とびらのさきは。
「し、しょうがないですねぇ……」
「ほらほら、早く早くっ」
今度は、うちが有里紗ちゃんを引っ張る。逃げさせないようにきつく握って、腕が外れたりしないようにできるだけゆっくり歩いて。そうやって部屋にたどり着くまでが、じれったい。
ペースとか、そういうの考えるのは苦手。ただ何も考えずに突っ走るのだったらよかったんだけど。『恋人同士』の二人三脚は、息も合わせないといけないといけないし、走り方だって、有里紗ちゃんと合わせないと、こけちゃうし。
鍵、そういや有里紗ちゃんが持ってるんだった。開けてもらうのを待つのも、そわそわする。どっか、ぐるぐる走りたくなっちゃうくらい。そのせいか、ちょっとだけ鍵を回す手がゆっくりに見える。
「ねえ、先輩」
「なぁに?」
「ホントに、どうしても聞かなきゃダメですか?」
まだ、怖気づいてる。ダメっていったら、ダメだよ。そっちが意固地なら、うちだって妥協なんてしてあげない。涼しさがまだちょっと残ってる部屋に入って、有里紗ちゃんが自分のベッドに座ったのを見て、体がくっつきそうなくらい近くに座る。自分が手前側に座って、逃げられないようにして。
「ダメだよ、それとも、本当に話せないようなこと?」
「そうだけど、そうじゃないっていうか……」
「えー?はっきりしてよぉ……」
曖昧な気持ちが、ふわふわ浮いてる感じ。抱きついて、くちびるを尖らせる。その心ごと、捕まえられたらいいのにな。うちだって、そわそわ浮足立ってきそう。
うちがスタミナないのも、待つのが苦手なのも、知ってる。……でも、今は、負けてなんかられない。きっと、ここで気持ちで負けちゃったら、きっとずっと後悔しそうで。
「……しょうがないですねぇ、先輩、突っ走るって決めたら引かないんですから」
「何なに?早く教えて?」
そうやって顔を近づけると、逸らされて、もう一悩み。ほっぺたが真っ赤なの見えちゃってるから、意味なんてないのに。
何か言ったような、でも、はっきりとは聞こえない。
「ん?何か言った?」
「……そういうとこですよ、先輩だってこと忘れそうなくらい、かわいくなるとこ」
目をそらされたまま、ぼそりと言われた言葉。うちのこと、かわいいって、……たった、それだけ?拍子抜けしそうになって、表情に出すのだけはなんとか耐えて。
「それって、なんかダメ?」
「だ、ダメですよ、きゅんって、なっちゃうから……っ」
顔中どころか、耳たぶまで真っ赤になって。……うちのこと、かわいいなんて言えないんじゃないの?有里紗ちゃんのほうが、よっぽどかわいいんだから。
「……かわいいの、有里紗ちゃんのほうじゃん」
「そんなことないっすよ、だって……っ」
「だって、何?」
「あたし、ツリ目だから怖いってよく言われるし、背だって大きいし、めんどくさいし……」
あ、なんか変なスイッチ入っちゃった。いっつも明るいのに、いじけちゃうと長引くのは、一緒に過ごしてるうちに何回か見てる。
そういうこと、聞きたいわけじゃないの。……うちが好きな人のこと、そんな風に言わないで。今の有里紗ちゃんだから好きになったのに。……言おうとすると、ほっぺが熱くなって言葉が出ないから。
「もー、そんなこと?」
「……ほえ?」
「追いついてないなんて思わないでよ、……うちだって、有里紗ちゃんに勝てないとこ、いっぱいあるよ?」
「でも、あたし……、今だって先輩のこと困らせて」
そんなこと言わないでよ。くちびるで塞げるほど、大胆にはなれない。だから、思いっきり抱きしめて、体重をかけて。
「そんなこと、言わないで」
「な、何すか、せんぱい……」
ぼふん、と音を立てて倒れる体。手で倒れるまえに支えたけど、……よく考えたら、この体勢も、ドキドキしちゃう。肌と肌が、触れ合いそうな距離。ほっぺの奥、熱くなってくる。うちも、有里紗ちゃんのこと言えないや。
「いいよ、いっぱい悩んだって、……まだ、恋人になって、ちょっとしか経ってないもん」
「……ずるいですよ、そうやって、オトナっぽくなるとこも」
「もー、一応うちのほうが先輩なんだからね?」
「わかってますよ、……でも、そういう風に見えないんですもん、いつもは」
もっかい、ぎゅってしようとして、顔と顔が近づく。ぎゅって目をつぶるのが見えて、……もう、かわいい。
「……ちゅーしてほしいの?」
「そ、そういうんじゃなくてっ!」
「じゃあ、どういうのなの?」
「ただ顔がぶつかりそうで閉じただけですっ!」
それでも、まだ目を閉じたまま。ただでさえ生ぬるい空気が、ますます熱くなっていく。こんなんされたら、ほんとにしたくなっちゃうでしょ。
「それでいいから、早く行こ?外、どんどん暑くなるんだから」
「わ、わかってますよっ」
体を起こすと、目の前で黒髪が跳ねて流れる。プールの授業があるときに持ってってるバッグを引っ掴んで、玄関の前でうちのことを呼ぶ。
「ほら、行くんでしょ、先輩」
「んもう、わかってるよっ」
吐き出せて、すっきりしたのかな。うちは逆に、……うっかり押し倒したときの余韻が、消えてくれない。もうちょっとだけ、あのままでいたかったような、早くデートしたいような。
もやもやした雲は晴れたはずなのに、別の雲に覆われる。思いっきり走ったら、かき消えてくれるかな。うちも、有里紗ちゃんの真似するみたいにプールバッグを持って、部屋のドアまで駆けこんだ。




