第1話 つるべ落としの桶子-7
「んっ、んっ」
女の子は枝に早く捕まらんとするばかりに、腕を伸ばし続けている。
もうどうにでもなれ。僕は深呼吸してから、桶を一気に持ち上げようとした。
すると、あれ、意外にも軽い。
力んだ分、あまりにも軽かったため、桶は勢いよく自分の肩より高く上がった。
「おおっ、と」
そのまま投げ飛ばさないよう、強く桶の腹を掴む。慌てて投げてしまえば、すぐに平らげられてしまうだろう。というか、まだ変化しないのか?
僕の身長と同じぐらいの高さまで、持ち上げられた女の子だったが、それでも太い枝まではまだ足りていなかった。しまった。ここで掴まれないことが分かってしまった以上、今度こそ僕は食べられてしまうのではないか。
そう思った次の瞬間、桶の中から包帯のような紐が左右から飛んでいくのが見えた。帯だろうか、それは一本の枝に巻きつき、女の子をさらに持ち上げていく。やがて僕の手から桶が離れて、彼女はその太い枝から、僕を見下ろすように固定された。
女の子の瞳は、月明かりに白む夜空よりも黒い。子供らしい、純粋な光を宿した目だった。
「ありがとう」
女の子はそう言った。
その時、僕は空の霧がなくなっていることに気づく。遠くの家々の屋根も、来た道の向こう側も、夜目ではっきりと見えた。そして、電車がレールを走る音が、行く道から聞こえてくる。
帰れるかもしれない。
僕は音が聞こえた方を見てから、再度、木の上へ向き直った。
「あれ」
すると、大きな木自体、なくなっていた。根元があったところを見ても、そこには雑草が生えているだけだ。来た道から自転車がやって来て、僕の背を通り過ぎた。なんでもない風景。それだけしかなかった。
あの女の子も、いなくなったのか。
なんだか、狐に頬をつままれた気分だ。さっきまでの出来事が夢みたいで。だが、得体の知れない恐怖だけは、体に染みついたようだった。
とにもかくにも、僕は助かったらしい。
そして、つるべ落としは実在したのだ。




