第6話
あの場はなんとか逃げのびた俺だが、非常に早急に、すぐさま、今すぐに、もうそれはもうとにかくすぐに、確認しなければいけないことが出来た。
それは、姫野さんの出来事は、ヤンの呪文によって発生したイベントかどうかということである。
俺は、あの後すぐに家へと逃げ込むようにして帰宅し、いつものようにパソコンの前に座り、落ち着かないながらもエロ画像を収集している。
「ううぅうむ、これもいいが、しかし……」
悩み事を考えながらエロ画像を探すことなんて出来るのか、と人は思うかもしれないが、それについては問題ない。鍛え抜かれたスキルは、己が巡回すべきタグを全て暗記しているし、自分が好きな絵描きについては、SNSという非常に便利なツールによって簡単に情報を収集することが可能になっている時代なのだ。
思考力のすべてをそちらに割かずとも、この手が、この身体が、この脳が、俺のなすべきこと、俺の性癖へマッチする画像を収集してくれるのである。まさに、俺は、エロ画像収集マシンを名乗ってもよいくらいの精度を誇る生きるマシンなのだ。
「……んん?」
しかし、SNSで自分が好きな性癖のえっちなイラストをアップしてくれる絵描きさんを眺めている時、ある違和感を感じた。
それはほんの小さな違和感だ。
基本的に、俺が巡回する絵描きは、言っては何だが、一般受けしない絵を描いている人が多い。当たり前だ、何せ俺は、ドMの美少年好きを自負する男なのだから! って、こんなことは大声で言えることなのかとても怪しいところなのだが……。
さらに言うなれば、俺は、絵描きさんの絵の技量にさほどこだわりを持っていない。もちろん、素晴らしい絵を描く人はとてもすごいと尊敬しているし、個性的で豊かなストーリーの漫画を描く人がいれば、それもそれで心の底からすごいと思う。
だが、俺が求めるのはそういったものではない。とにかく、俺の性癖に見合ったイラストであれば、少しばかり不器用な描き方でもそんなことは些細な問題となるのだ。
俺はこう見えても、結構オタクであるため、有名な絵描きさんなどは分かる。しかし、そういった人達とのつながりは一切ない。とにかく、俺は、俺が見たいシチュエーションを持つ絵を見るためだけに、SNSを使用しているのである。であるからこそ、俺は自らの巡回先、時にメッセージを送る先というのは一人残らずしっかりと把握しているのだ。
長くなったが、それらのことから、見つけることが出来たほんの小さな違和感。
「……あれ? いっつもここ見てたっけ……?」
俺が巡回の途中に見つけた人物の絵。巡回の途中に見つけるということは、つまり、自分の巡回リストに入っていたということである。
見たことがある絵ではある。何故なら、この絵描きは、絵描きとして純粋に有名であるからだ。俺が好きな絵を描く人ではないのだが、それでも知っているくらいには有名。
考えられるのは操作ミス。しかし、もっと奇妙な事実が俺に襲い掛かる。
「メッセージ……?」
それは、俺がその絵描きさんと交流した痕跡であった。俺は、普段、称賛のメッセージを送ることもあるし、その付き合いが長い人とは、ちょっとした交流を持つ機会もある。無論、ファンの領域だ。別に何か見返りを求めての行為ではなく、ただ、ただ、素晴らしいイラストをありがとう、ということを伝えるためだけのささやかな交流。
しかし、そのメッセージのやり取りの痕跡が残されているという以上、当然ながら、俺は、この有名絵描きさんとの交流が行われていた、ということになる。
まさか別の人のアカウントでログインしているという訳でもない。
俺が知らない間に、俺が、この有名絵描きさんと交流をしていた……そんなことがあるだろうか。ない、俺が二重人格でもなければ、そんなことは起こりえないのだ。
「こりゃ、間違いなく、ヤンくぅんの仕業だな……」
考えられる可能性は、それしかない。なんとも、微妙な出来事だが、それしかないのである。メッセージのやり取りは、特に何の変哲もない日常会話。挨拶であったり、最近の出来事に対しての返信であったり──まぁ、特別絵の知識がなくてもなんとでもなるような内容ばかり。
「んん~……てことは」
そうなると、である。
先ほどまで俺が考えていた、姫野さんについての出来事は……? 同時に二つの出来事が起きない、なんてことは言われていないから、同時に起きたと考えるのが妥当なのだろうか……?
そうなってくると、もっと別に何かが起きた可能性も……?
そこまで来て、俺は、考えることを、やめた。
「もういいや!」
一人でグダグダ考えるのは不幸のもと! 俺は、思い切って、画像収集に目途をつけ、エロゲーでもやることにするぜ、と意気込む。
さてと、と椅子から立ち上がり、冷蔵庫に保管しておいた紙パック入り水ようかんを取り出そうと冷蔵庫に向かう。
冷蔵庫を開け、水ようかんを取り出そうとした。帰宅してすぐに入れたはずの水ようかんを。
「ないぃいい! 二つともなぃいい!!」
テンション高く叫んでしまった。そんな馬鹿なことがあっていいのだろうか、言い訳がない。んなアホな! 馬鹿悪魔! 俺の怒りの矛先はもはや唯一の可能性であるヤンへと注がれる。
「ヤーン!」
「は~い」
いつになく気前よく返事をしてくれるヤンは、いつの間にか俺のベッドに座って両手に水ようかんを持ち、おいしそうに頬張っている。
水ようかんを食べているから機嫌がとてもいいとしか思えない返事。こんなヤン、ヤンじゃない、と俺のドM心が騒いでいるが、たまにはこんなのもいいかもしれない。何事にもアクセントは必要なのだ。
「それは二つも一緒に食べるものではありません! ていうかいつからそこにいた!」
「それはボクが決めるんだよ、お前に決定権なんてない。お前が気持ち悪い顔して画面眺めてるのを見てたよ」
げしげし、と腹を蹴られる。注意するのは良くないらしい。
俺には思いっきり所有権というものがあったはずなのだが、どうやらそんなものはヤンの前では何の意味もなさないようだ。俺は決して水ようかんを死ぬほど愛している訳ではないのだが。
「むがっ、ぐはっ、と、ところで! ぐふっ、聞きたいことがあるぐっ、んだ!」
俺は蹴られつつも必死で質問を試みる。その甲斐あってか、ヤンの攻撃がストップする。
「んでぇ~なひー?」
ヤンは水ようかんを一本飲み干しながら言う。残る水ようかん、後一パック。
「例の、何が起きるか分からない呪文なんだけど、もしかして、俺が人と知りあう、知りあいだあった、ってことも起き得る?」
「そりゃもう」
「えーっと、じゃあ、二つのことは同時に起きるのか? 例えば、そうだな。ヤンが俺にベタ惚れしつつ、姫野さんも俺にベタ惚れする、みたいな」
ヤンはにっこり優雅に笑いつつ、右手で地獄へ落ちろというサインを送ってくる。このサインはあまり人に見せられたものではないので、一体どういうサインなのかということについては想像にお任せする他なく、説明できないのは非常に残念であるが、俺がゾクゾクするようなサインであるということだけは確だ。
「うーん、そうか……」
「一応言っといてあげるケドー、ボクがゴミに惚れることがないってだけで、二つのこととかそういうのは起きるかもしれないし、起きないかもしれないからね」
どうやら、否定している部分はヤンが俺に惚れないというところだったらしい。つまり、二つのことが起きるということはある、ということである。ますます話が分からなくなってくる。
「てことは──一番簡単に考えれば、姫野さんが俺に惚れて、ついでに、何故か俺が有名絵描きさんと知りあったってことか……?」
「わーいやったねー」
ヤンが至極適当に、ものすごく棒読みで返答してくれる。かわいいやつめ。
「ほへへー、てことはぁー、ゴミの性生活がはかどる、んだっけ?」
ヤンが二本目の水ようかんを貪り食いつつ聞いてくる。
「あー、そうそう、うん、もしこれがホントならねー」
「なんだおい、その適当な返事は。なぁ」
俺に適当に返されるとものすごく怒ってくる。ものすごくだ。俺は、すみませんと謝りつつ、はてさて、今日の性処理タイムへと入らさせていたいただくことになってしまった。
この部分について、ヤンの性処理タイムならばともかく、俺の性処理タイムの説明をしたとして誰が得をするのかと言われたら至極難解であるため、割愛させていただく必要があると判断する。なお、一言だけ述べておくと、ヤンはその間中、ずっと水ようかんを楽しんでいた。
さて、代わりに、俺は性処理という言葉をどのように捉えているのかということをこの性処理の後、ヤンに述べてみた時のやり取りを見ていただきたい。
「なぁ、ヤンよ。俺が性処理についてどう考えているのか知ってるか?」
「…………」
無視である。この無視は、実に気持ちが良い無視であるが、ヤン目線で言えば、実に気持ち悪い表情をしていたとのことである
「性処理ということについて、何かと下賤なものだ、汚いものだ、言葉にしてはいけないものだという人々がいる……しかし、それこそ愚かなことだ。何故かわかるか?」
「…………」
「これは我々人類にしか出来ない高尚な行為なのだ。己で欲をコントロールし、生活において、欲にとらわれない生き方をする。そのためにも、この性処理という行為を恥ずかしいことなどという常識にとらわれていてはいけない、常識を打ち破ってこそ進化がある、俺はそう思っているのさ」
「…………」
なお、この後、しばらくの間、ヤンは水ようかんを食べながらひたすら俺をジトっとした目で見続けていた。きっと、俺に惚れたのだろう、と考えると、きっと素晴らしい蹴りか何かが飛んでくるであろうと予想できたため、俺は敗北を認め、いそいそと夜飯の準備でもし始めることにした。
ヤンは、何一つ言葉を発することなく、俺の部屋を去っていってしまう。何故去ったのかという問いに対する答えは実に簡単だ。水ようかんを食べ終わったから、食欲が満たされたから、である。
そんなことがあってから、なんだかんだで一週間くらいの時間が過ぎる。実に何事もなく、ゴールデンウィークに突入しようとしている今日この頃、である。
ゴールデンウィーク、諸行無常の響きなり。
世の大学生という大学生は、一部のぼっち勢を置いて、様々な人々と交流し、時に友情を芽生えさせ、時には恋の花を咲かせる、そして、もっと勝ち組の奴らは、春に咲かせた花により、より広く、素晴らしい世界へと旅立っていくのである。
しかも、である。
何も、ゴールデンウィークを楽しめるのは恋にうつつを抜かしている者のみのことではないということがより俺に精神的ダメェージを与えてくる。
オタクたちだ。今、講義室の後ろの方で、姫野さんを囲むオタクたち。彼らとて、姫野さんというかわうぃー男の子を中心としたサークルライフでとても充実した休みを過ごすに違いない。イベントに行ったりするのだろうか、はたまた、男だらけのお泊り会と称して姫野さんを囲い込んだお泊り会でもするのだろうか。親衛隊らオタクたちだけが集まって勝手に合宿と称したむさくるしいイベントを開くだけなら何も思うところはないのだが、そこに姫野さんが入ってくるとなると、少し、ほんのちょっぴり、羨ましいっ!
さて、さて、一方の俺はどうか?
「なんもねぇんだよ!」
俺は、ゴールデンウィーク前最後の講義を終えて、講義室にてそんなことを心の中で思いながら帰路に着こうとしていた。
結局、有名絵描きさんとのつながりについては、無難な会話をするくらいで保持してある(俺はネット上では無難な会話ができるのだ!)ものの、肝心の姫野さんの件については、あれから何も起きないまま時間だけが過ぎていた。
しかしながら、俺から話しかけるというのも非常に難しい。周りの取り巻きたちは、数で俺を圧倒してくるのだ。雑魚でも群れれば強くなるのよってな具合に。
全くもって無力な俺……。
そんな俺は今日も大人しく帰って、ヤンくんに慰めてもらうしかないのだ。うん、色々な意味で。
なんて思いながら、講義室を出て帰ろうとしたときだった。
「おーい、明くんや」
ポンと後ろから肩を叩かれて声をかけられる。さて、この学校の中で俺に声をかけてくる奴といえば──いない。俺に声をかけてくる奴なんぞいないというのが俺の導きだした答えなのだが、振り向いたところにいるのは、幽霊──ではなく、黒髪男の子、姫野さんであった。




