがうっかり見つけられなかった、というのはないだろう。
加えて、もう一つ。残っている二体の怪物の内、一体の名前が白のフクスだ。そして、砂漠の名前が白砂漠。白、という関連性があるにはある。無論、これに関してはこじつけもいいところだろう。
だが、これ以上手がかりはないのだから、やるべきことは一つしかない。
「……小娘」
「留守番ですね。分かりました」
まだ何も言っていないというのに、エレナはまるで魔術師の心を読んだかのように笑みで言葉を返す。それに対し、ゲオルは思わず、言葉を詰まらせた。
確かにゲオルが言わんとしていたことはまさにそれ。白砂漠に出る魔物は危険な物が多い。そんな場所にエレナを連れて行けるわけがない。
無論、これが二人旅の時ならば、共に行動するべきだったのだろうが、幸いなことに、ゲオル達は二人だけではなかった。
「……優男。留守を頼むぞ」
ほんのわずかに不機嫌になった……というか、へそを曲げたような口調なゲオルに対し、ロイドは苦笑しながら口を開いた。
「了解っす……て言いたいところなですけど、その場合、旦那は姉さんと一緒に行くってことですかい? 道案内とか大丈夫なんで?」
「さっきも言っただろう。白砂漠には行ったことがあると。塔というものは見たことがないが、しかしそれは貴様も同じだろう?」
「いや、まぁそうですけどね……」
事実、今回の話はロイドが聞いた話ではあるものの、彼も噂程度のことしか知らない。実際目で見たわけでもなく、あくまで耳にしただけ。言ってしまえば、何も知らないのと同義である。一方で、ゲオルは塔の存在こそ知らないとはいえ、白砂漠には行ったことがある。故に、道案内は必要ないと判断したのだ。
「加えて言うなら、喪服女の方が貴様より腕が立つ。同行させる理由は、それだけで十分だろう」
「あら。嬉しいことを仰ってくださいますのね」
「うわー、それを言っちゃいますか、この旦那は。いや、確かにその通りなんで否定はしませんがね……」
ゲオルの言葉に、ヘルはクスクスと笑い、ロイドはどこかやるせないと言わんばかりの自嘲じみた表情になる。
「……別に貴様が弱いと言っているわけではない。貴様の常人離れした弓の腕は知っている。だが、貴様は未だ病み上がりだ。普通に動けるようになっているとはいえ、傷が完全に癒えているわけではない。そこを自覚しろ」
ロイドの傷は大方が治っている。だが、それは大方という意味であり、完治しているわけではない。彼の場合、本来なら即死している傷を負っていたのだ。無論、ゲオルが調合した薬などで治しはしたが、完全ではないのは事実だ。
「分かってますって。ま、安心してくださいな。旦那達がいない間、俺がちゃんと嬢ちゃんは守りますから」
「ああ。任せたぞ」
端的な言葉を口にするゲオル。
すると、話を聞いていたエレナはきょとんとした顔でゲオルの方を向いていた。目はあっていないものの、自分の方へと視線を向けている彼女に疑問を抱いたゲオルは問を投げかける。
「? どうした」
「いえ。その……ゲオルさんが素直に他の人に頼み事するって珍しいなって思って」
「そういえばそうですわね。以前なら『当然だ。それが貴様の役目なんだからな』と仰るところですのに」
「貴様ら……」
言いたい放題な二人に対し、ゲオルはムッとなりながら、言葉を続ける。
「……別段、おかしなことは口にしていないだろうが。我は小娘を守る契約をしている。それを一時的とはいえ、他者に任すのだ。ならば、先の言葉は的確だろう。無論、そこにそれ以上の意味はない」
「ええ。分かってます」
「ええ。わかっていますわ」
うんうんと頷くエレナとヘル。しかし、その態度や口調にゲオルはどこか引っ掛かりを覚えた。何か言い返したい、という気持ちは無論あったが、一方で何を言っても無駄。むしろ、墓穴を掘るハメになりそうだという予感もあったせいで、結局何も反論することはなかった。
そして、そんな様子を傍から見ていたロイドから一言。
「旦那も大変ですねぇ」
「喧しい」
ニヤけた顔でそんなことを言う優男に、ゲオルは苛立ちながら短く答えたのだった。
*
そして、時は元に戻る。
「―――ふぅ。これくらいでしょうか」
両手を叩き、砂を落としながらヘルは言う。
その眼前には、先ほどよりも多くのヘルピオンの死体が転がっており、地面ははほぼそれで埋め尽くされている。しかし、ヘルには一切の疲れで見えない。
足場も悪く、気温も高い砂漠の中での戦闘後だというのに、まるでそんなことお構いなしと言わんばかりであった。
「油断するな。ここに出るのはヘルピオンだけではないのだからな」
少なくとも、ゲオルが知っている以前の白砂漠はそうだった。
無数の群れを成して行動する『クロエナ』、渦のような穴を使って相手を砂の中に引きずり込む『ウスバロウ』、そういった魔物を一噛みで殺せる『コモドラ』等……それこそ、ヘルピオン以上の魔物がここにはうようよいたはずだ。今はなりを潜めてはいるものの、恐らく今も生息しているに違いない。そして、そういう魔物に限って、こちらが油断しているところを襲ってくるものなのだ。
「ええ。承知してますわ。しかし、この砂漠が危険だというのは、確かなようで。この数のヘルピオンを相手にするなど、本来なら不可能でしょうし」
確かに、それは事実だ。
百を超えるヘルピオン。それだけでも脅威だというのに、ここにはそれと同等のものが大勢いるはず。ならば、普通の人間は無論、ギルドや武装した人間ですら立ち入るのは危険なのは確かだ。
「その割には、簡単になぎ倒していたように見えたが?」
「ご冗談を。先程も言いましたが、相手が人間ならまだしも、魔物相手では勝手が違いますわ。構造が違うのは勿論、間合いや力の捌き方も全く別物にしなければならないのですから」
などと言っているものの、それでも多くのヘルピオンを屠ったのは明確な事実だ。ゲオルも同じく素手で倒した。だが、だからこそヘルがどれだけ人間離れした力量の持ち主なのかがよく分かる。彼女もまた、自分の本当の身体ではない。だが、体術をあそこまで自在に操れているのは、才能……ではないのだろう。どちからというと、執念に近い何かだ。
「そんなことよりも。見てくださいまし……どうやら目的地にはたどり着けそうですわ」
言いながら、ヘルは指を前方へと向ける。
その先にあったのは、砂漠の中にポツリと突き刺さっているかのような人工物。
それこそが、ゲオル達が向かっていた白砂漠の塔だった。