幕間 魔術師の人生
『彼』は生まれた時から魔術師だった。
魔力の量が常人よりも優れており、魔術の使用自体もそつなくこなす。十を超える頃には、他の魔術師とは一線を画す存在となっていた。
優秀。彼を一言で表すのなら、それが的確だった。
けれど、逆に言えばそれだけ。彼はどの分野においても優秀ではあったものの、何かに特化した、ということはなかった。
そもそも、彼の魔術の特性というのが、『万能』。即ち、何でもできるというもの。やろうと思えば、ほとんどのことを彼はできてしまう。だが、それは反対に、何でもできてしまうからこそ、これという特徴があるわけではない。
それは、彼そのものにも言えること。
確かに、生まれた頃から常人以上の魔力を持っていたが、そんな者は頑張って探せばどこにだっている。数は少ないだろうが、いることには変わらない。そして、そういう人間達は、何かしらの事に特化していた。
だが、彼の場合、他に特徴的なことが一切なかったのだ。
それは外見的、身体的特徴のことではない。人としての特徴だ。
彼には心の底から何かをしたい、と感じたことはなかった。言ってしまえば、夢が無かったのだ。金持ちになりたい。美女と結婚したい。偉くなりたい……そういうものが、一切ない。
無欲、というわけではなかった。だが、あまりにも『自分』というものがなかったのだ。
そしてこうも言われてた。
彼は、秀才ではあるが、天才ではない。
そんな評価が付いたのは、いつの頃からだろうか。
別段、他人の評価などは正直どうでもいい。だが、彼の場合、自覚してしまったのだ。自分は他人より優れているが、しかしそれだけの人間なのだと。自分という存在が一切ないのだと。
一点特化の魔術よりも、幅広い魔術を使う。他の魔術師が見れば、喉から手が出るほど欲しい才能なのかもしれない。
だが、彼はそれだけでは満足しなかった。
どれだけ幅が広くとも、特化した者には、その分野では勝てない。つまり、その魔術においては、自分は負けているということになる。
それが、彼にとってはどうしても許せない事柄だった。
彼にとって、魔術とは自分が自分である証拠であり、証明だ。それで誰かに負けている、という事実は、到底見過ごすわけにはいかなかったのだ。
だから、彼は魔術を極めようとした。
しかし、それは自分がしたいことだったから、というわけではない。自分にはそれがないから。故に、魔術という分野だけでも、誰にも負けたくない。大方の魔術が扱えるのなら、それらを極めたい。
そのために、彼は魔術の研究に没頭した。そして次々に強力な魔術を習得、時には作り出していった。
そして、いつしか彼は人間という枠組みの中において、最高峰の魔術師に成り上がった。
それが、『万能の魔術師』の誕生であった。
けれど、そんな彼も人間であることには変わらず、期限が存在する。
即ち、寿命。
今はまだその時ではないが、きっといつか来るであろう最期の瞬間。それは五十年後か、もっと先か。それはわからないが、しかし確実にくるというのは分かっている。そして、それは困る。『万能の魔術師』と呼ばれるようにはなったものの、彼はそこでは満足していなかったのだ。更に上を目指すには、五十年程度の時間では足りなさすぎる。故にもっと生きていたい。
死にたくない、ではなく、生きていたい。
そんな矛盾した考えを現実のものとするために、彼は人工体を作り出した。それさえあれば、少なくとも通常の人間の何倍もの時間を生きることができ、魔術に時間を費やすことができるはずだ。
そして、彼は人工体を完全に己の物とするために、百年の旅に出た。
これこそが、彼の人生の転換期と言えるだろう。
人工体を完全に己の身体とした彼だったが、旅から戻ってくると自らの身体を何者かに盗まれていたのだ。
彼は必死に犯人を探そうとした。
だが、百年の旅のせいで、既に人工体そのものが限界にきていた。
しかし、問題はない。その場合、他人の身体を喰らい、乗っ取ればいいだけの話なのだから。
初めて身体を乗っ取った男は、醜い容姿のせいで、周りからも、家族からも馬鹿にされていた男だった。
男を選んだ理由。それは身体の相性の良さと頑丈さ。それだけだった。身体の限界が近かった故に、彼には既に時間が無かったのだ。
けれど、一方的に身体を奪うのは魔術師としての主義に反する。故に彼は契約を持ちかけた。
身体を寄越せば、願いを一つだけ叶えてやろう。
そんな、どこまでも上から目線で、傲慢な主張に、男が口にした願いは、単純明快なもの。
『願いを叶えてもらう必要はありません。貴方の身体となれることが、自分の願いだから』
……意味が分からなかった。
彼にとって、魔術師にとって、男の主張は予想外すぎる代物だった。
『自分は、誰にも必要とされてこなかった。この顔のせいで、誰も自分を認めてくれなかった。そんな自分が、自分の身体が誰かの役に立てるのなら、それ以上の幸せはないから』
幸せ。
男は、確かにそう言ったのだ。
自分の身体を乗っ取られることを。自分の身体を誰かに使われることを。それが自分を必要としてくれるということであり、認めてくれたことであるから。
その程度のことが、幸せなのだという。
その後、紆余曲折ありながら、結局魔術師は男の身体を乗っ取った。
そして、垣間見る。男の記憶を。
一言で言うのなら、悲惨な人生だった。
容姿が悪い。それだけの理由で、彼は馬鹿にされ、拒絶され、虐げられていた。見返してやろう、という気さえ起こさせないような、そんな状況。常に罵倒を浴びせられるのは当然で、人より冷遇されるのは当たり前。何をやっても認められない。ならばいっそ、そんな状況から脱するために、新天地へ目指せばいい、という意見もあるかもしれないが、何分、男は特殊な地位にいた。
男はある種の人柱だった。
その村では、一人の人間を隔離し、差別する風習があった。それによって、村の厄災の全てを引き受させるためだ。
そして、最も過酷だったのは、それでも尚、人柱を殺さないようにしていた、という点。いや、正確には死なないようにさせる、か。当然だ。人柱が死ねば、新たな人柱を選ばなくてはならない。故に、最低限ではあるが、衣食住は用意される。代わりに絶対に村からは出られないようにされていた。
くだらない。
本当に、本当にくだらない迷信だ。
だが、タチの悪いことに、その風習をしている間、村は平和だった。何かしらの大きな幸福があったわけではないが、大きな不幸もなかった。凪のような平穏。
加えて、人々の感情を一点に集中させることもできた。作物が育たないのはあいつのせいだ。雨が降らないのはあいつのせいだ。昨日、自分が転んだのはあいつのせいだ……自分達の不幸を全て人柱のせいにし、感情を落ち着かせ、時には罵倒や暴力を人柱に浴びせることで平常を保つ。
ここまで吐き気を催す習わしも、そうそうないだろう。
本来ならば、魔術師にとって、村の風習や人柱のことなど、関係ないこと。どうでもいいことだ。確かに乗っ取った身体の男とは深い関わりがあるが、結局のところ、それだけ。
それだけだ。それだけのはずだ。
だというのに……記憶を見た後、魔術師の心には確かな怒りがあったのだった。
そして、理解する。身体を乗っ取られるという事を幸せをいった男の心境を。
とはいえ、魔術師がその村に手を出すことは結局無かった。
手を出すも何も、その村は、魔術師がどうこうする前に、魔物の群れによって壊滅したのだから。
皮肉にも、それは魔術師が人柱を喰らい、村から離れた数時間後のことであった。
その後も魔術師は何人もの人間の身体を乗っ取っていった。
けれど、その度に彼は思い知らされる。人間の不合理。人生の不条理。
裏切り、謀略、憎悪、殺意……そんな悪感情による犠牲者を、魔術師が選んだのはたまたまでしかない。だが、彼らの嘆き、苦しみ、悲嘆は確かに伝わってきた。
そして同時に、彼らが人として生きていたということも覚えている。
どんな人生だろうと。どんな不条理だろうと。彼らは生きていた。生きていたのだ。中にはしっかりとした目的を持った者もいた。絶対に叶えたい夢を持つ者もいた。本当は死にたくない。もっと生きていたいと口にした者もいた。
一方で、魔術師はどうだろうか。
自分の身体を探しだすという目的は確かにある。だが、それが夢や願いと言われれば甚だ疑問だ。魔術を極める、というのも、自分にできることはそれしかないから。
結局のところ、魔術師は惰性で生きている他なかったのだ。
高慢で、我儘で、どうしようもなく自分勝手。だというのに、叶えたい夢や願いはない。
真っ白だ。空白そのものだ。
何も、何も、本当に何もない。ただ生きているだけの存在。いいや、生きていると表現するのも怪しいものだ。
生きているというのは、魔術師が乗っ取った者達のような人生のことを言うはずだ。
確かに他の連中からすれば、悲惨だったかもしれない。不遇だったかもしれない。何か大事を成し遂げたわけでもない。
それでも、確かに彼らは生きていたのだ。
けれど、彼らは死に、魔術師はその身体を乗っ取り、今まで存在してきた。
痛感させられる。自分の人生が、何と虚しいものなのか。
自覚させられる。己の在り方が、何と愚かなものなのか。
魔術を極める? 馬鹿馬鹿しい。そんなもの、他人の身体を乗っ取ってまでやるべきことか? 胸を張って自分は生きていたと言えるのか? 今まで普通の人生を送ってこなかった者が、何様のつもりなのか。身体のことだってそうだ。エレナと出会うまでは、もうほとんど諦めていたではないか。
そして何より、最も度し難いのは、それを理解していて尚、未だ死なずに生きていたこと。
無駄で無意味、ただ生きているだけ。そんなものに価値などない。
しかし、それもここまで。
彼は敗北した。これ以上ない敗けであり、相応しい最期だ。その点に何も思わないわけではないが、しかしそれ以上に、自分が縛っている者達が解放される方が、よっぽど重要なことだった。自分のせいで苦しめられる者達が、やっと元の状態に戻ることができる。彼らにとってみれば、これ以上ない最善の結果でああるはずだ。
だというのに。
だというのに。
だというのに。
「ああ、本当に……何故こうなるのだ」
呟く魔術師―――ゲオルは苛立ちを覚えながら、前方にいる青年を見据える。
そこにいたのは、ゲオルが身体を乗っ取った人間の一人であり、そしてその呪縛から解き放たれた男。だというのに、こんなところにやってきた愚か者。
即ち、ジグル・フリドーが、そこに立っていたのだった。