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累は踊るようなステップで玲との距離を詰めると、その顔面を目掛けて右足を振り上げる。
玲が身をかがめてそれを避けるや否や、中空でピタリと足刀を止め、くの字を描くように軌道を修正する。
ほとんど地面に這いつくばるように、更に姿勢を低くしてそれも回避する玲。
折り曲げた四肢に溜めた力を一気に開放して、飛び退いて距離を作るも、すぐに密着して追撃を仕掛ける累。
左手、右手と続けざまの突き。
十字に重ねた両手でどちらも防ぐ。
振り下ろされる左手の手刀。
後退する。狙いの鎖骨を指先が掠めた。
前のめりに体勢を崩した累の背中を突こうと、玲が右手を振りかぶる。
それを察知した累は前傾の姿勢を敢えて戻さず、地面に左手をついて倒立の姿勢をとる。
驚異的な柔軟性で背筋を反らせて突きを回避し、開脚して体を回転させる。
想定外の角度から襲いかかる累の足を何とか掻い潜って、玲は地面を転がる。
そのまま横に跳び、着地したばかりの累の死角に回り込んで、渾身の貫手を脇腹に叩き込もうとする玲。
姿勢を整えるより、相手に向き直るより先に防御の腕を飛ばして玲の手首を払い除ける累。
弾いた感触の軽さに累の眉が上がる。
素早く累の腕に絡みつくようにして体を密着させ、玲は背負投を仕掛けた。
体が浮き上がった瞬間、累は掴まれた腕を器用に振りほどき、玲の背中を馬跳びのようにして飛び越えた。
距離を取り、再び対峙し合う二人。
それこそまるで格闘ゲームの世界のような光景だった。
お互いの思考を読み合えてしまうからこそ、その裏をかく狙いでトリッキーな技の応酬に陥るようだ。
しかし、依然として玲の劣勢は続いている。
黒いワンピースの胸元が破れ、肩口にも小さな裂傷が出来上がっていた。
「暗示の力抜きで競り合うなら、やはり私のほうが優れているようね」
「残念ですけど、そうみたいですね」
「さあ、このままではジリ貧よ。何か奥の手でもあるなら出し惜しみはせずに見せてみなさい」
「……」
挑発的な言葉にも反応することはなく、玲は無言でスカートの裾を叩く。
そんな仕草の最中でも、視線はぴたりと累を捉えている。
涼子はその目に見覚えがあった。
バドミントンで累と対決した時に、涼子の動作とシャトルの軌道を解析するように凝視していた視線。
おそらく、玲は今累から情報を引き出そうとしている。
「……奥の手なんて大層なものは隠し持っていませんが……一つ頼りにしているものがあります」
夜の空と同じ色のワンピースに身を包み、病的なほど白い肌を血の赤で汚して、玲は微笑む。
「私が今まで育んできた『覚悟』です。あなたには枷にしか見えないでしょうけど、私にとっては最後の拠り所です」
「そんなものが、どう役に立つというの?」
「累ちゃんには分からないでしょうね。……私は、自分の能力に絶対の自信なんて持てません。だから、積み重ねてきた時間を信じるしかないんです」
「哀れね」
「そうかもです。でも、あなたはその概念を知らない。その可能性も知らない」
「…………」
「……私があなたを出し抜ける可能性があるとすれば、その糸口と成り得るファクターは、それしかありません」
「……正直、苛つくわ。こんなに感情任せな気分になるのは初めてよ……」
抑揚は最小に抑え込んだまま、累は自己分析の結果を吐露する。
その横顔が、言葉通り苛立ちを滲ませて歪んでいる。
(……挑発が、効いてる?)
涼子にとってはかなり驚くべき事態だった。
まさか、あの累の心を揺り動かす方法があるなんて。
「……もうストレスは沢山よ。早く終わりにしましょう」
それだけ言い捨てて、返事も待たずに打って出る累。
その足が一歩目でブレーキをかける。
累が駆け出すより一瞬先に、玲も前進していた。
玲が初めて見せた、積極的な攻撃の姿勢だった。
立て続けに三つ、突きを繰り出して、全て軽く回避される。
続いて、左脇腹を狙った右手の一撃。
累が万全のガードを固めていると見るや、腕を空振りさせて、その勢いでバレリーナのように優雅にターンを決める。
長い髪が、一拍遅れて累の目元を撫でるように通り過ぎる。
「……!」
一瞬視界を奪われた累は、無条件に後退するしかない。
それを見越していたように、玲も低い姿勢で追いすがる。
両足に照準を定めた、猛烈な速度のタックル。
いかな累といえど、その勢いで押し倒されて抑え込まれれば、絶対的不利な姿勢に追い込まれるはずだ。
思わず拳を握りしめた涼子の眼前で、信じがたい光景が繰り広げられる。
後方に押し倒されるまでの刹那、玲の両肩に手を置いて、その両腕の拘束から足を引き抜く。
膝を抱え込みながら後ろに倒れこむ累の体と、唖然とした顔のままその上に無防備にのしかかる玲の体。
靴底に玲の腹部を捕らえ、接地した首と両手のひらを起点に、累は丸めた体を真上に向けて伸ばす。
それはまるで、真下からかち上げるドロップキックだった。
決して小柄とは言えない玲の体が、まるでバスケットトスで跳んだチアリーダーのように、高々と中空へ舞い上げられる。
姿勢制御もままならず、緩やかに錐揉みしながら玲の体は落下を始める。
真下では累が舌なめずりをして待っていた。
左足を振り上げて跳ぶ累。
まるで空中で自転車のペダルを漕ぐように、左足を引き戻す反動に乗せて、右足を撓らせながら蹴りを放つ。
芸術的なまでに美しいフォームの、バイシクルオーバーヘッド。
その足の甲は、玲の無防備な左脇腹にめり込んだ。
玲の体はサッカーボールのように吹き飛ばされ、地面で二度バウンドしたあと、頭から金網にぶつかって、ようやく静止した。
倒れ込んだ肢体は、糸の切れた人形のようにぐったりと横たわる。
「…………」
あまりのことに、涼子は目を塞ぐ暇すらなかった。
一瞬のうちに勝負は決してしまった。
玲の体が転がった跡に、べったりと血の跡が残っていた。
まるで交通事故現場のように凄惨な光景を目の前にして、涼子は愕然と唇を震わせる。
「……累……。アンタ……なんてことを……」
涼子の非難の声を受けながら、累は平然と制服の乱れを直す。
「言ったでしょう。お互い覚悟の上のことよ」
「な、何が……誰が妹との喧嘩で、こんな……血まみれでぶっ倒れる覚悟なんかするってのよ……」
「この人は間違いなくしていたわ。その証拠に……ほら、まだやる気のようだし」
言って、累は指差す。
左肩を抑えながら、玲はゆっくりと立ち上がろうとしていた。
素肌むき出しだった腕や足はコンクリートの地面であちこち削られて血まみれだ。
しかし信じがたいことに、その顔に痛みや恐怖の色は浮かんでいない。
「れ、玲さん!」
「……はい」
「……動いちゃダメです!絶対何本か骨が折れてます!」
「……骨?」
言って、あちこち体を動かしてみる玲。
「……大丈夫です。どこも異常ありません」
「う、うそ……。あんな蹴られ方してあんな落ち方したのに……」
「いつも飲んでるカフェオレ、カルシウム配合なんです」
「いやいや、そういう問題じゃ……」
「それにしても、悔しいですね……。運動不足なつもりはなかったんですけど……体が重くて全然スピードが出せません。……これが衰えっていうものなんですかね……」
タイムが伸びなくて首をひねる陸上選手のような風情で、玲は悔しがる。
心配するのが少し馬鹿らしくなってきた涼子の頭の中に、ふとした閃きがあった。
「カフェオレ……体が重い……?」
「……涼子さん?」
「……玲さん。もしかしてなんですけど、ワンピースの中に飲み物と食料、まだ入ってませんか……?」
「…………」
三秒間、真顔で固まる玲。
そしてやおら、ぽんと手を打った。
「……忘れてました」
「……まさか」
「ちょっと待って下さいね」
ごそごそと服の中を弄り始める玲。
すると、出て来る出て来る。
500ミリペットのカフェオレが八本、ずっしりと重たそうな菓子パンが六個。
「道理で、体が重いわけです」
「……なんかもう、どっからツッコんでいいのかわからないです……」
「でも、さっきはきっとこのペットボトルがクッションの役割を……」
「もう良いですって……玲さんの中でこのカフェオレはどんだけ万能なんですか……」
呆れ顔の涼子を尻目に、玲は落ち着いた動作でボトルを開封し、一気飲みする。
「ふぅ……。……これでもう大丈夫です。もう一回、行ってきます」
「……もう、余計な心配はしません。とりあえず頑張って来てください」
玲は頷いて、もう一度妹と向かい合う。
痛みにも、怪我にも臆さないその後姿が、涼子の目には妙に頼もしく映り始めていた。




