幕間 魔剣『ダインテイル・レヴァムンク』②
某日。
どこにもない店にて。
『店主。この剣が欲しいんだが』
男……ザイリードは店に飾ってあった一本の剣を手にとりながら、店主に言う。
そして、その剣こそ、流れ流れて『店』へとたどり着いたダインテイルだった。
『そいつか。別に構わんが……それには少し、曰くがあるんじゃ。それでも良いかの』
店主であるウムルは、ザイリードに対し、ダインテイルの呪いについて説明した。
四度の絶対勝利。そして四度目での死。敵も味方も関係なく、多くの人間を死に至らしめた剣であると。
何も言わず、黙って売ることもできたが、それは商人として責任が無さすぎる。
しかし。
『カカッ。そんな呪いなど、どうでもいい』
ザイリードはダインテイルを鞘から抜き、刀身を眺めながら、続けて言う。
『おれは剣としてのこいつが気に入ったんだ。付属の能力なんぞ、興味もないわ。どうせ、使うこともないだろうしな』
笑いながら、そんな事を口にするザイリードに驚いたのは、ウムルだけではない。ダインテイルもまた、おかしな男が現れたと感じていた。
魔剣が欲しいと言うくせに、その能力は必要ないという。
何と言う矛盾だろうか。
いや、たとえそれが本心だとしても、いずれは魔剣の魅力にとりつかれ、能力を使うかもしれない。その時々によって、気持ちが揺らいでしまう。人間とはそういう生き物でもあるのだから。
だがしかし、だ。
その言葉は、何故かダインテイルに興味を抱かせていた。
『よかろう。ならば好きにするといい』
商談成立。
提示された対価を支払われ、この瞬間からダインテイルはザイリードの剣となった。
『これからよろしく頼むぞ、相棒』
かけられた言葉に、魔剣は奇妙な気分となった。
相棒。その言葉の意味はよく理解している。だが、それは自分とは一切関係のない代物だと思っていた。
持ち主を死に至らしめる。それを知りながら、男は自分に対して、そんな言葉を告げたのだ。無論、返事が返ってくるなどとは思っていないだろう。が、それでもおかしな言動ではあることには変わらない。
変人。一言で例えるなら、それが一番しっくりくるのだろう。
だが、だ。
その言葉があったからこそ、ダインテイルは、ザイリードが他の持ち主とは違うのだと感じたのは。
そして思ったのだ。
この男の戦いの果てを、見てみたい、と。
*
正直言って、ザイリードも同じ結末になると思っていた。
どんな者でも必ず勝利を掴むことができる……それは、戦う者にとってはこれ以上ない程、求めるべき代物であるとダインテイルは嫌というほど見せつけられてきた。
戦いとは勝たなくては意味がない。負けてしまえばそこまで。それが戦場という場所であり、闘争の真理なのだと。
そして、ダインテイルの呪いは四度目に発動する。つまり、三回は何の代償もなく、確実に勝利を手にすることができる。ならば、使わないわけがない。
そして、三回その力を使えば、もはや用済みとなり、捨てられるか、誰かの手に渡るかのどちらかだ。
しかし、ザイリードはそうしなかった。
彼は、いつまでも経っても魔剣としての力を使うことはなく、ただ剣としてダインテイルと使っていた。
切れ味がいい。耐久性が高い。いつまでも使い続けられる……確かに、通常ならそれだけの条件が揃っていれば文句はないし、名剣として扱われるのだろう。
だが、ダインテイルは魔剣だ。力があるのだ。たとえ、最初はその力を使うつもりがなくとも、人はいずれその力を使いたがる。少なくとも、今までの連中はそうだった。
しかし、ザイリードはいつまで経っても、魔剣の力を一度も使おうとしない。
絶対に勝てるという甘い誘惑がいつも隣にありながら、けれど彼は自らの剣術を駆使し、相手を倒し、戦場を駆け抜けていった。
その有り様は、通常の人間の域を超えており、今まで出会ったどの剣士よりも上に君臨していた。
強烈な力、鮮烈な技、苛烈な精神。
剣士で限っていうのなら、敵う者は誰一人としていなかった。加えて、戦う姿は誰よりも輝いていた。少なくとも、ダインテイルにはそう映っていたのだ。
そんな彼を見ていて、ダインテイルは気付いていく。勝利というものは、己自身の手で掴まなければ意味がないことを。魔剣の力などに頼る勝利など、意味がないのだと。
それを知った上で、ザイリードはダインテイルをいつまでも使ってくれていた。
たとえ、どれだけ馬鹿にされても。
たとえ、どれだけ窮地においやられても。
そんなものなど知ったことかと言わんばかりに跳ね除け、なぎ払う。
ダインテイルは、認めざるを得なかった。
この男こそ、最高の剣士であり、自分の主にたる人物であると。
そして、同時に思ったのだ。
この男に、自分を破壊して欲しい、と。
以前、ダインテイルが破壊されなかったのは、それだけの技量を持つ人間がいなかったから。魔術や異能はほぼ無意味であり、ならば物理的な破壊ができる者はそうそういない。故に、溶岩に落とすか、湖の底に落とすか、その議論をしていた内に、ダインテイルの力に魅了された一人の人間に盗まれ、今に至っている。
ダインテイルは自分が溶岩に落ちれば死ぬのか、分からなかった。だが、少なくとも、今はそれが嫌だと感じている。
自分もまた、戦いたい。己の全力を出し尽くし、戦ってみたい。
そして、その上で破壊されるのなら、自分が認めた男に破壊されたい。
それが、彼の願いとなっていた。
幸か不幸か、魔剣であるダインテイルは力を蓄え、意思を持っている。その年数は約五百年。その分、溜め込んだ力は膨大であり、それで自分が自立できると理解していた。
即ち、人間への擬人化。
あと五年、いや三年か。それだけの時間があれば、自分は一人で行動することは無論、戦うこともできるだろう。そうなれば、己の主と戦うこともできる。無論、ダインテイルは全力で戦う。戦いで手を抜くなど、許される行為ではない。それが自分が認めた相手なら尚更。
そして、その上で、きっとザイリードは自分に勝利し、破壊してくれるだろう。
何故なら彼は、自分が最高と認めた剣士であり、主なのだから。
少なくとも、この時までは、彼はそう信じていた。
それが……叶わぬ夢となってしまうとも知らずに。
*
何故。
何故、何故、何故……。
何故こんなことになってしまったのか。
疑念と疑問。それらが繰り返し、ダインテイルの思考を支配していた。
その原因は、彼の前で起こっている事柄。
即ち、ザイリードの敗北。そして、死だ。
実際には、ザイリードはまだ死んでいない。だが、身体はボロボロであり、既に動ける様子ではない。自分を掴んでいる手にも力は入っていなかった。何より、ザイリード自身が敗北を認めてしまっている。
完全なる敗け。
認めたくはないが、この状況はそれ以外の言葉が見つからない。
そして、これもまた認めたくはなかったのだが……ザイリードを倒したのは、魔術師であった。
この時、ダインテイルがどれだけ憎悪したのか、憤怒したのかは言うまでもない。
だが、そんな彼の言葉は魔術師は無論、ザイリードにすら届くことはなかった。
だから、彼には傍観することしかできない。
『一つ聞く。なぜ、最期までその魔剣の力を使わなかった? それを使えばあるいは……』
魔術師が口にした言葉は、ダインテイルと同じ疑問。
そうだ。業腹ではあるが、魔術師の言う通り、ダインテイルの力を使っていれば、彼は敗けることはなかった。
だというのに、何故―――――
『馬鹿いうんじゃねぇよ』
一喝。
無論、それは魔術師に対しての言葉。
だが、どうしてだろうか。
その言葉が、自分にも向けられていたように感じたのは。
『おれはこいつの力を使っていたさ。剣としての力を十全にな。そして、こいつもそれに応えてくれた。おれが負けたのは、力量が足りなかっただけ。それだけだ。魔剣の力を使おうが関係ねぇ。おれが負けたのは、おれのせいだ。断じてこいつのせいじゃねぇ』
その言葉が。
その一言が。
ダインテイルの心に突き刺さる。
この男は、この主は、こんな状況においても、自分を剣として扱ってくれていたのだ。魔剣ではなく、自分の相棒として。
自分の命が消えようとしていることで、それを証明しようとしている。
馬鹿だ。どうしようもなく、大馬鹿だ。死んでしまえば、そこまで。そこから先には何もない。もっと戦うことも、もっと剣を振るうこともできない。
なのに、だというのに……。
『……そうか。それが、貴様という剣士の在り方か』
魔術師は納得したかのような言葉を呟きながら、続けて言う。
『認めよう。「剣師」ザイリード。貴様は紛れもなく、最高の剣士であり、その愛剣もまた、最高の剣であったのだと』
その言葉に、嘘は感じられなかった。
少なとも、ダインテイルは、目の前の男は本気でそう思っており、感じたことを口にしているように見えた。
『カカッ。魔術師のくせに、妙なこと言うんだな。おれが出会ってきた他の連中とは、大違いだ』
本当に、その通りだ。
この男は、今までの魔術師達とは違う。戦った男を認め、敬意を払う。それだけでも、どこか異質な魔術師であるのだとダインテイルは理解した。
『ありがとよ。思いっきり戦って、死ぬ最期にそんな言葉を聞けたんだ……おれの人生も、案外、悪く、ない……ものだったって……おれは、お前と戦って、ようやく理解できた……』
途切れながら、しかしザイリードは己の言葉を続けていく。
『あばよ、「万能の魔術師」……お前も、おれが出会った中で、最高の魔術師だったよ……』
気力を振り絞りながらの最後の言葉は、どこまでもザイリードらしいものだった。
『ああ。眠るがいい、ザイリード……。貴様の剣を、ワレは一生忘れることはないだろう』
そして、魔術師もまた、最後まで敬意を忘れることはなかった。
こうして、『剣師』ザイリードは、剣に捧げた人生の幕を閉じ、ダインテイルは、己の主を失っ―――
(…………………………………………………………………………………………………………………………………………認めん)
刹那、ダインテイルの中で、何かが爆発した。
(認めん、認めん、認めん!! こんな結末は、このような最後は、某は絶対に認めん、認められない!!)
怒り。いいや、咆哮か。未だ剣の姿でしかない彼の声は、やはり誰にも届かない。
けれど、ダインテイルはそれでも己の気持ちを認識していく。
(主は思う存分戦った。その相手も全力を出し切っていた。両者とも、互いに尊敬しあい、己の本気を出し合い、ぶつかり、戦っていた。その姿はこれまで見た、どんな戦いよりも輝いていたし、素晴らしかった。人間は、ここまでの領域にまでたどり着けるのかと思わせてくれた)
それは本当であり、事実。
あの時、あの瞬間の二人は、ダインテイルが出会ってきたどんな人間よりも、煌々と光り輝いていた。
(主はきっと納得して逝ったのだろう。それを覆すことは、無粋であり、恥ずべきこと。主の顔に泥を塗るに等しい行為。彼の剣として、絶対にやってはいけない行為だ)
けれど。
(だが……だがっ!! それでも、某は認めるわけにはいかない!! ああ、無論これは某の馬鹿げた我儘だ。クズのような度し難い自己中心的な願いだ。子供の癇癪よりも底辺な、阿呆な望みだとも)
けれど、けれど、けれど。
(それを理解した上で、某は思う。いいや、あの二人の戦いを見て、余計に想ってしまった……某は、心の底からあの人に壊されたかったのだと!!)
輝く二つの魂。その闘争を見てしまった故に、余計に自分の願いに火がついてしまったのだ。
(諦めない。諦めてたまるものか。無理? 不可能? 知ったことか!! どれだけの歳月がかかろとも、どれだけの試練が待っていようとも、関係ない。それらを凌駕してみせるだけの話っ!!)
何と言う傲慢か。何と言う我儘か。
彼の言っていることは、道理を超えている。常識を捻じ曲げている。今更どうすることもできない事柄を、成し遂げようとする様は、狂気すら感じさせる代物。
自分が成そうとしていることが馬鹿げたことであり、誰も幸せにならないことを分かっている。クズのようなやり方で、自分の願いをただ叶えるために、主の意思や決意まで汚そうとしている。剣として、やってはいけない一線を超えようとしている。
かつて、魔術師のことを業が深く、救いがたいクズだと断じていたくせに、自分もまた、同じようなことをしようとしている。
正しく矛盾の塊。
それを自覚し、理解しながら、魔剣は心の底から叫ぶのだ。
(某は……それでも己の大願を成してみせる!!)
地面に突き刺さっていた魔剣はゆっくりと形が変わる。
捻れ、歪み、曲がりながら、剣としての形を失いつつ、新たな姿となっていく。
そして。
「待っていろ、魔術師……某は必ず、お前の下までたどり着く!!」
嵐の中で、ひと振りの魔剣は、人の形を得たのだった。