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どうにも晴れない頭の重みに苛まれながら、正和は教室に戻った。
いつの間にか、ほとんどの生徒は下校して、おなじみの顔ぶれだけが正和の席の周りに集まっていた。
一足先に屋上から戻っていた涼子が、机の位置を几帳面に調整ながら声を上げる。
「あ、来た来た」
「杉田くん、まだ時間あるから、みんなで駅前で食事でもしていかないかって話してたんだけど、どうかな?」
提案する松田の声は、普段より浮かれて弾んでいるように聞こえた。
自分の彼女が遠くへ越していくのを見送る直前だというのに、正和と累のことを気遣っているらしい。
そんな彼の優しさがありがたく、そして申し訳なかった。
「あー……どうすっかな……今金ねぇしな……」
適当な理由ではぐらかそうとしながら、視界の端で累が不安げにこちらを見ていることに気づいた。
彼女としては、いつも仏頂面で黙り込んでいる正和とは一緒に行動したくはないのかもしれない。
「ノリ悪いこと言わないの。なんなら貸したげる。トイチで」
「……委員長の癖に法外すぎんだろ」
「いいから。今日くらい何も言わないで付き合いなさい」
言って、カバンを拾い上げてさっさと教室から出ていく。
「堀江さん、行こう」
「う、うん……」
松田に促されて、累もその後に続く。
正和も仕方なく、軽いカバンを拾い上げて教室を後にした。
—
昇降口から出ると、相変わらずのうだるような暑さが襲い掛かってきた。
校庭では、終業式を終えたばかりだというのに、野球部が練習に精を出している。
蝉の声、野球部の掛け声と硬球を金属バットが打ち返す音。
夏の風物詩が揃いも揃って、正和たちの周囲の気温を少し押し上げているように感じた。
四人連れ立って校門までの道を歩く。
専ら話しているのは松田と涼子で、そしてたまに話を振られた累がおずおずと短い返事を返すだけ。
累が変わってしまってから、正和以外は意識して会話を盛り上げようと心がけているのが感じられた。
正和は心苦しく感じながらも、口数少なくそばに佇んでいる時間が多くなっていた。
少し前まで、どんな話題もきっかけは累で、そこにツッコむ自分がいて、グループの空気が出来上がっていた。
他のみんなが変化に対するフォローをしようとするほどに、その『変化』を強く意識させられる気がして居た堪れなかった。
先を歩く累が、時折振り向きながら正和の様子を伺っている。
不安げな視線に、気づかないふりをすることも慣れつつあった。
きん、と甲高い金属音。
真っ青な空へ吸い込まれる白球。
何の気なしにその軌道を目で追って、正午過ぎの太陽を直視してしまった。
ホワイトアウトする視界に、眉間を顰める。
「……正くん!危ない!!」
甲高い声が耳をつんざくと同時に、視界をこげ茶色の物体が覆った。
ほんの一瞬の間を置いて、固く重たい何かが目の前の物体に衝突する音。
呆気にとられて、立ち止まる。
すぐ傍らに、カバンを持った手を目いっぱいに伸ばした累の姿。
そして、硬い音を立ててアスファルトの地面に落ちる、白い硬球。
校庭に散らばった野球部員たちが、心配そうな顔で正和たちの一団を見つめている。
その様子で、やっと正和にも何が起きたのかを察することが出来た。
校庭の端から放たれたホームラン性の打球が正和の頭部目掛けて飛来し、それを累がカバンを使って受け止めたのだ。
「……累……?」
目が見開いてその名前を呼んだのは、恐らくこの中で一番その動作に強烈な思い出があるであろう涼子だった。
驚きのあまり声も上げられずにいたが、正和も覚えている。
これは、累が涼子とバドミントンで対決した時に見せた動きだ。
「大丈夫ですかー?!」
打球を放った本人らしき生徒が、大声で尋ねてくる。
とりあえず涼子が、手を挙げて無事を伝えた。
「ほ、堀江さん……大丈夫?」
「…………」
心配する松田の声にゆっくりと向き直り、はっとしてカバンを確認する累。
「あ……大丈夫、みたい……。このカバン、凄く丈夫……」
「い、いや、カバンじゃなくて……」
「……正くん、大丈夫だった?」
涼子の指摘を軽く無視して、累は正和を振り返る。
正和は信じられないものを見たという顔で、目の前の幼馴染を見つめる。
今の累の運動神経は、小学校低学年の女子と比べても見劣りするようなレベルだったはずだ。
体育の授業の様子は、下手をすれば単位を落とすかもしれないレベルだと涼子から聞いていた。
そんな彼女が見せた、二ヶ月前を彷彿とさせる俊敏な動き。
正和は、そこに過去の記憶を重ねずにはいられなかった。
「累……。お前……」
「…………?」
焦がすような日差しの中、三人はしばらく首を傾げる累の姿を無言で見つめていた。
—
駅ビルのレストランフロアに辿り着いた四人は、安価なことで有名なファミリーレストランのボックス席に収まっていた。
メニューに頭を突っ込むようにして何を注文しようかと考え込んでいる累に、松田と涼子は時折様子を伺うような視線を向けている。
正和はといえば、未だに学校で起こった事態を飲み込めない様子で、腕組みをして黙り込んでいた。
「……どういうことだと思う?さっきの……」
耐えかねたように、松田が小声で隣の正和に聞く。
正和は答えに窮して、ただ呻くばかりだった。
校庭を縦断して飛んできたボールをカバンで受け止める。
言葉にすれば容易いが、何の準備もなく危機に反応してやり遂げるのはきっと至難の業だ。
特に、絶望的な運動音痴であるはずの今の累にとっては。
迫った危険に、火事場の馬鹿力を発揮したということなのか。
それとも、単なるまぐれ当たりのようなものなのか。
何となく、ただそれだけの理由で片付けることに抵抗を感じてしまう。
それほどに先程の累の動きは、正和の知る『彼女』の動作と酷似していた。
「……やって出来ねぇことじゃ、ねぇよな。……体は同じの使ってるわけだし」
あまり考え込むのも馬鹿らしいと、茶化すように笑いながら正和は答えた。
松田も、正和のその反応にほっとしたように半ば無理矢理な笑顔を浮かべた。
「そ、そうだよね……。堀江さんなんだもんね、あれくらい出来ても不思議じゃないよね……」
どことなく論点をすり替えながら、二人は不自然に笑いあい、妙に乾いていた喉を水で潤した。
ちょうど、ウェイトレスが注文を取りに歩み寄ってくるところだった。
累はおどおどとメニューを指差す。
「あ……すいません……。これ、お願いします」
「……えーっと、どちらでしょう?」
「えっと、この……ペペロンチーノ」
同時に噎せる正和と松田。
「な、なによ、アンタ達。きったないな、もう!」
「……っ……ご、ごめん……」
「悪い……」
男子二人は顔を赤らめながら、紙ナプキンでテーブルと口の周りを拭った。
そして、またしても顔を見合わせる。
「……どういう、ことだと思う?」
先ほどと同じ質問を、また投げかける松田。
「……偶然にしては、なんていうか、おちょくられてる感が……」
どことなく懐かしいような感覚を覚えながら、取り敢えず注文を済ませる。
正和は昼食に食べたそれがどんな味だったか、それどころか何を注文したのかさえろくに覚えていなかった。
向かいでは累が、食後のプリンを幸せそうな顔でつついていた。




