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結局その日、松田は練習には来なかった。
言い出しっぺが最初に練習を無断欠席というのは感心しない。
正和は翌日、いの一番に文句を言ってやろうと教室の入り口で待ち構えていた。
いつもと同じように、朝練を終えて教室に入ってきた松田を見て、正和は絶句する。
「おはよー」
「お、おはよーじゃねぇ。マツケン、どーしたんだその顔」
目の周りが青黒く変色している上に、唇の端には大きな絆創膏が貼り付けられていた。
「じ、実は昨日の練習で受け身を失敗しちゃって……。顔から落ちちゃったんだよ。あ、昨日はごめんね。治療受けてたら遅くなっちゃって……練習間に合わなかったんだ」
「い、いや、そういう事情ならしょうがない……。ってか、大丈夫なのか?なんかすげー痛々しいぞ」
「み、見た目ほど酷くないんだ。触ると痛いけど、バスケにも支障ないから心配いらないよ」
安心させるように笑って見せようとしたのだろうが、唇が痛むのか顔を歪めただけに終わった。
「む、無理すんなよ。もしアレなら今日も休めって。累たちには俺から言っとくから」
「いやいや、大丈夫。もう一日も無駄に出来ないからね。あ、見てみて。バッシュ買ってみたんだよ」
言って、三十センチ近いサイズの巨大なバスケットシューズを掲げてみせる松田。
彼のやる気はいささかも翳っていないようで、正和は少し安心した。
その後松田は、昼休みの体育館使用権抽選の整理券を貰いに行くと言って他のクラスへと出かけていった。
やると決めたら徹底的にやる男だ。
だからこそ柔道でもそれなりの成績を収められるのだろう。
正和は感心と、微かな憧れのようなものさえ抱いていた。
「……信じるの?」
そこに向けられた、まるで冷水を浴びせかけるような冷たい声。
累が、正和を試すような表情で見つめていた。
「何だよ。信じるって」
「……あの傷よ。本当に柔道の練習で出来た傷だと思う?」
「……どういうことだ?」
「ぶっちゃけて言えば、見え透いた嘘よ。あれはどう見ても、殴られて出来た痕よ」
「……殴られて?」
ひやりと、体温が引き下げられたような感覚が正和を襲う。
「な、殴られたって、誰に?!」
「心当たりはない?」
「…………」
思い出す。
突然松田を呼び出したり、彼にやたら刺々しい態度を見せていた相手。
「まさか、神谷?」
「……」
累は無言で肯定する。
言われてみれば、累でなくてもその解にはすぐにたどり着けるはずだった。
真菜にちょっかいを出していた神谷。
その彼が松田を呼び出したのは、恐らく真菜との関係を問いただしたのか、釘を差そうとしたのか、あるいはその両方か。
そんな中で、松田は真菜を含むチームで球技大会への参加を計画した。
参加競技は、よりにもよってバスケ部員である神谷が参加できないバスケットボール。
彼が逆上するには充分な材料のように思えた。
「……マツケンは、何で嘘ついてまで隠す必要があるんだよ」
「そこは、私にも分からないわ。問題を起こすと部活動や球技大会に影響があると思ってるのか、それとも、救いようがないほどお人好しなのか」
正和には漠とした予感があった。
多分、正和には理解できないような理屈の末に、松田は神谷を咎めずに居るのだろう。
「……どうするかは、正くんが決めて。マツケンくんがそれを隠している理由が、尊重するべき意味のあるものなのかどうか、正くんの立場で見極めると良いわ」
「…………」
憤りはある。
惚れた相手と親しくしているという理由だけでクラスメートを敵視したり、あまつさえ傷つけようとするなんて、あまりに幼稚だ。
それでも、松田自身の考えがあって事を公にしないのであれば、正和が口を挟むべきではない。
それが正和の辿り着いた答えだった。
結局、教室に戻ってきた松田に、正和は普段と変わらない態度で接した。
嘘に気づいていないふりをしている自覚が、チクリと痛みを生んだ。
正和の胸中には、薄暗い靄のような感情が蟠って残った。
−−−
その日の放課後の練習時間。
累と真菜がマンツーマン練習を続けている個室に、正和が呼び込まれた。
シュート練習を続けている松田と涼子をコートに残して、体育用具室に入る正和。
得点ボードやボール入れのカゴが雑然と並べられた室内で、ボールを持った真菜と首にホイッスルをぶら下げた累が待っていた。
「ちょっと正くんに協力して欲しいことがあって」
「何だよ?」
「女子の衣装を決めようとしているの。どれが良いか意見を聞かせてほしくて」
「……衣装だぁ?」
てっきり練習の手伝いを要求されると思っていた正和は不満げな声を上げた。
「ってか、球技大会に出るためだけに衣装用意するってどうなのよ……。何か間違った方向に気合入れすぎじゃね?」
「折角の思い出なのよ。出来るなら、見た目も揃えて心を一つにして臨みたいと思わない?」
説明する累の言葉に、どことなく感情が籠もっていないことに気づいて正和は警戒する。
こういうパターンでは、大抵累の狙いは別のところにある。
「候補は、これとこれとこれ」
そばに置いてあったダンボールから、累がサンプル品らしいものをつまみ出す。
それぞれ、白、黒、オレンジのノースリーブと同色の短パン。
デザインとしてはどれも標準的なバスケットボールユニフォームだと思われる。
しかし、女子のものであることを考慮すると若干胸元や脇が心許ないような……。
指摘すべきか迷う正和に、累が近づいて囁く。
「真菜ちゃんには本番では、肌色のヌーブラを着けてもらうわ」
「ぬ……あ、あの貼り付けるカップみたいなやつか?」
「一件ブラを着けていないように見えるでしょうね。相手チームの男子比率が高いほど、集中力を削ぐ効果が期待できるわ」
「……お前ってやつは……」
呆れ返りながらも、確かにその効果は絶大だろうと納得してしまった。
ユニフォームの隙間から肌色が覗けば、男はほぼ無意識に視線を奪われるだろう。
問題は、味方にまでその効果が発揮されてしまう可能性があるということだ。
「大丈夫よ。マツケンくんには事前に説明しておくし」
「……桑島はどうするんだ?」
「中学生みたいなスポブラをさせておくわ。それはそれで需要があるかもだし」
「……真面目にスポーツする作戦を練ってると思ってたのに、こんなこと企んでたのかよ……」
「で、正くんに聞きたかったのは、男の目から見て一番可愛いと思うユニフォームがどれかということなの」
言われて、改めて候補の三着を眺める。
極めて個人的な正和の趣味で言うなら、黒に惹かれる。
黒に身を包んだ女性は、妖しい魅力を帯びるものだ。
正和は無言で、真ん中の黒を指差す。
累が興味深いという様子で頷いた。
「……私、本番は下着も黒にしようかしら」
「やっぱり買ったのかよ……。ってか、それよりお前の場合は、視線を集めたいなら……なんていうか……その……色がどうと言うよりは……」
「揺らすべき?」
「……そういうこと」
「分かったわ。できるだけ締め付けないようにして、ダイナミックに動かすようにする」
「……そればっかりは、いくら心構えしてても俺、見ちゃうだろうなぁ……」
「あ、あの……」
申し訳なさげに、真菜が話に割り込んできた。
「……できれば、この大会はその……お、女の武器とかは無しにして、真剣勝負がしたいんだけど……」
その意外な申し出に、正和と累は揃って目を丸くする。
松田だけではなく、やはり真菜もこのイベントに対しては何か並ならぬ思いがあるようだった。
「なんて、一番運動苦手で足引っ張っちゃいそうな私が言うのも変なんだけど……私も、頑張って練習するから。……累ちゃん、お願い」
「…………」
黙考する累。
頭の中でプランを組み直しているようだった。
「……甘くない練習になるわよ」
「覚悟の上です」
「途中で泣き言は受け付けないわよ」
「もちろん」
覚悟を秘めて、真菜の瞳が輝く。
累は小さく息を吐いて、穏やかに笑った。
「じゃ、本気出して行くわ。ついてきてね、真菜」
「うん!」




