二十一話 魔術師と青年④
気がつくと、ゲオルは見知った湖の上にいた。周りには、湖に沈んでいくかのような建物群。そして、上には雲が散り散りとなって飛んでいる空。
間違いなく、ここは魔術師の心の中。
そして、ここにいるということは、即ち自分は戻ってきたということだ。
「……目が覚めましたか?」
ふと視線を横へと向ける。
そこには、腫れた顔をしながら、笑みを浮かべるジグルが座り込んでいた。
「ああ。おかげさまでな」
ふん、と鼻を鳴らし、不満があると言わんばかりな表情で言い放つ。
「全く……腹立たしい」
その言葉は当然のもののはずだ。何故ならゲオルは敗けたのだから。
これ以上なく、言い訳の余地すらなく、彼は敗北を認めた。ジグルの言葉に、熱意に、覚悟に押し通され、ここに戻ってきた。戻ってきてしまった。
もしも気力と体力が残っていれば、今すぐにでも目の前の青年を殴ってやりたい。だが、それをする気力は既になく、それと同時に体力ももうほとんどない。加えて、そんなものに意味がないのは重々承知しているが故に、ゲオルは何もできなかった。
「……、」
もう後戻りはできない。ゲオルとジグルは一蓮托生。魔王を倒し、ゲオルの身体を取り戻さなければ、ジグルの魂はゲオルと融合し、消滅する。
振り出しに戻ったことに対し、今更何を言ったところで意味はないのだろう。やるべきことも決まり、目的もあり、目標も捉えている。ならば、あとは実行するのみ。
しかし、それでも。
それでも、ゲオルは問いを投げかけずにはいられなかった。
「……後悔は、していないのか」
「はい」
即答だった。
迷いなど一切ないその言葉に、ゲオルは「ふん」と呆れた口調で言い放つ。
「阿呆が……少しは迷え。困惑しろ。貴様のそれは、ただのその場の勢いでやっているわけではないのは理解している。決意も覚悟も本物だというのも分かっている。だが……一方で考えなしに突っ走っているようにも見えて仕方がない」
ジグルが本気なのは確かなことで疑ってはいない。だが、その姿はあまりにも真っ直ぐすぎるために、どこか不安になってしまうのもしょうがないことだろう。
「……かもしれませんね」
「そして否定しないときた。本当に手に負えん阿呆だ、貴様は」
「あはは……すみません。でも、それが今の僕が、どうしてもしたかったことなんです」
その笑みはきっと自嘲なのだろう。
だが、それでもジグルは己の信念を曲げようとしない。
ゲオルを助けること。それが自分がやりたかったことだとはっきりと口にする青年に、ゲオルは大きなため息を吐いた。
「……馬鹿な奴め。こんな外道に手を差し伸べたところで、何も見返りはないというのに」
「あっ、ほらまたそんなこと言って。ダメですよ、そうやって自分を卑下にしたら。直してくださいって言ったじゃないですか」
「喧しい。あの小娘みたいなことを言うな……どうせ、これから長い説教を受けるのだ。勘弁しろ」
片手で自らの顔を覆い、魔術師はそんな言葉を呟く。
先も言ったように、既にやることは決まっている。目的も目標も存在する。指針が決まっているのだ。ならば、腹を括る以外ないだろう。
そして、ゲオルはここに至り、改めて覚悟を決めた。
「ジグル・フリドー。我と契約せし者よ。再度の、そして最後の確認だ。もう一度、我と契約するのか?」
仰々しい口調。しかし、それは『魔術師』としての再度の契約であり、儀式。今のゲオルとジグルは契約が破棄された状態。それを再び契約するための文言。
これに答えてしまえば、引き戻せない。それはジグルも分かっていること。
そして。
「はい」
理解している上で、彼ははっきりと答えた。
その答え、その覚悟、その決意によって、全ては決まった。
「よかろう。ならばここに再契約はなされた。貴様が払う代償により、我は再びあの小娘を守ろう。何があっても、どんなことをしてでも、あの小娘は守り通す。必ずだ」
そして。
「我が身体を取り戻し、貴様に身体を返すことも約束する。貴様とあの小娘が笑って明日を迎られるように」
「いいえ、違いますよ」
唐突に。
ゲオルの言葉を遮り、ジグルは言い放つ。
「僕とエレナ、ヘルさんやロイドさん。そして、ゲオルさんも、です。皆が揃って笑っていられる未来。それが僕が、僕たちが望むものです。だから、貴方も一緒にいなきゃ、ダメです」
言いながら、ジグルは拳を前につきだした。
目の前の青年の言葉に目を丸くさせながら、魔術師は呆れたように、しかしどこか納得したかのように笑みを浮かべながら答える。
「全く。貪欲で強欲な男だ。最初の頃の貴様はどこへ行ったのやら……」
ジグルは変わった。最初の頃の、誰にでも優しい代わりに自分を押し殺す彼ではなくなった。
自分の願いを口にし、自分の欲望を顕にし、自分の我儘を貫き通す。ある意味において、彼は自分勝手な性格になったと言えるだろう。
だが、だからこそ思う。
今の彼は、以前よりも人間らしくいながらも、以前よりも輝いているのだと。
「いいだろう。承知した。ジグル・フリドー。貴様の願い、確かに聞き届けた。そして断言しよう。『万能の魔術師』の異名に懸けて、貴様の願い、必ず叶えるとな」
この世に絶対など存在しない。
どんなことにも成功の確率が存在し、失敗の確率が存在する。劣勢に立たされながらも逆転する戦士がいるように。優勢に立ちながら最終的には転落する貴族がいるように。
だが、ゲオルは、魔術師は決意する。
この願いは。この願いだけは、この世の常識をひっくり返してでも『絶対』に成し遂げてみせる、と。
その決意と共に、彼は突き出された拳に、己の拳を当てた。
そして同時に、ゲオルの世界は一変したのだった。
*
「―――どうやら、帰ってきたらしいな」
その言葉と共に、意識が戻る。
目の前に広がる光景。廃墟と化した街。建物がいくつも崩壊させられた状況。月が昇っている夜空。
そして、ボロボロの状態のダインテイル。
彼の言葉の通り、ゲオルは確かに戻ってきたらしい。
「お前が表に出て来たということは、彼が勝った、というわけか」
「……ああ。腹立たしいことにな」
「くく。その割には表情は悪くなさそうだが?」
「そういう貴様こそ。そんな様になっているとはな……まぁ、ワレが言えるようなことではないが」
ダインテイルの体は既に瀕死の一歩手前だった。応急処置はされているようだが、しかしそれでも動けない状態には変わりない。
だが、それはゲオルにも言えること。
身体全体から感じる痛みと疲労感。こちらは致命傷は負っていないものの、それでもロクに戦えないのは言うまでもない。
「いやはや。まさかここまでやられるとは思ってもみなかったわ」
瀕死一歩手前だというのに、ダインテイルの調子は変わっていなかった。いいや、むしろいつもより口調は明るいように思える。
「世界は広いな。まさか、この世界でまだあのような剣士に出会えることができるとは、夢にも思っていなかった」
ダインテイルにとって、強い剣士と戦えたことは、この上ない幸福なのだろう。しかも、その剣士が自分の主の剣技を覚え、さらなるものに昇華させていたこと。それもまた、彼にとってはある意味願いが叶ったとも言える。
「一つ聞く。『魔術師』よ。お前は、彼を元に戻そうとしているのではないか? お前が身体と魂を分けて戦ったのは彼の魂との融合を遅くするため。そして、それは彼を元に戻そうとする意思からくるものだ。でなければ、あんな危険な手段は取らない。違うか?」
「……その通りだ」
「そうか……よければ、経緯を聞かせてはくれないだろうか。何、言いふらしたりはせぬから、安心しろ」
言われて、ゲオルは少し迷ったが、ダインテイルに話すことにした。
この魔剣は、嵐のような存在であり、災害だ。迷惑この上ないモノであり、今まで多くの被害に遭ってきたが、しかし古い仲というのも事実であり、彼が悪意ある存在でないのも知っている。
それに、今は互いに身体もロクに動かせない状態。
それ故に、ゲオルは世間話をするかのように、状況を説明した。
「なる程……勇者と魔王、それに『六体の怪物』か。また妙なことに巻きこれているようだな」
「ふん。貴様に比べれば、まだマシな方だろう」
「言ってくれるではないか。まぁ、自覚はあるがな」
最後の一言を平気で言ってしまう辺り、やはりこの魔剣はおかしいのだとゲオルは改めて思った。
「しかし、だ。魔術師よ。魂の器に関してならば、ここに最適なものがあるとおもうのだが?」
その問いの意味を、ゲオルは一瞬にして理解する。
そして、その上で口を開いた。
「それは貴様のことを言っているのか? ならば答えてやろう―――阿呆が」
ダインテイルの言葉の意味。それは自分の身体にゲオルの魂を入れてみろ、というものだ。彼からしてみれば、自分は敗者であり、故にその身体をどう使われようと文句はない。だから使えばいい、と言っているのだろうが、ゲオルにとってみれば、その方法はずっと前に検証したものだった。
「そんなことが可能なら、とっくの昔にしておるわ。貴様は確かに強靭だ。だが、貴様はあくまで剣だ。人間ではない。モノに人の魂を移すというのは昔から存在する魔術方法だが、それはあくまで一時的なもの。そして、ワレと貴様は互いに魂の在り方が強すぎる上、相性が悪い。というか、最悪の部類だ。恐らく、互いの魂が反発、いいや暴発するだろう。貴様やワレの意思とは関係なくな。そして、身体はよくて崩壊。悪ければ、周りを巻き込んでの大爆発が起こるだろう」
ゲオルが、何百年も戦いながら、ダインテイルの身体を奪おうとしなかったのは、それが理由だった。
「それに、だ。そんな方法では、ジグル・フリドーは納得しないだろう。今回の功労者はどう考えてもあの男だ。奴が好まんやり方をするのは、魔術師として、そしてワレとしても主義に反する」
ダインテイルを倒したのはジグルだ。ゲオルではないのだから、彼がダインテイルをどうこうするのは筋違いというもの。ジグルが止めを刺さなかったのなら、ゲオルもそれに従う他ないし、ましてや身体を乗っ取るなど有り得ない。
「彼か……ああ、確かに。そうかもしれんな」
ダインテイルは納得したかのように呟くと、夜空を見上げた。
「……今回、某達は、あの青年に互いに敗けた、というわけか。笑える話だ。何百年と戦ってきたというのに、たった一人の青年に二人とも叩きのめされるとは」
「ああ……全くだ」
言いながら、ゲオルもまた、同じく夜空を見上げた。
「しかし、何故だろうな。敗けたというのに、どこか胸の奥がすっとなったように感じるのは」
それはゲオルも同じだった。
本来、彼らにとって、敗北というのは死と同義。負ければ命を失う。それが当たり前で、常識だった。だからこそ、負けながらも自分が生きているということがおかしく、それ故に自分が敗北したのだとより一層自覚させられる。
なのに、だ。
どうしてだが、敗北の屈辱は一切なく、すっきりしたという気持ちがあるのだ。
「本当に。おかしな話だな」
自分達とは違う感性。違う決意。違う意思。
そして、それは二人よりも人間らしく、そして輝いているものだった。
この日、ゲオルとダインテイルは、ジグルという青年に確かに敗北したのだ。
「……なぁ、『魔術師』よ。某は、もう主とは戦う気はなくなった。彼が、ジグル・フリドーが、主の剣をより高みのものへと進化させ、そしてそれをもってして自分と戦ってくれた。それによって、某は満足したのだ。お前の魂を分解し、主を復活させ、壊してもらうという願いを木っ端微塵に吹き飛ばされてしまったのだ」
ジグルとの戦いは、ダインテイルの自殺願望を壊す程、鮮烈で、強烈だった。そして同時に満足もしてしまったのだ。戦えてよかった、と。今まで積み重ねてきたものが昇華された気がしたのだ。
しかし、だ。
だからこそ、昇華されたからこそ新たに生まれた願望、いいや、今までもあったが、一番叶えたい願いが無くなったことにより、さらに強く願ってしまうものができたのだ。
「だが、心残りが一つある……お前との決着だ」
ダインテイルは、ゲオルに視線を向けながら、続けて言う。
「お前はあの時、魂の状態で戦った。無論、お前が手加減をしたとは思っていない。だが、お前にはまだ上があるというのは事実。そして、先の話を聞いて思ったのだ。某は、本当の身体を取り戻したお前と戦ってみたい、と」
きっとゲオルはあれもまた自分の敗北だと言うのだろう。だが、ダインテイルにとってみれば、まだ本気がある。まだ上があると示唆されておきながら、それを超えず、勝ったつもりでいるのはやはり業腹であり、認められないのだ。
「無論これは某の我儘であり、お前が聞く耳を持つ必要などどこにもない。もはや、我が主のことも関係ない。だが、その上で聞く。某と、もう一度戦うつもりはないか?」
「……相変わらず、貴様は本当に自分勝手な男だ。ワレが言えた義理ではないがな」
結局のところ、ここにいる二人とも、どこまでいっても傲慢で自分勝手で我儘な男なのだ。それは卑下とか過小評価とかではなく、厳然たる事実。変えようなない真実。
そして、だからこそ、そんな二人が決着をあれで終わらすわけがない。
「しかし、ワレも貴様との決着がこのまま、というのは気に食わん。故に、いいだろう。ワレが本来の身体を取り戻し、万全な状態になった時、貴様ともう一度戦ってやろう」
ゲオルは敗けた。それは認める。だが、再戦の機会がるのなら、それを手にするのは自由のはず。
彼にとっても、このままダインテイルに負けっぱなしというのは癪に障るし、認めたくない。
故に再戦をここで約束する。
「そうか……それを聞けて、安心した。ならば、その時まではお前と戦わないとここに誓おう」
それはつまり、ゲオルが魔術を使っても、本来の身体を取り戻すまで、彼はおってこない、と宣言したのだ。
とはいえ、それでゲオルが魔術を使えるわけではない。魔術を使えば、ジグルとの魂の融合は加速するのだから。
だが、だ。これは、二人にとって間違いなく、今までにない出来事であり、ある種の進歩と言えるだろう。
「そして、その返礼というわけではないが、一つ良いことを教えてやろう。お前たちが倒そうとしている『六体の怪物』。その一体である紅のフェニカスだが、既に某が倒している」
「なっ……」
唐突な一言に、ゲオルは思わず言葉を失った。
「いやな。修行の一つとして『六体の怪物』と戦ったのだが、これがまたあまり手応えがなくてだな。再生能力は確かに目を見張るものがあったのだが、それだけでな。その再生能力も三日間殺し続けただけで、機能しなくなってしまってな。呆気なかったぞ」
「……三日間殺し続けなくてはいけない相手を呆気ないと言えるのは、恐らく貴様くらいのものだろうよ」
その言葉に嘘がないと理解した上で、呆れた口調でゲオルは言う。
全くもって、この男は規格外すぎる。
しかし、事実は事実。彼の行動は結果的にゲオル達の目的を叶えたことに他ならない。
ならば、言うべきことは一つだろう。
「しかし、礼は言わせてもらおう。おかげでこちらは助かった」
「ハハハっ。まさかお前から礼を言われる日が来るとはな。人生、否、剣生とは、分からぬものだなっ」
豪笑しながら、ダインテイルは立ち上がった。と同時に、その隣にフィセットが姿を現す。
「では、某達はここで失礼するとしよう。『魔術師』よ。某の勝負のため、そして何よりあの青年のため、必ず己の身体を取り戻せよ」
「抜かせ。言われんでもそのつもりだ。貴様こそ、今度こそその身体を我が魔術で吹き飛ばしてやるから、覚悟しておけ」
「ハハハッ!! それはそれは、大いに楽しみだ」
ダインテイルが笑うと、それを合図のようにフィセットが、空間を歪ませた。
「ではな、『魔術師』。我が宿敵よ。お前達の道が輝いていることを、心から願っているよ」
その言葉はどこまでも堂々と。
その態度はどこまでも我儘で。
けれど、どこまでも真っ直ぐな魔剣は、そんな台詞を吐きながら、歪んだ空間に少年と共に入り、姿を消した。
こうして、今回の魔術師と魔剣の戦いの幕は、下ろされたのであった。




