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バス停でバスを待っていると、ズボンのポケットの中で携帯が震えた。
時刻は夜八時。
帰宅が遅いことを心配した母がかけてきたのかと思ったが、画面に表示されていたのは思わぬ人物の名前だった。
花澤芳江。真菜の母だった。
「はい、もしもし?」
若干緊張しながらスマホを耳に当てる。
聞き覚えのあるテンションの高い声が、大音量でスピーカーから漏れ出してきた。
『あー正和くん?!こんばんはー、ごめんなぁ急に電話して』
「こんばんは、どうしたんですか?」
以前、漫才のネタに関する相談の電話を受けて以来、約一ヶ月ぶりだった。
また同じ用件だろうかと思いきや、どうも様子が違うようである。
『いま、真菜と一緒におったりせん?それか、今日どっか遊び行くとか、言ってへんかった?』
「……いえ、今は一緒ではないです。っていうか、今日花澤さんは学校……」
言いかけて止まった。
芳江の口ぶりからすると、真菜は普段通りに家を出ている可能性が高い。
正和の口から、彼女が今日登校していなかったことを伝えるのは、憚られた。
「まだ、家に帰らないんですか?」
『そうなんよぉ。球技大会終わってからは、いつも通り夕飯までには戻っとったんやけど……。そっか、正和くんたちとも一緒じゃないんか』
「すみません、お役に立てなくて」
『いやいや、こっちこそごめんな。もうちょい待ってみるわ』
挨拶もそこそこに、電話はぶつりと切られた。
平静を装ってはいたが、芳江はかなり取り乱している様子だった。
真菜が連絡もなくこんな時間まで帰宅しないというのは、恐らく相当な緊急事態なのだろう。
「真菜ちゃんのお母さん?」
声が漏れ聞こえていたらしい涼子が、心配そうに眉根を寄せる。
「うん。まだ家に帰ってないらしい……」
「……どうしたのかな……。学校サボったのが後ろめたくて、家に帰れないでいるとか……?」
それならまだいい、と正和は思う。
どこかをうろついていて、何かトラブルに巻き込まれていたとしたら……。
「涼子、マツケンに電話してみてくれるか?こっちは、無駄かもだけど、もう一回累にかけてみる」
「オッケー」
二人でそれぞれ別の相手に発信する。
正和の方は、案の定どれだけ呼び出しても繋がらず、留守番サービスに接続されてしまった。
「……こっちもダメ。出ない」
「……マツケンも?」
嫌な焦りが胃の辺りを満たす。
謹慎中で自宅から出られないのに電話が繋がらないというのは、少し不自然ではないだろうか。
寝ている、風呂に入っている、落ち込んでいて誰かと話す気分はない……。どの可能性もあり得なくはないが、昨日の出来事に関係する正和たちの友人三人が同時に連絡出来ない状態になっていることが、ひどく気がかりだ。
「あ、杉田!」
頭の中を良くない予感と、考えうる最悪のケースの想像でいっぱいにしている正和の横で、涼子が声を上げた。
彼女の手の中に収まるスマホの画面には、『松田健太郎』の文字。
折り返しの着信のようだった。
正和の顔が安堵に緩むのを確認してから、涼子は通話ボタンをタップした。
「もしもし、松田?……松田?」
スマホを耳に当てて話しかける涼子の表情が違和感に強張る。
再び走る緊張。
涼子が呼びかけても応答がないらしい。
「……どうなってんだ?」
「待って……何か聞こえる……」
スマホの音量アップボタンを連打して、更に音源をスピーカーに切り替える涼子。
砂嵐のようなノイズの音に混じって、微かに声が聞こえた。
『何を……つもりなんだ……』
声の主はどうやら松田のようだが、電話の相手ではなく別の誰かに向けて話しかけている様子だった。
『お祭……くんに……してもらわ……』
「……!累!」
「しっ!」
松田の言葉に答えたのは、間違いなく累の声だった。
反射的に声を上げた正和を、涼子は唇に人差し指を当てて制止する。
『……こんなところに……すぐに用務……に来る……』
『私……ミスをすると……』
『先生だって……』
『施錠して……来ないわ……』
問い詰めるような松田の言葉と、いつものように無感情な累の声。
松田の声にいつもの穏やかさはなく、緊張と切迫感が伝わってくる。
そしてそれに答える累の口調は、いつも以上に硬質で抑揚に乏しかった。
『今夜……雨が……』
『彼女…………くれ!……濡れたら……』
『構わな…………けど……働いて……があるの』
『な、何を……』
『……っちを見なさ……』
『う……ああ……!』
ぶつりと、音を立てて通話が切られた。
「…………」
無言で顔を見合わせる正和と涼子。
全てを聞き取れたわけではなかったが、尋常でない雰囲気は充分すぎるほどに伝わってきた。
「累が……また何かしでかそうとしてる?」
「……多分、松田はそのことを伝えようとしてたのね」
「……どういう状況だと思う?」
「…………」
涼子は口元に拳を当てて考え込む。
「……通話が繋がった直後に酷いノイズが聞こえたの。まるで、不自由な状態で手探りでスマホの操作をしてるみたいな……。会話の様子も、通話してることを累に気づかれないようにしてる様子だった……」
「……それって……」
「……あんまり考えたくないけど……松田は累に拘束されてる可能性が高いと思う」
「……拘束?!」
まるで出来の悪い刑事ドラマから引っ張り出してきたかのような、馴染みのない単語だった。
「シャレんなってねぇぞ……。そもそも、マツケンは謹慎中だったんじゃねぇのかよ……」
「流石に自宅に押しかけて拘束ってことはないだろうから、多分どこかに呼び出したか、連れ出したか」
「謹慎って言われてるのに、あいつが呼び出しなんかに応じる理由なんて……」
言いかけて、正和は弾かれたように顔を上げた。
「花澤さん!」
「……ねぇ、なんかどんどんマズい方向に話が繋がって行ってない?」
「……くそっ、あの馬鹿、今度は何やらかすつもりなんだ……!」
歯を剥いて、手のひらに拳を打ち付ける正和。
「……やっぱり、もう悠長なことは言ってられないわね」
「ああ。すぐにでも止めないと……。今度はどんな被害が出るかわかったもんじゃない……」
「でも、今どこにいるのかしら……」
通話の内容を思い出す。
用務員、先生という単語が出ていたことから、普通に考えれば学校の可能性が高い。
しかし学校という手がかりだけで、果たして見つけ出すことが出来るだろうか?
相手は累だ。
恐らく妨害に対する対策も抜かりなく考えてあるだろう。
「ごちゃごちゃ考えてもしょうがねぇ!とりあえず学校に!」
「……ちょっと待って」
今にも駆け出しそうな正和を止めて、涼子はスマホの電話帳画面を呼び出す。
ついさっき別れ際に、何かあった時のためにと聞き出していた連絡先を、早速呼び出すことになった。
−−−
夜の県道。
渋滞気味ながら、片側三車線あることが幸いした。
玲の運転するベンツのゲレンデヴァーゲンは、車体を滑り込ませられる隙間があると見ればすぐさま鼻先を突っ込み、空間をこじ開けるようにして追い越しを繰り返す。
「……運転なんて三年ぶりくらいだから、ちょっと緊張します……」
言いながら、軽いハンドルタッチですいすいと操作している。
「ええっと……左側通行……左折が優先……」
右側の助手席に座った涼子が、玲の呟きを聞いてぎょっとする。
「れ、玲さん……。イギリスもたしか左側通行ですよね?」
「え?ああ、はい……。なんですけど、ちょっと最近アメリカのゲームにハマってたので……左ハンドルだと混乱して……」
「……ゲームの体験に上書きされるくらいしか、運転の経験がないってことで……?」
「大丈夫です。ゴールド免許ですから」
「運転してないってだけじゃ……」
涼子のつぶやきは、加速音にかき消された。
渋滞を抜けたらしい。
後部座席スペースから運転席と助手席の間に顔を覗かせていた正和も、大人しく席に座ってシートベルトをしておくことにした。
正和が電話で累達の状況を説明すると、玲は車を出すと言ってくれた。
彼女が転がしてきたのは黒くてゴツくて四角い車体の高級外車だった。
循環バスより格段に早く学校に到達できそうなのは有難かったが、眠たげな雰囲気の玲の運転は、少々心臓に悪そうだった。
「……累ちゃんとお友達の居場所、電話で話してくれた内容以外に、情報はありますか?」
『四時二十分』の位置でハンドルを握りながら、玲が正和に聞く。
「あー、えっと……どうかな……。学校の敷地内にいるのは多分間違いないんですけど……」
「あ、待って、さっきの、録音してあるから……」
涼子がスマホを操作して、通話内容を再生する。
「……どこにいるかわかった気がします」
会話の内容を聞き終えた玲が、ぼそりと漏らす。
「え?本当ですか?」
「はい、多分ですけど」
「どこなんですか?!」
噛みつきそうな勢いで聞く正和に、玲は淡々と答える。
「『施錠』という言葉が出てきているのに、その後に『雨』とか『濡れる』って話してます。学校の敷地の中で、施錠が必要、かつ雨に濡れるような場所って言えば……」
『……屋上!』
「ご明察です」
視線は真っ直ぐに前に向けたまま、玲が右手の親指を立ててみせる。
玲の洞察の鋭さに、正和は舌を巻く。
累のオリジナルである彼女に同行してもらえるのは頼もしい。
あとは、何か取り返しのつかない事態が起こる前に、学校の屋上までたどり着けるかどうか次第だ。
夜の闇を、スフィアLEDの灯りが切り裂いて進んでいく。




