幕間 とある剣士の最期
四章、開幕です!
よろしくお願いします!
男の話をしよう。
その男は剣士だった。それも国一番と言われる程の実力者。彼の前ではどんな敵も、いつの間にか切られている……神がかった早業の剣術だった。
しかし、彼はそれでは満足できなかった。
国一番の実力者……その言葉は、逆に言ってしまえば、国で一番程度の実力でしかない、という意味でもある。
世界には多くの剣士がいる。それこそ、星の数ほどだ。無論、その中には男の実力を超えるかもしれないと言われる剣士もいた。
誰が一番強いのか。
誰が一番凄いのか。
それを証明できないがために、彼は最強とは呼ばれなかった。
別段、最強と呼ばれたいわけではない。ただ、自分が最強と呼ばれないということは、自分よりも強い人間がいる証拠。ならば彼らと戦ってみたい……そんな想いを持ち、彼は旅に出て、剣を振るってきた。
時には人の助けとなる剣を。時にはただ目の前の相手を倒したいがための剣を。
その時々によって、彼の剣は意味が変わる。だが、唯一変わらなかったのは、自らの剣の能力を使わないこと。
男が持つ剣は魔剣だった。持ち主に絶対なる勝利を四度与える、という能力があり、かつては誰もがそれを求めていたらしい。が、四度叶えると必ず持ち主に不幸が起こる、という一面もあるがために持ち主はその恐怖に必ず怯えるという。
多くの者が手にしたいと願い、そして多くの者が恐れた一刀。
しかし、男はその生涯において、その魔剣の能力を一切使うことはなかった。
理由は単純明快。そんなもので勝利を収めたところで、何の意味もないから。
彼がその魔剣を使っていたのは、単に好きな形状であったことや手にしっくりくること、そして何より切れ味がよく、刃こぼれも絶対に起こさないから……それだけの理由だ。そして、それは十分すぎる理由だった。剣はどんなものでもいつしか刃こぼれを起こすし、折れる時だってある。その心配がないのだから、その魔剣を愛剣とするのは当然と言えるだろう。
ある時、彼にこんな事を言った者がいた。
『力を使わないのなら、それは単なる宝の持ち腐れではないか』
またある時はこんな事を言った者がいた。
『魔剣の力を使ったことがないなど有り得ない。どうせ使ってないなんて嘘に決まっている』
そして中にはこんな事を言った者がいた。
『その魔剣を手放さないのは、結局のところ、いつかその力を使うかもしれないと思っているからだろう?』
謂われのない誹謗中傷。
魔剣を持っているからという理由で、彼は嘘をついていると言われ、そうでなくともいつかは魔剣の力を使うはずだと言われ続けてきた。
けれど、それでも彼はその魔剣を手放すことはなかった。
魔剣の力が必要だったのではない。ただ、この魔剣に、この上なく愛着があったからだった。そして、だからこそ力を使わず、彼は戦い続けた。他の連中を見返すためではない。魔剣は力を使わずとも、剣としての役目を果たせる……それを証明するため、というのもいつしか彼が戦う理由の一つとなっていた。
戦って、戦って、戦って。
彼は戦い続けた。
無論、魔剣の力無しで。どんな時であっても、どんな窮地であったしても。
そして―――それがたとえ、己の最期の時であっても。
「……っ」
男は雨に打たれながら、地面に突っ伏していた。その身体から、無数の血を流しながら。
あまりに血を流しすぎたせいか、もう指先一つ動かすのさえ、できない。意識は未だあるものの、それももうあと僅か、といったところか。
「カカッ……少々、年甲斐もなく、派手にやりすぎたか……」
男は既に老人と言える程の歳になっていた。髪の毛も既に全て真っ白になっており、皺も多くなっていた。しかし、だからといって剣術に衰えが生じたわけではない。
今回負けたのは、単純に力が足りなかったから。
剣士という剣士と戦い、勝利を収めてきた男は、今度は剣士以外の強者と戦うことを決めた。拳闘士、槍使い、弓使い、魔術師等など……そして今回、最近名が知れ渡っていた『万能の魔術師』と勝負をした、というわけだ。
繰り出される魔術に対し、男ができるのはただ剣を振るうことのみ。だが、それだけで十分だった。いくら相手が高度な魔術を使おうと斬れるのであれば、戦うことはできる。
魔術と剣術。その戦いは、想像を絶するものだった。
洗練された魔術に対し、男が繰り出すのは今まで極め続けた剣術。相手の癖を読み、攻撃の瞬間を見極め、間合いを見計らい、油断を誘い、隙を作り、そして切り伏せる。言葉で表すと単純ではあるが、実行するとなるとそう容易いものではない。それこそ、目の前の魔術師相手には特に、だ。
通常、魔術師は近距離戦闘に弱い。詠唱を口にしている、というのもあるが、結局のところ、彼らの武器は魔術であり、己の肉体を鍛えることをしないのだ。故に、間合いにさえ入ってしまえば、今までの魔術師の大半はそれで倒せていた。
だが、この『魔術師』は違った。
距離を詰めれば、魔術を使わず、拳で応戦し、時には魔術で作った武器を用いて逆に間合いを詰めてくることもあった。無論、剣術においては男の方が有利ではある。だが、この『魔術師』は魔術だけではなく、体術も使えたのだ。
結果、戦いは拮抗したものとなり、互角なものとなった。
だが、結果はごらんの有様。
あと一歩というところで、刃を届かせることができず、男は倒れてしまった。
「ああ……悔しいなぁおい」
そんな言葉を口にしながらも、しかし表情はどこか晴れ晴れとしたものだった。
十二分の戦い、満足のいく闘争。
これ以上ない手応えとやりがいに、負けたというのに、彼の心はどこかすっきりとしていた。
そんな男の前に、同じくボロボロの状態の『魔術師』がやってくると同時、言い放つ。
「……約束通り、貴様の身体を貰い受ける。文句はあるまい」
「カカッ。当たり前だ。こんな戦いができたんだ。今更、約束を反故にするわけないだろう」
『魔術師』の言葉に、男はやれやれと言わんばかりな口調で返す。
戦いの際の約束。それは、男が負けた場合は、その身体を貰い受ける、というもの。どうやら『魔術師』は他人の身体を乗っ取りながら生きながらえているようで、今回は男がその身体にされるというわけだ。
「しっかし、こんな年寄りの身体なんかでいいのか?」
「別段、問題はない。熟練の剣技を持つ男……それだけで、ワレの身体に値する」
「カカッ。褒めても何もでねぇぞ……つっても、本当にあと十年……いや、五年。もう少し若ければ、もっといい勝負ができたかもしれないけどなぁ」
「何を言うかと思えば……阿呆が。貴様の剣は、今の貴様だからこそ極められたものだ。若さなど、関係あるまい。少なくとも、貴様はワレが今まで戦ってきた剣士の中では、最高の技量だったのだからな」
それはまごうことなき、事実である。
男は老体でありながら、常人の男、否、達人と呼ばれる剣士達よりもさらに素早い動きを見せた。それだけではない。長年培ってきた洞察力によって、『魔術師』の攻撃を瞬時に見抜き、さらには瞬間的な一擊は岩を粘土のように切り裂いた。おかげで、『魔術師』の身体もまた、ボロボロの状態である。
だが、それは男がこの今に至るまでに積み重ねたものの結果だ。だから、彼のこの姿こそが、黄金期と言えるのだ。
「カカッ。『万能の魔術師』にそう言ってもらえると……ありがたいねぇ」
死に逝く身体で、男は笑う。もはや身体の感覚は無に等しく、手足は既に死んでいた。けれど、それでも普通に会話をしている男に対し、『魔術師』は問いを投げかける。
その視線の先にあるのは、男が生涯大切に扱い、そして使わなかった魔剣。
「一つ聞く。なぜ、最期までその魔剣の力を使わなかった? それを使えばあるいは……」
「馬鹿いうんじゃねぇよ」
『魔術師』の言葉を最後まで聞かず、男は遮った。
「おれはこいつの力を使っていたさ。剣としての力を十全にな。そして、こいつもそれに応えてくれた。おれが負けたのは、力量が足りなかっただけ。それだけだ。魔剣の力を使おうが関係ねぇ。おれが負けたのは、おれのせいだ。断じてこいつのせいじゃねぇ」
そこを履き違えるなと、死に体でありながら、剣気を飛ばす。
その覇気を受けながら、『魔術師』は「そうか」と呟き、言葉を続けた。
「……そうか。それが、貴様という剣士の在り方か」
それはどこか、納得したかのような言葉。
こんな剣士もいるのかと。そういう信念があるのかと。
理解した上で、『魔術師』は言う。
「認めよう。『剣師』ザイリード。貴様は紛れもなく、最高の剣士であり、その愛剣もまた、最高の剣であったのだと」
『魔術師』はどこまでもいっても魔術師だ。剣士ではない。故にその心根を真に理解することなどは不可能である。けれど、それでも男が最期まで魔剣の力を使わなかったことは、彼の誇りであり、何より魔剣を大事に想っているという証。
ならば、彼はまごうことなき、最高の剣士と言えるだろう。
己の在り方を貫き通し、己の剣を誇る。
それが、剣士としての究極の形の一つなのだろうということくらいは『魔術師』にも理解できた。何より、彼は自分と互角に渡り合った初めての剣士。
ならば、賛辞の言葉を送るのは当然のことだった。
「カカッ。魔術師のくせに、妙なこと言うんだな。おれが出会ってきた他の連中とは、大違いだ」
だが……。
「ありがとよ。思いっきり戦って、死ぬ最期にそんな言葉を聞けたんだ……おれの人生も、案外、悪く、ない……ものだったって……おれは、お前と戦って、ようやく理解できた……」
剣士として生き、剣士として戦い、そして剣士として死ぬ。
彼の人生は、それだけであり、それで十分だった。
今、ここに至り、それを再認識し、そして納得した。
ならば……もういいだろう。
「あばよ、『万能の魔術師』……お前も、おれが出会った中で、最高の魔術師だったよ……」
悔いはある。当然だ。戦いに負けたのだ。後悔がない方がおかしいというものだろう。
生きたいとも思う。当たり前だ。何故なら死んでしまえば、もう自分の剣を振るうことができないのだから。
けれど、だ。
それでも、納得はできたのだから、それ以上を望むというのは、あまりに欲張りというもの。何より、自分の剣を、自分の剣技を認めてくれた者に看取られるのだ。
ならば、それはきっと、マシな死に方と言えるだろう。
既に意識が遠のく中、彼は『魔術師』の言葉を聞く。
「ああ。眠るがいい、ザイリード……。貴様の剣を、ワレは一生忘れることはないだろう」
それが、彼が聞いた最後の言葉。
こうして、『剣師』ザイリードは、剣に捧げた人生の幕を閉じたのだった。
今回は過去の幕間でしたが、次回からは現実時間に戻ります!