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幼馴染はツッコミ待ち  作者: けいぞう
14/98

13

 外はどんよりと曇って、月明かりもない夜だった。

 粒の不揃いな砂利が敷き詰められた駐車場から狭い車道に出て、正和は左右を見回す。

 辺りは灯りもまばらな住宅街。

 まだ宵の口だというのに人通りは全く無い。


 北に真っ直ぐ伸びる薄暗い路地に目を凝らす。

 貴之の背中はない。

 南の道はすぐに突き当たるT字路になっている。

 分岐まで走って、再度左右を確認する。

 右手側に、とぼとぼと歩くトレーナー姿の人影があった。


 追う相手が同級生の父親という、今一テンションの上がらないシチュエーションにため息を一つついて、正和は走り出した。


「貴之さん!」


 呼び止める声が男のものでは貴之も振り向き甲斐がないだろうと思いつつ声をかける。

 しかし彼は正和が声を上げる前から彼の足音に気づいた様子で立ち止まっていた。


「……すみません……。俺……余計なこと言っちゃって……」

「…………」


 くたびれた部屋着姿の背中の数歩手前で、正和は膝に手をついて息を整える。

 その姿勢のまま、正和はこれ以上なんと声をかけたものかと思い悩む。

 累の言葉通り、ネタを売り込んで説得するべきだろうか。

 それとも、不躾なお願いを取り下げてただ謝るべきだろうか。


 二の句を告げられずにいる正和を気恥ずかしそうな表情で振り返り、貴之は嘆息する。


「ここじゃなんだから、少し付き合ってくれないか」


—-


 言われて連れてこられたのは、小さな遊具がいくつか置かれた公園だった。

 もうほとんど使われることもないであろう電話ボックスのそばのベンチに二人腰掛ける。

 手には缶コーヒー。

 何の因果かサン◯リアだった。


「実はね、いつもここで頭を冷やしてるんだ。芳江のやつとやりあった後はね」

「え……。じゃあ、今までも?」

「恥ずかしい話だけどね……。まだ引っ越してきて間もないのに、もう五、六回目だよ」


 両肘を膝の上に乗せてコーヒーを啜るその姿は、ステージにいる時からは想像も出来ないほど小さく、頼りなく見えた。


「あの家の中じゃね、喧嘩をしたからって閉じこもるような場所もないだろう?」 

「……大変なんですね」

「なに、甲斐性相応の待遇さ」


 自虐的な言葉が似合う横顔が、酷く寂しげだった。


「今日知り合ったばかりの、しかも娘の友達に話すようなことではないけどね」


 訪れた沈黙を恐れるように、貴之は語り出した。


「私にも、夢があったんだ。君と同じように」

「夢ですか?」

「ああ。……ジャズピアニストになりたくてね。君ぐらいの年の頃には、遮二無二練習していたものさ」


 正和は居心地の悪さにもぞもぞと座り直す。

 正直、ちょっと付いていけない雰囲気だった。

 演技ではなく、正和が本当に夢に燃える高校生だったなら、身を乗り出すところなのかも知れないが。


「でも結局夢破れて、バックバンドでキーボードを弾いて生計を立てていた。そんなときに芳江と出会ってね……」

 

 飽きもせず街灯の明かりに体当たりを繰り返す蛾を見上げながら、貴之は昔を懐かしむような顔を見せた。


「底抜けに明るくて、バイタリティの塊のようだった。同じステージに居ながら、スポットライトを浴びる背中を妙に遠く感じたものさ」

「……はぁ……」


 正和の頭の中にあるどの引き出しを探っても、それ以上の反応は見つからなかった。


 妙な空気だった。

 こんな風に自分の過去について十五歳の高校生に告白してしまえる大人を、正和は他に知らない。


「私たちはひょんなことから好きな音楽について話すようになって、惹かれ合って、一緒になった。当時の事務所には猛反対されて、駆け落ち同然だったんだ。折角定期的にもらえていたテレビの仕事も、当然全て降板ということになってしまった」

「…………」

「芳江は、彼女自身の夢だったアイドルという立場を捨ててまで、私を選んでくれた。私が作った曲を気に入ってくれて、歌ってくれた。二人で音楽をやっていこうと決めて、細々と今日まで暮らしてきたんだが……」


 長くなりそうだな、と正和は内心げんなりした。

 そのセンチメンタルな独白は、自分の同級生の親にしてはあまりにナイーブすぎるように思う。


(見た目ダンディな割に、結構女々しい人なのかな……)


 ぶっちゃけてしまえば、正和にとってかなり苦手なタイプだった。

 夫婦喧嘩でやり込められて一人公園で物思いに耽る暇があるなら、もうちょっと堅実な稼ぎ口の一つでも探すべきだろうと、ドライな意見をぶつけてやりたくなる。


「だからこそ、今回のことは少し腹に据えかねてね。曲がりなりにも音楽で食っている立場として、笑いなんかを取って客寄せするなんて……」

「…………」


 正和は手の中のルーズリーフに視線を落とす。

 累と二人、今日の明け方までかけて書き上げたネタだった。

 累が書き並べたボケは、芳江の人格を予め知っていたかのように、彼女の立場や雰囲気にマッチした内容だった。

 正和も、紳士然とした貴之がどんなフレーズで受け答えをしたら面白いか、頭を絞ったつもりだ。

 出来上がりには納得している。

 やるべき人が演じれば、立派なエンターテイメントになると言い切れる。

 

 貴之たちの演奏を否定するわけではないが、正直なところ、このネタよりも集客できるものであるとは言い難い。

 その事実の前に、夫婦の馴れ初めや若い頃の夢など持ち出したところで、泣き言にしかならないのではないだろうか。


 そこまで考えて、自分の頭に浮かぶ思考の非情さに驚いた。

 自覚以上に、正和は手の中の紙片に強い思い入れを持っているようだった。


 夢。こだわり。誇り。思い入れ。

 そういうものに囚われた時、人は周りが見えなくなる。

 傍目から見ればおセンチな感傷に浸ったり、人の気持ちを無視した意見を抱いたりする。


 『人の心情を理解すれば、それを操ることもできる』。

 累の言葉が蘇る。


 正和の中で、説得の方針が固まっていった。


「……芳江さんは、面白いって言ってくれてました」

「そういう問題じゃないんだ。どんなにそれが面白くても、私は……」

「貴之さん。『芳江さんが』やってみようって言ったんですよ?」

「……?」


 正和は芝居がかった仕草で立ち上がる。

 驚いて顔を上げる貴之。


「芳江さんだって、相当な想いで貴之さんとの将来を選んだはずです。歌だって、俺達には想像もつかないくらい情熱を持って今までやってきたんだと思います」


 演技する言葉の中でも、これは本心からの感想だった。

 デパートで聞いた歌声を思い出す。

 外見で売り出したアイドルが付加価値のために歌も歌えるようになった、という順序ではあそこまでの歌唱力は身につかないはずだ。


「その芳江さんが、歌を後回しにしてでもやってみようって言ったんです。きっと彼女なりに、同じような葛藤もあったはずなのに」

「……」


 普段なら絶対に使わない言い回し。

 歯が浮きそうな感覚に耐えながら、出来るだけ大げさに身振りを付けて、正和は続ける。


(食いついてこいよ……?)


「……失礼かもしれませんけど、貴之さんは、自分だけが二人の音楽を大切にしていると思っているんじゃないですか?一人だけで夫婦の過去を守ろうとしているように見えます。芳江さんだって、貴之さんと同じ想いはあって、その上で現状をなんとかしようとしてるのに」

「……あいつは、もともとそういう軽薄なのが好きなのさ」

「…………芳江さんを、信じてないんですね」

「何?」


 夕方に再放送していたトレンディドラマのワンシーンを思い出しながら、挑発するような口調を作る。

 相手の感傷的な部分を擽り、感情を煽る言葉をチョイスする。


「だってそうでしょう?芳江さんが俺の漫才をやってみる気になったのは、ただ面白がっているだけだと思ってるんでしょう?本当はそんなはずないって、貴之さんだって分かっているはずです!彼女は、何とかして演奏を聞いてもらおうと……」

「……知ったようなことを言うな!」


 正和の語尾を食って、貴之が声を荒げる。

 かかった。

 正和は内心でほくそ笑んだ。

 

「私たちは、今まで音楽だけにかけて生きてきたんだ!私が今までどんな想いで、芳江が歌う後ろで鍵盤を叩き続けて来たと思う?信念を曲げることの屈辱が、君みたいな若者に分かってたまるか!」


 まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、ぽつぽつと雨が降り出し、あっという間に本降りになった。

 素晴らしい演出だった。

 この公園は今間違いなく、二人のための舞台だった。


「……分かりますよ」

「…………何?」


 雨に打たれながら、十分な間を取って、正和は続ける。


「俺にだって、夢があるんです。……譲れないものがあるってこと、痛いくらい分かります」


 我に返って身震いしそうになるのをどうにか堪える。


「でも、そこでこだわりにしがみついていたら、目指した舞台に辿り着けないかもしれない。そんなの嫌なんです」

「…………」

「だから、呼ばれてもいないステージに乱入だってします。知り合ったばかりの人にネタをやってくれって頼んだりもします。邪道だってわかってます。でもそうでもしないと、本当に自分がやりたいことなんて、きっと叶えられないと思うから」


 雰囲気と台詞だけでは足りない。

 もう一歩、引き込むためのスパイスが必要だ。

 この際作り話もやむなしだ。


「昔……小学生の頃、累が泣いているといつも俺がおかしなことを言って笑わせて、泣き止ませていました。ある日累が言ったんです。『正くんは日本一面白い』って。『日本中の悲しんでいる人たちを、正くんが笑わせてあげて』って」

「…………」

「その時、約束したんです。どんなに悲しいことがあっても忘れられるくらい、面白い漫才を作れるようになるって……」

「正和くん……」

「俺……絶対日本一の漫才を作るんです!それが……累との約束だから……。それが俺の夢だから!」


(……何だこれ?)


 勢い任せに演じきってみたものの、冷静に振り返ると激烈なアホらしさだった。

 流石に呆れられただろうと思い、改めて貴之の様子を伺う。


「…………」


 信じられないことに、貴之は正和の言葉の衝撃に打ちひしがれた様子でいた。

 彼はまだ、正和が引きずり込んだ舞台の只中に立っているようだった。


 テレビなら放送事故になりそうな長い長い沈黙の後、貴之は呟くように言った。


「……君は、強いな……」

「……それにしてもこのおっさん、ノリノリである」

「ん?何か言ったかね?」

「いえ、別に」


 自分の演出ながら、まんまとその世界観に巻き込まれている中年男性を、正和は哀れにすら思う。 

 恐るべし、累の理論とその場の勢い。

 

「忘れていたよ……。夢にかける情熱というものを」

「貴之さん……」

「……私も、もう一度君のように、がむしゃらになってみるべきなのかもしれないな……」


 後はもう、正和の掌の上の出来事だった。

 

 雨の中、高校生と中年男性は深夜まで漫才の稽古を続けた。

 貴之は約五時間かけてそのネタを完全にマスターした。

 そして二人は深夜の公園で固い固い握手を交わした。


 正和はその夜、三十九℃の熱を出した。

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