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この世界にある最も身近な幸せとは、ベッドの中の温もりだ。
肌触りの良いタオルケットと毛布にくるまりながら、杉田正和は寝返りを打つ。
遮光カーテンの隙間から漏れ込む五月の日差し。
どうやら今日も天気は悪くないらしい。
昨日眠りについたのが十一時過ぎで、時刻はまだ六時半。
十分なほど睡眠を取って更にあと三十分、この温もりの中でまどろんでいられる。
こんなに幸せなことが他にあるだろうか。
きぃと鳴った小さな音に気付いて、正和はパチリと目を開く。
南向きの窓の真下に置かれたシングルベッドの上で、身を守るように体を丸める。
毛布からはみ出した素足をくすぐる微かな冷気で、部屋のドアが開かれたことを確信する。
またか。
四月からお馴染みとなったこのイベントに、正和は内心うんざり気味だった。
幸せの三十分を強制終了させんとベッドに忍び寄る存在には、正直何も有効な対策を見いだせないままでいる。
突然、正和の体を包んでいた毛布とタオルケットが剥ぎ取られる。
幸せと温もりをいっぺんに奪われて、覚醒しきっていない頭に呆れと苛立ちが芽生える。
今日は一体、どういう趣向なのだろうか。
「……起きなさい。いつまでそうしているつもりなの?」
凛とした声が、叱りつけるように言う。
「ゴロウもフトシもコタロウも逝ってしまったわ。今この地球で、アーリーライザーを機動できるのは貴方しかいないのよ、マサカズ」
昨日の夜、とあるロボットアニメの劇場版がTVで放映されていたことを思い出す。
成程、今日はそういう世界観か。
それにしても、パイロットの名前がみんな地味だ。
安易にツッコみたくなる気持ちをぐっと抑えて、正和は狸寝入りを続ける。
「先の戦闘で痛めたお尻が痛むのは分かるわ。でも、アーリーライザーなら大丈夫。新型の操縦機構は、臀部への負担を最小限に抑えてくれるわ」
旧型はどんな仕組みだったんだと声を荒げたくなるが、流石に寝起きにそんな元気は沸いてこない。
「もう、第二防衛網まで破られてしまったわ。もう本部はまる……むき出しも同然よ」
――言い直すな。
気になる表現だったけども。
「ほら、もう最終防壁に敵の手が掛かって……本部がっ……!」
「……ちょっ!」
掛かったのは敵の手ではなく少女の手。
そして掛けられた対象は最終防壁ではなく正和の寝間着のズボンだった。
「なんてこと……。こんなにもあっさり、最後の防御が破られてしまうなんて……」
「な、何やってんだ!」
流石に無視し続ける訳にも行かなくなって、正和は体を起こした。
焦点の定まらない視界にいたのは、妙齢の女指揮官、ではなく、セーラー服とニーソックスに身を包んだ女子生徒だった。
ポニーテールにピンクのシュシュがよく似合っている。
その手には、水色と白のストライプの寝間着ズボン。
どうやら言葉通りあっさりと、その魔の手によって引き抜かれてしまったらしい。
「お、男の部屋に早朝に忍び込んでズボン脱がすとか、女子高生がやることかよ」
彼の非難の声はまったく少女の耳に届いていないようだった。
何故かその表情は驚きに染まり、固唾を飲み込まんばかりだ。
「……まさか……変形機構?!本部に、私も知らされていない秘密が……?」
意味不明の言葉の真意は、少しの時間差を置いて理解できた。
彼女の視線は正和のトランクス辺りに向いている。
「これだけの危機に、幹部の連中が落ち着き払っている理由は、これだというの……?」
「そう、これが秘密のリーサル・ウェポン……なわけあるか」
朝っぱらから下世話過ぎる話題を振られて、やけくそ気味に軽く乗ってしまう自分の性格を呪う。
朝を迎える度に、少女のやり口は遠慮がなくなってきている気がした。
「大体、どこを本部に見立ててんだよ」
「本部というより、陰部ね」
「お前最低だな」
ドン引きしつつもやり取りの空気は笑えるものに保つ。
少女は彼のそんなリアクションに、満足げに頷く。
「今日も、調子はいいみたいね」
「……ズボン脱がしてその感想とか、卑猥なんですけど」
傍らに落ちていたタオルケットで下半身を隠しつつ、正和は呆れ返った。
しかしどこかで、笑いを堪えきれない自分を自覚する。
今年の四月一日から度々繰り返されている、正和と彼の幼馴染、堀江累との朝のやり取りだった。