第1話
「だからぁ~ わかんないのお兄さん~」
今、俺の目の前に一匹の悪魔がいた。
「お願いをね? 一つ叶えてあげるって言ってるの。人間の小さな脳みそでも理解できるよね?」
俺の名前は、田中明。いざ一人暮らしからの大学デビューと息巻いてデビューしてからはや二年。ぼっち生活上等でオタク街道を突き進み、夢のキャンパスライフからは遠ざかり、ぼっちオタク街道を突っ走っていた。
それもこれも大学に入ったら何かしらのオタクっぽいサークルに入り、何かしらのオタクっぽいサークルには必ずいるであろう男の娘という存在とご対面し、その後順調に男の娘の男の子とご対面し、えっへっへとご対面しまくる予定だったのだが、くだんの男の娘には「本当に気持ち悪いからサークル辞めてくれない?」と吐き捨てられ、それをきっかけにサークル内でも孤立。そのままサークルに居る訳にもいかず、入部から半年でサークルから離脱、その男の娘のしわざかどうかは知らないが、学年内にありもしない噂を立てられ講義でも孤立してしまったからである。
「おい! 聞いてんの!? お前だよ、お、ま、え。なぁ、ちんこ丸出しなの汚いからしまってくれない?」
今、俺は大学生活からもコンビニバイトからも解放され、オタクのたしなみとして、同人エロゲームをして、他にも色々としていた最中だった。そう、俺が数少ない俗世から離れられる時間。ちなみに、もう一つは美少年アニメを見ることである。
そんな時間を邪魔することを許されるのは、せいぜい金髪碧眼ジト目毒舌悪魔美少年くらいなのである。何故ならば、この時間こそ俺の日々の苦行(主にぼっちである学校生活を指す)の末に達成された涙と涙の結晶であるからだ。
にもかかわらず、俺とパソコンの画面の間を阻まんとする位置にいるこのやたらと露出が高いまるで悪魔の制服のような黒を基調としたコスチュームを見につけた存在は──
「金髪碧眼ジト目毒舌悪魔美少年じゃねぇか!!」
「はぁ!? 殺すぞ!」
バン、とパソコンデスクを叩き、立ちあがる。顔を極限まで目の前の金髪碧眼(以下略)美少年の顔へと近づける。画面の中以外で初めて見た天然ものらしい金髪の匂いを嗅ごうとさらに髪の毛へと顔を近づけようとした時、見事な顔面踏みつけが俺の顔へと直撃した。
「お前、本っ当に、気持ち悪いな……他行こかな……」
まさか悪魔にまで愛想を尽かされるとは思っていなかったので、焦って椅子の上で正座し、反省の意を表し、語りかける。
「失礼いたしました。それで、何か御用でしょうか」
「だぁかぁらぁ! ……いや、もういいや、他行くよ、お邪魔しました」
「ちょ、ちょっとまってちょっとちょっと」
この絶好の機会を逃してはいけないと本能が告げる。目の前にいる変な浮いてるやつは、事情がどうであれ、およそ己の考えうる最高の金髪美少年なのだ。せめて何か良いことの一つくらいはしてもらわないと気が済まないし、このチャンスを逃したら一生チャンスは来ないだろう。ノーモアチャンス、ワンモアチャンス、意味の分からない言葉を合言葉に必死にアタックしてみる。
「いやいや、俺は確かに美少年大好きな変態でドMで気持ち悪いかもしれない。しかし、それゆえに、さっき君に踏まれたことも今ではとてもいい思い出だし、思い出せば思い出すほど、あちょっとパンツはくわ」
途中で方向性を見失った会話を打ち切り、パンツを上げて、ズボンも上げる。下半身露出していたのは決して露出狂という訳ではない。何故なら、日本の法律で自分のスペース内で下半身を露出することは強制わいせつ罪に値しないはずだからだ。ちなみに、強制わいせつ罪は一三歳未満に対して行う場合と十三歳以上に対して行う場合では規定が異なるので注意が必要であるが、目の前のこいつは多分悪魔って言ってるし人間ですらないから法律には当てはまらないだろう。
「…………」
その様子を丁寧にも金髪美少年は見てくれていた。正しくは、呆れて何も言えぬ極限まで人を見下した、そう、ゴミ虫を見るようなジト目で見下げていたのだが、俺にとってしてみれば、見てくれていた、という表現でなんら間違いはないのだ。
「あ、はき終えました。それで?」
「いや、それで? じゃねぇよ……もういいや、じゃあ、僕のために死んでくれない?」
突然の提案に少し頭が混乱する。悪魔の尻尾をふりふりさせて宙をふわふわ浮いているこのジト目美少年からこんな見下されながら言葉を発せられたらなみの人類であれば「はい」と頷いてしまいかねないだろうが、この俺はそうはいかない。
「えぇえ……でも死ぬって、何? 具体的には? 腹上死ならやぶさかでもないんだけど」
とりあえず、会話を伸ばしてみることを心がける。会話のコツは疑問を投げかけることだと大学デビュー前に読んだコミュニケーション本に書いてあった。
「ふく、なに? いや、意味わかんないけど……。具体的にはって、えーと、まぁ、いいや、じゃあ話を戻すけど、君、一昨日くらいに夜寝る前に悪魔を召喚してたよね?」
「いや、してないが」
「いや、してたからボクがここにいるんだけど」
押し問答になる前に、俺は記憶を思い返した。夜。バイトのない夜は大体アニメを見てもしくはゲームをして、そのまま布団に入り、夜寝る前の妄想を楽しんでから寝るのが日課だ。悲しい日課かもしれないが、これは今の俺にとってジャスティスなので、何人たりとも文句は言わせない。
それで、二日前というと、バイトはなかったはずなので、そのパーフェクトぼっち日課をこなしていたはず。となると──
「あー! うん、いや、ていうか、妄想でそうやって願ってただけなんだけど……」
「妄想? は? いやいみわかんなし。もうなんでもいいよ、猿」
「はぁ~?」
「はぁ~?ってなんだよ、あ?」
ちょっと思いきって生意気な口を聞いてみたところ、どうやら謎の悪魔の力があるのか力では到底かなわないようで、頭を踏みつけられ床へと叩きつけられる。ありがとうございますと言うと、顔は見えないが踏む力がさらに強まったうえにぐりぐりとされる。あまりに痛い上に額に傷をつけると見栄えが悪くなるのでとんとんと足をタップした。苦痛の解放およびボディタッチ(?)ゲット。
ともかく、妄想で悪魔っ子に関する様々な世界観および考察をしていたのが、たまたま悪魔召喚へと繋がったということなのだろう。良くわからないが、ラッキーだ。
「それで、ボクは君の願いを一つ叶えてあげる。その後、君の魂はボクのもの~ ってこと」
わかった?とにやついた顔でこちらを見る悪魔。
俺は歓喜した。
こういうシチュエーションはいくらでも妄想したことある。万のバリエーションをもって、この目の前にいる悪魔に願望をかなえてもらうためにこれまで培った多種多様のシミュレーション結果(ソースは妄想)を脳内ライブラリーから引っ張ってくる。
「あ、ところで、名前を教えて」
一旦大事なところを聞いておく。そう、名前を知っておくと、多分、なんか有利だ。
「は? それが願い? おっけーじゃあ──」
「待て待て待て!! ちゃいまんがな! 自己紹介やがな!」
関西人でもないのに怒涛の勢いで突っ込みを入れるとともに、そのまま勢いで未だに踏んづけられていたままの顔をあげる。なぁんだぁと本気で残念そうな悪魔だったが、そりゃてめぇの名前と引き換えに己の命を授けていたら命がいくつあってもたりない。できることなら不死身になりたい。あ、これお願いしようかな。
ちなみに、顔を上げる過程で、悪魔っこの美少年らしい短パンの間からチラリと見える綺麗な太ももが目に入ったので、小さくありがとうございますと呟いておく。
「ボクの名前はヤンだよ~ よろしくねっ」
「よろしくヤンくん~」
「呼ぶのやめて。で、んなことより、願いはなに? もうさっさと終わらせて次行きたいんだよね。この身体居心地悪いし~ 君センスないよね」
「え、身体って?」
曰く、この目の前にある身体は、悪魔がこの世界に来るときに仮の姿として構成されるもので、契約者となりうる人間との契約が取りやすいよう、その人間の好感を寄せやすい姿形になるらしかった。願ったりかなったりである。仕事を取るためにはとても効率のよいシステムだ。人間社会も真似をした方がいいかもしれない。
ともあれ、願いを言わないと、契約もされず、この目の前の悪魔っ子ともおさらばという訳なので、早急に対処しなくてはならないのは確かだった。
「じゃあ、まずは、願いを百個に──」
「は? できるわけねぇだろ。君は確かにゴミかもしれないけど、ゴミはゴミなりにもう少し頭を使って考えてくれないとだめでしょ。社会がそんなに甘いと思ったら大間違いだよ。人間に生まれたからって調子にのるなよ、人間に生まれたのはお前がえらいからじゃない、ただの運だ。その運に恵まれたくせに人間の取柄である頭を使わないってのは神への冒涜だね。そもそも魂を一個もらうって言ってるのにそれに反するようなことできる訳ないでしょ」
当然のように却下されたうえに、山のような罵詈雑言を浴びせられる。悪魔に人間社会はなんたるかどころか、神についてさえも語られてしまった。ごめんなさい、と一応謝るが、しかし、一度はこういったこともできるかどうかは試しておかないといけないので特別反省はしない。ちょっと泣きそうになるが、慰めてというと、魂を取られるのでやめておく。
考える。ならば、何ならいいのか。とりあえずアタックしてみてもいいのだが、悪魔の願いというのは、えてして中途半端にあいまいな願いを言うと、今度は叶ってしまいかねない。たとえば、不死身になりたいとお願いしたとして、不死身の定義を変に受け取られ意識がないままずっと生きるだとか、霊体となってずっと生きるとか、はたまた魔界で生きるとか訳の分からない概念を持ちだしてくるかもしれない。悪魔相手にあいまいな表現はNGなのだ。
というか、魂を取るという契約なのだから、かなりの短期間で願いを達成させて「はい、達成したね、魂ゲット」というようにことを運ぶ気満々だろう。詐欺業者相手に取引を仕掛けるというのは、それ相応に言い訳の聞かない文言でなければならない。
そうなってくると「モテたい」だとかそういったあいまいな願いはNGだ。いつ魂を奪われるか分かったものではない。様々なシミュレーションをしてきたものの、いざ目の前で問われると、細部まで考えられていなかったことを後悔する。
しかし、時間はない。ヤンは退屈そうにあくびをしているし、視線はずっとこっちを見て、早くしろ、もういなくなるぞ、とプレッシャーをかけてきている。
俺は、考えうる最高の願いを口にする。そう、これさえかなえば死んでもいい、そういう覚悟を持った願いであり、適度な期間達成され得ない願い──
「じゃあ──」
「じゃあ?」
「金髪碧眼ジト目毒舌悪魔美少年に精が枯れるまで毎日性処理をしてもらいたい!!」
静寂。
沈黙。
ぽわと契約成立の合図であろう光がヤンを包む。
今は四月。俺のぼっちキャンパスライフ三年生生活が始まり数週間が過ぎようとしていた、この、昼。
鳴くカラス。
無言でその場から去ろうとする金髪碧眼ジト目毒舌悪魔美少年。
尻尾を掴む俺。
「なんだよ! 離せよ!」
「離さない、この手がちぎれようとも!」
「はぁああああ!」
かくして、金髪碧眼ジト目毒舌悪魔美少年ヤンとこの俺ぼっちオタクドM美少年好きの田中明との共同生活が始まるのである。