11
翌日。
放課後同じ時間に、四人は駅ビルの特設ステージ裏手に集合していた。
まるで昨日の再現のように、ステージの上ではピエロが玉乗りを披露して、子供たちを沸かせている。
「準備はいいかしら」
累の確認の声に、三人は神妙な顔で頷く。
真菜、累、正和の三人は制服姿だが、松田は私服に着替えていた。
黒いパーカーにジーンズ。
見た目に特徴がないことと、フードで顔を隠せることが重要だった。
「真菜ちゃん、予備がないのは確認済ね?」
「うん。余分に買えるほどお金ないし」
答える真菜の手には、黒くて太いケーブルが握られていた。
父親のキーボードケースから、先程抜き取ってきたものだ。
「OK。機材の準備中にキーボードとアンプが繋ぐケーブルがないって分かったら、多分スタッフか、お父さん本人が三階の楽器売場に走るはず。その隙に私達がステージに上がるわ」
「僕は、ステージに邪魔が入らないようにすればいいんだよね?」
「その通りよ。そう長くない時間だから、何とか持ちこたえて。でも、警備員が来たらすぐに逃げてね」
「了解!」
「……あーー、緊張するな」
早鐘を打つ心臓を両手で抑えて、正和は深呼吸する。
累は事も無げに笑った。
「正くんは大丈夫よ。いつも通り私にツッコんでればいいんだから」
「簡単に言うなよな……」
「人が見てる前なんて、燃えるんじゃない?」
「流石にそういう趣味はないんだけど……」
ステージ側から拍手が聞こえる。
どうやらピエロの出番が終わったらしい。
四人はもう一度頷き合って、その場を解散した。
正和と累は、すぐステージに乱入できるよう、買い物客を装って舞台の脇にスタンバイする。
程なくして、昨日と同じように真菜の父がステージに上ってきた。
ステージの脇に置かれた黒いキーボードケースのポケットの中を調べて、首を傾げる。
ケーブルがないことに気付いたはずだ。
真菜の父はUターンして早足でステージを降り、ステージ裏手に控えていたスタッフと相談し始めた。
慌てた様子のスタッフが、エスカレーターを駆け上がっていく。
「今よ」
累の合図で、二人は駆け出す。
まず正和がステージに飛び乗り、その後ろに累が続いた。
設定しかけのキーボードとアンプの前を通り抜け、二人で拍手しながらステージ中央に躍り出た。
「どーもー!」
「はい、どーも!」
マイクなど用意されていないので、二人とも地声だったが、幸い会場はそう広くない。
声を張ってはっきりと発音すれば問題ないはずだ。
ステージの目の前に整然と並んだパイプ椅子に、二十人ほどが腰掛けている。
そのほぼ全員が、奇異なものを見るような視線を正和たちに向けている。
尻込みしかける正和の横で、累が観客に大げさに手を振ってみせる。
出てきたからにはもう引っ込みはつかない。
正和も腹をくくって、顔面に笑顔を貼り付けた。
正和達が乱入した反対側のステージの袖で、若い男性スタッフが唖然としている。
当然だ。突然制服姿の高校生男女が乱入してきたのだから。
彼が制止の声を上げようとした瞬間、後ろから黒い腕が伸びてきて彼の口元を抑えつけた。
腕の主は言うまでもなく、松田だ。
力任せにスタッフをステージの裏手へ引きずって行く。
ステージ付近に常駐しているスタッフは二人だけだったらしい。
一人は松田が抑えつけているし、もう一人はケーブル調達のために上のフロアへ移動中だ。
これで数分は時間が稼げるだろう。
正和はとりあえず第一関門を越えたことに安堵して、ステージ正面に向き直った。
「初めましてー!ホリ☆スギと申しますー」
「堀江と杉田で、ホリ☆スギですー」
「どうぞ、よろしくお願いしますー!」
パラパラと拍手が鳴る。
お客さんも、突然高校生が出てきたことに面食らった雰囲気はあったが、逆にそれが興味を引いた風でもある。
出番の順序を把握しているお客はほとんどいない。
そうなれば、後は時間の許す限りやりきるだけだ。
「はい、今日はね、お時間いただきまして、漫才させていただこうと思うんですけどね」
ハイテンションな口調に大げさな身振りを付けて暗記した台詞を読み上げる正和。
しかし、彼に渡されていたのは自己紹介と最初の導入の部分の台詞だけだった。
あとはいつも通りに累にツッコめばいいとだけ言われていた。
一瞬だけ不安げな視線を累に投げかける正和。
累はそれを軽く無視して、淡々と本題に入っていった。
「正くん正くん」
「ん?なになに。どーしたの累ちゃん」
「私達の関係って、何だかちょっとマンネリ化してきてない?」
夫婦漫才でありがちな入り方だった。
これならついていけると、正和は台詞受けする。
「……何急に。そりゃもう付き合い長いけどさ、マンネリってもっとこう、熟年夫婦とかが陥る状況じゃない?」
「だってもう、六年以上も毎日顔を合わせているのよ。いい加減そのアホ面も見飽きてきたのよね」
「ガラ悪い。突然ガラが悪いよ累ちゃん。ヤクザ映画じゃないんだから」
少しだけ観客の口元が綻ぶ。
手応えの欠片のようなものを正和は感じた。
「とにかくね、マンネリ打破のためには、ちょっとした悪戯とか、刺激とかが必要だと思うのよね」
「悪戯?」
「そう。実はもう私、いくつか悪戯をしかけてあるの」
「え、俺に?もう俺しかけられてるの?全然覚えがないけど……」
「例えばね、あなた毎日、カルシウムのサプリメントを飲んでるでしょう?」
「あ、そうなんですよ。私牛乳が苦手なんでね、カルシウムだけはちゃんと摂らなきゃって思って、続けてるんです」
「あれの中身、全部フリスクに替えておいたわ」
「何してんだお前!」
クスクスと笑い声が聞こえる。
ちなみに、カルシウムのサプリは本当に飲んでいる。
そういえば、ある日を境に粒が小さくなったような気がしていたのだが……まさか。
「……ちょっとした悪戯よ」
「ちょっとしたって……え?何?じゃあ俺毎日食後に三回欠かさずフリスク丸呑みしてたの?!」
「胃に悪そうね」
「消化器に清涼感をお届けしてどうするのよ……」
「カルシウムを摂るようになってから、イライラしなくなった気がするとか言ってたわね」
「……確かに言った」
「完っ全なる気のせいよ」
「えーーー……」
正和は確信する。
累は本当にこの悪戯を実行している。
演技なしの困惑の表情に、観客の笑い声が一回り大きくなった。
「他にもあるのよ、ちょっとした悪戯」
「他に何やったんだよ?」
「毎朝、お母さんに豆から淹れたコーヒーを出してもらっているわね?」
「そうなんですよ。ちょっとこだわりがありましてね。豆はグアテマラとコロンビアをブレンドしててね……」
「あれ二年前から缶コーヒーよ」
「えーーー?!」
――サプリの話が本当だとすれば、これも事実なのだろうか。
そんなバカな、と正和は思う。
いくらなんでも豆から淹れたドリップコーヒーと缶コーヒーをすり替えられて気づかないはずはない。
「サン◯リアの。ドラッグストアで一本四十七円」
「……お買い得……」
「浅煎りの酸味、とか言ってたわね」
「そのはずだったんですけどね……」
「サン◯リアの人に言ってあげたら。きっとさぞ喜ぶでしょうね」
「嘲りの嫌味!」
「どうしたの急に」
「……いや、何でもない。語呂がいいの思いついたから言っちゃっただけ……」
ヤケクソで叫んでみた言葉は、ややウケというところだった。
正和の焦りが目立つ前に、累はそそくさと次の話題を振る。
「他にもあるのよ」
「何だよ、言ってみろ!」
「あなたが毎朝顔に塗っている化粧水と乳液」
「あ、最近は男でもね、肌のケアって大事なんですよ。肌男なんつってね」
「中身をにがりと豆乳に替えておいたわ」
「……俺の顔で豆腐作ろうとしてる?」
爆笑。
正和は心の中で小さくガッツポーズを取った。
そして自分の肌の具合が急に心配になった。
「どちらも肌には良さそうでしょう?」
「成分として入ってるのはありそうだけども!そのもの直はどうかなぁ……」
「他にもあるのよ」
「何だよ!この際だから言ってみろ!」
「あなたが大切にしている健康祈願のお守り」
「あーあれね。とある由緒正しい神社で買ったんです。樹齢四百年のご神木の皮が入ってるんですよー」
「中身、桂皮に替えておいたわ」
「……ケイヒ?ってなに?」
「シナモンよ」
「シナモン?!」
「いい香りがしたでしょう?」
「な、何やってくれてんの?!え?ご利益なくなっちゃうでしょそれじゃ!樹齢四百年の木だから意味があるのに!」
「シナモンだって木の皮よ。四千年前からある地上最古のスパイスだし」
「いやいや、そういうことじゃなくて!」
「ミイラの腐敗防止にも使われていたらしいわ」
「そんな知識いらない!防腐剤もいらない!」
もはや正和は半泣きだった。
百歩譲って悪戯を仕掛けるまでは良い。
出来るならそれを、死ぬまでバラしてほしくなかった。
これから体調を崩したら、きっとシナモンが憎くて堪らなくなる。
そんな複雑な感情が、意味不明な悪戯に振り回される彼のキャラクターにリアリティを吹き込んでいた。
「まだまだあるのよ」
「もう聞くの怖くなってきたけど……言ってみて」
「あなたがベッドの下に忍ばせていたコレクション」
「……え?」
固まる正和。
いけない。
それは、思春期男子の聖域だ。
「最近、ごっそり数が減っていなかった?」
「……いや、それはちょっと……」
「減っていたでしょう?」
「……いや、まぁ……うん、減ったっていうか、ほとんど全部なくなってた」
「あれね」
「ま、まさか、お前が捨てたのか?!」
「いいえ。お母さんが正くんの部屋を掃除する直前に、一つ残らず『義母もの』にすり替えておいたのよ」
「な……!」
「偶然見つけてしまった一つが『そういうジャンル』だった時点で、お母さんに走った衝撃は、想像を絶するモノだったでしょうね」
「え……ちょ」
「まさか他にも?と疑って更にベッドの下を検めて、続々出てくる『義母』の文字。ただの熟女趣味ならまだ複雑ながらも許せたかもしれない。でも気になるのは、一冊残らず『義理の母』であるということ。実の母である彼女の脳裏には一体どんな感情が……」
「もういい!!悪趣味過ぎる!!」
もはや人が見ていることも半ば忘れて、正和は累の肩を叩く。
累の、「何を怒ってるの?」と言わんばかりの澄まし顔が、また笑いを引き起こす。
「安心して。元々の正くんのコレクションはちゃんと保管してあるから」
「それもそれでどうなのよ……!……それにしてもお前よくみんなの前でそんなこと言えるね。『義母もの』とか普通の女の子死ぬまで口にすらしないよ、きっと」
「そうかしら……。まあでも、そうね。流石にデリケートな年頃の男の子に、こういうネタはよくなかったわね」
「当たり前だろ!お袋ここに買い物来てるかもしんねーんだぞ。これ聞かれてたら俺んちの夕食時の空気どうなっちゃうんだよ」
「いっそのことカミングアウトしてみたらどうかしら」
「なんて?」
「『義母が欲しいです』って」
「言えるか!……じゃなくて、欲しくない!そんなこと言ったらお袋泣くわ!」
「……まだ掘り下げる?この話」
「いえ、もういいです……。勘弁してください」
「じゃあ、話題を変えて」
「変えて」
「『清純派美少女の秘密』というAVのタイトルについてどう思う?」
「話題大して変わってねー……。しかもそれ俺の一番のお気に入りー……」
「清楚とか純情とか、AVのパッケージに書いてあるだけで強烈な矛盾よね」
「返す言葉もございません」
「それこそ、缶コーヒーに書いてある『挽きたて』とか『プレミアム』くらい矛盾まみれで、意味がないわ」
「深く考えずに楽しめてるならそれでいいじゃない!黒髪の子が好きなんだよ!あとサン◯リア超おいしいよ!」
立て続けに突き付けられた衝撃の事実に、混乱状態に陥る正和。
それを横目に、累は悠然と肩を竦めた。
「男って複雑ね」
その口調に、正和は終わりの気配を感じる。
見れば、スタッフの男性がエスカレーターを駆け下りてくる所だった。
何とかオチを付けて終わらせなければ。
「ってか、さっきから色々言ってるけど、全部単なる嫌がらせじゃんかよ!」
「そう怒らないで。少しは悪かったと思っているのよ。お詫びのしるしに、これあげるわ」
「え?……なにこれ?」
「シナモン」
「いらねーよ!!」
どっと笑う観客。
自然と、正和の手の甲が累の肩にぶつけられる。
後はお決まりの言葉を言うだけだ。
「ほんともう、いい加減にしろ」
『どーも、ありがとうございましたー』
二人は大きな拍手を浴びながら、逃げるようにステージを降りた。
人生初の舞台は成功に終わったが、やはりその代償は小さいものではなかった。
クラスメイトが観客の中に紛れていないことを祈りつつ、正和は逃げる累の背中を追いかけた。