第8話
俺はまず、もうそれら全てをなかったことにして、説明するべきゲームのショートカットをクリック、機動させるという作戦を試みた。この時もうすでに俺は冷静ではなかったのだ。なんとかなる、なんとかなかったことに出来る、意味もない自信は俺を行動させるために十二分であった。
すかさず、本来起動するべきゲームを起動しようと、そのゲームのショートカットにポインターを合わせてダブルクリックしようとしたその瞬間、
「あ」
故意か過失か、その真偽は定かでないが、何を思ったか姫野さんの腕がこつんと俺の手に当たり、ポインターがずれる。
ポインターはあろうことか、他の同人ゲームのアイコンを指した──のならまだマシだった。何故なら、同人ゲームであればタイトル画面が起動されるだけだからだ。その後に、間違えちゃった、だのなんだの言って閉じればいいだけのこと。
しかし、俺のデスクトップには一つの地雷があった。ダブルクリックして開かれてしまえば最後、もはやこの地雷は一瞬の猶予もなく爆発してしまう、そんな地雷──俺の秘蔵二次元美少年愛好家向けドM用画像フォルダである。
説明しよう。
このフォルダは俺が毎日色々なところを巡回し、貯めに貯めた画像ファイルがぎっしりと詰まった秘蔵とっておき最強画像フォルダであり、いつでもすぐに見ることが出来るようにデスクトップに「秘蔵」という名前にして置いてあるまさに俺専用機なのだ、以上、説明終わり。
「あ、ああああ」
「お~……」
俺のパソコンの画面に映し出される大量の画像のサムネイル。
俺の悲鳴と姫野さんの引きつった表情プラス引き気味の声。
終わった! 終わったな! 俺のハーレム計画が成就しようとしていた矢先のこの悲劇! 神に見放されてしまった! 終了~! 色々な声が俺の脳に響き渡っているため、姫野さんの反応が、引いた事だけでなくさらに続けられているということに気が付くのに少々の時間を要した。
「へぇ~、こういうの好きなんだ~」
どこかで聞いた事のあるようなセリフとともに、姫野さんの左手が俺の太もも付近へと接触しているのである。さて、これはいったいどういうことか。
「え、え? ん? ちょっと、姫野さん、何やってるの」
「なに、って? いや、こういうの好きなんだね~って。あ、ほら、この画像なんか僕に似てない?」
姫野さんは俺がマウスを握っている上から右手を重ねてマウスを操作し、一つのサムネイルをダブルクリック、画像を大きく表示させる。
それは、中世貴族な某作品の黒髪美少年がこれまた中世貴族的服装を着て、奴隷を見下すような表情で足蹴にしているイラストである。
「ていうか、このキャラ、僕コスプレしたことあるよ。今度してあげよっか?」
「お、おう、あ、うん、えっと」
「何緊張してるのー? おっかし~」
必要以上に、必要の三倍、四倍、いや、五倍は接近している姫野さんの体は、いよいよ俺の体へと密着し、筋肉の感触、脂肪の感触、さらに言えば、ふわっとした男の子風味なかほりが俺の鼻に入ってくる。
別に姫野さんの服装が煽情的なものである訳じゃない。そこらへんのちょっとオシャレな男子大学生がしているであろう極々平均的、けれどもオシャレな服装だ。体のラインがやけになまめかしく見えるのは、季節柄仕方のないことであり、これは決して人を篭絡するために着こまれた衣装ではない、はずである。
にもかかわらず、俺の頭はこんなことを考え続けでもしない限り、平生を装い続けることは不可能なほどに、興奮してしまっていた!
頭ではわかっているのだ。目の前の男は、姫野さんは、俺と同い年の男であるということを。理解しているはずなのだ。ヤンに欲情するのは仕方ないにしよう、というか、あれは理想だ。だが、姫野さんは違う。違うはずだと分かっている。しかし、ダメ! 理性なんてもの、肉体を前にしてしまえば何の役にも立たぬ!
そうしている間にも、姫野さんは何を思ってか、俺の手の上からマウスを操作し、いろいろな画像を眺めていく。
「ね~、こういうのしたいの~?」
「あ、い、いや、その、ね。そりゃ」
「へ~、そうなんだ」
「あ、う、はい、その」
「…………」
突然、姫野さんが黙って一枚の画像を開き、見つめている。それは、あまり保存した覚えのない、ほかの画像と比べて明らかに異質な画像。
そうだ、例の有名絵描きさんの画像、である。
「……この人、ボク好きなんだよねー」
そういえば、今日買い物をしていた時にも、一冊の本を手に取ってそんなようなことを言っていたような、言っていなかったような……。
俺がどう反応してよいのか困っていると、
「ねー、好きなんだよね……」
姫野さんが、何かアクションを起こせよとばかりに、やたら上目遣いでこちらを見つめてくる。
俺は察した。察するほかなかった。これは、俺に対して、知っていることを白状せよということだと思ったのだ。
「あー……俺、この人と、知り合い、だよ」
俺のその発言を聞いた姫野さんの反応は驚くほど速かった。
「え!? ホント!? すっごーい!」
すっごーい、などと言いながら、体を摺り寄せてくる。もうここまでくると露骨すぎる。明らかに、姫野さんは俺に過度なボディタッチをすることによって、俺の好感度を上げようとかそういうことを考えているに違いない。
しかし、そんなこと分かったところで、悲しいかな、俺の昂る野生児は一切収まることを知らず、理性なんてものは感情の濁流に押し流され、姫野さん万歳、姫野さん最高、という劣情極まりない感性が脳で爆発し続けるのだ。そして、俺は話さなくてもいいことを口走り始める。
「あー、うん……しばらく前からね~ちょいちょいってメッセージのやり取りしてて、あ、会ったこともある、みたい」
「……? みたい? え~、いいなぁ~いいなぁいいなぁ~」
姫野さんの目つきが、キラキラ光ってとてもうれしそうな顔になる。ああ、そう、こんな顔を見たくなっちゃってたから俺はこんなことを口走ってしまったのかもしれない。
正直、どこまで俺がこの有名絵描きさんと深い仲なのかは不明なのだが、この前メッセージのやり取りをたどったりしたところ、過去に何度も会ったことがあるということになっていたし、数少ない深い仲の友人ということにもなっていた。なんでも、彼が有名絵描きとして君臨し始めるより遥か前から俺はつながりを持っていたらしいのだ。コネ、大事! すんごーい。
姫野さんがようやく俺の手と身体を解放し、俺のことをじーっとみている姿勢に変わる。
「あー、うん、有名、だよね。絵うまいよね」
「紹介してよ~! ね」
「えーっと、うーん……それは、ちょっと」
紹介くらいしてあげてもいいと思わないでもないのだが、俺もまだこの絵描きさんのことを深く知っている訳ではない。関係性という事実はねつ造されていたものの、俺自身の記憶はどこかぼんやりとしていて、ひどくあいまいなものであるのだ。
故に、はい、どうぞ、と紹介して打ち解けられるという状況を想像することが難しく、安易に聞き入れられるお願いではないのである。
「……あのー、姫野さん?」
「んーん、いいよ、別に。さ、ゲームやろ」
姫野さんの狙いはいったい何なのか、その姿がうっすらと見え始めた気がするが、そこでこの絵描きさんに関する話題は終了し、それに伴って、姫野さんの体、手が俺の体等から完全に離れる。
姫野さんの先ほどまでしていた甘い表情はすっかり元に戻り、平常運転の顔色へ戻っていた。
俺は魔法が解けたかと思ったが、この流れに乗り、逃げ切るチャンスだと考えると、そのままゲームの流れなどを説明することにする。
「えー、これが一作目でね、あ、クリアしてあるんだけど……」
「ふーん」
「この音楽がいいんだよね~。サウンドトラック持ってるから、今度かそうか?」
「ん」
「それで、これが三作目なんだけど、ここからシステムが変わって──」
「へぇー」
窮地を乗り切った──というか、勝手に終わってた俺は、水を得た魚のようにぺらぺらと話しだしていた。そもそも、姫野さんは俺がいうところの可愛い男の子に分類されるのは間違いなく、こうして一緒の部屋で、しかも俺の部屋で、もっともっと言うなれば、二人きりで遊ぶということは、俺の夢、願ったり叶ったりなのだ。舞い上がらない訳がない。
そんなこんなで何時間かが過ぎ、そろそろ夜も本番に差し掛かってきた頃。
「あ、そうだ、もうそろそろ姫野さん帰らなくて大丈夫?」
「んー……」
俺は、一応心配して言ってみる。家は近場で、姫野さんは男だとはいえど、終電がなくなるのはまずいだろう。
「どーしよっかなー……泊まっちゃおっかなぁー、明日休み、だし」
「えっ」
「お酒とかも飲みたいな~ある?」
「えっ」
俺の体が一瞬止まる。さて、これはどういう反応を返すべきなのかという問いが俺の頭に突き付けられ、すぐさま俺はありとあらゆる己の記憶を遡り、どう返答すべきなのかを考えていた。
姫野さんが不思議そうに首を傾げ、俺が、じゃ、じゃあ泊まってく? なんて言おうとしたその時である。
「どーん! 愛のキューピットヤンくんさんじょ~!」
ヤンが俺の窓の外から入ってきた。乱入、という言葉が実に相応しい。乱入、優勝。
「えっ!?」
一番驚いているのは、もちろん、姫野さんである。服装は、何故か、学校へ行っていた時のヤンの服装であるため、姫野さんはこの窓から突入してきたクソ悪魔の存在が何物なのかということを間違った形でご存じなのだが、それゆえに、驚きを隠せない、といったところであろう。
「なんで!? あれ、ヤンくん!?」
「あらあら、これは、ゆいゆいじゃーん、こんなところでぐうぜーん!」
「偶然にもほどがあるだろ!」
俺はつい突っ込んでしまうが、突っ込みどころはそれだけじゃない。
「おい、ヤン! なんでお前、こんな、もうちょっとで、いい感じのところ、絶対に愛のキューピットとして入ってきてはいけない最悪のタイミングで入ってきちゃったんだよ! 悪魔かよ!」
あぁ、悪魔だわ。
「そんな褒めなくても~。なぁに、ゆいゆいと協力してお前のオナ──もごもご」
俺はとっさにヤンの口をふさぐ。全力でふさぐ。何か聞こえてはいけない言葉が発せられるよりも前に、電光石火の早業で俺の鍛えられた右腕をヤンの口へと直行させることに成功……!
「?」
姫野さんが、訝しげな表情で俺とヤンを見ている。なんとか弁明をしないと、と考えていた矢先、姫野さんが、
「ふーん……なんだ、明くん、もう男の子飼ってたんだ」
なんていう実に勘違いをしているような一言を放ち、
「じゃ、僕はお邪魔みたいだから、帰ろうかなぁ~」
なんて言い始める。俺はヤンの耳元で、姫野さんに聞こえないように耳打ちする。
「お、おいっ! お前! なんてタイミングで入ってきてくれるんだよ! もうちょっとで俺の最強ハーレム計画の第一歩が達成されようとしてたのに!」
「えーっと、あ、そうそう、お前がハーレムっていうもんだから、てっきり、ボクも同時に出てきた方がいいのかな~って思っちゃった~てへ」
「かーっ!」
た、たしかに、一理ある……。完全に敗北した俺。
そんな俺をさておいて、いつの間にか姫野さんは退出準備を終えて、玄関の扉を開けようとしていた。
「あー、あー! ま、まって! 姫野さん!」
「待つもなにも……。あ、そうだ、連絡先! 交換してよ!」
断る理由もなく、ヤンが後ろでにまにまと見ているのを無視して、姫野さんとの連絡先の交換をてきぱきとこなす。
「……」
その間、姫野さんは、ジロッと怖い目で俺──ではなく、俺の後ろにいるヤンをにらみつけていたような気がした。
姫野さんを見送り、俺の部屋に残るのは俺──と悪魔一匹になってしまう。悪魔的タイミングで突入してきたこの悪魔めをどう咎めてやろうかと思い悩む俺。
「まー、まー、そんな怒らずにぃー……ぷっ、ぷふっ、なんか、めっちゃ、ぷっ、期待してた、よねっ」
「な、なに笑ってんだ! 馬鹿にしてんのかー!?」
「うん」
にんまりと満面の笑みで、俺を馬鹿にしている旨を答えるヤン。というか、期待してたとかそいうのを知っているということは、やはり完全にタイミングを見計らって突入してきたということに間違いなさそうだ。
「お前な!」
「まぁまぁ、そんな怒るなって。ボクの見たところによると、お前、利用されようとしてるよね?」
「えっ? えっ?」
「えっ、まさか、あの話の流れでまだゆいゆいがお前に友情的もしくは恋愛的感情で近づいてきたと思ってるの?」
「ま、まさか!」
「まさかもなにも、そのままでしょ~。ホラ、ボクが唱えた何が起きるか分からない呪文、アレで起きたお前への絵描き? か何かへのつながり、それが目的なんじゃないの? ゆいゆいは」
ああ、分かっていたさ、途中から分かっていた。なんとなく、分かっていたんだよ、そんなことは。だけども、こうして改めて突き付けられると、それはもう揺らぎない事実になってしまうんだよ。
さて……しかし、俺はここで一つ己を強く持てる事実を思い出す。男の子に利用されるということは、ドMにとってのご褒美なのさ……。