第1話 つるべ落としの桶子-1
最近、この怱々町では奇妙な噂が絶えず蔓延している。例えば住宅街のど真ん中で、巨大な蛇の頭が道をふさぎ、大口を開けてやって来る人を飲み込もうとしているだとか、とあるカーブミラーからは、怱々町とそっくりの同窓町という別世界に繋がっているだとかで、迷信にしてはやけに生々しい体験談が、この町で、僕の学校で持ち切りになっている。
駅前の通学路を登校していると、今日もナナはやって来た。
「よっ」
「あぁ」
後ろから、慣れ親しんだ声が聴こえれば、振り返る必要はない。ナナは僕の隣を歩きながら、こちらを一瞥した。
「眠そうだね、"くま"が見える」
「徹夜だったんだ」
「ふうん。もしかして、先週締切だった、世界史の?」
「いや、それは出した」
「え。君が宿題の締切を守ったって?」
「たまには本気を出すもんだ」
へぇ。ナナが隣で不思議そうに、首をかしげている。別に、大したことはやっていない。そう言う前に、彼女は話題を変えてしまった。
「ねぇ、聞いた?」
「ん? なにを?」
大きな公園の門の前で。僕は葉桜になりつつあるソメイヨシノを見送りながら、彼女に訊き返した。
「つるべ落としの話」
「つるべ落とし? 秋の空は……」
「秋の空はつるべ落とし。現代では井戸もつるべも、ほとんど見かけないけどね」
「秋は日没が早い、とか、そうゆう話じゃないんだろ」
「もちろん。私が話したいのは、妖怪"つるべ落とし"の話」
妖怪……。僕は呆れて、ため息が出た。
「またその話か」
「二度も話した覚えがないわ。私はこの話を昨日聞いたもの」
「そうゆう意味じゃない。またその手の話かってこと」
僕は露骨に嫌そうな顔をして見せたのだが、その時ナナはこちらを見てはいなかった。
「そんなこと言って、ミノも噂話は大好きでしょ」
僕の名前を牛の第一胃みたいに呼ばないでほしい。つくづくそう思って、文句を言ってやろうとは思うのだが、当の彼女は自分の話をしだすと耳が遠くなるらしい。今は言っても無駄なのだ。
「で、なんの話だったんだ?」
適当に相槌を打って、聞き流した方が良いと判断した僕は、彼女にそう訊いた。
「それはね…」