12
その日の夜。
正和と累は、計画通り真菜の家に再度上がり込んでいた。
ステージに乱入してしまった件について謝罪するという体で、本当の狙いは真菜の両親のパフォーマンスに対するダメ出しである。
両親のステージをこっそり見に来ていた真菜が、クラスメート二人の乱入漫才を目撃して、お互いの「事情」を説明しあったというシナリオだった。
正和と累の用意していた「事情」というのは……。
「実は、漫才研究会でネタを書いてるんです。発表する場が欲しくて、あんなことをしちゃったんですけど……」
真菜の両親の前に正座して、恐縮しきった様子で出鱈目な説明をする正和。
累はといえば、その隣で迷惑そうな顔で正和を睨み付けている。
あくまで主犯は正和で、累はそれに付き合わされた被害者という、自身が用意したシナリオの役割を全うするつもりらしい。
「あのあと駅前で花澤さんに偶然会って、お二人の順番の前に割り込んじゃったんだって知って、一言謝りたかったんです」
「はぁ……」
正和の言葉を聞いた真菜の父親、貴之は当惑を隠そうともせずにとりあえずという感じの返事を返してきた。
燕尾服姿からは想像もつかないような、ボロボロのジーンズと襟元の伸びたトレーナー姿だった。
オールバックと口髭で紳士然と決めている首から上とのギャップが凄まじいが、突然押しかけたのだからこれは致し方ない。
「別にかまへんよ。この人が忘れモンして、ステージに穴開けるとこやったから、逆に助かったわ」
おおらかにそう言い放って、呵々と笑うのは真菜の母、芳江だった。
こちらはドレスと同じピンク色のスウェットの上下で、カーペットの上にあぐらをかいて寛いだ様子だ。
元アイドルで少女趣味がちと聞いていたので、もっとぶりっ子な人なのかと勝手に想像していたが、その口調はどちらかといえば関西のおばちゃん然としている。
真菜と同じサラサラのロングストレートヘアをひっつめにして、穴の空いた団扇で首元を仰いでいる。
黙ってよそ行きの格好をしていれば貴之ともお似合いの上品な夫婦だろうに、少々品に欠ける振る舞いが目立つ人だった。
ステージの上で挨拶をしていた時は、完全に猫を被っていたらしい。
「それにしてもおもろかったな、自分ら。高校生にしちゃえらい堂々とやっとったし」
ガラステーブルに肘をついて乗り出してくる芳江。
その横で貴之は端正な顔を少し歪めた。
「芳江。真菜が折角連れてきたお友達なんだから、あまり絡むのは」
「カタいこと言いないな。アンタがそんなやから真菜もカタブツんなって、友達も作れんようになってもうたんやろ」
「…………」
身も蓋もない言い様と声の大きさで黙らされてしまう貴之。
そのやりとりだけでも、二人の関係性が伺えるような気がした。
「ごめんね、お母さんちょっとはしゃいじゃってるみたいで……」
年季の入った木のお盆に麦茶のグラスを乗せて、真菜がリビングに入ってくる。
改めて見ると彼女の容姿は明らかに母親似だった。
上品な振る舞いは父親のそれを受け継いでいるのかもしれない。
「何や真菜までー。こんなおもろい友達がおんねやったら、もっと早う連れてきたらおかーちゃん歓迎したったのに」
「お茶もまともに淹れられないくせに、何言ってるの」
「う……。容赦ないのー。せやけど自分、マサカズ君言うたっけ?」
「え、あ、はい」
「ホンマに熟女好きなん?」
「ぶっ」
麦茶を吹き出しそうになり、正和は噎せた。
「ね、ネタ見ててくれたんですよね?あれはフィクションで……」
「えー、そうなん?残念やなぁ、キミみたいな子が年上趣味やったら、おばちゃんドキがムネムネもんやったのに」
「……芳江」
嗜めるように咳払いをする貴之と、お盆を抱いたまま困ったように笑う真菜。
「冗談やって。おばちゃんがダメなんやったら、真菜は?絶賛彼氏募集中やで」
「ちょ……お母さん!」
「マサカズくんやったら大歓迎。どっかの誰かみたいに芸もないおもんないハトみたいな男連れてきよったらどないしたろか思うとったけど」
「もう、やめてよ!」
真っ赤になる真菜をからかって大笑いする芳江。
貴之は複雑な表情のまま、警戒するような視線を正和に向ける。
正和は慌てて首を振る。
「は、花澤さんとはまだ知り合ったばかりで……」
「なんやー。不満なんかー?清楚な黒髪が好きなんやろー?!真菜やったらどストライクやないかい!」
「あ、いや……その……」
「正くんは巨乳好きなので」
沈黙を守っていた累が突然新たな火種を投げ込んでくる。
その場の全員が累を見て、その後真菜を見て、黙り込んだ。
「……そら……アカンわ」
「なに、アカンって!」
お盆で胸元を隠して抗議する真菜。
「諦め。おかーちゃん似やからな」
「ま、まだ成長するもん!」
「無理無理。どーあがいてもB止まりや。その点累ちゃんはなかなか……」
「あのぉ、この話題、非常に居心地が悪いんですが……」
貴之のこめかみ辺りに血管が浮いているのを見つけて、正和はなんとか話を逸らそうと口を挟む。
「あ、そ、それでですね。も、もし良かったら、なんですけど……また今日みたいに、ネタを披露できる機会を与えてもらえたりとか、しないですかね……?書き溜めたネタがいっぱいあるんですけど、全然人に見てもらうチャンスがなくて」
これも一応、累が用意したシナリオに沿った話の持って行き方だったが、内容の厚かましさに正和は冷や汗が滲むのを感じた。
予想通り、貴之の表情が曇る。
「……どうだろうな。私達も一応事務所に正式にオファーを貰ってあの場でやっているから、今日みたいなイレギュラーはちょっとな」
最もな反応だと思いつつも、正和は怯まずに続ける。
「俺、将来は芸人か、放送作家になりたいんです!毎日、寝る間を惜しんでネタを考えてます。どういうネタが人に受けるのかって、機会があれば少しでも多く試してみたくて……」
「そうは言ってもな……」
貴之はため息をついて、どうやって諦めさせたものかと顔を顰める。
「あんな場所でも、私達にとっては仕事場なんだ。どんなに面白くても、引っ掻き回すようなことはして欲しくない」
「……まぁ、せやなぁ……」
貴之の視線を受けて、芳江もしぶしぶ彼に助け舟を出す。
「仕事でトラブルなんて持ち込んだら、折角紹介してもらった先方にメーワクかけてまうし……真菜の友達のお願いやし、叶えてやりたいんは山々やけど……こればっかりは……」
「……そうですか」
「すまんな、堪忍してや。うちら見ての通りビンボーやし、稼ぐんに必死なんよ」
お笑いに理解のありそうな芳江にもやんわりと諭され、正和は意気消沈して俯く。
しかしここまでは想定内と言える反応だった。
「……だったら、その……図々しいと分かった上でご相談なんですが……」
ここからが本題だ。
上手く彼らを乗せられるかは、正和の話術にかかっている。
「俺が考えたネタを、お二人がステージの上でやってもらえませんか?」
「……へ?」
思わぬ提案に、流石の芳江も目を点にして聞き返してくる。
「男女の漫才のストックがいっぱいあるんです!バリエーションは多いほうが良いと思って、色んなキャラを想定したネタを作ってるんで!今のお二人とお話してて、ぴったりなのが一つあって……!」
言って、鞄からルーズリーフを取り出す正和。
真菜が固唾を呑んでその様子を見守っていた。
「……正和くん。私たちはこれでも音楽が専門なんだ。そんな、漫才なんて浮ついた真似は……!」
「待ち」
憤りを滲ませて声を荒げる貴之を制止して、芳江は真剣な顔で正和の手元を見つめた。
隣で累が、手応えを感じたように口の端を吊り上げた。
「……おもろいかもしれん」
「芳江!」
「アンタも知ってるやろ。有象無象のアイドルどもん中で、うちがなんぼか多く仕事もらえたんは、べしゃりが得意やったからや」
「……それはそうだったかもしれんが……」
呆れ返ったように、貴之は言葉を詰まらせる。
累の見立て通り、彼は演奏の仕事に少なからずプライドを持っているようだった。
「社長は、私達の音楽を気に入ってくれているんだぞ。なのにステージで歌わずに漫才なんて……」
「誰も歌わんなんて言うとらんやろ。ネタの一本くらい、合間のしょーもない挨拶省いたらねじ込めるんちゃうんか」
「……芳江。それはいくらなんでも」
「思い出してみい。昨日も今日も、うちらの演奏なんてだーれもマトモに聞いてくれへんかったやんか。マサカズくんたちの漫才のほうが、よっぽど受けとったで」
「しかし……!」
「……今のまんまじゃアカンのは、アンタも気付いとるやろ」
「…………」
二人のやり取りを、正和は心配するように、しかしどこか期待するような顔つきで聞いている。
彼が演じる立場としては、まずは自分のネタを人前でやってもらうことが一番の目的だ。
「お、お願いします。ホントに合間に軽くで構いません!友達も連れて見に行きますので、どうか試してみてもらえませんか?」
「……とりあえず、ちっと見して」
正和の手からルーズリーフを受け取り、芳江は中身に目を通し始める。
憮然と黙り込む貴之を尻目に、クスクスと笑ったり、感心したように頷いたりしている。
「めっちゃおもろいやん!マサカズくん、アンタ才能あるで!」
「本当ですか?!」
「うちが保証する!これやったら絶対笑てもらえるわ!」
心配そうに事の成り行きを見守っていた真菜が、顔を輝かせて累を見つめる。
累も満足げに小さく頷いた。
「決まりや。明日は出だし、このネタやってから歌や」
「…………」
夫を無視して決断の声を上げる芳江だったが、貴之は無言で立ち上がり、玄関に向けて大股で歩き出した。
慌てて呼び止める芳江。
「何よ、どしたん」
「……付き合いきれん。そもそも、私に漫才など出来るはずないだろう。歌だけで勝負しないなら、私はもうステージには上がらない」
「ちょ、アンタ!」
「お父さん!」
制止の声を振り切って、貴之はサンダルを履いて玄関から出ていってしまった。
取り残された四人の間に、気まずい空気が漂う。
「……ホンマにもー、あのカタブツは……どーしょもないのー」
愚痴るように漏らす芳江の声に、正和は累を見遣る。
この事態は、彼女の計算の内なのだろうか。
ここから彼を納得させる大逆転の手立てなど、正和には思いつきもしない。
「……正くん。ネタを持って追いかけて」
「……あ?」
「あとはあなたに任せるわ。何とかネタを売り込んで、彼にうんと言わせるのよ」
正和の耳元で囁く累。
あまりの無茶振りに、正和は狼狽える。
「無理だろ……。ってか、こういう事態に対する作戦は?用意してねぇのか?」
「正直、あそこまで意固地になられるとは思わなかったわ。どっちも関西人なら成功間違いなかったのに。後はもう、拝み倒してでもなんとかするしかないと思う」
「んな、無責任な……」
言いかけて、涙ぐむ真菜と目が合う。
累の作戦に従ったとはいえ、夫妻の関係を悪化させたままにしておく訳にはいかない。
「……あー、もう!分かったよ!」
正和は芳江の手からルーズリーフをひったくって、スニーカーに足をねじ込んで貴之の後を追った。