二十話 魔術師と青年③
「ワレに、憧れている、だと……?」
たった一言。しかし、そのたった一言によってゲオルは今までになく、動揺を禁じ得なかった。一瞬、こちらの隙を出させようとする罠とさえ思ってしまった。だが、目の前の青年がそんな手を使うわけもなく、今のこの状況でそんなものは無意味だ。
けれど、それでも思う。有り得ない、と。
それは絶対に有り得ないはずだ。いいや、あってはならない。
ジグルは誰がどう見ても、お人好しの塊。好青年を地で行く性格だ。剣に全てを捧げながらも、他人を心から助けたいと思う心を持っており、そして今では守りたいと想える存在がいる。
そんな彼が、ゲオルに憧れている……?
「馬鹿な……こんな男に、こんなクズに、貴様は憧れていると、本気で言ってるのか!?」
「ええ、だからそう言ってるんですよ!!」
信じられない。信じられるわけがない。
しかし、ゲオルの疑念を確固たるものにするが如く、ジグルは叫ぶ。
「貴方は多くの人を救ってきた!! その姿を、在り方を、僕は確かに見た!! そして思った、本当にこの人は凄い人なんだって!! 尊敬できるって!! 心の底から、そう思えたんだ!!」
その言葉に嘘は感じられなかった。
当然だ。ジグルは今までの人生で一番の本気を今、ここでぶつけているのだから。
「なのに、貴方ときたら自分はダメだ、外道だ、クズだと、自分を貶してばかり!! 自分だって胸を張れることをしてきたっていうのに、それを見ようとしない!! そういうところ、本当に直した方がいいですよ!!」
自分が憧れている人間が、自分を卑下する姿など、正直見ていられない。それは一方的な意見かもしれないが、しかし事実なのだから仕方がない。
「ワレが、胸を張れることなど……」
「あります!! あるに決まってるじゃないですか!! 貴方は多くの人の身体を乗っ取った。でも、それだけじゃない。貴方は、彼らの願いを叶えた。叫びを聞き届けた。言葉を受け取った。本当は何もできず、ただ死を待つだけだった人間にとって、それがどれだけ嬉しいことか。救われることなのか。そろそろ自覚してください!!」
ここに来て、未だに己がやってきたことを認めようとしないゲオルに、ジグルは苛立ちを隠せずにいた。自分はクズで、外道で、愚か者。そんな自分は何一つ成し遂げたことがないと言い張る目の前の男に、頭にきていたのだ。
ジグルは彼がしてきたことをその目で見た上で、思ったのだ。ああ、この人は本当に常識から外れていると。しかし、そんな常識外の存在が、一番正しい行いをしてきたことを。
口が悪くて、上から目線で、何かと問題が生じる。だが、それでも彼の行動は誰かのためになってきたのだ。
「彼らだけじゃない。貴方は、多くの人を助けてきた。手を差し伸べ、時には道を指し示すことだってしてきた。それは人として正しい行為であり、歴とした輝きだ!! 誰にだってできることじゃないんですよ!!」
そう。誰にだってできることではない。人は、たとえそれが正しい道、正しい行いだと分かっていてもそれを実行できないことが多い。周りの空気、状況、自分の立場……多くの要因が、邪魔をするのがほとんどだ。
しかし、魔術師は、そんなもの知ったことではないと一蹴しながら、自分を貫き通してきた。それで自分が不利な立場に陥ったこともある。窮地に立たされたことだって少なくない。
だが、そんな困難すらも彼は乗り越えてきたのだ。
その姿と在り方は、独特ではあるものの、確かな輝きとして映ったのだ。
「そして何より、貴方は僕を救ってくれた!!」
渾身の一言と共に、拳が叩きつけれる。
そうだ。そうだとも。ジグルがゲオルに憧れた理由は、尊敬している理由は、最初の出会いの時からだったのだ。
「あの夜、あの時、あの場所で僕は死ぬしかなかった。誰にも看取られず、愛する者もおいてけぼりにするしかなかった。でも、そんな僕の目の前に、貴方は現れてくれた」
拳が叩き込まれる。
「偶然だったかもしれない。でも、それでも貴方は僕の前にやってきてくれた。そして、自分勝手な僕の願いを聞き入れて、エレナをずっと守ってきてくれた」
拳が叩き込まれる。
「身体を乗っ取った後も、エレナの願いを叶えるために彼女と一緒に旅を始めてくれた。僕の魂をなるべく残すために、魔術も封印しながら戦ってくれた」
拳が叩き込まれる。
「僕の境遇に貴方は怒ってくれた。僕自身が、しょうがない、それが当たり前なんだって思ってたことに対して、憤りを感じてくれた」
ゲオルが自分にしてくれたことを、ジグルは語っていく。
そこに一切の虚飾はない。全てが事実。本当のこと。だからこそ、伝わるはずだ。本当は違うだの、結果論でしかないだの、そんな言い逃れはさせない。
魔術師がしてくれたことを、ちゃんと理解させるために、ジグルは言葉を続ける。
ああ、そして何より。
「貴方は言ってくれた。僕のことを、『本当の勇気を持った者』だって!!」
タツミ・ユウヤとの戦いの中、ゲオルは確かに言った。そして、心の内では、ジグルの姿に、有り様に、少しだけ素晴らしいと感じてくれていた。
たったそれだけ。けれども、そのたったそれだけのことが、ジグルにとっては重要なことだったのだ。
彼だって、勇者に言いたいことがあった。怒りたい時だってあった。でも、結果は何もできなかった。自分のせいだと結論付け、何も言うことも、怒ることすらできなかった。その気持ちを全部汲み取ってくれたかのように、ゲオルは勇者を倒してくれた。
そして、その上で自分のことを、『本当の勇気を持った者』と言ってくれたのだ。
確かに、ジグルは剣の腕は認められていた。だが、結局誰にも勇者としては認めてもらうことはできなかった。
そして、だからこそ、ゲオルの一言はジグルが今まで背負っていた何もかもを吹き飛ばしてくれたのだ。
「その言葉に、その想いに、僕どれだけ救われたのか。助けられたのか。どれだけ……嬉しかったのか」
ああ、本当に。言葉では言い尽くせない。
そこにあるのは、ただただ感謝。自分を救ってくれてありがとう。認めてくれてありがとう。助けてくれてありがとう……どんなに言葉を並べても、足りることはない。
そして、きっとゲオルにはこの気持ちは分からないだろう。
けれど、だからこそ、ジグルはゲオル以上に彼のことを信じられるのだ。
「誰がなんと言おうと、僕は断言します!! 貴方は凄くて尊敬できる人なんだって!! そして、きっと魔王だって倒せる最高の魔術師なんだって!! それに、貴方がいなくなれば、きっとエレナも悲しむ!! あの子が泣くようなことを、貴方は望むんですか!!」
言われて、ゲオルは一瞬目を見開く。
だが、次の瞬間には、自嘲のような笑みを浮かべながら、口を開く。
「馬鹿なことを……ワレがいなくなったところで、あの小娘が悲しむはずがなかろう。あの小娘にとって、ワレは貴様を奪った存在で、死なすかもしれない男。憎まれても仕方のない存在だ。それがいなくなれば、ほっとすることはあっても嘆くことなど……」
「なに馬鹿なこと言ってるんですか、貴方は!!」
ゲオルの言葉に、ジグルは喝を入れる。
今のは、流石の彼も聞き流すことは看過できなかった。
「彼女がいつ、そんなことを言いました!? というか、エレナがそんなことを想っているなんて、本気で考えてるんですか!? 貴方は、今まで彼女の何を見てきたんです!! 憎む? ほっとする? ふざけないでください!! 貴方がいなくなれば、彼女が後悔し続けるって、どうしてわからないんですか!!」
言いながら、ジグルは思う。ここに来る前、エレナに言おうとした事はまさにそれだった。
仮に魔術師を見捨てたとしても、きっとジグルもエレナも深く後悔するはずだ。それだけ、彼らにとって、ゲオルという存在は大きな影響を与えたのだ。
きっとゲオルも、エレナが自分を恨んではないと理解している。だが、それも絶対という確証はない。一方で、自分を恨む要素がある理由がある。エレナが優しい人間だと分かっていても、自分に対して、心の奥底では思うところがあるに違いないと、そう考えずにはいられないのだろう。
だからこそ、その考えをジグルは徹底的に否定する。
「僕はエレナじゃないけれど、確かに言えることがあります!! あの子は貴方を大切な存在だと思っているってことを!! 本当に憎んでいる相手に、何度も笑顔を見せるわけないでしょう!!」
言われて、ゲオルの脳裏に浮かんだのは、目の見えない少女の笑み。
その表情に一切の曇りも陰りもない。あるのは純粋な感謝や喜び。どこにでもある、けれどもだからこそ守らなければならないモノ。
そして、流石のゲオルにもそれを否定することはできなかった。
「何度でも言います!! 僕にとっても、エレナにとっても、ゲオルさんは恩人で、友人なんです!! 貴方が犠牲になることなんて、これっぽっちも望んじゃいない!! もう僕らの未来に、貴方も入っているんですから!! ゲオルさんがいない未来なんて、僕たちは絶対に認めない!!」
だから絶対に諦めない。
だから絶対に負けない。
確固たる決意と覚悟。それらはゲオルにも嫌というほど伝わってくる。当然だろう。何せ、それらは全てゲオルに向けられたものなのだから。
(本当に、この男は……)
いいや、この場合は、この者達は、というべきか。
ジグルは今、一人では戦っていない。エレナは勿論、ヘルやロイドの想いも背負って戦っている。その姿はどこまでも愚直。己の想いに素直すぎる。以前の彼ならば、考えられない……いや、違うか。これこそが、本来の彼の在り方。今までは環境や周りの人間のせいで抑圧されていたものが、解放されたのだろう。そして、その姿は、今までになく強い想いを感じる。
(ジグル・フリドー。本当に、どこまでも馬鹿で、阿呆で、お人好しで……)
そして。
(本当に……本当に、眩しく見える)
人というのはかくあるべきだと言わんばかりの姿。そして、それを貫こうとする堅い意思。どれだけボロボロになりながらも、絶対に勝つんだという気概がこれでもかと伝わってくる。そして、それらは全てゲオルのことを想っての行為。
ここまでくれば、もう認めざるを得ない。
こんな男に、ここまで言わせるのなら。
こんな男に、ここまでさせるのなら。
自分もまた……そこまで捨てたものではないのかもしれない、と。
自分がやってきたことを忘れたわけではない。外道であり、クズであり、どうしようもない人間だと今でも思っている。
だが、それでも。
ほんの僅かではあるが……何もなかった伽藍堂に、何かが芽生えた気がしたのだ。
「うぉぉぉおおおおっ!!」
雄叫びと共に、ジグルの拳が、ゲオルの顔面目掛けて飛んでくる。正直言って、それは回避することも、防御することも可能な一擊だ。
だが、ゲオルは何もしない。
いいや、できない、というべきか。
何故なら……最早、彼にジグルの攻撃を避ける必要も、防ぐ理由も、ないのだから。
(全く……ワレも焼きが回ったものだな)
そして次の瞬間。
放たれた一擊と共に、ゲオルは意識を失ったのだった。