第2話
勢い余って契約してしまったものの、あまり俺の日常に変わるところはなかった。週四日のコンビニバイトのシフトも変わらなければ、三年生になったというのに相変わらずあまり講義内容に興味を持てない毎日の大学生活も変化なかった。唯一あった変化といえば、家に金髪碧眼ジト目毒舌悪魔美少年ヤンが住みついたくらいだ。
住みついたといっても、ほとんどの時間家にいない。何をしにいっているのか聞いてみたところ「なんでお前の臭い部屋に用事もないのにいないといけないんだ」ということだった。
では、例の契約はどうなったのか?
それは、一応、果たされている、といってよいのかどうか微妙なところだが、果たされている。
「おっ、おっ」
「…………」
俺が同人エロゲームをしている最中、ヤンはただ隣でぼーっと見ていた。干渉しているのは視線だけということだ。
「ふぅ……ていうか俺がドMじゃなかったら、それって処理してるって言わないよね」
賢者になった、いや、冷静になった俺はヤンに問うてみる。
ヤンはこれ以上不愉快なものはないという顔で視線を俺の股間へと注ぎながら、答える。
「出してから言われてもねぇ……」
「ぐっ」
反論を許されぬ俺は引き下がらざるを得なかった。ともあれ、ドMな変態的立場としては、見られているだけで興奮するし、性処理を怠ることで「今日の分さっさと処理してクソして寝ろ」とヤンに催促されるのは管理されているようでやぶさかではない。
「にしても──いつになったら枯れるんだ、その精とかってのは……もう一週間くらい経つんだけど」
はぁ~と大きく溜息をついてヤンが聞いてくる。
「できるなら後三日くらいで枯れて欲しい」
「そんな生命のことわりを捻じ曲げるような生き方はできない」
誰にもこの遺伝子は受け継がれていないのだが、精一杯の反論をしてみる。
「じゃあもう毎日百回シコって寝て」
「それはオナニーのオリンピックであるマスターベータソンの世界記録保持者でも達成されていない異業だから無理だな」
「何その知識本当に気持ち悪いな」
反吐をはくように唾を床に叩きつける。意味の分からない所業に怒りを覚えた俺は、すぐさまその唾のもとへ駆け寄りなめとってやろうと試みたが、ふざけんなよと激高され蹴り飛ばされてしまった。
「というかお前あんまり乱暴するなよ……」
「はぁ? して欲しいんだろ?」
「うーん、一理あるけど、なんか違う気がする」
「なんか段々気持ち悪さに躊躇がなくなってきたなァ」
「正直、自分も昔では考えられないような生活が訪れていることに神経が麻痺していると思うんだ」
「契約だから」
「うん」
とはいえ、こんな生活を毎日続けているからか、身体がだるいのは確かだった。科学的根拠はないが、こうも毎日、生命の神秘を体外に排出し続けていては歳を取るごとにしんどさは増していくに違いない。しかし、まともなことを考えようとしても、余韻からか、途中でどうでもよくなってしまう。まさに飼い殺されているという状況に他ならない。
「ところで、悪魔って何か縛りとかあるの」
「んー、とりあえず、契約中は契約主に危害を加えることは出来ない」
「加えてましたよね!?」
「何回も言ってるがあれはお前が許可してるからだ」
うぅむ、何か納得がいかないが、ここは、とりあえず引き下がっておこう。
「あ、そうだ、素足太もももいいんだけど、日替わりでニーソみたいなの履いてよ、黒ね」
「……」
無言ということは多分了承してくれているに違いない。何か必要なことをお願いすると、わりと素直に聞いてくれるあたり、非常に良心的だ。
「ん──?」
待てよ、何故だろう。そういえば、この性格の悪そうで、何もしてくれなさそうで、ジト目でこっちを胸糞悪そうに見ている悪魔だが、思い返すと、俺が適当にお願いしたことはなんだかんだ言ってきいてくれる気がする。ということは、実は、そういう内容が契約に含まれているとかそういったことはないだろうか。
「ていうか、ヤンって、俺の命令を聞く?」
んんんっとヤンは一瞬動揺し目を見開いたが、すぐにもとのけだるげな表情に戻る。これは怪しい。何かあるに違いない。聞きださなければならないと俺の悪徳セールスを打ち破ってやろうという血が騒ぐ。
「あの、もしもし? ねぇ、そうなんですよね?」
「…………」
「え、沈黙ですか? 返事してくださいよ、ヤンさん」
「…………ごにょにょ」
「えぇ、聞こえないんですけど」
「だぁああああうるさいな! だから、んんんんぃゃく」
あくまでごまかしきろうというのか、この悪魔め。契約内容を言わないとか悪徳商法甚だしいじゃないか。クーリングオフしてやろうか。
しつこく聞き続けること十数分、途中、顔を踏まれる、尻に敷かれるといったトラブルはあったが、ラチがあかないと判断したのか、それとも、これ以上は契約に逆らうこと値するのか、いずれかは分からないが、ついにヤンは口を割る。
「契約で契約内容のほう助に関する契約主からの命令には逆らえないって決まってるんだよ他にもこまごまとした誓約はあるけどこの説明はすることが義務付けられていて説明を求められたらしないといけないです」
なんとか聞きとれる音量でぼそぼそぼそと呟くヤン。
「いや、説明されてないよね!?」
「したぞ! 契約終了後すぐに。ちょっと周波数が人間には聞きとれない高さだっただけで」
「それしたって言う!?」
虫眼鏡で見ないと見えない注意書きのさらに上を行く詐欺伝達方法に憤りを感じる俺だが、ともあれ、その情報をゲットしたからには利用しない手はない!
「よし、じゃあさっそく! 俺とセックスしよう!」
「いやだね、誰がするかお前と行為をするくらいなら今この場でお前に人間では耐えきれないような地獄の苦しみを与えて殺す」
「ぇええ……しかも、するくらいならとか言ってる癖に結局苦痛受けてるの俺だし」
おかしい。性処理の王道のはずだから、契約内容に関することのはずなのに……。契約違反甚だしい。悪魔に対して契約違反と言い寄るのはなんか人間としてそれでいいのかという気もするが、利用できるものを利用しない手はない。
「け、契約! 契約があるのに! 契約契約~! 契約がありますよー! バンバン!」
暑苦しく詰め寄ってみる。紙がある訳ではないが、かわりといってはなんだが自分の顔を押し付けてみる、そして、柔らかなおててで押し返される。
ヤンは冷や汗をかきながら、いつもの余裕のある表情から、余裕のなさそうな笑顔になって言葉を返してきた。
「ざ、残念だったな、言葉だけでなく、心から本当に思っている命令じゃないと、かなえられないんだよなぁ~」
ひきつった笑顔で返すヤン。どうにも信じられない。
「ほんとか!? 単にやりたくないってだけだよな!? 悪魔本社さん~ 悪魔の本社さんの方いませんか!」
「……ちっ」
小さく舌打ちされる。うーむ、本当にそういう契約なのか、どうにもあいまいなところだが、とりあえずここは引き下がっておこう。正直そんなにしたい訳でもないし。
「え~ じゃあ、何ならできるの? 学校のかわいい子と付き合いたいとかならできるの?」
「え、何その意地もプライドも欠片もない願い。ボクドン引きなんですケド……。そんなんで愛を手に入れて楽しい? ねぇ、楽しいの?」
ねぇねぇとひたすら尊厳と共に足を足で踏みにじられる。地味に痛い。ちょうどいい痛さだ。
「うーん、確かに、俺ドMだし、なんか違うよな」
「今まで数多くの人間の契約をかなえて魂もらってきたけど、歴代ナンバースリーに入る気持ち悪さだよなぁ……」
「上には上がいるんだなぁ」
「うん、朝昼晩に十回ずつ幼女の靴下を食べたいって言ってたやつがやばかった」
「それは引くわ」
きっとそいつと変態勝負をしたら打ち負かされるだろうと思いつつ、そういえば、こういうくだらない話を出来る相手が部屋にいるというのは、これまでの一人暮らし生活の中でほぼ初めてだということに気が付く。
「……あ~友達が欲しいなぁ」
「え? 何? 契約倍プッシュ? いいぜ、叶えてやる、その願い」
あまり良くなさそうな契約内容が耳に入るが無視をして考える。うーむ、せっかく取られる魂ならもっと有効に使いたい。
「あ、そうだ、メイド服着てよメイド服~」
「うん、それはいいけど、お前、人生楽しい?」
「唐突な精神攻撃だなぁ」
「いやぁ、まぁいいや、そんで、じゃあそろそろボク帰っていいよね?」
「そうすると俺一人になるんだけど」
「それが似合ってるしいいと思うけど」
うなる。
果たして、今の俺が、目の前の悪魔をうまいこと利用して最大幸福を得るには一体どうしたらいいのか。目下、課題は山積みだが、俺がそもそも望んでいたことを思い出す。
そう、それは夢のキャンパスライフであり、男の娘の男の子とご対面することだったはずだ。となると、一番の障害となっているのは、やはり、あのサークルに君臨していた男の娘。今思い返せばあいつ性格悪そうだったなぁと思うのだが、ともかく元凶であるあいつをどうにかできれば……。
ともあれ、人一人を社会的に抹殺できるような悪魔の所業を行う者に対抗するには、この俺の非力な人間の力では難しい。悪魔的な存在を倒すには本物の悪魔をぶつければよい! つまりこの目の前で足の裏をだるそうに掻いてる態度の悪い悪魔の力を借りなければ無理だと言うことだ。では、悪魔の力を借りるにはどうしたらいいか。
「そ、そうだ! 学校にかわいい男の子がいるんだけど~ その子と仲良くできたら日々の性生活が捗るなぁ~ 仲良くできないかな~ 仲良くしたいなぁ~ すっごい仲良くしたい。できたらなぁ、すごいのに」
「……んー」
ヤンがじとーっとこちらを見てくる。何か考えているようだ。仕方ないので、こっちもじーっと目を合わせて見てみる。
「大きいおめめなのにジトっとしてる目つきなのがかわいい」
苦虫を噛み潰したような嫌そうな目つきに変わる。しまった、つい心に思っていたことが外に漏れてしまっていたようだった。
「捗ってさっさと精が尽きてくれるなら、少しくらいは協力してやんよ~」
「よっしゃ!!」
そもそも、根本的に、男って病気にならない限り精は作られ続けるよなぁと思いつつも、それを明らかにするのはもったいないお化けが出るのでやめておいた。ともあれ、これで、あのかわいいけど憎らしいあの子をぎゃふんと、もとい、仲良くすることができるのだ。
「ところで、どうやって仲良くさせてくれるの? やっぱり、あれだよね、催眠みたいな!」
「あー、ごめん、そういうのは淫魔関係の部署の人間呼んでもらわないと、管轄外だね」
「え、じゃあ、あれか、ターゲットの子の家族を全て人質にとって目の前で」
「お前悪魔かよ」
どうやら違うらしい。悪魔に悪魔と言われるのも気に食わないが、悪魔の仕事も管轄とかそういうのがあって、大変そうだ。
「じゃあ、どーすんのよ~」
「そりゃあ、お前、このボクの悪魔生経験を活かして、お前にコミュニケーションの講義をだなぁ……」
「いや、そういうのじゃもう無理で……」
俺は、ヤンにこれまでのその子との経緯を全て話した。相手が一方的にこちらを攻撃していること、やつは人じゃねぇ、血の色が違うんだということ、しかし、あの冷徹な目を見たいがためにわざと気持ち悪い言動をしてしまっていたのではないかというジレンマ。あるがままに思いをすべて話した。
「──という訳なんだ」
「自業自得じゃん……。ほんと救いようのない変態さんだな」
「ありがとう」
「うーん……」
「で、協力してくれるよね?」
「まぁ、名目上、協力しろと言われたら協力せざるを得ないからなぁ……」
こうして、俺とヤンによるハーレム建造計画(嘘)がはじまるのだ。