八話 ゲーゲラの街⑤
子供の名前はニコというらしい。
ニコの家は街の北部にあるということで、二人はついていくこととなった。
ゲーゲラの北部は他の場所と違い、殺風景、というより建物の作りがそれぞれに悪い。ひび割れはもちろん、清潔感もあまりなく、正直臭いもきつかった。。言ってしまえば、貧民街という場所であった。歩いていると焚き火をしながらほそぼそと話している者や野良犬が僅かな残飯を取り合いしていた。
そんな様を見て、ゲオルはまゆをひそめていた。
そして、顔は見えずとも、彼の様子がおかしいことにエレナは気がついていた。
「ゲオルさん? どうしかしたんですか」
「……いや。何でもない」
とは言うものの、その声音は何でもないものではない。しかし、それ以上追及することはせず、二人はニコに付いていった。
そして、ニコの家らしき場所へとついた。
「ついたよ。入って」
いくつもの修繕が成されている家屋にニコは入っていき、二人もそれに続く。
中もやはり外と同様な具合だった。壁や天井に修繕の跡や代用品で補っている様子が見られる。掃除はこまめにしてあるのか、そこまで汚くはない。
そして、奥の部屋にはベッドに寝ている一人の女性がいた。
「ただいまー。母さん帰ったよ」
「おかえり、ニコ。……あら、そちらの方たちは?」
「えーっと……ちょっと昼間知り合って。名前は……」
と、そこでニコに自分達の名前を告げていないことに気づいた。
「エレナです。で、こっちがゲオルさんです」
「おいこら小娘。何故ワレの紹介を貴様がする」
「だってゲオルさんのことですから、余計な誤解を招く自己紹介をすると思ったので」
「ほう。そうか。貴様、ワレに喧嘩を売っているのだな、そうだな?」
「もう、母さんの前でやめてよねー……えっと、この二人、一晩泊めることになるけど、いいよね? 突然連れてきてあれだけど、大丈夫だから。変な性格で怒ると滅茶苦茶怖いけど、悪い連中じゃないから」
言い合う二人をたしなめながら、母親に二人を泊めることを言うニコ。一方、母親はというと、その様子を見て小さく笑みを浮かべた。
「ええ、構わないわ。ニコが連れてきた人たちですもの。こんな狭い家でよければ、ゆっくりしていってください」
「すみません。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「まぁ雨風が凌げるだけ野宿よりはマシだしな。妥協してや―――っ!?」
瞬間、エレナの足がゲオルのつま先を急襲する。
流石の彼も突然の急所攻撃には驚きと痛みを隠せないらしい。
悶絶するゲオルを他所にエレナは謝罪の言葉を述べる。
「連れが本当にすみません……」
「いえ、気にしてませんから……ああ、少し待っててください。大層なものは用意できませんけど、今料理の方を作りますので……」
とベットから出ようとする母親をニコが止める。
「何言ってんだよ母さんっ。そんなの自分達でやるから、母さんは寝ててよ」
「でも……」
「いえ。泊まらせてもらうのですから、それくらいはさせてください」
一晩宿を貸してもらうのだから、何もしないでもてなされるだけ、というのはエレナにとってあまり気分がいいものではない。
とはいえ、もう一人は全く気にしない様子だったが。
「まぁワレは手伝わんがな」
「大丈夫です、最初から期待はしてませんから……じゃあニコさん。調理場へ案内してもらえますか?」
「うん。あっ、ゲオルは母さん見てて。勝手に手伝いに来ないように見張っててよ」
言うとニコはエレナを連れて調理場へと向かう。いきなり呼び捨てか、と言いたくなったが、すぐ様いなくなったので言う暇もなかった。
残されたゲオルはただ息を吐くだけだった。
「あの……すみません。ニコが失礼な事を」
「構わん。子供の言葉に一々文句を言うのも疲れるというものだ」
ゲオルはあまり子供が好きではない。その理由の一つがそれだ。相手をしているとこちらが疲れる一方で余計なことをさせられる。全くもって面倒だ。
「一つ聞いてもいいですか? ニコとはどういう関係で?」
「簡単に言えば、金をスられそうになって、少々懲らしめようとした仲、とでも言えばいいか」
こういうことをあっさりと言えてしまうのが、空気が読めないと言われる理由だと、ゲオルは気づいていないのだろう。
その言葉に母親は一瞬目を丸くさせ、そして頭を下げた。
「なんてことを……本当にすみませんでした」
「別にもう気にしてはいない。結局金は取られなかったからな。もう二度としない……と断言はできないが、まぁ本人はそう言っていた。反省はしているようだ。それも兼ねて、ワレを家に呼んだとも言っていたからな」
「そうだったんですか……」
「叱りつけるのは構わんが、ほどほどにしてやれ。既にワレが灸を据えたからな」
別段、それはニコのことを思ってのことではない。これもまた、事実を述べているだけに過ぎない。それに自分達が滞在している間に叱りつけられている場面など見たくなかった。
すると、母親はまた小さく笑みを浮かべて言葉を言う。
「優しいんですね、ゲオルさんは」
どうやら母親はとんでもない勘違いをしているようだったが、敢えて否定はしない。何とも言えない顔になりつつも、ゲオルはごほんっと咳払いをした。
「ところで、こちらも一つ訊くが……この北部の惨状はどういうことだ?」
惨状。
それは貧困の様子や清潔感の無さ、などではない。
もっと別の、魔術師としての意見であった。
「どうしてこんなにも魔毒が蔓延している? 空気中に僅かなものだが、ここまで広がっているのはあまりにも珍しい」
魔毒。それは特定の魔物が放つとされる毒だ。そのほとんどが毒の体液や毒の牙、爪、尾などであるが、まれに毒の霧を吐くものもいる。
この街、いや北部はその霧がそこら中にあるのだ。とはいえ、その質は下の下であり、かなり薄められている。故に少し滞在するには問題はない。が、ここで暮らすとなれば話は別。一定数、毒を体内に入れると病に似た症状を起こすのだ。
「貴様のそれも、魔毒によるものだろう?」
「……お詳しいんですね」
「これでも魔術師だからな。魔毒に関しても知識はある。そして、質がかなり薄いとはいえ、こんな広範囲に魔毒が広がっていることが異常なことは理解している」
魔物と関わりがある人間ならば、魔毒については知っている。それが魔術師ならば当然だ。その魔毒を使って様々な魔道具やら薬やらを作ることだってあるのだから。
「ここからさらに北に行ったところにある森があるのはご存知ですか?」
「ああ、知っている」
当然だ。その森にゲオルが研究のために作った屋敷があるのだから。
「数年前からその森にある魔物が住み着きました。『六体の怪物』の一体だと言われています。その魔物が放つ霧の魔毒がこの北部に流れてきて、影響を与えていると皆言っています」
それは、予想外の答え……ではなかった。何せ、いくつか材料があったのだから。
一つは勇者の存在。奴がこの街にいたというのが、引っかかっていたのだ。旅の途中で寄った、という考え方もできるが、この街を牛耳っている家の者に厄介になっている、という言葉がその可能性を無くした。
二つ目はメリサの言葉。討伐決行……つまりは、何かを退治する、という意味だ。勇者が自ら出て戦うとなればそれは普通の魔物ではない。それこそ、彼らにしか倒せないと言われている『六体の怪物』ならば、それに当てはまる。
三つ目はこの異常な魔毒の広範囲。魔毒を持つ魔物でも、普通ならばこんなにも広範囲に影響を与えるものはそうそういはしない。
それらから考えるに、『六体の怪物』という言葉が出てもおかしくない。
「なるほど。この街にあのいけ好かない勇者がいる理由がようやく分かった」
「勇者にお会いになったのですか?」
「ああ。会って早々、顔面に拳を叩き込んだ」
まるでさも当然かの如く言い放った言葉に、母親は「まぁ……」と口を押さえながら驚いていた。
が、しかしどこか納得のいくような表情でもあった。
「今、ニコがゲオルさん達を家に連れてきた理由が何となく分かりました」
「それはどういう意味だ?」
「あの子は……勇者のことを嫌っていまして。自分の父親を見殺しにした、と」
それはどういうことか……理由を聞くと母親は語り始めた。
そもそも勇者一行がこの街にやってきたのは、約半年前のこと。そう、半年前だ。既に彼らがやってきてそれだけの時間が過ぎていたのだ。だというのに、怪物は未だ倒されていない。怪物がそれだけの強敵……というのならば分かるのだが、問題はそこではない。彼らは一度も怪物退治に向かっていなかったのだ。
理由は様々で怪物の正体が分からない、武器の調整が悪い、仲間の調子が悪い等など……色々な理由をつけては森へと近づこうともしなかったのだ。
その間にも魔毒の被害が広がっていた。最初は北部のほんの一部だったのが、今では北部全体へになってしまったのだ。無論、そのことは権力者であるデリッシュ家や勇者一行は知っていた。しかし、それでも彼らは何もしようとはしなかった。それに我慢ならなかった北部の人たちは嘆願しに行った。
そして、勇者に言われた言葉は。
『それなら、あんたたちが森に調査に行ってよ。敵の正体が分かれば対処できるし』
その言葉に半ば憤慨しながらもそれを信じ、北部の一部の男たちが仲間を集めて森に調査しにいったのだ。
「その調査にニコの父親……私の夫も加わっていました」
彼は自分の嫁も魔毒にやられていたことから、調査に志願したらしい。
そして、十数人の男達が武器や農具を手に取り、森へと向かった。
結果。
帰ってきたのはたったの二人だけだった。
その二人とも、ニコの父親ではなかった。
一人は重傷、一人は心が壊れており、喋れる状態ではなかった。それでも二人から聞き出した情報によると森に入った途端、次から次へと仲間が消えていったらしい。さっきまでとなりにいたのにふと振り返るといなくなっている……そんなことが起こり、仲間はパニックとなり、それぞれ散り散りに逃げていったという。中にはあまりにもパニックになって、互いに傷つけあう連中もいたそうだ。
だが、北部の人々が怒りに震えたのはその後のこと。
残った二人の言葉を勇者に伝えたところ。
『何それ。全然意味わかんないんだけど。そんなの何の情報でもないじゃん。無駄死にもいいところだね、ほんと』
その言葉を聞いて、何人もの人々が彼に殴りかかったのだという。だが、そこは勇者というべきか。鍛えてもいない彼らでは勇者に返り討ちにあうだけだった。加えていうのなら、勇者はデリッシュ家と手を組んでいるため、下手なことをすれば、居場所を奪われる。実際、勇者に逆らった者は街から出て行くはめになっていた。
無論、ニコも母親も勇者に対して怒りを覚えた。憎しみさえ抱いた。
だが、何もできない。自分たちは無力なのだと実感させられた。
「赦せないと思っても、何もできない……そんな屈辱を味わったからこそ、貴方が勇者を殴ったということが、あの子にとってはなによりの救いになったのかもしれません」
救いになった。
別にゲオルはニコのために殴ったわけではない。というより、そんな事情など知らなかった。ただ単純に煩かったから殴った、それだけだ。それは、あの子供も分かっているだろう。
けれど、それでも憎い相手を殴ってくれた。
ニコの中ではそういうことになっているのだろう。
同情はしない。それは、ニコも望んでいないだろう。
ただ、だ。
それなら、もっと強く殴っておけばよかったと、ゲオルは少しだけ後悔していた。