09
試験期間ということで、流石の柔道部も活動は休みらしい。
四人は連れ立って、高岡駅前に繰り出していた。
言い出しっぺの真菜は、何やら「見て欲しいものがある」とだけ三人に伝えて、彼らを駅ビル一階のイベントスペースまで連れて来ていた。
七階のレストランフロアまでをぶち抜いた八角形の吹き抜けには、まばらに買い物客が人だかりを作っている。
一階には簡素な特設ステージが設けられ、今はピエロの衣装を着たパフォーマーが手品を披露していた。
「見せたいものって、ここのイベント?」
二階の手すりに体をもたせかけながら、正和はステージ上のパフォーマンスを見るともなく眺める。
派手なフェイスペイントをしたピエロは、玉乗りを披露して子供たちに拍手をもらっていた。
「うん。四時半から出番らしいから、あの人の次に出てくるんだと思うんだけど……」
何故か柱の陰に身を隠すように立ちながら、真菜は一階ステージの周辺を見下ろしている。
松田は羽毛布団の展示販売員に捕まって、恐縮しながら商品の説明を聞かされている。
累はと言えば、わざわざ最上階まで行って買ってきたらしいカップ入りのアイスクリームにスプーンを突き立てていた。
「あれ、累。お前甘いものあんまり好きじゃないって言ってなかった?」
「……何年前の話よ。今や私も立派な女子高生よ。こういうところに来たら、買い食いくらい嗜むわ。あ、正くん一口食べる?あーん……」
プラスチックのスプーンを正和に向けて差し出す累。
正和は間接キスという言葉が浮かんで、動揺しながらそれを辞退した。
「ミルクセーキ味、嫌いだった?」
「……お前わざとその味選んで来ただろ」
「マンゴスチン味と悩んだんだけど」
「お前の好きそうなラインナップを揃えてる店だな……」
正和のこういう反応を楽しむ為にわざわざ買ってきたに違いない。
「……あ!出てきた!」
緊張を滲ませた口調で、真菜は三人に告げる。
手を振りながら裏手へはけていくピエロと入れ替わりにステージに上ったのは、中年の男女二人組だった。
一人は燕尾服を着た細身の紳士。
ステージ端に置かれたキーボードの前に腰掛けて、音響装置の設定を始める。
もう一人は、やたらと大量のフリルに縁取られたピンク色のドレスに身を包んだ女性だった。
年の頃は三十中盤から後半というところか。
背中まであるロングヘアを揺らしながら、ステージの中央へと進む。
顔立ちは華やかで色気のある立ち居振る舞いだが、衣装のドレスの派手さが若干浮き気味な印象が拭えない。
ほどなくして、音響設定が終わったらしい紳士と女性は一つ目配せをすると、パフォーマンスを開始した。
なめらかな手つきでキーボードの演奏を開始する男性。
あまり音楽に造詣が深くもない正和でも前奏で曲名が分かる、数年前に大流行したラブバラードだった。
八小節の前奏のあと、ステージ上の女性が歌い始めた。
見事な声量と、艶のある声質。
オリジナルを歌っている若手の女性シンガーよりも歌唱力は上かもしれない。
若干原型を崩した歌い方をしているが、少し気だるげな女性の雰囲気にそれがよく似合っていた。
二階からその様子を見下ろしながら聞き入っていると、あっという間に一曲目の演奏が終わった。
吹き抜けのあちこちから、パラパラと拍手が舞った。
ステージ中央に立つ女性が深々とお辞儀をして、マイクに向けて話し始める。
『どうもありがとうございます。初めまして。長谷川芳江&貴之と申します』
「……長谷川芳江」
「なんか、どっかで聞いたことある名前だな」
記憶をたどるように視線を中空に向ける正和。
「正くん、そこで上を見るとパンチラハンターみたいよ」
「何だそのちょっとカッコいい呼び名」
「今一階に行けば私のスカートの中身なら見放題なんだけど?」
「……見たら後悔しそうなものが仕込まれてそうだからやめとく」
「いい読みね」
「ってんなことどうでもいい。花澤さん、見て欲しいものって、あの人?」
正和の問いに、真菜は小さく頷く。
「長谷川芳江って、確か、昔バラエティ番組とかに出てたタレントじゃなかった?」
羽毛布団の販売員を何とか振り切ったらしい松田が手すりから身を乗り出してステージを眺めながら言う。
「……言われてみれば、そんな人居たような居なかったような……」
「最近は全然見なくなっちゃったけど、まさかこんな田舎のデパートで営業してるなんて……。でも、歌はすごくうまかったんだね」
「……元はアイドルとしてデビューしたらしいの。何枚かレコードも出してて、歌番組に出た時のトークが面白いからって、バラエティ番組にも出るようになったって言ってた」
「言ってた?」
不可解な真菜の説明に、正和が訝る。
真菜は俯いて少し躊躇った後、意を決したように告白する。
「長谷川芳江っていうのは芸名で、本名は花澤芳江……。私の、お母さん」
「……ええぇーーっ?!」
正和と松田は声を揃えて真菜に向き直る。
真菜は相変わらず柱の陰に身を隠したまま、唇に人差し指を当てて二人を宥める。
「マジか……」
「花澤さん……。芸能人の娘だったの……」
驚きに目を丸くする二人に、真菜は苦笑しながら答える。
「芸能人って言っても、今では全然仕事ももらえてなくて、こういう地方のイベントとかを転々としてるんだけど……」
「親の仕事が特殊って言ってたのは、このことだったんだね」
「うん。後ろでキーボードを弾いてるのが、お父さん。二人でユニットとして活動してるの」
二曲目の前奏が始まる。
去年朝ドラの主題歌として有名になった、これまたメジャーなポップスソングだった。
相変わらず見事な歌声だったが、聴衆の反応は今一だった。
ピエロに群がっていた子供たちは両親と合流してホールを離れていってしまっていたし、買い物客達もほとんど足を止める人はない。
ベンチに腰掛けて休んでいる老人が数人、関心の薄い視線をステージに向けているだけだ。
「……真菜ちゃん。どうして私たちにこれを見て欲しかったの?」
「…………」
累の質問に、真菜は答えづらそうに一瞬黙り込んだ。
「感想を言って欲しいなら、素直なところを答えるけど」
「……累ちゃんの目から見て、どうだった?二人の演奏」
「悪いけど、微妙としか言いようがないわね。パッとしないわ。お客さんの反応を見れば分かるだろうけど」
「お、おい、累」
「お世辞を言っても仕方ないでしょう?真菜ちゃんも、多分分かっているから私たちに聞かせようと思ったんだろうし」
「え……?そうなの?花澤さん」
戸惑いながら尋ねる松田に、真菜は苦笑して頷いた。
「累ちゃんの言う通り。……やっぱり、そうなんだね……」
しょんぼりと俯く真菜に、松田は狼狽えるが、特にかける言葉も思いつかないようだった。
「私は、お父さんのピアノとお母さんの歌、凄く好きなんだけど……。歌手として食べていくにはかなり厳しいみたいで……。ほら、ずっとそばで聞いてると、分からなくなってきちゃうんだよね。二人の演奏が、どれくらい世の中で評価してもらえるものなのかって」
「カバー曲しか演らないの?」
累にしては珍しくまともな質問に、正和も横で頷く。
「……お父さんが作ったオリジナルの曲もあるんだけど、誰も聞いたことのない曲じゃそれこそ聞いてもらえないから、たまにしか演奏させてもらえないみたい」
「アイドル時代に出した曲は?ヒット曲とかないの?」
「何曲かはランキング入りとかもしたらしいんだけど、その時の事務所とは喧嘩別れになっちゃったから……権利の関係で歌えないらしいの」
「なんだか、難しいんだね……」
「借り物の歌でイベントの賑やかししか出来ないなら、それって歌手って言えるのかしら?」
「堀江さん、そんな言い方……」
「うぅん、松田くん。いいの。私、累ちゃんにズバッと言って欲しかったのかもしれない」
「花澤さん……」
しんみりとした空気に、長谷川芳江の歌う切なげな歌声が重なる。
正和も、素っ気なくステージ前を通り過ぎていく人々を眺めていることしか出来なかった。
「で?本題は?」
「え?」
「続きがあるんでしょ?感想を聞きたいってだけのために、わざわざ連れてこないでしょ?」
真菜の顔に驚きの色が広がる。
どうやら、図星のようだった。
「……アイドルだったころに、トークが面白くて評判だったって聞いたから」
「うん」
「素人考えなんだけど、もしかしたら歌だけじゃなくて……面白おかしくお話なんかも出来たら、少しは色んな人に歌も聞いてもらえるのかなって、そう思って……」
真菜は顔を上げて、何故か累と正和を交互に見た。
「それで、思ったの。累ちゃんと杉田くんみたいに、二人が面白い掛け合いを出来たらって!」
「……はい?」
突然話が妙な方向に向かい出していることに気付いて、正和は固まる。
隣では、累がゆっくりと、何度も頷いていた。