序 邂逅
「そろそろ『身体』の替え時か」
魔術師がその結論に至った理由としては大きくわけて二つある。
一つは寿命、というより期限切れと言った方が的確か。彼は今日まで何人もの人間の身体を乗っ取り、生き長らえてきた。今の身体も見た目は二十代後半の長身な男だが、実際のところは八十年以上既に使っている。外側はどれだけ取り繕えても中身に関しては誤魔化しがききにくくなっている。身体の反射神経は鈍くなり、剣の切れ味も衰えている。かつてはそこそこ名の知れた剣士の身体だったが、歳には勝てない、ということだろう。というより、よくぞここまで維持できたものだと感心さえする。
二つ目。というより、こっちが重要。ある人間に自分の正体がバレてしまった。その人物は昔から自分を追いかけ続けてきた者であり、因縁の相手でもある。正直、会えばただでは済まないし、最悪死ぬかもしれない。もしうまく切り抜けられたとしても損害は免れないだろう。故に今の今まで逃げ続けてきたのだが、先日ばったりと街中で邂逅し、あっさりと正体を掴まれてしまった。おかげで街は壊滅状態。何とか撃退したものの、こちらの被害も相当なものだった。今は傷口が塞がっている状態だが、また戦うことになれば確実にどちらかが死ぬ。そうならないためにも逃げなくては。
「とは言うものの、そう簡単に『身体』は落ちているわけでもないか……特にこんな森の中では」
森の中を歩きながらそんな事を呟く。
時刻は夜。既に多くの動物は眠りについており、人間は誰一人として気配がない。一方で夜だからこそ起きている獣が森の中を徘徊している。夜目が利く鳥や鹿は勿論、肉食の魔物も何匹か目撃はした。とはいえ、向こうも馬鹿ではないらしく、こちらが少し威嚇しただけで逃げ去っていった。
この森は広大で道を知らない者が入れば迷ってしまう樹海だ。しかも魔物が多く生息していると聞く。ならばこそ、行き倒れた人間がいるかもしれない、と思ってきてみたのだが。
「考えてみれば、行き倒れがいるのなら魔物が食い荒らしているか。流石にバラバラになった身体を使おうとは思えんしな。そもそも、行き倒れるような輩の身体がワレの器とはなりきれん」
乗り移りの先は誰でもいい、というわけではない。それに見合った器を持っている身体でなければ意味がないのだ。例えば子供や老人であれば、魔術師の魂の力に耐え切れず、内側から破裂する恐れがある。逆に言えば耐え切れる器なら誰にでも乗り移ることは可能だ。だが、この男には拘りというものがある。例えば性別。元が男のため、いくら適性があるからといって女の身体を選ぶことはない。例えば容姿。あまり文句は言いたくはないが、それでもブ男よりは整っている顔を好むのは当然だろう。
他にもいくつか条件があるが、それを全て揃えるとなると国中、いや世界中を探しても見つけられない。故にいくらかは妥協する予定ではあるものの、このままでは妥協自体ができない。
「……あまり使いたくはなかったが、この際奴隷市場にでも行って適当な人材を探すか……。この方法だと足がつく可能性があるし、奴隷という社会的地位も邪魔になる。自由に動けなくなっては、奴に見つかる可能性を増やすだけだが……しかし、このままというわけにもいかないしな」
何もせずにずっといれば必ず奴は追いついてくる。そうなる前に身体を変えなければ。
奴隷市場に行けば、戦闘用の奴隷もいるだろう。無論一悶着はあるだろうが、それはそれ、いつものこと。なんともでもなる。
と、懐から地図を取り出し、近くにある街を探そうとする。
「……ん?」
まず感じたのは臭い。鼻にツンとくる血の臭いだ。それもかなりの濃さ。
ふと木の陰を見てみると狼型の魔物が血を大量に流し、絶命していた。どうやら剣か何かで斬られているらしい。傷から見て一擊で殺されたのだろう。
そして少し先にも同じように刀傷で殺されていた魔物がいた。
「これは……興味深いな」
魔術師は魔物の死体を追っていくことにした。この有様を作り出した者の正体を知りたいと思ったからだ。
魔物の死体は次第に増えていった。五匹から十匹、二十匹から三十匹……その数は進む事に大量になっていく。
そして、百を超えた辺りのことだった。
ある洞窟の入口へとたどり着いた。
入口の前には魔物の死体が山となっていた。その数はここに来るまでの倍、種類に関して言えば三十を優に超えている。
一面魔物の血の池が広がっている中、ぽつりと座り込んでいる青年を見つけた。
その手に握られている剣は血で真っ赤に染まっており、それがこの現状を生み出した張本人であるなによりの証拠だった。
「これは貴様がやったのか。中々に大した腕前だな。見るからに魔物の数はおおよそ二百、といったところか。たった一人でよくもまぁこの数を相手に……」
と、そこで気づく。
最初は身体中が魔物の返り血で分からなかったが、それと一緒に彼からも大量の血が流れていることに。腕や足には牙で噛み付かれ、爪で切り裂かれた痕があり、胴体には角か何かで抉られた痕がある。恐らくそれが致命的な一擊だったのだろう。
まだ息はあるようだが、それも時間の問題だろう。
「……、」
魔術師は理解する。これはもう助からない。
たとえここに世界最高の名医がいたとしても、この出血量と傷口ではどうしようもない。
「……だれ、か、いるんですか……」
青年はこちらに顔を向けながら言う。その瞳に光はなく、恐らくこちらを認識できていないのだろう。
「ああ。ここにいるぞ」
「そう、ですか……あはは、すみません。夜だからか、暗くて何も見えないもので……」
青年の言葉に魔術師は「そうか」と言いながら続ける。
「率直に言うが、貴様の命はあと僅かだ。何か言い残すことはあるか?」
残酷な真実を告げる。しかし、これは事実だ。どうしようもなく変えられないものだ。多分ではあるが、本人もそれを理解しているはずだ。それを虚言で濁したところで意味はない。
「あの……すみません。洞窟の奥に、女の子がいるんですが……彼女のことを、頼めないでしょうか」
「貴様の親類か?」
「旅の、仲間、です……今は熱が出ていて眠っています。彼女、目が見えなくて……だから、このままだと森の中で死んでしまうかもしれない……」
青年の心配は当然のもの。この森は広大だ。普通の人間でさえ迷う可能性が高いのに目が見えないとなれば言うまでもない。それに魔物も多い。仮にゆっくりと森を抜けようとしたところで、魔物に襲われるのは目に見えている。
故にその頼みは理解できるが。
「今日、しかも今ここに来たばかりの、赤の他人に、そんなことを頼むのか」
「図々しいことなのは、わかってます。けど、それでも……貴方にしか頼めない」
言うと青年は震える手で懐から血塗れの小袋を取り出した。
「ここに、僕の全財産があります……これで、どうにか……」
取り出された小袋を手に取り、中身を確認する。そこには青年の歳からは考えられない程の額の金貨が入っていた。
「……いいだろう。ただし、条件が一つある」
「じょう、けん……」
「ああ。何そんな難しいことじゃない。ただ―――」
そこから少し、魔術師はある説明をした。
青年はその説明を全て聴き終えると、少し間を空けてから言葉を返す。
「……分かりました。それで、お願いします」
「よかろう。ならば、ここに契約はなった。貴様が払う代償により、我がその娘の安全は保証しよう。故にもう休め、貴様はよくやった。眠るが良い、名も知らぬ誇り高き剣士よ」
「はは……そんなことを言われたのは、初めてです……でも……ありがとうございます……これでようやく……」
そこから先、言葉が続くことはなかった。
青年の瞼が閉じたのを確認するとふぅと大きな息を吐く。
「面倒な事に巻き込まれたな。森の中で探し物などするものではないか。だが……収穫はあった」
青年の傷をもう一度確認する。致命傷は確かなもので、どう治療したところで助からない。腕や足も傷だらけである。
しかし、だ。
それでも五体は満足にあるのだから問題はない。
「まぁ取り敢えずは、あれだな」
そう言うと魔術師は舌なめずりをした後。
「――――――イタダキマス」
刹那、魔術師の口が歪なまでに大きく開いたのだった。
試しにちょっと書きました。
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